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冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―  作者: 唯 さらら
第五章 光の胎動 ~ 第二幕 裏切りの証 ~
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2 影の胎動

── 帝城・執務室 ──


紙の擦れる音が途絶え、静寂が戻った。

灰色の絨毯に淡い陽が差し込み、舞い上がる埃がゆるやかに光を受けていた。


机上の書簡に視線を落としたまま、ダリオスが口を開いた。


「――で、残党たちの尋問の方はどうだ?」


セヴランは一拍だけ置き、姿勢を正して答える。


「尋問は終えました。ですが、正直に申し上げて――大した話は聞き出せておりません」


言葉を選ぶその声音に、わずかな疲労が滲んでいた。

昼の光はすでに傾き、机上に伸びた影がセヴランの肩をゆるやかに覆っている。


市場の一件の後、農村で待機していた残党たちもすべて投降した。

今回の王女奪還計画の首魁――ルデクの一言の元に、抵抗のひとつなく。


「彼らは農村の拠点に着いた後、支援者の手を借りて“王女を保護してくれる者”のもとへ移動する予定だったと語りました。しかし、その支援者が誰なのか、彼ら自身は知らなかったようです。支援者と直接やり取りする立場ではなかったようです。

 資金の流れや支援者の所在については、むしろ我々が掴んでいた情報の方が多い」


ダリオスはわずかに視線を落とし、机上の文書に指先を滑らせた。

紙の端が、昼光を受けて白く光る。


「残党たちが計画を早めた理由は?」


「支援者から急かされたようです。具体的な理由は彼らもよくわかっておりません」


セヴランの答えは簡潔だったが、その声音には小さな翳りがあった。彼自身も、答えの薄さに満足していないのだろう。

外の風が窓を撫で、帳の裾がかすかに揺れた。


「嘘を吐いている気配は?」


「おそらくありません。残党たちの供述に齟齬はなく、我々の情報とも整合しています」


短い沈黙が落ちた。

石壁の内にこもる沈んだ空気が、言葉の余韻を静かに閉じ込める。


「――おそらく、計画が失敗した場合を見越して、あえて直接の連絡手段は設けなかったのでしょう。支援者たちは、王女の身柄を逃す試みである以上、“成功の確率よりも、失敗時の損失を最小限に抑える”ことに重きを置いていたように見えます」


