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冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―  作者: 唯 さらら
第五章 光の胎動 ~ 第二幕 裏切りの証 ~
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6 全州会議

── 帝城・政務の間 ──


南東の窓から射す光が、青灰の絨毯をゆるやかに照らしていた。春とはいえ、厚い石壁に囲まれた室内の空気はまだ冷たい。

長卓の上に、各地から届けられた報告書が幾束も積まれている。


半期に一度――全州会議。

帝国を構成する四州の総督たちが一堂に会し、政務と軍務の方針を定める日である。この席で交わされる決定が、数月後には辺境の村々にまで波紋のように広がってゆく。

年に二度だけ、帝国という巨体が自らの鼓動を確かめる――そんな日である。


「……列席、全員確認いたしました」

書記官の声に、短い沈黙が落ちる。


ゆるやかに椅子がきしみ、誰もが一斉に視線を玉座の主へ向けた。南東の窓から射す光が横顔を照らし、ダリオスの表情は半ばを白く、半ばを静かな影に沈めている。

「始めよ」

ただその一言で、空気が動いた。


最初に立ったのは北州総督。

硬く仕立てられた黒の上衣の肩がわずかに鳴る。軍装を改めた礼服ではあるが、どこか戦場の影を残していた。

「北山鉱区にて労働者の騒乱がありました。視察に来ていた徴税官を襲い、坑道を封鎖。二日で鎮圧済みです」


「被害は?」

セヴランの問いに、北州総督は短く答えた。


「兵に負傷二。暴徒側は死者十余、拘束は三十を超えます。秩序は回復しております。力こそが、最も早く民を整える薬です」


ダリオスは紙片に目を落としたまま、短く言った。

「力は必要だ。だが行きすぎて産を枯らすな。ひと月後までに坑道の復旧と労働者の補充計画を提出せよ。山を潰せば、誰の腹も満たされない」


言葉は低く、冷たく響いた。

北州総督はわずかに顎を引き、拳を胸の前で合わせた。

「……承知いたしました、陛下。速やかに対処いたします」


声は沈着だったが、こめかみの筋がわずかに動く。そのまま無言で腰を下ろすと、椅子の脚が石床をかすかに鳴らした。

会議の空気が、ひとしきり冷たく引き締まる。


北州総督の椅子が静かに音を立てたあと、向かいの席で、南州総督がゆるやかに立ち上がった。

光を受けた金の髪がわずかに揺れ、結い上げた束が背へ流れた。衣の色は淡い灰緑――財務官らしい簡素さの中に、わずかな品位が滲んでいた。


「南河の港湾都市で、交易税をめぐる争いが再燃しており、商人組合が“慈悲”の名を掲げ、課税の減免を求めております」


冷えた空気をすべるように、澄んだ声が響く。


「……慈悲?」

ダリオスの眉が、わずかに動いた。


南州総督は頷く。

「陛下の御心が“慈悲”として民に伝わった証かと。もっとも、彼らにとっては金貨を減らす方便ですが」


室内に、抑えた笑いがわずかに漏れた。


セヴランが視線でそれを断つと、彼女は淡い笑みを消し、冷静な調子で締めくくった。

「民は陛下の慈悲に金貨を見ます。動揺も恐れも、すべて交易の数字に現れる。秩序を保つには、利を整えることが肝要にございます」


そう言って、静かに一礼し、再び腰を下ろした。

椅子の脚が石床をかすかに鳴らし、会議の空気は静かに整えられていった。


その静寂の中で、続く一人がゆるやかに立ち上がった。

灰青の礼装に銀の留め具がわずかに光る。鉛がかった黒髪を整えた男――西州総督代理。


帝国西辺を治めるのは、老将ルガード・ヴェルン元帥。

