11 帝国という器
── 半年前 帝城・牢内 ──
「……南洋王国、だと?」
ダリオスの低い声が響く。
セヴランが隣りで視線を上げる。
ふたりの表情には、意外という色がかすかに走った。
「旧王直属の暗殺者という以上、背後にいるのは旧王国系の貴族だと考えていました。もし他国が関わっているとすれば、西の小国連邦。あのあたりは千年王国の傍系も多く、いまだに帝国への敵意を隠さぬ者たちが多いですから」
セヴランが静かに言った。
ダリオスは顎に指を当て、わずかに首を傾ける。
「……だが、南洋王国か。あの国は剣より秤を好む連中だ。軍も形ばかり、金で動く民ばかり。そんな国が、帝国に喧嘩を売ると?」
鉄格子越しのルデクは沈黙している。
ダリオスは続けた。
「帝国の建立からまだ一年そこら。この時期に、わざわざ海を渡って火種を抱え込む愚か者がいるとは思えん」
「……けれど、だからこそ、とも言えます」
セヴランが小さく頷いた。
「剣を持たぬ国ほど、こういう小細工に頼る。自らの血を流さず、他人の手で帝国を揺らす……交易国家らしいやり口です」
ダリオスが組んだ腕をほどき、ゆるく顎を上げた。
「根拠は?」
ルデクはしばし黙したのち、静かに口を開く。
「南洋王国は、王統の血をいまだ厚く信奉する国です。そして、その第二王子――あの方は、野心家だと聞きます」
セヴランが目を細め、わずかに頷いた。
「……確かに、その噂は耳にしたことがあります。穏やかな顔の裏で、誰よりも玉座に執着しているとか」
ルデクはその反応を受けて、さらに続けた。
「ええ。王女殿下を正妃に迎えられれば、次期国王の座が確実になる。千年王国の“正統”を手に入れられるわけですから。
……そして、王国滅亡以降、周辺諸国は帝国に対抗する形で結束しつつあります。その中で、南洋王国が密かに主導権を握ろうとしている――そんな噂を、私が帝国内を放浪していた折に耳にしました」
ダリオスは小さく笑い、鼻で息を吐いた。
「交易で成り立つ温室の国が、覇を夢見るか。……滑稽だな」
その言葉には、嘲りと同時に、ほんのわずかな興味が滲んでいた。
「それで、海の向こうの貴公子がどうやって帝国の影に手を伸ばす」
「……陛下方もご存じのあの農村についてですが」
ルデクは静かに続けた。
「あの一帯にはいくつかの貴族邸があります。その中のひとつに、南洋王国と縁の深い家の別邸がありました。……おそらく、我々があの村で身を潜めた後、仲介の手引きによって王女殿下は“保護”という名目でその邸に移され、そこから南洋王国へ渡る段取りになっていたのではないかと見ています」
セヴランが短く頷く。
「……確かに、南洋王国との交易で財を成している家がありましたね」
「ええ。そして、やり取りの際に受け取った書簡の紙が――」
ルデクは記憶を辿るように目を細めた。
「――南洋王国の公文に使われる紙質とよく似ていました。繊維の混ざり方、香料の残り香まで。
もちろん、別の国が誤誘導のために同じ紙を使った可能性もあります。ですが……彼らはわざと“匂わせて”いた気がするのです」
「匂わせて?」
ダリオスの声がわずかに低くなる。
「ええ。我々に“安心させる”ために。
王女殿下を託してもよい相手だと思わせる――そうした狙いがあったのではないかと」
沈黙が一拍。
鉄格子の中の空気が、かすかに冷たくなる。
ダリオスが、わずかに鼻で笑った。
「なるほど。それで――お前は南の貴公子が、王女を託してもよい相手だと思ったわけか」
ルデクは、答えなかった。
何も言わず、ただわずかに視線を伏せた。
しばらくの沈黙の後、ルデクはためらいがちに続けた。
「最後に……仲介役だったカイムは、こちらと連絡を取るたびに“寄り道”をしていました。
あの頃、南方の商人たちの間で、諍いによる不審死が相次いでいたと聞きます。
ただの勘にすぎませんが――あの男が絡んでいたように思うのです。つまり、彼は南方を経由して、我々のもとに来ていた」
鉄格子の向こうで、ダリオスがゆるく笑った。
「……ふん。“南の商人と東の残党”――血ではなく、利で結ばれた縁というわけか」
短い沈黙が落ちた。
その沈黙の中で、セヴランの眉がわずかに動く。
「……なるほど」
低く漏れた声に、ダリオスが視線を向ける。
「どうした」
「金の流れを洗った際に感じた違和感の正体が見えました」
セヴランは手元の記録をめくりながら、静かに言葉を継いだ。
「旧王国の貴族たちが残党へ資金を送っていた可能性は高い。定期的な出費の記録がありました。
もっとも、彼らは王国滅亡の折に財の大半を没収されており、本来ならそんな余力はないはずです。帳簿上で資産の減りが見られないのは、表面的な辻褄合わせでもしているのだろうと考えていました。だからこそ、資金が尽きて計画の実行を早めたのだろう――そう見ていたのですが」
わずかに間を置き、低い声で続ける。
「商人を介して“商品の取引”を装えば、南洋王国から彼らに金を流し込むことができる。香料や金糸といった高額品を名目にすれば、少量の搬入でも多額の支払いが成立する。帳簿上もきれいに整う――これなら、資金源を悟られずに済む」
セヴランが淡く息を吐き、静かに言った。
「直接ではなく、旧王国の貴族を媒介にしたところも巧妙です。南洋王国からすれば、実際に手を汚さずに済む」
ダリオスは唇の端をわずかに歪めた。
