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6 道化の刃

── 大円堂前・広場 ──


――カラン。


甲高い音が壇上に響き、王女の足元に短剣が転がった。

金属が白石を擦り、くるりと回って止まる。


刃先は、彼女の裾をかすめるほどの距離。

目の前に立つ兵が、片腕を伸ばしたまま低く息を吐いていた。

壇上脇から跳ね出した彼が、飛来する刃を剣で叩き落としたのだ。


兵たちは、声を交わすより早く動いていた。

一人が前へ飛び出し、もう一人が群衆の中へ滑り込む。

何かが押し倒される鈍い音。


すべては、わずか数呼吸の出来事だった。


次に視界へ戻ってきたときには、

短剣を放った男が地に伏し、複数の兵に押さえ込まれていた。

誰も命令を叫ばなかった。

すべては最初から――備えられていた動き。


広場の空気が凍りつく。

群衆が息を呑み、ざわめきが広がる。


「……今のは?」

「何が起こったんだ……?」


声が幾つも重なり、やがて一つの言葉に変わっていく。

「暗殺……? 今、殿下が……!」


動揺が一気に広がり、悲鳴と足音が入り混じる。

だが、兵たちが素早く人波を制し、押さえ込む。

王女の無事と、犯人が捕らえられたという報が走ると、喧噪は次第に沈んでいった。


風の音だけが、白い壇上を渡る。


王女はその中央で立ち尽くしていた。

足が震え、呼吸の仕方を忘れてしまったようだった。

胸の鼓動が喉にせり上がり、音だけが自分の体から浮いていく。


「……殿下、こちらへ」

脇に控える衛兵が、低く声をかける。


だが、王女が一歩を踏み出すより早く、広場の端から、押さえつけられた男の声が響いた。


「――裏切り者!」


押さえつけられたまま、男は顔を上げた。掠れた叫びが空を裂く。

その声は、帝国の言葉ではなかった。

懐かしくも、胸を裂く響き――王女の故国の言葉だった。


「同胞を売った女め! お前のせいで我らは滅んだ!」


兵たちが慌てて押さえ込み、口を塞ぐ。

だがその叫びは、すでに広場の隅々にまで届いていた。




── 大円堂上階・回廊陰 ──


窓の陰で、ダリオスの舌打ちが短く響いた。

「余計なさえずりを……」


セヴランが視線を下げ、下方で捕らえられる男と、動けずに立つ王女を見つめる。


「処理は私が」


低く言い残すと、セヴランは外套の裾を翻して踵を返す。

音もなく回廊を離れ、階下へと姿を消していった。


残されたダリオスは、再び影の中に沈む。


視線の先では、広場が凍りついたように静まり、かすかなざわめきだけがその沈黙の底を震わせていた。誰もが息をひそめ、いま放たれた異国の叫びの意味を測りかねている。




── 広場 ──


王女は血の気を失ったように蒼ざめていた。

「裏切り者」――その言葉が耳の奥に残り、何度も反響する。


(……あの声……あの言葉……)


自分を狙ったのは、他でもない故国の者。

そして、その刃が放たれた瞬間、兵たちは誰の指示もなく、まるで最初から知っていたかのように動いた。

この場を、誰が「狩り場」として設えたのか――理解するのに時間は要らなかった。


(……また……私を囮にして、故国の者を……)