「ふむ……賢明といえば、賢明だな。

 しかし、支援者との連絡手段は何かあったはずだろう?」


ダリオスの静かな指摘に、セヴランは小さく頷いた。


「はい。唯一、明確に得られたのが――“連絡役”に関する情報です」


室内の空気が、わずかに緊張を帯びた。


「ただし、彼らは毎回、合図を送り合ってから接触場所を決めていたようです。口裏合わせも、伝令も一切なし。ごく限定された手順のみでやり取りをしていた」


言葉を区切り、セヴランは淡々と結論を述べる。


「残党たちがこうして公に捕らえられた今、合図を送ったところで――連絡役が現れる可能性は極めて低いでしょう」


「……その連絡役は、どこの者だ?」


机上から目を上げぬままの問いかけに、セヴランは一瞬だけ口をつぐむ。

脳裏に浮かんだのは、尋問の場の光景だった。





――『必要なことはすべて話す。だから部下たちを手荒に扱わないでほしい』


はじめにそう告げたルデクの声音は、落ち着いていた。

自らの果たすべき役割を静かに受け入れているかのように。


部下たちは、自分の知る以上のことは知らない。

だから、自分の供述に虚偽がないかを確かめる以上の詮索は、可能ならば控えてほしい――

この件に関しては、すべて自分の証言として処理してほしい――


そう言い置いたうえで、ルデクは淡々と尋問に応じた。


尋問室の石壁には、冷えがしんと染みついていた。

鎖につながれながらも、ルデクの背筋はぴたりと伸びている。


問われれば事実を語り、知らぬことは知らぬと答える。

その態度に虚勢はなく、恐れもなかった。


――ただ、その名を口にしたときだけ、かすかに表情が揺れた。


それは、仲間を売る痛みとも、ただの躊躇とも違う。

言葉にならぬ迷い。あるいは、王家の忠義からくる抵抗――

セヴランは、その一瞬の変化を見逃さなかった。


「……その男とは、どう知り合った?」


静かな問いに、ルデクはわずかに目を細める。

遠くを見るような視線だった。


「昔馴染みですよ。同僚と言いますか……」


「旧王家の兵だったということか?」


「兵……というのとは、ちょっと違うかもしれませんね」


微かに笑った。皮肉にも、懐かしみにも見える笑みだった。


「暗殺者ですよ。王直属の」


セヴランの眉がわずかに動いた。

旧王家直属の暗殺者――それは噂でしか聞いたことのない存在。


だが、ルデクの声音には虚飾がなかった。

淡々と、事実だけを告げる者の響きだった。


その瞬間、セヴランは悟った。

ルデクの迷いの影――それは、王家の暗部を外の者に明かすことへの抵抗だったのだ。

そして――。


短い沈黙ののち、ルデクはゆっくりと息を吐いた。

その眼差しには、すでに何かを決めきった者の静けさが宿っていた。


「私が貴殿に頼むのは筋違いかもしれない。けれど――あの男には、気をつけてほしい」


「……気をつける?」


「私たちがこうして降った今、あの男は……姫を暗殺するやもしれぬ」


低い声が石壁に落ち、冷たく反響した。

セヴランはその響きを受け止めるように黙した。その沈黙の間に、ルデクはふっとわずかに目を伏せる。まるで、自らの運命を静かに受け入れるように。


「姫を……守ってほしい」


囁きのような一言。だがその静けさがかえって、命を賭けた願いであることを物語っていた。


セヴランは理解していた。

――最初にルデクが「すべて自分の供述として扱ってほしい」と願った理由を。


この暗殺者の情報を帝国に渡した瞬間、

ルデク自身が粛清の標的になることを、彼は承知していたのだ。


すべてを自らの名に引き受け、なお姫の命を守ろうとする。

それが、彼なりの忠義であり、最後の矜持だった。




* * *




「――連絡役の名は、カイム。旧王直属の暗殺者だそうです」


セヴランの声が静かに落ちた。

窓辺をかすめる風が重たい帳のように揺れ、書簡の端をわずかにめくる。

その音だけが、しばし二人の沈黙を埋めていた。


ダリオスがゆっくりと顔を上げる。

「……旧王の影か。まだそんなものが動いているとはな」


低く吐き出すような声。


「首魁の男は、最後に一つだけ――妙なことを言いました」


ダリオスが眉をわずかに動かす。

セヴランはその視線を受け止めたまま、言葉を継ぐ。


「自分たちが降った今、その男は――姫君を狙うやもしれぬ、と」


一瞬、室内の空気が沈んだ。

窓から射す光がわずかに翳り、机上の影が濃くなる。


「……なるほど」


ダリオスは静かに呟いた。


「理由は――明白だな」


「はい」


セヴランは即答し、落ち着いた声音で続ける。


「姫が“帝国の象徴”として掲げられるよりは――その命を絶たせた方が、まだ“千年王家”の威光は保たれる。背後にいる者が、そう判断する可能性は充分あります」


「つまり、“利用されるくらいなら、いっそ弑すべし”と。

 生きて帝国の旗の下に立つより、死して神話になった方が、“抗う者”たちにとっては都合がいい」


ダリオスはしばし沈黙し、指先でペンの軸を転がす。

硬質な音が机の上を転がり、やがて静かに止まった。


