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4 飴と誓い

── 帝城・城門脇 ──


市場から戻り、厨房へ向かおうとしたとき。

背後から冷ややかな声が落ちた。


「先ほどの露店で受け取った包みを、確認させていただけますか」


足が止まる。

振り向けば、無表情のまま立つミレイユ。

その声音はいつもと変わらず淡々としていたが、王女の胸には鋭い棘のように突き刺さった。


「……どうして」


「私の務めは、姫様の安全を守ることです」


静かに告げられた言葉に、王女は小さく息を呑んだ。

掌に残る小さな包みが、不意に重さを増す。


震えを隠しながら差し出すと、ミレイユはそれを受け取り、手早く開いた。

中から現れたのは――白樺の皮に包まれた、小さな蜂蜜飴が三つ。


「……ただの飴のようですね」


隠された文や印などは見当たらない。

王女は胸の奥でほっと息をついた。


ミレイユは飴を一つ取り上げ、口に含む。

かすかな甘さが広がるのを確かめるように、無表情のまま舐め続ける。やがて、何事もなかったかのように残った飴を丁寧に包み直し、王女に差し出した。


「問題はありません」


それだけを言い残し、無音の足取りで去っていく。


王女はその背を見送りながら、指先に残る包みの感触を確かめる。

胸の奥で張りつめていた糸が、ゆるやかにほどけていった。





── 夜 王女の居室 ──


机の上に置いた小さな包みを、王女はじっと見つめていた。

白樺の皮をそっと開くと、飴が二つ。

指先で一つをつまみ上げ、恐る恐る口に含む。


蜂蜜のやわらかな甘さが舌に広がった瞬間――視界に別の光景が差し込む。


陽差しの降りそそぐ中庭。

幼い日の自分は、初めて小馬に跨っていた。

鞍の上で体が揺れ、心臓が早鐘を打つ。


(……怖い……落ちてしまう……)


必死に手綱を握りしめるが、細い指は震えて、今にも力が抜けそうだった。


「大丈夫ですよ、姫さま」


低く穏やかな声が背後から届く。

振り返ると、馬の横に並んで歩く青年の姿があった。

兄の近くに仕える近衛の一人で、いつも控えめに影のように立っていた人。


たしか、名前は――ルデクと言っただろうか。


「怖がらなくていい。私が支えています」


言葉と同時に、腰の辺りに伸ばされた手が、落ちかけた身体を支えてくれる。

その確かな力強さに、必死にこらえていた涙があふれた。


「……やっぱり、無理……」


情けない声を漏らすと、ルデクはふっと笑った。

そして懐から小さな包みを取り出し、掌を差し出す。


「これを舐めてごらんなさい。甘いものは、不思議と勇気をくれるんです」


小さな蜂蜜飴。

差し出されたそれを口に含むと、甘さが舌に広がり、震えが少しずつ和らいでいった。


「……どうです? もう少しだけ、頑張れそうですか」


涙を拭いながら、小さく頷いた幼い自分。


そのとき彼は、支えていた手に、わずかに力をこめた。

落ちかけた身体を、今度は“踏み出すために”支えるように。


「怖いのは当たり前です。でも……“やろう”って決めた気持ちは、それだけですごいことなんですよ」


柔らかい声だった。けれど、その奥に確かな芯があった。


「怖くても、自分で決めた一歩は、誰にも奪えません」


馬の背に揺られながら、幼い胸の奥に、それは温かく沈んでいった。




――そして今。

同じ甘さが、再び胸の奥を締めつける。

懐かしさと痛みとが入り混じる。


王女は改めて手元の包みを見つめる。

白樺の皮――それは、故国の祭で幾度となく目にしたものだった。


豊穣を祈るとき、人々はそこに印を刻み、王家へと差し出した。

それは大地への祈りであり、同時に王家と民を結ぶ「忠誠の証」でもあった。


(……これは……変わらぬ忠誠を、私に示そうとしたの……?)


祭の広場で父王の前に積み上げられていった皮の束――。

その光景が、夜闇の中に鮮やかによみがえった。


そして、幼い日の中庭でルデクが差し出した蜂蜜飴の記憶もまた重なる。

甘さが恐れを和らげ、胸に小さな勇気を灯してくれたあの瞬間。


今この掌にある包みもまた、ただの飴ではなく――忠誠の証であり、幼い日に授けられた勇気をもう一度呼び覚ます励ましのように思えた。





── 同刻 執務室 ──


室内には、紙をめくる音すら聞こえそうな静けさが漂っていた。

厚い石壁が音を吸い、窓には重い帳が垂れ、外の冷気と夜の気配を遠ざけている。

深灰の絨毯に覆われた床は沈黙を保ち、蝋の香りだけが微かに満ちていた。


「……餌に食いついたようだな」


低く笑う声に、室内の空気がひやりと揺れる。

蝋燭の炎がゆらめき、長く伸びた影が壁に滲んだ。


「白樺の皮、でしたね。王女の故国で、王家と民との間で交わされた誓いの印。

 豊穣の祭や冬至の儀式で――忠誠の証として捧げられるものです」


対面に立つセヴランが言った。

羊皮紙を軽く指で叩きながら、視線は皇帝から逸らさない。


「ふん、見上げた忠義だ」


ダリオスは片肘を卓にかけ、冷ややかに吐き捨てる。

炎に照らされた横顔は、感情の色をまるで映していなかった。


「……あとは飴にも、なにか意味があるかもしれません。蜂蜜は豊穣の象徴……」

一拍置いて、セヴランは小さく首を振る。

「いや、今回のそれに特別な意味があるかは断じがたいですね」


ふぅ、と息をつく音が、石壁に囲まれた室内に小さく響いた。


「単なる菓子に過ぎぬかな」


そう皇帝が結論しかけると、

壁際の影がわずかに動き、静かな声が落ちた。


「――姫様は、露天商に『蜂蜜飴は好きか』と問われた際、反応を示しました」


2人の背後に静かに控えていたミレイユの声だった。


セヴランは視線を伏せ、わずかに息を吐いた。

「……ならば、王女と個人的に通じ合える人物にだけわかる符牒かもしれません」


「個人的に、か」


ダリオスは唇の端を歪めた。その響きの奥に、かすかな何かが揺らめいた。

セヴランはその微かな変化を見逃さなかった。


「……陛下。本当にこのまま計画を進めるおつもりですか」


「なぜ問う?」


「相手がただ王女を大義名分として祀り上げるだけの人間ならば――まだよいのです。だが、もし王女と深く結びついた者であれば、彼女に待ち受けるのは……残酷すぎる結末でしょう」


声は抑えていたが、憂慮の色は隠しきれなかった。


そんな彼の言葉に、

「続けるに決まっているだろう」

ダリオスは低く笑った。


蝋燭の炎が静かに揺れ、影が彼の頬を斜めに走る。

その声音には、冷ややかな決意が滲んでいた。

「敵を炙り出すには、あの姫を餌にするのが最も効率的だ。

 兵を無駄に使うより、ずっと確実で早い」


言い終えたあと、短い沈黙。

炎の揺らめきだけが、室内にわずかな動きを与えている。


やがてダリオスは、ふっと口元を歪めた。


「……あの火種が燃えるのか、掻き消えるのか――見届けてやろうじゃないか」


その瞳は、戦況を見据えるように冷たく、

それでいて、どこかで何かを願うようにも見えた。

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