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5 影動く

 ── 大円堂前・広場 ──


 壇上の声が静まると、太鼓の余韻が空に溶けていった。

 陽はなお高く、石畳に落ちる影が淡く揺らいでいる。


 皇帝ダリオスはゆるやかに一歩退き、典礼官の方へと視線を送った。

 典礼官は一礼し、金糸の房を垂らした杖を高く掲げる。


「これより、功労章の授与を行う」


 宣言の声が響くと同時に、楽人たちが一斉に調べを奏でた。

 笛と弦が風に乗り、香の煙が薄く流れていく。


 ダリオスはその場に一礼だけ残し、高壇を降りた。

 ゆるやかな歩みで大円堂の奥へと進み、白石の階段の影に姿を消す。


 太鼓が三度、低く鳴り渡る。

 群衆のざわめきが静まり、秋の陽が白い石畳を照らしていた。


 壇上の中央に立つ典礼官が、開かれた書簡を胸の高さに掲げた。

 金糸の装束が光を返し、声が朗々と空へ響く。


 最初の功績が読み上げられる。


 北辺の凍河を越え、孤立した民を救った者。

 名が告げられると、号鼓が短く鳴り、男が壇へと歩み出た。


 陽を受けて肩章の銀が鈍く光る。壇上で片膝をつき、胸に拳を当てる。

 典礼官が儀杖を掲げ、金の章を差し出した。


 鐘が一度、鳴る。


 男は章を受け取り、一歩下がって深く頭を垂れた。

「──この栄誉に恥じぬよう、務めを果たしてまいります」


 拍手の中を、男は章を胸に当てたまま、静かに壇を降りた。


 次は、水害で堤を守った者。

 その次は、工房で新たな鋳造の技を拓いた者。


 呼ばれるたび、誰かが壇へ上がり、章を受け、また席へ戻っていく。楽が流れ、香の煙が風にほどける。


 王女はその光景を静かに見つめていた。


 章を受けたあと、胸にそっと触れる者がいる。

 その背に向けて、小さく拍手を重ねる者がいる。


(……この場に立つというのは、こういうことなのね)


 やがて、最後の功績の読み上げが始まる。

「──帝都施療院群、ならびに奉仕に携わりし者たちに告ぐ」


 その一節が届いた瞬間、

 王女の胸の奥で、静かな鼓動がひときわ強く鳴った。





 ── 同刻 大円堂上階 ──


 昼の光は高窓から斜めに差し込み、白い石壁を鈍く照らしていた。

 だがその光が届かぬ柱の陰、深い影の中に、二つの影が並んでいる。


 眼下には、大円堂前の広場。

 祝祭のざわめきと太鼓の響きが、石の間を震わせて届く。

 人々の列、翻る旗、壇上に立つ典礼官の姿──すべてが小さく、ひとつの舞台のようだった。


 ダリオスは窓辺の陰に身を寄せ、静かにその光景を見下ろしていた。

 黒衣の肩も顔も、光の筋には触れない。

 セヴランがその隣に立ち、同じく視線を下へと向ける。

 互いに言葉を交わさずとも、呼吸の調子が似通っていた。


「……警備の配置は」

 低い声が、影の中に落ちた。


 セヴランは顔を下へ向けたまま、淡々と答える。

「壇上脇に二組、弓兵と剣士を潜ませています。広場を囲む建物の上階にも、見張りを。さらに群衆の中には、服装を変えた兵を数十──衛兵のほか、治安部の者たちも紛れています」


「飛び具で狙われた場合は」

「壇脇の兵が即応可能です。王女殿下を狙う矢や刃があれば、射掛けられる前に遮れる距離です」


 一拍の静寂。

 広場からは、また新たな受章者の名が告げられる声が届く。歓声が石壁を震わせ、短い風が窓の隙間を抜けた。


 セヴランはその様子を見守りながら続けた。

「今のところ、異常の報告はありません。

 ──もっとも可能性が高いのは、民衆に紛れていることでしょう。歓呼と拍手の中で動けば、誰も違和感を覚えません」


 セヴランの言葉に、ダリオスがわずかに頷く。


「祭りの熱は、刃を隠すのに都合がいい」

 その声は、静かで、どこか愉しげでもあった。


 下方では、王女が控え席から立ち上がる姿が見える。


「……さて、獣はいつ顔を見せるか」


 風が再び吹き込み、幕の端が小さく揺れた。

 二人の影は微動だにせず、そのまま祭りの光景を見下ろしていた。





 ── 大円堂前・広場 ──


「──帝都施療院群、ならびに奉仕に携わりし者たちに告ぐ」

 典礼官の声が、朗々と響いた。


「汝らは傷を負いし民を癒し、飢えに苦しむ者を支え、帝国の慈悲を現す柱となった。その功、広く帝都に及び、人の命をつなぎ、秩序を保つものなり。帝国はこの行いを記録し、皇帝陛下の御名において、これを賞す」


 読み上げが終わると、群衆が息を詰めた。


「代表者──王女殿下、登壇を許す」


 号鼓が鳴り、王女はゆるやかに立ち上がった。

 陽光が衣の金糸を淡く照らし、石段を一歩ずつ上っていく。


 壇上の中央で立ち止まると、典礼官が儀杖を掲げ、金の章を取り上げた。


「この章を、施療院群の献身の証として授く。

 皇帝陛下の御名において──その慈悲を、永く帝国に伝えんことを」


 掲げられた章が光を弾き、鐘が一度鳴る。

 王女は深く膝を折り、両手を差し出した。重みが掌に乗る。


 顔を上げたとき、ふと群衆の向こうに見覚えのある顔が映った。

 施療院の白衣を脱ぎ、礼装に身を包んだユリオたち職員の一団が、民に紛れてこちらを見上げている。陽光を受けたその瞳は誇らしげで、どこか温かかった。

 彼らの姿が視界に入った瞬間、胸の奥に静かな熱が満ちる。


 王女はゆっくりと息を吸い、静かに言葉を紡ぐ。


「この栄誉を、共に働くすべての人々に捧げます。彼らの務めが、これからも命をつなぐ光となりますように」


 その声を合図に、広場に拍手が広がった。旗が揺れ、花弁が舞い、陽光が反射する。


 ──その瞬間。


 空気が変わった。

 風の流れがひときわ鋭くなり、肌を刺すような冷気が走る。


 王女の胸に、得体の知れないざわめきが走った。

(……なに……?)


 同時に、大円堂上階の陰で、ダリオスとセヴランの気配が変わる。二人の視線が、ほぼ同時に一点へ向いた。

 セヴランが低く息を呑み、ダリオスが短く言う。


「──来たな」


 その言葉の刹那、群衆の中で光が閃いた。

 銀。


 次の瞬間、空気を裂いて短剣が飛ぶ。

 歓声を貫き、王女の胸元へ──真っ直ぐに。


 白い光、歓声、風。

 そのすべての中で、ただひとつ、刃の軌跡だけが鮮明だった。

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