帝国軍を総べる立場にありながら西辺の政も兼ねる彼は、全州会議への出席は副官に委ねることが多く、全州会議にはふだん副官が代理として臨むのが常だった。


「西洲は、おおむね平穏にございます。ただ――民の間で“王女殿下の噂”が広がりを見せております」


その声は静かで、断罪でも擁護でもなかった。

「これに対して、ルガード元帥は――“動き始めた声を無理に抑えれば、民の心が乱れる”と。火急の対応より、流れを見極めることが肝要だと判断されています」


セヴランが視線を向ける。

「……元帥は、王女殿下の振る舞いを支持されていると?」


西州総督代理は小さく首を振った。

「いいえ。行為の是非ではなく、それをどう扱うか――その影響に目を向けておられるのです。民の関心を軽々しく否定すれば、帝国の語るべき秩序そのものが揺らぎます」


一拍置いて、彼は静かに続けた。


「王女殿下の一件は、もはや旧王国の問題にとどまりません。民も、兵も、皆がその意味を量ろうとしている。このまま放置すれば、帝国の語る秩序に揺らぎが生じましょう。

 ――どう定めるかは、この場で決めねばなりません。それだけのことです」


言葉に誇張も飾りもなかったが、その簡潔さが、むしろ議場を引き締めた。西州総督代理は軽く一礼し、腰を下ろす。


最後に立つのは、東州総督。軍服を模した灰の上衣。

一見無表情だが、眼の奥には、占領地を三年にわたり鎮め続けてきた者の張り詰めた静けさがあった。その沈黙は疲労ではなく、長く緊張を抱えた者の慎重さを物語っていた。


「旧王国領では、“亡国の歌”が再び歌われております」

低い声が、室内の空気を震わせる。


「王女殿下が市場で民を救われたという噂が、東の隅々にまで広がりました。それを機に、歌の節回しも変わり始めたのです。かつては王の冥福を祈る哀歌だったものが、今では“生き残りの姫に慈悲あり”と唱える詞を加えて歌われております」


短い間を置いて、彼は言葉を続けた。


「私はそれを禁じておりません。むしろ、帝国の意を加えました――“陛下の慈悲”と。

 敵意を祈りに変えるには、言葉を奪うより与える方が早い。民の多くは、いまその旋律を慰めとして受け入れています」


その言葉に、ダリオスの眉がかすかに動いた。

「……言葉を与えて支配する、か」


低く呟き、手元の羊皮紙を指先でなぞる。

「面白い。だが、祈りは秩序より早く腐る。保たせる術を、忘れるな」


東州総督は静かに頭を垂れ、一拍置いて言葉を続けた。


「……一方で、その同じ地で、“姫は裏切った”という声も絶えません」

低い声が、淡い光を切るように響く。

「剣を捨てて生き延びた者を、民の一部は赦せぬのです。王女は救いであると同時に、屈服の象徴でもある。そのどちらの声も、我らの支配の土台にある現実にほかなりません」


議場が静まり返る。東州総督はゆるやかに視線を巡らせ、淡々と続けた。

「だからこそ、陛下の御威光が“慈悲”として伝わるなら――それは剣より確かです。彼らが姫を通して帝国を見るのなら、その光を帝国のものとすべきでしょう」


彼の声は落ち着いていたが、言葉には確かな重みがあった。

「反抗の芽を力で潰せば、必ず怨嗟が残ります。けれど、正しい形で導けば、同じ者たちを帝国の支えに変えられる。扱いを誤れば、再び争いの種を生むだけです」


言い終えて、東州総督は短く頭を下げ、腰を下ろした。その動作の静けさが、むしろ言葉よりも強い説得を帯びていた。


すべての報告が終わると、政務の間に静かな沈黙が落ちた。

春の光が和らぎ、室内の明るさがゆるやかに沈んでいく。


ダリオスは机上の文書を整えながら、低く告げた。

「北は力を語り、南は利を語り、西は秩序の重みを語り、東は民の心の導き方を示した。それぞれに違いはあっても、皆、帝国を保つための手だ。……だが、どうやら今日は、思いがけず一つの焦点に集まったようだな」


