15 揺れる星の下で
── 帝城・中庭 ──
「……少し、風を浴びながら考えたいの」
王女の言葉に、ミレイユは無言でうなずき、手にした外套をそっと王女の肩に掛けた。厚手の布の重みが、夜の冷えを遮る。
中庭に出ると、夜の気配が静かに帝城を包んでいた。
月光の下、白い吐息が静かに揺れる。
庭の樹々が微かにざわめき、灯りの残る城壁に風の音が通り抜けた。
王女はゆっくり歩きながら、昼間の出来事をひとつひとつ胸の奥で反芻していった。
──『お前を亡き者にしたいと考える者は、この世界には少なくない。政治的に、お前の存在が邪魔になる者たちがいる」
ダリオスの低い声が、夜気に混じってよみがえる。
自分は“取るに足らない存在だから”生かされているのだと、ずっと思っていた。
けれど、違った。本当は──守られてきたということ。
──『俺はお前を生かすと決めている』
あの言葉は、ただ“殺さない”という意味ではなく、
“亡き者にしようとする者たち”の手から、自分を守るということ。
城に連れ戻されたのも、ダリオスが自分を守るため。……もちろん、彼の思惑もあるだろうけれど。
だけど。
──『お前の命そのものより、“象徴としてのお前”を断つことが目的で、あの暗殺者が動いている可能性もある』
(……象徴としての、私……)
足が止まる。
風に揺れる枝葉が、月光の下で影を編んでいた。
狙われているのは“私”ではない。
人々が見ているのは、“王女”という名の飾り。
それを巡る思惑が交差し、自分を守ろうとする者たちまでが危険に晒されていく。
──『あなたが背負うものは、あなた一人で抱えるには重すぎる。あなたを“生かす”と決められたということは、ダリオス殿は、それを共に背負う覚悟をされたということ』
アシェルの声が、夜気の底からゆっくりとよみがえる。
あのとき、半ば信じられない気持ちで聞いていた言葉が、今はひとつひとつ、確かな意味を帯びて胸に迫ってくる。
──『あなたの血に連なる闇も、滅びの理由も、あなたが知ってしまえば抱えることになる痛みも、彼は引き受けようとしている』
王家が抱えてきた闇。
本来なら、自分が引き受けねばならないはずのもの。
だけど。
──『王家を滅ぼし、奴を野に放ったのは俺だ。その責任は、俺が取る』
──『俺が奴を捕らえ、終わらせる』
自分が抱えきれないから。
だから、彼がそれを代わりに背負おうとしている。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
その痛みは、胸郭の内側を指で掴まれるような、生々しいものだった。
以前にちらついた未来が、より鮮明な形で迫りくる。
刃の閃き。
石床に散る血の色。
胸を貫かれ、崩れ落ちていく黒衣の影。
冷たい震えが背を撫でた。
喉の奥がひゅっと狭まり、息が浅くなる。
──『もしも“あなたの背負う闇”が、ダリオス殿を呑み込むほど強いものだったとしても、あなたの故国の民にとっては、喜ばしいことかもしれませんよね?』
アシェルの声が、記憶の中で静かに笑う。
──故国の影がダリオスに刃を向ける時、自分はどちらの側に立つのか。
この地に留まり、立ち向かうことで未来を掴みたいと願った、その瞬間に──
影とダリオスが刃を交える未来も、自分の立つ場所も、すでに定まっていた。
(……そして、私は──)
ダリオスが生き延びることを、望んでいる。
暗殺者は恐ろしい存在だから。
討たれて然るべき者だから。
……故国の者たちも、きっとそれを理解してくれるはず。
──そう、言い訳をしながら。
歩みを止め、王女はそっと星空を見上げた。
冬の夜気の中、星々は息を呑むほど澄み渡り、凍てつく空に小さな光を散らしていた。
その静けさが、かえって胸の奥のざわめきを際立たせる。
──『全ての人にとっての災いも、全ての人にとっての幸いも、この世界には存在しません』
神殿でのミレイユの言葉が、夜気の中によみがえる。
確かにそうなのだろう、と王女は思う。
たとえば、暗殺者を捕らえて終わらせる未来。
それは、自分たちにとっては“幸い”と呼べるのかもしれない。
けれど、彼にとっては“災い”にほかならない。
王家の都合で暗殺者に仕立て上げられ、そして今度は、王女の都合で“終わらされる”。
夜風が頬を撫で、冷たさが刺す。
──『星が示すものがどのような形で芽吹くかは、人の心と行いに委ねられましょう。我らにできるのは、その現れが人を滅ぼすものとならぬよう備えること』
大神官長の静かな声が、記憶の底で響く。
災いを避けることはできない。だからこそ備え、その形を変えること──。
けれど、人によって、“災い”も“幸い”の形も違うのなら──何を選んだとしても、誰かにとっての災いにはなるということ。
その事実が、胸の奥で静かに沈む。
自分で選べるようになりたい、と願っていた。
けれど。
(選ぶというのは……こんなにも、怖いことなの……)
自分は──誰にとっての幸いを、誰にとっての災いを選べばいいのだろう。
星々は瞬き続ける。
王女はただ、その光の静けさの下で、胸のざわめきを抱きしめていた。




