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12 星を鎮めし者

── 翌早朝 帝城・執務室 ──


薄明の光が南窓から差し込み、灰の絨毯の上に淡い帯を描いていた。

少し前まで灯っていた蝋燭は消え、代わりに書類の白が朝の光を反射している。


ダリオスは椅子に深く身を沈め、無言で地図の上を指でなぞっていた。

指先がとまったのは、帝都から南西へ――遠く、海を隔てた国。


扉が叩かれる音。


「入れ」


扉が開く。

側近の姿には、昨夜までの疲労の影がまだ残っていたが、その頬にわずかな朱が差していた。


「……来ました。南州より。内通の証が、ついに」


ダリオスが目を上げる。

「確かか」


「確かです。南州総督とルデクの報せによれば――

 元・元老院筆頭――彼の手による文を入手したとのこと。筆跡と印影、いずれも本人のもので間違いないとのこと」


静寂が室内を満たす。


「……あの狸が、ついに尻尾を見せたか」


セヴランが静かに息を整えた。

「はい。実際に刃を振るったのはカイムですが――奴を半年ものあいだ匿い、今回の一件を促したのは、筆頭と見て間違いありません」


「“民の意思を汲む機関が必要だ”――最後までそう言っていたな。その裏で、他国と手を結んでいたとは」

ダリオスは低く呟き、椅子の背にもたれた。

薄明の光が南窓から射し込み、机上の地図に淡い影を落とす。


セヴランは低く応じる。

「“覇に傾く陛下の独裁を止めるためだ”と、彼は本気で信じていたようです。……退場の時を、自ら選んだのでしょう」


ダリオスは一度目を閉じ、ゆるやかに息を吐いた。

「“罪の名”を得たな。……これで、星も、災いも、物語になる」


セヴランが頷く。

「では――処断を?」


ダリオスはゆっくりと視線を上げた。

「影は二つあったということだ。刃を振るう獣と、その獣に門を開いた愚か者。……まずは門を閉じる方が先だろう」


「はい。内側の“手”を断つことで、外からの獣も動きにくくなります」


室内をかすかに風が撫で、机上の紙が小さく揺れた。


「三日後、大広間で“星鎮めの儀”として執り行う。帝国は、天の怒りと地の乱れを“断罪”によって鎮めた――そう知らしめる」


セヴランがうなずく。

「……公開の儀式、ということですね」


「そうだ。夜までに布告を出せ。噂の余白を与えるな。明日の朝には、すでに帝都中が“儀式を待つ空気”で満ちていればいい」

ダリオスの声が冷ややかに落ちた。


セヴランは筆を取り、静かに頷いた。

「民も、貴族も、すべての目が集まります」

「それでいい。民の怒りの矛先を、真に向けるべき者へと導く。――南の名は出すな。国外の影を示せば、余計な恐慌を招く」


セヴランの視線が鋭くなる。

「……その前に、尋問を」

「抜かりなくやれ」

ダリオスの声は低く静かだった。

「連なる者、帝国に潜む影、南洋との繋がり――すべて、あの老獣に語らせろ。表には出すな。“名を伏せた恐怖”の方が、支配には向いている」


セヴランは深く頷いた。

「……では、“表”はすべて儀式のかたちで進めます。裏の尋問は、悟らせぬように」


「そうだ」

ダリオスは書簡を机に戻し、指先でその端を軽く叩いた。

「これは秩序の儀式だ。皇帝が星を見下ろし、民の怒りを断罪に変え、他国に“帝国の牙”を知らしめる――そのための舞台だ」


短い沈黙。

セヴランが静かに息を整えた。


「……ならば、その舞台にふさわしい“台本”を整えましょう」

その声は硬質だったが、どこか静かな安堵の響きを孕んでいた。


「……これで、王女殿下に向けられた“災い”の囁きも、静まるとよいのですが」

セヴランが静かに息を吐く。


ダリオスは短く頷く。

「だからこそ、俺が舞台に立つ。“災いを鎮める者”としてな」


だが一拍の沈黙ののち、微かに息を吐いた。

「……もっとも、一度芽吹いた噂は、そう容易に摘み取れるものではないがな」


二人の間に、ひときわ重たい沈黙が落ちた。


外では風が窓をかすめ、石壁の冷気がわずかに揺れた。





── 三日後・帝国各地 ──


それは、太陽が中天を越えた頃だった。


帝城の大広間で行われた“星鎮めの儀”について、帝国全域に布告が出された。


曰く――


『叙勲祭を穢した災いの因は、すでに断たれた。

