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冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―  作者: 唯 さらら
第八章 旧都の風 ~ 第三幕 望みの名 ~
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10 星の下の懺悔

── 旧都・総督城・屋上 ──


会話が途切れ、静寂が戻った。

王女は顔を上げ、夜空を仰ぐ。


星々は風に揺れるように瞬き、澄んだ光がゆるやかに胸の奥まで降りてくる。

先ほどまで交わした言葉が、遠い響きのように心の中で反芻された。


その時、ルガードが欄干から身を起こし、肩越しに王女へひとこと声をかけた。

「――殿下、ちょっとそのまま星を見ていてください。すぐ戻ります」


王女は不思議そうに振り返りかけたが、すぐに頷き、再び夜空へと視線を戻した。


ルガードは足音を静かに落としながら、屋上の入口に佇んでいるミレイユの前まで来ると、ゆっくりと腰を下ろした。

石壁に背を預け、外套の内から小ぶりの煙管を取り出す。

金属の口先に火を点けると、淡い煙がふわりと立ちのぼり、夜風に溶けていった。


「……あいつは、磨けば光る原石を見つけるのがうまいな」

紫煙の向こうで、老将の声が低く落ちる。

「いや……光りたがっている原石に気づくのがうまいのかな」


ミレイユは無言のまま、屋上の王女の方へ視線を向けていたが、その言葉にわずかに眉を動かした。


「お前が心を許す相手というのも、珍しいしな」

ルガードが軽く笑いながら煙を吐く。

灰が夜風に散り、闇に溶ける。


ミレイユは小さく首を傾げ、ルガードを振り返った。

「……どういう意味でしょうか?」


ルガードは口元だけで笑う。

「少なくとも――俺と親しく話しているところを見られても構わない相手だと思っている、ってことだ」


ミレイユはしばらく考え込み、やがて真顔のまま問い返した。

「ルガード様と、親しく会話などしたことがありましたでしょうか?」

「……ほんとにお前は、自分の感情の機微に疎いな」

呆れ混じりに肩をすくめるルガードに、ミレイユは曖昧な首の角度で応じた。

「まぁ、感情というのがどういうものか、いまいちよくわかりませんから」


そう言いながら、再び王女の方へと視線を向ける。

屋上の中央で、王女は星空を仰いでいた。

白い首筋に月光が降り、風がその髪を静かに揺らす。


「……姫様が、感情の豊かな方なのだろうことは、わかりますが」

ミレイユは王女の背を見つめながら、ぽつりと呟いた。


ルガードは思わず煙管を止め、ちらりと王女の方へ視線をやった。

静かに星を見上げるその姿を一瞥し、再びミレイユへ目を戻すと、わずかに眉をひそめた。


その反応に気づいていないのか、ミレイユは無表情のまま続ける。

「でもやはり、感情というのは厄介な代物に見えますね」

夜風が彼女の黒い髪を揺らした。

「わざわざ……ご自分を苦しめにいく」


ルガードは小さく首を傾げた。ミレイユは変わらず王女に視線を向けたまま、淡々と続ける。

「私には、姫様は何の罪もない、としか思えないのですが」


ルガードはその言葉にしばし黙し、今度はゆっくりと、ミレイユの視線の先へと目をやった。

星明かりの下、静かに立ち尽くす王女の姿は、どこか儚く――それでいて揺るぎなかった。


「……まぁ、罪の意識は、人を苦しめるだけのものでもないからな」

低く呟くように言ってから、ルガードはふとミレイユを見やった。

「なんだか――まるでお前が殿下に対して罪の意識を抱えているみたいだな」


ミレイユのまつげが微かに震え、夜の光を反射した。

やがて、静かに言葉が落ちる。

「……私が、姫様に果物ナイフを持たせてしまいましたので」


ルガードは一瞬、何のことかと眉を寄せたが、すぐに市場の話を思い出す。

「まぁ、たしかに手落ちではあるが……」

首を傾げ、鼻の奥で息を鳴らす。

――それくらいのことで、罪悪感を抱えるような女ではないだろう。


だが、ミレイユの声は低く、淡々と続いた。

「手落ちではないのです」


