5 古都の出迎え
── 旧都・総督城・正門前 ──
白石の舗道を馬車の車輪がゆるやかに擦り、重厚な門が音を立てて開いた。
朝の光が尖塔の瓦に反射し、衛兵たちの槍先が陽を受けてきらりと光る。
馬車が止まり、扉が開く。
王女が外套の裾を整えて降り立つと、迎えの列の前に一人の男が進み出た。
「お待ちしておりました」
落ち着いた声だった。
低すぎず、高すぎず、まるで水面を撫でるような響き。
王女が顔を上げると、鉛色の髪を後ろで一つに束ねた男が静かに頭を垂れていた。
「旧都防衛軍副将、カリス・オーレンにございます。おひさしぶりです、王女殿下」
灰青の礼装は簡素ながらも清潔に整い、銀の留め具が光を受けて鈍く輝く。
髪は鉛がかった黒で、風にわずかに揺れている。
姿勢は正しく、しかしどこか柔らかな空気をまとっていた。
王女は一歩踏み出し、戸惑いの面持ちで応じる。
「……どこかでお会いしたでしょうか?」
帝都でこれまでに出席した式典や夜会を思い出してみるが、彼の姿を見た記憶がない。
カリスの唇に、控えめな笑みが浮かんだ。
「春の全州会議にて、お目にかかりました」
王女ははっと息を飲んだ。
石の壁に反響した声、光の帯に沈む長卓――あの場の冷たい空気が一瞬、脳裏をかすめた。
「……あのときは、突然のことで……余裕がなく、まったくお顔も……申し訳ありません」
王女が慌てて頭を下げると、カリスは微笑しながら首を振った。
「とんでもない。あの場では、致し方ないことです」
「では、こちらへ。元帥閣下がお待ちです」
カリスは一礼し、身を翻して歩き出した。
王女はその後に続く。
石畳の上を進みながら、王女はぼんやりと思った。
(あの全州会議の場で、自分の振る舞いについて、西は何と言っていただろう……)
北が「罰せよ」と言っていたことだけは覚えている。
だが、他の州が何を語ったのか――あの時の王女には理解できなかった。
西は……ルガード元帥は、自分をどのように見ているのだろうか――。
その思いが胸に沈んだまま、王女は緊張を抱えて歩を進めた。
執務室へ続く長い廊下は、ひんやりとした静けさに満ちており、石壁に映る灯がゆらゆらと揺れていた。
── 執務室 ──
カリスが扉を叩く。
「王女殿下をお連れしました」
内側から低い声が返り、カリスが静かに扉を開ける。
部屋の空気が、外よりもわずかに重く感じられる。
「――王女殿下、よくお越しくださいました」
広い机の向こうに立つのは、ルガード・ヴェルン元帥。
大柄な体躯に、灰の混じる髪。肩章のついた軍装の上着は深い青灰で、袖口には金糸の縫い取りが鈍く光っている。
頬には、古い斬傷の跡が一本、薄く残っていた。
鋭さよりも、静かな迫力があった。
ひと目見ただけで、数多の戦場を渡り歩いてきた者の重みが伝わる。
王女は自然と背筋を伸ばす。
圧される、というより――その存在の前に、言葉が少し遅れて出てくるような感覚。
ダリオスもまた威容の人だった。
だが、ルガードのそれは異なる質のものだった。
鋼ではなく、大地のような重さ。沈黙の奥に、長い年月を刻んだものの深さがある。
王女は小さく息を整え、一歩進み出る。
わずかに圧されながらも、礼を失わぬよう、静かに頭を下げた。
「このたびは、しばらくお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
ルガードは頷き、ふと王女の背後に目を向けた。
「――ミレイユも、久しぶりだな。……また大きくなったんじゃないか」
名を呼ばれたミレイユが、無表情のまま一礼する。
「……最後にお目にかかったのは二年前ですので、背丈に変わりはありません」
ルガードの口元に、豪放な笑みが浮かんだ。
「はっはっ、相変わらずだな」
笑い声が石壁に低く響く。
そのやりとりを、王女は少し不思議そうな顔で見守った。
ルガードは机の前に立ったまま、穏やかな声を向けた。
「道中はいかがでしたか。お疲れではないかと気がかりでしてな。ここらは帝都に比べると静かで、少し寂しいくらいでしょう。これから寒くもなっていきますしな」
王女は小さく首を振った。
「いえ……山や森が見えて、なんだか落ち着きます。
どこか少し、私の故国と雰囲気が似ていて――」
「ほう……」
ルガードの低い声が、短く響いた。
その瞬間、王女ははっとした。
(――故国のことなど、口にしてよかったのだろうか)
胸の奥に、わずかな冷たさが走る。
けれどルガードは、にっこりと笑みを浮かべた。
「では、今夜の晩餐で、ぜひそのあたりのお話をゆっくり聞かせてもらいましょうか」
穏やかな声が、石壁に柔らかく反響した。
その響きに、王女はようやく小さく息をついた。
── 離れの邸 ──
再びカリスの案内で、王女は石畳をゆっくりと進んだ。
回廊を抜けると、庭の向こうに灰白の建物が見えてくる。ダリオスが旧都に滞在する折にも用いられるという邸らしい。
壮麗さこそないが、年月を帯びた壁の色合いが、どこか懐かしいぬくもりを湛えていた。風の音と、庭の泉のせせらぎが遠くから届く。
離れの邸の入口まで来たところで、カリスが足を止めた。
「では、晩餐の準備が整いましたらお迎えに上がります。それまでごゆっくりお過ごしください」
そう言い残し、静かに去っていった。
そこから先は、ミレイユに導かれて邸の中へと進む。
「こちらが、姫様にお使いいただくお部屋です」
ミレイユが扉を押し開けた。
白漆喰の壁と木の梁が、やわらかな陽の光を受けて淡く輝く。
掃き出し窓の向こうには半円形の石のバルコニーがあり、手摺に蔦が絡んでいるのが見えた。
室内には小机と寝台、そして小さな暖炉。飾り気はないが、ひとつひとつの造作に丁寧な手仕事の温もりがある。
風が静かに流れ、帝都の居室にはなかった“息の通う”気配が満ちていた。
思いのほか開けた間取りに、王女は戸惑いを覚えた。
掃き出し窓から陽の光が、格子の影なく差し込んでいる。
(……こんなに、開けた部屋なんて)
帝城の居室には、窓に格子がはめられていた。
思わずミレイユの方を振り向く。
「……いいの? 本当に、ここで」
王女の声に、ミレイユは一度まばたきをした。
何を指しているのか分からない、といったように、わずかに首を傾げる。
視線がゆっくりと窓の方へ移り、そこでようやく王女の問いの意味を理解したらしい。
ミレイユは特に表情を変えず、さらりと答えた。
「陛下が姫様にとご用意なさった部屋ですから、よろしいのではないでしょうか」
少し間を置いてから、淡々と続ける。
「まあ、帝都の格子も……演出みたいなものですし。なくても、あそこから飛び降りたりなさらないでしょう、姫様」
「……演出」
ぽかんと、王女はその言葉をつぶやいた。
そっと、バルコニーに足を踏み出す。
木枠の窓を背に、外気が肌に触れる。
太陽の位置からすると、部屋は南東を向いているのだろう。
南東――帝都の方角。
王女は石の欄干に手を添え、なめらかな手すりの感触を確かめながら、
遠く帝都にいる男へと、静かに思いを馳せた。




