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11 掌を開く時

── 夜 帝城・執務室 ──


厚い扉が静かに閉じられ、室内の灯がわずかに揺れた。

ダリオスは書類へ落としていた視線を上げ、入室したミレイユを見る。


「――姫様の報告を」

ミレイユは一礼し、淡々と口を開いた。


「本日、姫様は大神殿にて祈りを捧げられ、その後、大神官長様より“叙勲祭の件”についてお話を伺われました」


ダリオスの眉が、ほんのわずかに動く。

報告は続く。


「……その際、姫様より陛下へ伝言を預かっております」


ミレイユは、王女が託した言葉を正確に告げた。


ダリオスの肩が、僅かに揺れた。

「……生きるために、か」

口元に薄く笑みを浮かべ、低く喉を鳴らす。

「知恵を回すようになってきたな」


その目には、どこか満足げな光が宿っていた。


「で、大神官長は王女に何を話した?」


ミレイユは淡々と報告を続ける。

ダリオスはそれを聞きながら、深く椅子にもたれた。


「姫様は、叙勲祭の件を……ご自分なりに、改めてお考えのようでした。ただ、それだけでなく――これからのことも、何かお考えのご様子でした」

一通りの報告を終えて、ミレイユが最後に添える。


ダリオスの眼差しに、わずかに陰が差す。

「――南洋の若造から、暗殺者の正体を聞いたせいだろうな」


声の裏に、鋼のような警戒が潜んでいた。


「自分を狙った影が何者だったのか。俺が何を隠したのか。叙勲祭の裏で何が起こっていたのか。すべて、王女なりにさらい直したいのだろう」


ミレイユは短く頷くと、静かに一礼して身を翻した。




扉が静かに閉まると、再び部屋の空気が沈黙を取り戻した。


ダリオスの指が、机上を静かに叩き、その音が、静かな執務室に短く響く。

そのまま視線を落とし、ダリオスは思考の底へ沈んだ。


叙勲祭の件は、すでに表向きの決着はつけている。

元老院筆頭は処断し、残る者たちにも無言の圧をかけた。

裏にいる南洋王国への策も、今まさに動かしている最中だ。


しかし――牙が、まだ野放しだ。


暗殺者カイム。


本来、暗殺者というものは「刃」だ。

命じられた標的を黙って仕留めるだけの影にすぎない。

追うべきは刃そのものではなく、その刃を振るわせた手。


だが、あの男は違う。


標的の“心”に触れようとするような、妙な執着。

王女に向けた言葉の端々に、そこにあるはずのない熱が潜んでいた。

ただの従属の刃が持つものではない。


(……あれは、己の意思で動く“野生の刃”だ)


放置すれば、どんな方向にでも跳ねる。

王女を殺すためだけではなく、別の何かを狙っている可能性すらある。

――いずれにせよ、野放しにはしておけない。


「千年王家の影、か……」


ぽつりと零れた声は、室内の静けさに沈むように消えていく。


ダリオスは椅子の背に深くもたれた。

厄介だ――その一言に尽きる。


永き歴史を重ねた王家に連なる闇。

本来なら、それは“王家”が背負うべき影だ。

代々の血統が継ぎ、王位が存続していれば、王女が負う必要のなかったもの。


だが――王家は、滅んだ。

滅ぼしたのは、自分だ。


その結果、残された影は、たった一人の女の肩に降り積もりつつある。

それは、彼女の「責務」なのか。

それとも、己の手で終わらせるべき「後始末」なのか。


組んだ指に、わずかな力がこもる。


(……どこまで、あれに背負わせるべきなのか)


王家の残滓を全てあの細い肩に押しつければ、容易く折れてしまうだろう。


――『なぜ、勝手に決めつけるのですか?』


不意に、女の声が差し込む。

確かな意志を宿した瞳。あの夜、真正面から向けられた光。


口の端がかすかに動く。


千年の影を背負わせるか、あるいは手を出すか――

その境は、もはや自分の側ではなく、あれ自身の中にあるのかもしれない。


(……あれを“守るべきもの”として扱うのは、もう違うのかもしれん)


その思いが、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいく。


折り重なる影を払い、進もうとするあの歩み。

それを無視して手のひらで包むのは、もはや筋ではない。


小さな確信がひそやかに形を結ぶ。


(……ならば、あれ自身の力を信じて組み込むしかない)


ダリオスの指先が、机を一度だけ、軽く叩いた。

その音は、小さくとも確かな合図だった。

守るだけの段階は、とっくに過ぎている。あの娘は、もう“こちら側”に立たせるべき存在なのだ。


窓の外では、夜の帳がゆるやかに降りていた。

その静けさの奥で――帝国を動かす歯車が、音もなく形を変え、回り始めていた。

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