その一言が、夜気の中に沈む。

わずかな沈黙のあと、彼女は小さく息を吸った。


「……気づいていながら、見逃したのです」


ルガードの表情がわずかに変わった。

「どういうことだ」

声音には、ほんの僅かに鋭さが混じる。


ミレイユはうつむき、目を伏せたまま言った。

「……ふと、興味が沸いたのです。姫様のやりたいことは、何なのだろう、と」


夜の空気が、そこで止まった。

ほんの一瞬、風さえも息をひそめる。


次の瞬間――


「はっ、はははははっ!!!」


ルガードの腹の底からの笑い声が響き渡った。

石壁に反響し、夜の静寂を破るように明るくこだました。


ミレイユはじとっと無言のまま、わずかに眉を寄せてルガードを見つめる。


ルガードは肩を震わせながら、なんとか笑いを抑えようとする。

「いやぁ……まさかお前が他人にそこまでの興味を持つとはな」

まだ笑いが残っているのか、声の端に息が混じる。

「人間味が出てきたじゃねぇか」


ミレイユは小さく息を吐き、淡々と返す。

「そんな私の出来心がもたらしたことで、姫様は今、罪悪感を抱えていらっしゃるのです」


ルガードの笑いがようやく収まる。

彼の視線の先で、ミレイユはわずかに目を細め、王女の方へと視線を戻した。


「……だから、やはり、感情なんてものは厄介です」


ルガードは腕を組み、ミレイユを見やった。

「それで――殿下の“やりたかったこと”を見て、お前は何を感じたんだ?」

声には興味と探りの両方が入り混じっている。

「ただ、“感情は厄介だ”って感想だけか?」


ミレイユはゆっくりと視線を夜空へ上げた。


短い沈黙。

星明かりの下、その横顔は、いつもよりほんのわずかに柔らかく見えた。


「……なんだか、不思議なものを見た気分でした」


ルガードは少し目を細める。

ミレイユにしては、あまりにも抽象的な言葉。

彼女の口からそんな言葉が出るとは、思ってもみなかった。


「なるほどな」

老将は低く笑い、夜空を仰いだ。

「まぁ――“生の舞台”を見た者にしかわからない感覚って奴は、確かにあるもんだ」


ミレイユは何も言わず、ただ静かに頷いた。

風がひとすじ吹き抜け、冷たい空気が二人の間をすり抜けていった。


ルガードは煙管を軽く振って灰を落とし、紫煙をゆるやかに吐き出した。

その煙が夜気にほどけていくのを見つめながら、ふと呟く。


「……しかし、そうか。じゃあやっぱり、あの噂は――あいつが誇張したわけじゃなかったんだな」


ミレイユが静かに顔を向ける。

「ルガード様の耳にした噂がどういうものかは存じませんが」

一拍の間を置き、淡々と続けた。

「姫様が市場でご自身の首に果物ナイフを当て、故国の者たちの命を救おうと試みられたのは、事実です」


冷えた空気がわずかに動き、ふたりの吐息を淡く攫っていった。


ルガードは煙管を口から離し、しばし黙って空を仰ぐ。

やがて、口の端にわずかな笑みを浮かべた。

「……そうか」


その声は低く穏やかで、どこか満足げにも聞こえた。


「――俺も、見てみたかったな」


ルガードは煙管の火を指先で軽く弾き、残りの灰を石畳に落とした。

最後の一口を吸い込むと、深く息を吐き、静かに立ち上がる。

外套の裾が風に揺れ、星明かりの下、その背はひときわ大きく見えた。


「……まぁ」

立ち上がりながら、ゆるやかに口を開く。

「お前が一緒に、罪を背負ってやればいいんじゃないか?」


ミレイユがわずかに眉を動かし、老将を見上げた。

ルガードは彼女の視線を受けながら、淡い笑みを浮かべる。


「罪は人それぞれにあるからな。本当には分かち合えねぇ。

 けど、それでも――共に背負ってくれる人間がいるってのは、案外、心強いもんだぞ」


ミレイユは返事をせず、ただ静かに王女の背を見つめた。

ルガードは肩をすくめ、夜空を一度だけ仰ぐ。


「背負うのが辛くなったら、ここに戻ってこい。……懺悔くらい、聞いてやる」


そう言って、口の端に笑みを残したまま、王女の方へと戻っていった。

靴音がゆっくりと石を叩き、やがて星の光の下へ溶けていった。

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