「……よくもまあ器用に立ち回るものだ。利でしか動けぬ者の策は、往々にして手口だけが洗練される」
セヴランは一度記録を閉じ、静かに息を吐いた。
その声には、論理が一本に繋がったあとの確信が宿っていた。
「いずれにしても、証拠は薄いですが――筋は通る。……陛下、どうなさいますか」
ダリオスは視線を逸らさずに言った。
「決まっている。こいつの話が本当であろうと虚であろうと、その裏を掘り当てるのが我らの務めだ」
その瞳の奥に、炎のような光が宿った。
「――狩り場は、南だ」
言った後、ダリオスは顎に指を当てて、何事かを思案するように黙する。
「……ふむ」
低く呟き、再びルデクに視線を戻す。
「“王家の影”の話は噂で耳にしたことがある程度だが、ここまで話したということは──お前はそいつらの粛清対象だろうな」
ルデクは微かに頷いた。その表情に怯えはなく、ただ静かな覚悟が宿っている。
「……承知の上です。どうか……王女殿下を、守ってください」
その言葉に、ダリオスの眉がわずかに動く。そして、皮肉気な笑みを口端に浮かべた。
「俺はな――それなりに頭も回って、自分の目的のためには腹を括れる奴は、嫌いじゃない」
言いながら、一歩前に出る。
そのまま鉄格子の前で立ち止まり、言い放った。
「お前、南へ行け。そこで、裏を掘り当ててこい」
ルデクは絶句した。
ダリオスの隣りで、セヴランも目を見開く。
「陛下、それは……」
ダリオスは肩をすくめ、気にも留めぬ口調で言う。
「暗殺者に狙われてるかもしれない奴を、労役地なんかに送れないだろ。うっかり労役地で“事故”でも起きて死なれたら、帝国の秩序にヒビが入る」
その声音は、苛立ちでも慈悲でもなく、冷たい算盤のようだった。
「奴が王女を狙うか、お前を狙うか、それは分からん。だがな――餌は多いに越したことはない」
しばし沈黙が落ちる。ダリオスはわずかに口角を吊り上げた。
「それに、暗殺者の顔を知ってる人間が、手駒に一人いると便利だからな。
……もちろん、監視役は付ける。
だが、南州総督の力は借りられるように手配してやる。動くなら、使える駒を揃えた方がいいだろう」
ルデクは言葉を失う。
予想を遥かに超えた采配。その大胆さと徹底ぶりに、ただ純粋な驚きが胸を打つ。
そして、胸の奥で疼くもの。
――これは裏切りなのか、それとも。
故国を踏みにじることになるのか。
それとも、姫に尽くすために与えられた、最後の機会なのか。
逡巡するルデクに、ダリオスが冷ややかに言った。
「別に、俺に忠誠を誓えとは言わん。お前は王女に誓っていればいい」
言葉に熱はなかった。だが、底には確信があった。
「お前は、あの時――王女に従うと決めたのだろう。名よりも、誇りよりも、何よりも、“生き延びる”ことを選んだ。だったら汚泥にまみれても、生きて旗を掲げ続けろ……それが、あれを旗とすると決めた者の姿勢というものだろう?」
鉄格子越しに見下ろすダリオスの黒瞳は、冷ややかに澄んでいた。
命令ではない。だが、抗えぬ圧だった。
── 現在 南州の港町 ──
こうして、ルデクは皇帝ダリオスの密命を帯び、南州を足掛かりに、カイムの足取りを追っていた。
だが、それは容易な道ではなかった。
カイム――王家に仕えた影。
己の姿を煙に紛らせ、虚実の皮を何重にも被った男。
噂の端はあれど、その実を掴める者はいない。
しかし、交易都市で拾った断片の噂が、別の輪郭を浮かび上がらせる。
――南洋王国の商人たちが、帝国貴族の中の一人と水面下で接触している。
ルデクは、点在する帝国の密通路を使って、その報を帝都へ飛ばした。
――「影は、黒の器に紛れつつあり」
報を託したのち、彼は静かに思案した。
カイムという影を正面から追うことは、霧を掴むに等しい。
ならば――彼を囲む“水脈”そのものを読むほかない。
直接足跡を追うよりも、むしろ彼と繋がりを持ち得る者たち、すなわち南洋王国の密使や協力者と思しき人物に的を絞り、その動向を張っておき、カイムと接触する“その瞬間”を狙う方が確実だと判断した。
とはいえ、ひとつ難題があった。
店の客をすべて帝国兵で偽装すれば――カイムは、確実に勘づくだろう。
その懸念を南州総督に伝えると、
「じゃあ、町のごろつきで固めましょう」
淡い金糸が控えめに縫い取られた袖を軽く揺らしながら、あの女は実ににこやかに言ってのけた。
「金子さえあれば、協力してくれる者たちは、それなりにいますもの」
清潔な装束のまま、混沌を軽やかに使いこなす手際。
それを“秩序の延長”とすら見なす胆力。
カイムの捕縛には至らなかったが、彼が南洋王国に内通する帝国貴族の手紙を密使らへ渡す、その一瞬は確かに捉えることができた。
包囲が動き、密使らと証拠の手紙は網の中に落ちた。
彼らが兵に引き立てられていく様子を黙して見つめながら、ルデクの胸中に複雑な思いがよぎる。
皇帝ダリオス――
あの男の冷徹と先見。
自らに忠誠を誓わぬ者をすら使いこなす度量。
そして南州総督のような人材までもが、まるで当然のように、この帝国の“掌の中”にあること。
忠誠を尽くした王家にはなかった力が、この帝国には満ちている――。
その強さを認めながらも、ルデクの胸に差すのは敬意よりも痛みだった。
――もしこの力が、かつての王家にもあったなら。
そう思うほどに、どうしようもない疼きが胸の奥に沁みるのだった。




