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4 祝祭の下のざわめき

豊穣の香がまだ街に残る中、帝都は深紅と黒の旗で彩られていた。

神への祈りは終わり、今日からは人の功を讃える日――叙勲祭。


帝都中心にそびえる大円堂の堂内では勲章と剣が授けられ、外の広場では功労者たちが民の歓声に迎えられる。

恩寵の収穫を“人の秩序”へと還元する、帝国最大の大儀。

皇帝の慈悲と威が、ひとつの儀に結ばれる日だった。




── 昼前 大円堂・回廊 ──


勲章の授与式が終わり、堂内には金糸の衣擦れと拍手の余韻が残っていた。

高窓から差す光が、赤絨毯の上に斑を落とす。

列席者たちは緩やかに動き出し、昼の卓へと向かっていた。


王女もまた、ミレイユに付き従われながら歩みを進める。

白い肩掛けの裾を整えながら、柱のあいだから人波を抜けようとしたそのとき――


「……王女殿下」


かすれた声が背後から響いた。

振り返ると、大神官長が立っていた。


王女は歩みを止め、裾を整えて一礼した。

「お久しゅうございます、大神官長様」


言って顔を上げた王女の視線に、異変が映った。

大神官長の顔色は、死人のように蒼白で、掌が微かに震えている。

「……神官長様? お顔が優れませんわ。お身体の具合が――」


大神官長は、しばし言葉を探していた。

唇が動きかけては閉じ、何度か胸の前で手を組み直す。

人々のざわめきが遠のき、回廊に沈黙が落ちた。


やがて、老人は顔を伏せ、かすれた声を絞り出す。


「……もし、できることなら」

一言ごとに、喉が震えた。

「殿下、どうか……本日の午後のご出席を、見送られることは……できませぬか」


王女は目を見開き、思わず尋ねる。

「……なぜですか?」


大神官長は答えられず、ただ掌を強く握りしめていた。


そのとき、低い声が背後から響いた。


「……何をしている」


王女も大神官長も、思わず身をこわばらせて振り返る。

そこに立つのは、祭礼の装束に身を包んだダリオスだった。


大神官長はひっと息を呑み、思わず一歩引いた。

「陛下……」


ダリオスの眼差しが鋭く大神官長を射抜く。

「式典の最中に、王女を呼び止めて何の用だ」


大神官長はうろたえ、杖を握る手が震える。

「い、いえ……ただ、殿下のご体調を案じて……」


「ほう。わざわざ私の目の届かぬところで、王女の“体調”を案じてくださるとは――ご熱心なことだな」

その声音は冷たく、ひやりと空気を凍らせた。


大神官長は頭を下げ、ほとんど逃げるようにして回廊を去っていく。


沈黙が落ちた回廊に、ダリオスの足音が響く。

王女の前に立つと、わずかに眉を寄せた。


「何を言われた?」


低い声。

問いというより、確認に近かった。


王女は一瞬、言葉に詰まる。

(言ってよいものだろうか――)

大神官長の蒼ざめた顔が脳裏にちらつく。


「……それは……」

「神官長は、午後の式典への出席をお控えになるよう申し上げていました。理由は申されませんでしたが……」

背後から、ミレイユの澄んだ声が割り込んだ。


ダリオスの表情が微かに動いた。だが、すぐに冷たい笑みを浮かべる。


「なるほど。星の話を続けているらしいな」


短く鼻で笑う。


「戯言だ。気にするな」

言って、背を向けて歩き出す。


その声は穏やかに聞こえた。だが、近くに立つとわかる――

その穏やかさの中に、どこか剣呑な気配が滲んでいる。


王女はその空気を感じ取り、知らず息を呑んだ。

(陛下が……何かを隠している?)


「陛下」

呼びかける声が自分でも驚くほど小さかった。

ダリオスの足が止まる。


「わたくしに、何か……隠しておいでではありませんか?」


一瞬、風が止まったようだった。

回廊に掲げられた旗が静止し、遠くの喧騒だけがぼんやりと響く。


ダリオスは振り返らなかった。

ただ、背を向けたまま低く言う。


「“隠す”とは、何をだ」


王女は言葉を探す。

理由も確証もない。ただ、感じるのだ。彼の声に、いつもと違う硬さがあることを。


「……わかりません。ただ、陛下が――」


「王女」

その声は穏やかだったが、どこか冷たい刃のようだった。

「お前が知るべきことは、すべて伝えてある。それ以外は、知る必要がない」


王女は息を呑み、視線を落とす。

言葉を重ねれば、踏み込んではならない領域に触れてしまう――そう感じた。


ダリオスはゆるやかに振り向き、わずかに目を細めた。

「式典の刻が迫っている。支度を怠るな」


それだけ言い残し、彼は歩み去る。

漆黒の裾が揺れ、遠ざかる足音が石床に消えていく。


その背を見つめながら、王女の胸に、形のない不安が広がっていった。




── 午後 大円堂前・広場 ──


鐘の音が三度、澄んだ空に響いた。

群衆が息を揃え、風に翻る旗が一斉に陽を返す。

漆黒と深紅――帝国の色が、ひとつの波のように広場を覆っていた。


高壇の上には、皇帝が立っていた。

黒獅子の紋章をあしらった外套が風をはらみ、陽の光を受けて鈍く輝く。

ダリオスの声が、堂前に集う民衆の頭上を渡っていく。


「本日ここに、秋の叙勲祭の功労章授与を執り行う。この豊けき年を支えた者に恩寵を――」


群衆から歓声が湧き上がり、無数の花弁が空へ舞った。

太鼓と角笛が鳴り響き、旗手たちが列を組む。


その光景を、王女は演壇下の控えの場から見上げていた。


淡い麦色に金糸が織り込まれた式服に身を包み、他の受章者たちと共に用意された椅子に腰かけていた。


顔は静かに、儀礼の微笑みを保ちながらも、胸の奥のざわめきが消えなかった。

昼の光の中に立つダリオスは、威厳と冷静そのものだった。

だがその姿に、先ほどの回廊で見せた一瞬の鋭さが重なり、王女の指先がかすかに強張る。


控えの場では、受章者たちが小声で言葉を交わしている。


「……緊張しますね」


「ええ……まさか自分がこの場に立つ日が来るなんて」


「うちの工房の仲間が来てくれてるんですよ」


「本当に……皆の分まで、恥じないようにしないと」


控えめな笑いが交わり、衣擦れの音が続く。

華やかな式の片隅で響くその声は、努力の跡と誇りの静かな証だった。


それを耳にした王女の胸の奥に、懐かしい笑顔たちが浮かぶ。


『俺たちの代表を殿下がつとめてくださるんだぜって、鼻高々に自慢してるんですよ、施療院の連中』


王女は目を伏せ、そっと息を整える。


(……そう。彼らのためにも、今は顔を上げなくては)


背筋を伸ばすと、陽の光が肩を包んだ。

祝祭の喧騒のなかで、王女は静かにその中心へと身を据えた。

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