胸の奥で、冷たく重いものが崩れ落ちていく。


群衆の一角で、小さな声が漏れる。


「今の言葉は……?」

「……あれは旧王国の言葉だ。王女殿下の故国の――『裏切り者』と言っていた」

ひとりの商人風の男が眉をひそめながら言った。


その囁きが伝わり、列の奥から奥へと広がっていく。

「殿下に刃を向けたのは、旧王国の者か……?」

「市場で命を救われたのに、逆恨みして……」

「なんということだ、恩知らずめ……」


やがて囁きは波紋のように広場を満たし、

いつしか人々の目に浮かぶのは、哀れみと怒りの入り混じった色だった。


「……さすがに死罪だな。皇帝陛下の式典で、象徴を……」

「見逃されるわけがない」


次第に群衆の表情には、安堵と“わかりやすい物語”への納得が広がっていった。

逆恨みの憎しみに駆られた愚かな男。

それを未然に防いだ帝国の秩序。

王女は無事――傷ひとつ負っていない。


白い石壇の上、王女は動けずに立ち尽くしていた。

血の気が引き、唇はかすかに震えている。

衛兵が「殿下、こちらへ」と声をかけるが、その言葉は遠くの音のように聞こえるだけだった。


やがて、背後の階段を踏みしめる足音。

セヴランが人垣を抜けて壇上へ上がってきた。風の中でも乱れぬ衣の裾が、陽を受けてわずかに揺れる。


「殿下。――お下がりを」


その声の主に、王女は顔を向けた。

瞳の奥に、恐れとも怒りともつかぬ光が揺れている。


「セヴラン殿。……あの者を、助けてください」


セヴランの表情が一瞬だけ固まる。


「私は傷ひとつ負っていません。そもそも、これは……陛下が仕組んだことなのでしょう?

 あの人が囮として私を立たせなければ、誰も刃を向けることなど……!」


声が震え、風にかき消される。

広場の人々が息を呑み、何人かが顔を見合わせた。


セヴランは、静かに首を振った。

「……今この場で決められることではありません。

 そして殿下。あなたには、この件に関して何の権限もございません」


淡々とした声の奥に、ほんのわずかな痛みが滲んでいた。


王女は言葉を失い、ただセヴランを見つめた。

蒼ざめた頬、震える唇――

群衆の中には、その姿を同情の眼差しで見守る者もいた。


セヴランは小さく息をつき、視線を逸らす。

「……とにかく、今はお下がりください」


そう言って王女に手を差し出した、その時――。


「……うっ」


短い呻き。

男を押さえ込んでいた兵の一人が、突如崩れ落ちた。


次の瞬間。

血が袖を濡らすより早く、地に伏していたはずの男が、まるで影が形を変えるように立ち上がった。


体の重心をずらし、指先ひとつで絡め取っていた拘束を外したのだ。

兵たちが息を呑む間に、男は身をひるがえし――まっすぐ群衆の中へと跳んだ。


そして、誰もが何が起きたのか理解するより早く、人垣の中のひとりを抱き寄せるように腕を回し、刃を滑らせた。


一瞬の光。

次いで、赤い線が空を描く。

あまりにあっさりと――空気が裂けたような微かな音だけが残った。


倒れたのは、若い男だった。

観客として最前列にいた、ただの市民。

命を奪われたその姿は、悲鳴とともに人の波に飲まれていった。


「ひっ……!」

「人を殺したぞ!」

「逃げろっ!」


群衆が悲鳴を上げ、あちこちで人が押し合い、花弁と叫びが入り乱れる。


混乱の渦の中で、男だけが静かに立っていた。

倒れた男の体をそっと地に横たえ、血のついた刃を軽く払って、笑みを浮かべた。


茶の髪の束が陽に光る。

唇に笑みを浮かべながら、壇下から王女をまっすぐに見上げた。

「優しいねぇ、姫さん」


喧噪の中でも、その声だけは不思議とよく響いた。

まるで芝居の台詞のように、明るく、朗らかに。

「で、俺をどうする? 許す? 殺す?」


男――暗殺者カイムは、まるで舞台の上の役者のように微笑む。

血に濡れた刃を軽く払う仕草まで、優雅で滑らかだった。


視線をゆるく流す。

逃げ惑う民が転び、押し合い、悲鳴が交差する。

周囲を取り巻く兵士たちは、一歩も動けずに硬直していた。

恐怖と緊張が混じり合うその空気を、彼はまるで舞台袖から眺める俳優のように愉しげに見渡した。


「いやぁ、観客の反応は上々だ。

 “慈悲深き姫さん”の目の前で、血を見せる舞台なんて――そうそうないだろ?」


口の端がゆるく上がる。その瞳の奥だけが、氷のように冷たかった。


群衆のざわめきと恐怖の中、王女は声を失い凍りつく。

視線の先、カイムの笑みだけがやけに鮮明だった。

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