声に揺らぎはない。

「本来は政の均衡を議すための会議だったが、今日はその“均衡”の名が、ひとりの女をめぐって試されているようだ」


言葉を区切ると、彼はわずかに視線を逸らし、側近の侍従にだけ聞こえるほどの声で何かを囁いた。侍従は即座に頷き、気配を消すようにして部屋を出ていく。


ダリオスは何事もなかったように視線を戻し、

「……各地の実情を担う者としての、諸卿の見解を聞いておきたい」

と続けた。


書記官が一枚の羊皮紙を差し出し、セヴランがそれを受け取る。羊皮紙の端が音を立ててめくられ、場の空気が一段深く沈む。


セヴランは簡潔に告げた。

「次の議題に移ります。――王女殿下が市場で取られた行動と、その処分方針について」


その一言で、室内の空気がわずかに張り詰めた。手首の一振りで、会議はあらたな段階へと移った。


最初に立ったのは、北州総督だった。鍛え上げられた軍人の体が、背筋を伸ばして発言の重みを支えていた。


「規律の逸脱です。陛下の御前にある身が、勝手に刃を手にするなど、臣下に示しがつかん。罰してこそ秩序は保たれます」


その声には、感情というよりも軍律に従う冷厳さがあった。


続けて南州総督が、ゆるやかに立ち上がる。声は澄んでいて、冷静だった。


「王女殿下を罰せば、皇帝の“慈悲”が言葉だけになります。商人も貴族も、方針の読めぬ国に金を預けはしません。金は不安を嫌います――流れが止まれば、税も滞ります」


北州総督の声が低く唸る。

「ならば舐められろというのか。俺は剣を抜いて国を保ってきた。甘言で民が服従するものか」


南州総督は肩をすくめ、静かに言葉を返す。

「剣で抑えた者が、明日も同じ場所で税を払う保証は? 恐怖は一度きりの買い物です。二度は使えませんわ」


卓上の空気がざらつき、張りつめた気配が流れる。セヴランが筆を動かす音が、微かにそれを断ち切った。


「ご発言、記録しました。――続けてどうぞ」


三番目に立ったのは、東州総督。表情に大きな変化はないが、その声は明確だった。


「旧王国の地では、“陛下の慈悲”が民のあいだで語られています。あの件のあと、憎しみを和らげる声が明らかに増えました。……切り捨てれば、その反動は強くなるでしょう」


一呼吸置き、言葉を継ぐ。


「民の中には、殿下を救いと見る者も、屈服の象徴と見る者もおります。その両方を抱えたまま治めるには、陛下の御意として整理するしかありません。あの行いを“皇帝の慈悲”として示せば、東の声は鎮まります」


彼は静かに頭を下げ、席に座った。


最後に立ったのは、西州総督代理。


「元帥は申しておりました。“戦で秩序を守ることはできても、信を生むのは判断の積み重ねでしかない”と」


視線をゆるやかに巡らせながら、言葉を続ける。

「我々があの行いを否定すれば、民の信を損ないます。だが是とすれば、そこに意味が生まれる。大切なのは、帝国としての整合を保ち、同じ理を語り続けることです」


一礼して、腰を下ろす。

石床に触れる椅子の音が、静かな余韻となって政務の間に広がった。


セヴランが筆を置き、静かに立ち上がった。

「諸卿のご意見、すべて記しました。――あとは、陛下のご裁可を」


その声が落ち着いて響いた瞬間、会議の空気が一度、終わりの静けさを帯びた。


ダリオスはゆるやかに姿勢を正し、指先で卓の縁をなぞる。

「よく聞かせてもらった。では私からの裁可を述べようと思うが――」


言葉を一度切り、彼はふと視線を入口の方へ向けた。

「……その前に、もう一人、この場に加わるべき者がいる」


その声に反応するように、扉脇の衛士が微かに動く。

しばしの間をおいて、重い扉が静かに開かれた。会議の空気がわずかに揺れ、光が石床を撫でて伸びていく。


扉の向こうに佇むのは、一人の女。

部屋着のまま、髪も整えられず、呼び出された意味を掴めぬように立ち尽くしていた。窓からの光を受けて佇むその姿に、室内の誰もが息を呑む。

王女――。


彼女の表情は固い。

寒気を帯びた政務の間の空気に、かすかに身を縮めた。


ダリオスは席を立たぬまま、その姿を見据える。

視線に熱はなく、ただ正確に焦点を合わせるようだった。


一方で、セヴランは僅かに眉を動かし、手にしていた筆を机に置いた。その目に一瞬、困惑とため息が混じる。

「……また、そういう勝手なことを」

低く、誰にも聞こえぬ声で呟く。

それでも彼は立ち上がり、形式通りに言葉を整えた。

「――王女殿下、ご入室」


その声に導かれるように、王女は一歩、光の中へ踏み出した。


政務の間の空気が、静かに変わる。

帝国の四州を束ねた場に、いま、“象徴”が姿を現した。

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