 皇帝は星を見下ろし、秩序を正し、民の怒りに応えた』


名はなかった。

罪人の身分も、具体の行動も語られなかった。

ただ「帝国の内に潜んでいた影」が裁かれた、とだけ記されていた。


けれど、布告は静かでも、儀に立ち会った者の口から口へと熱は広まる。


──大広間で処断が行われた。

──黒衣の男が膝を折った。

──黒獅子の剣が、ひと太刀で終わらせた。


そんな断片が帝都の通りに溶け、各地の街角で囁きへと変わっていった。


人々は理解した。


それが“災厄を招いた元凶”であり、

“皇帝の剣に討たれた”存在であることを。


それぞれの声が交わるうちに、ひとつの物語が形を成す。


“皇帝の剣によって天の怒りは鎮められた”――と。


民の間には安堵が広がった。

祭りの中で死者が出たことへの、言いようのない不安。

それを誰かに向けたかった怒り。

それらが、ひとつの“物語”として収められていくのを、人々は感じていた。


だが、その静けさの裏では、別の囁きがひそやかに交わされていた。


「……でもさ、結局、直接やった奴は捕まってないんだろ?」

「聞いたぜ。暗殺者は、王女の故国の人間だったって」

「だったらやっぱりさ……王女が、呼び込んだんじゃねえのか?」


ざわめきの中に、そんな声が風のようにすれ違う。


「……そういや、叙勲祭の前に、凶星が出てたって話もあるだろ」

「あれな。王女の故国の方角に昇ってたらしいぜ」


露店の影、酒場の片隅、祈りの列の後ろ――

誰もが口に出すことを恐れながらも、どこかでその言葉を確かめ合っていた。


「“災い”は姫のもとに集まっている……」


その囁きは、風に混じって静かに、しかし確実に帝都の隅々へと滲んでいった。




── 一方、貴族の間では。


「……やはり、“彼”だったのか」

「まさか、南と通じていたとは……」


ささやきは細く、しかし確実に、貴族たちの間を流れていく。


だが――処されたのは、彼一人。

彼らは理解していた。単独で関われるはずがない、と。


それでも、名は出されなかった。

他の者の名も、罪も、明かされることはなかった。


それはすなわち、皇帝からの無言の宣告。


――これ以上の詮索は不要。

――“彼一人で終わった”と、そう受け取れ。


そう語らずして示すことこそ、黒獅子のやり方だった。

貴族たちは身を静かにしながら、心の中でそれを反芻した。


処断は、終わりではない。

むしろ、“名を与えられなかった者たち”への警告として、今、始まったのだと。





── 帝都・女侯爵邸 ──


香油の薫る午後。

薄絹の帳の向こうで、女侯爵は指先を光にかざしていた。


「……ただの市民の血では、贖いにはならないわよねぇ」


磨かれた爪を眺めながら、退屈そうに呟く。

金茶の髪が肩に流れ、薄褐色の瞳がわずかに笑った。


「せっかく“姫”が殉教者となってくださるかと思っていたのに……つまらないこと」


爪先で小瓶を転がす。琥珀色の香油がとろりと揺れ、甘い香りが漂った。


「政ばかりに心を奪われた殿方のなさることは、どうしてこうも味気ないのかしら。理性なんて、祈りの前では塵にすぎないのに」


女侯爵は唇に笑みを浮かべ、頬杖をつく。

「でも……民衆の憎悪を受けて倒れる方が、ずっと悲劇的で殉教者らしいわね」


千年の重みを持つ、聖なる血。

最後のひとしずくとなったその姫君が、滅びた故国の名を背負い、なお帝国のために尽くしている――。


細い指で頬を撫でながら、彼女の微笑は深まる。


故国の者には裏切りと見なされ、帝国の民には災いの源と恐れられ、

祈りにも似た献身は、どこにも届かずに朽ちていく。


その悲劇こそがふさわしい。

その最期こそが、贖罪のかたちとして美しい。


やがて、姫の血が帝都の石を濡らす時――

それは帝国の罪を赦す、神への供物となるだろう。


女侯爵の瞳が細まり、唇がごくかすかに綻ぶ。

陶酔にも似た微笑の裏で、静かに、熱い祈りが立ち上っていた。


「――あぁ、なんて甘美な救済でしょう」


小さく息を吐き、彼女は笑みをこぼした。


香炉の煙がゆるやかに立ち上り、薄闇の天蓋の下で渦を巻く。

その香の奥で、女侯爵の祈りにも似た狂気が、静かに息づいていた。

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