表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/95

7 息づくもの

── 帝城・皇帝の寝所 深夜 ──


燭火の下、王女の体温が手の中にあった。

長い戦の年月で無数の命を刈り取ってきた掌に、今は震えながらも確かに生きる肉の重みがある。


その反応は複雑だった。

拒絶の強張り、恐怖の震え、そして抗えぬまま零れる吐息。

それらすべてが、彼女がまだ折れていない証であり、なお生きようとする証でもあった。


――かつての彼女は、つまらない女だった。

血筋を誇るでもなく、ただ怯えて立ち尽くす姿。


だが、その瞳の奥に、どうしても拭えない光を見てしまった。

名を与えられぬ執着のような、生への渇きのような――何か。


その正体を確かめたくて、鳥籠の外に放った。

そっと羽ばたかせれば、その光が何を示すのか見えるのではないかと――。




そして今、戻ってきた女の体を抱きしめている。

その身から立ち上るのは、確かにあの光の延長だった。


罰を自分の選択の証だと受け止めた姿。

遠目に見た、下働きの娘と交わす中で、ふと零れたかすかな笑顔。

故国の滅びを祝うことを務めとされる理不尽に、毅然と声を上げた姿。

そして今夜の場で、己の言葉で役割を語り直した誇りと怒り。

――そのすべてが、目を離せない光となっていた。


もちろん、その言葉も振る舞いも、まだ稚い。

力の前には揺らぎ、世界を変えるにはあまりに小さい。

だが――小さくとも、己の意志で刻もうとするその姿勢こそが、彼にはかけがえないものに思えた。


ただ従う囚われ人ではなく、己の存在に意味を与えようと足掻く女。

その誇りと怒りを、この手で縛り抱きしめ、自分のものとして確かめたい。


それは肉欲だけではなかった。

合理と非合理の境を越え、説明のつかぬ衝動に突き動かされていた。


(……俺は、何を求めている?)


問いは胸に浮かぶが、答えは定められない。

だが確かなのは、自分にとって、この女がもはやただの駒ではなく、何かを映す象徴となっていること。


だからこそ今はただ――

戦場で刈り取ることしか知らなかった手で、その生の力を抱きしめていた。





── 朝 ──


薄明かりが帳を透かし、静かな朝の涼気が漂っていた。


寝台の片隅で王女は身を起こそうとして――動きを止めた。

背に、まだ彼の腕の重みがある。

振り払えぬほど強く、けれど優しく包み込むように。

ぎゅっと抱きしめられたまま、彼の寝息が首筋にかかっていた。


以前の夜は、気づけば彼の姿は消えていた。

残されるのは熱と痕跡だけ――それが常であり、そういうものだと思っていた。

けれど今朝は違った。

その熱の本体が、なおも自分を抱え込み、離そうとしない。


その腕の温もりに包まれながら、王女の意識は昨夜の光景へと引き戻されていった。


あの広間で――自分の声を確かに放った。

与えられた役割ではなく、自らの言葉として紡ぎ出したものを。

だがその響きは、今こうして隣りに眠る男に絡め取られ、喝采の飾りへと変えられていった。

そして夜は――抗えぬまま、彼の腕の中へと流れ込んでいった。


拒めなかった。

熱と重みに縛られ、忘れようとしても記憶は鮮烈に残る。


悔しさか、屈辱か。

それとも、もっと別の何かか。

胸に残る感覚は、名を与えられぬまま疼いていた。


(……また、この男の掌にとらえられている)


そう思いながら、傍らのダリオスを見つめる。

眠りの中の顔は、戦場で人を斬る男とも、民を支配する皇帝とも違っていた。

ただ自分を離さず抱き留める、重く温かな存在。


その温もりは苦く、息を塞ぐ。

けれど同時に、広間で声を放った時の誇りはまだ胸に灯っていた。


誇りと囚われの狭間。

胸の奥の火と影を抱えながら、絡みつく腕をそっと指で押した。

すると、隣りの男は寝息まじりに声を洩らし、腕の力がむしろ強まった。


それでも、生きる限りは抗い続ける。


朝の静けさの中で、そのかすかな火だけが彼女を支えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