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冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―  作者: 唯 さらら
第八章 旧都の風 ~ 第三幕 望みの名 ~
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5 古都の出迎え

── 旧都・総督城・正門前 ──


白石の舗道を馬車の車輪がゆるやかに擦り、重厚な門が音を立てて開いた。

朝の光が尖塔の瓦に反射し、衛兵たちの槍先が陽を受けてきらりと光る。


馬車が止まり、扉が開く。

王女が外套の裾を整えて降り立つと、迎えの列の前に一人の男が進み出た。


「お待ちしておりました」


落ち着いた声だった。

低すぎず、高すぎず、まるで水面を撫でるような響き。

王女が顔を上げると、鉛色の髪を後ろで一つに束ねた男が静かに頭を垂れていた。


「旧都防衛軍副将、カリス・オーレンにございます。おひさしぶりです、王女殿下」


灰青の礼装は簡素ながらも清潔に整い、銀の留め具が光を受けて鈍く輝く。

髪は鉛がかった黒で、風にわずかに揺れている。

姿勢は正しく、しかしどこか柔らかな空気をまとっていた。


王女は一歩踏み出し、戸惑いの面持ちで応じる。

「……どこかでお会いしたでしょうか?」


帝都でこれまでに出席した式典や夜会を思い出してみるが、彼の姿を見た記憶がない。


カリスの唇に、控えめな笑みが浮かんだ。

「春の全州会議にて、お目にかかりました」


王女ははっと息を飲んだ。

石の壁に反響した声、光の帯に沈む長卓――あの場の冷たい空気が一瞬、脳裏をかすめた。


「……あのときは、突然のことで……余裕がなく、まったくお顔も……申し訳ありません」


王女が慌てて頭を下げると、カリスは微笑しながら首を振った。

「とんでもない。あの場では、致し方ないことです」


「では、こちらへ。元帥閣下がお待ちです」

カリスは一礼し、身を翻して歩き出した。

王女はその後に続く。


石畳の上を進みながら、王女はぼんやりと思った。


(あの全州会議の場で、自分の振る舞いについて、西は何と言っていただろう……)


北が「罰せよ」と言っていたことだけは覚えている。

だが、他の州が何を語ったのか――あの時の王女には理解できなかった。


西は……ルガード元帥は、自分をどのように見ているのだろうか――。


その思いが胸に沈んだまま、王女は緊張を抱えて歩を進めた。

執務室へ続く長い廊下は、ひんやりとした静けさに満ちており、石壁に映る灯がゆらゆらと揺れていた。





── 執務室 ──


カリスが扉を叩く。

「王女殿下をお連れしました」


内側から低い声が返り、カリスが静かに扉を開ける。

部屋の空気が、外よりもわずかに重く感じられる。


「――王女殿下、よくお越しくださいました」


広い机の向こうに立つのは、ルガード・ヴェルン元帥。

大柄な体躯に、灰の混じる髪。肩章のついた軍装の上着は深い青灰で、袖口には金糸の縫い取りが鈍く光っている。

頬には、古い斬傷の跡が一本、薄く残っていた。

鋭さよりも、静かな迫力があった。

ひと目見ただけで、数多の戦場を渡り歩いてきた者の重みが伝わる。


王女は自然と背筋を伸ばす。

圧される、というより――その存在の前に、言葉が少し遅れて出てくるような感覚。


ダリオスもまた威容の人だった。

だが、ルガードのそれは異なる質のものだった。

鋼ではなく、大地のような重さ。沈黙の奥に、長い年月を刻んだものの深さがある。


王女は小さく息を整え、一歩進み出る。

わずかに圧されながらも、礼を失わぬよう、静かに頭を下げた。

「このたびは、しばらくお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」


ルガードは頷き、ふと王女の背後に目を向けた。

「――ミレイユも、久しぶりだな。……また大きくなったんじゃないか」


名を呼ばれたミレイユが、無表情のまま一礼する。

「……最後にお目にかかったのは二年前ですので、背丈に変わりはありません」


ルガードの口元に、豪放な笑みが浮かんだ。

「はっはっ、相変わらずだな」


笑い声が石壁に低く響く。

そのやりとりを、王女は少し不思議そうな顔で見守った。


ルガードは机の前に立ったまま、穏やかな声を向けた。

「道中はいかがでしたか。お疲れではないかと気がかりでしてな。ここらは帝都に比べると静かで、少し寂しいくらいでしょう。これから寒くもなっていきますしな」


王女は小さく首を振った。

「いえ……山や森が見えて、なんだか落ち着きます。

 どこか少し、私の故国と雰囲気が似ていて――」


「ほう……」

ルガードの低い声が、短く響いた。


その瞬間、王女ははっとした。

(――故国のことなど、口にしてよかったのだろうか)

胸の奥に、わずかな冷たさが走る。


けれどルガードは、にっこりと笑みを浮かべた。

「では、今夜の晩餐で、ぜひそのあたりのお話をゆっくり聞かせてもらいましょうか」


穏やかな声が、石壁に柔らかく反響した。

その響きに、王女はようやく小さく息をついた。





── 離れの邸 ──


再びカリスの案内で、王女は石畳をゆっくりと進んだ。

回廊を抜けると、庭の向こうに灰白の建物が見えてくる。ダリオスが旧都に滞在する折にも用いられるという邸らしい。


壮麗さこそないが、年月を帯びた壁の色合いが、どこか懐かしいぬくもりを湛えていた。風の音と、庭の泉のせせらぎが遠くから届く。


離れの邸の入口まで来たところで、カリスが足を止めた。

「では、晩餐の準備が整いましたらお迎えに上がります。それまでごゆっくりお過ごしください」


そう言い残し、静かに去っていった。

そこから先は、ミレイユに導かれて邸の中へと進む。


「こちらが、姫様にお使いいただくお部屋です」

ミレイユが扉を押し開けた。


白漆喰の壁と木の梁が、やわらかな陽の光を受けて淡く輝く。

掃き出し窓の向こうには半円形の石のバルコニーがあり、手摺に蔦が絡んでいるのが見えた。

室内には小机と寝台、そして小さな暖炉。飾り気はないが、ひとつひとつの造作に丁寧な手仕事の温もりがある。

風が静かに流れ、帝都の居室にはなかった“息の通う”気配が満ちていた。


思いのほか開けた間取りに、王女は戸惑いを覚えた。

掃き出し窓から陽の光が、格子の影なく差し込んでいる。


(……こんなに、開けた部屋なんて)


帝城の居室には、窓に格子がはめられていた。

思わずミレイユの方を振り向く。


「……いいの? 本当に、ここで」


王女の声に、ミレイユは一度まばたきをした。

何を指しているのか分からない、といったように、わずかに首を傾げる。

視線がゆっくりと窓の方へ移り、そこでようやく王女の問いの意味を理解したらしい。


ミレイユは特に表情を変えず、さらりと答えた。

「陛下が姫様にとご用意なさった部屋ですから、よろしいのではないでしょうか」


少し間を置いてから、淡々と続ける。

「まあ、帝都の格子も……演出みたいなものですし。なくても、あそこから飛び降りたりなさらないでしょう、姫様」


「……演出」

ぽかんと、王女はその言葉をつぶやいた。


そっと、バルコニーに足を踏み出す。

木枠の窓を背に、外気が肌に触れる。


太陽の位置からすると、部屋は南東を向いているのだろう。

南東――帝都の方角。


王女は石の欄干に手を添え、なめらかな手すりの感触を確かめながら、

遠く帝都にいる男へと、静かに思いを馳せた。

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