「となると――気になるのは、その男の背後だな」


「はい」


セヴランは軽く頷き、静かに口を開く。


「首魁の男によれば、連絡役カイムとは、旧王国領を出奔して各地を転々としていた時期に再会したそうです」


「偶然か?」


ダリオスの低い声が、紙の端をかすかに震わせた。


「いえ。カイムの方から接触してきたと。

 “王女奪還に力を貸してくれる支援者の伝手がある。取り持ってやろうか”――そう持ちかけられたそうです」


セヴランは淡々と語りながら、報告書の一枚を整える。

筆先で指した文字に、昼光が反射して一瞬、銀の線のように光った。


「つまり、再会した時点で……すでにカイムは、“裏の支援者”と繋がっていた」


「その通りです」


短い応答ののち、ふたりのあいだに再び沈黙が落ちる。

遠くで、鐘の音がかすかに響いた。


「その相手は?」


「名は伏せられたままだったようです。首魁の男も、それ以上は訊かなかったと。

 ……カイムという男の仕事柄と性質を理解していたのでしょう。“語らぬ者”には、踏み込んでも意味がないと判断したようです」


ダリオスは視線を伏せ、ゆるやかに指先で机を叩いた。

音はほとんど響かず、ただ思考の拍のように空気を刻んだ。


「ですが――支援者が誰なのか。首魁の男は、ある程度の見当はついていたように思います」


「ほう?」




セヴランはルデクに心当たりを尋ねたが――


『ただの憶測を口にして、もし誤っていれば――帝国の内外を巻き込む火種になりかねません。その危うさを承知の上で、名を挙げることはできません』


そう言って、名は挙げなかった。

その眼差しには、頑なさではなく、静かな誠実さがあった。


『それに、陛下や貴殿なら……いずれ私と同じ推測に辿り着くでしょう』


確かに、“ただの憶測”を無理に引き出す意味はない。

セヴランは、いったんそれ以上を問わなかった。




やがてダリオスが口を開く。


「……その首魁の男の言葉を、信じるか」


「判断はつきません。ですが――彼の眼に、虚はありませんでした」


「そうか」


ダリオスは軽く息を吐き、指先でペンの軸を転がす。


「そうなると……我々が突き止めていた支援者の線を洗い直すしかないな」


「はい。資金の出所と物資の流れ――もう一度、照合してみます」


机上の光が傾き、書簡の縁が金色に染まる。

ダリオスはしばし無言のまま、その光を眺めていた。思考の糸を手繰り寄せるように、口を開く。


「帝国内にも、異国にも、該当しそうな影はいくらでもいるからな。

 ――王女を“消す”ことで何かが得られると信じている者が」


「そのとおりです。たとえば……おそらく、カイムの背後にいる者を含むと思われますが――市場での一件以降、姫を“裏切り者”と見なした王家支持派」

「つまり、“血統”そのものを守りたいのではなく、都合のいい神話を守りたい連中だな」


ダリオスが皮肉気に笑う。

そのまま指先で紙の角をなぞりながら、続ける。


「傍系の者たちは?」


「動きは見えませんが、静かに時を待っているでしょう。姫が生きている限り、彼らは“正統”を名乗れない」


「だが、王女が死ねば――血統の空白が生まれる」


セヴランは頷く。


「その隙間に、自らを押し込もうとするでしょう。“最後の姫は弑された。だが血は途切れていない”と」


「……まったく、面白い女だな」


低く笑う声が、静寂を裂く。


「民衆からは“勇気ある王女”と称えられ、

 臣下どもは“陛下の威光に影を落とす”と憂えている。

 お前はお前で、その胸の火が育つのを畏れている」


セヴランはわずかに眉を動かしたが、否定はしなかった。


「そして――」


ダリオスは指先で紙片をめくり、視線を流す。


「反帝勢力のひとつは、王女を奪って掲げようとし、もうひとつは、逆にその命を絶とうとしている。……生かしても殺しても、誰かの旗になる」


くくっと喉の奥で笑う。


「一人の女に、これほど多くの思惑が絡みつくとはな。

 誰もがあの女を“何かにしたがっている”。

 だが当の本人だけが、その中心でまだ、自分が何者かを知らない。

 実に厄介で――実に興味深い」


光の射す窓辺に、帳がふわりと揺れる。

その影が机上の文書に一瞬、柔らかな翳りを落とした。


セヴランはしばし沈黙を保ったのち、静かに口を開いた。


「……陛下。王女の“市場での一件”につきましては、三日後に開かれる全州会議にて正式な裁可を下さねばなりません。それまでに処分の方針をお定めいただく必要がございます」


ダリオスはしばし考え込み、椅子の背にもたれた。指先で机を軽く叩きながら、思案のリズムを刻む。


「……そうだな。まだ決めていなかったが――あとで“火の具合”を見ておこう」


その言葉に添えられた微笑は、わずかな興味と、支配の気配を孕んでいた。

紙の擦れる音が、ふたたび静寂を満たしてゆく。


執務室の陽は傾き、影がゆっくりと伸びていった──。

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