14 千年王家の影
── 帝城・執務室 ──
冬の光が傾き、机上の書簡に淡い陰を落としていた。
昼の静けさが場を満たし、空気はどこか張りつめている。
「ルデク…」
王女は固まったまま、目の前の男を見つめた。
視線の先で、灰を帯びた茶の瞳が深く静まり返り、色白の頬に淡い影を落としている。
ダリオスはルデクを一瞥し、低い声で言った。
「──去年の、お前の奪還計画の件だ」
王女の肩がわずかに強張る。
「その裏にいた者と、こいつを繋ぐ役だったのが……今回の暗殺者だ」
言葉が、石壁を打つように響いた。
王女の胸に、冷たいものが走る。思考が追いつかないまま、唇が微かに震える。
ダリオスは淡々と続ける。
「こいつはお前に忠誠を誓っている。だから、事件に直接かかわることを除いては、お前の命令でない限り、お前にまつわることを口にしない」
その声音は平静だが、どこか試すような響きを含んでいた。
「ゆえに、俺が知っているのはここまでだ。
……暗殺者について知りたいことがあるなら──お前が聞け」
王女は息を詰めた。
視線を向けると、ルデクは静かに片膝をついていた。
「……本当なのですか」
王女の声はかすかに掠れていた。
「私の奪還計画に──あの者が、関わっていたというのは……」
ルデクは顔を上げぬまま、深く頭を垂れる。
長い栗色の髪が肩から零れ落ち、光を受けて柔らかく揺れる。
「……申し訳ありません、姫さま」
静かな声。
「貴女を取り戻したい一心で……本来、力を借りてはならぬ者に手を伸ばしてしまいました」
床に落ちた言葉が、沈黙の中でゆっくり沈んでいく。
「その報いが──叙勲祭の悲劇として現れたのだとすれば……この罪、弁明の余地はありません」
王女の内側では、思考が渦を巻いていた。
問いたいことは数えきれないほどある。だが、どこから手を伸ばしていいのかがわからない。
ようやく、喉の奥から絞り出すように、ひとつの問いがこぼれた。
「……なぜ、そこまでして私を取り戻したかったのですか」
彼らの思いの強さは痛いほど伝わる。
けれど──どうして、その中心に自分が置かれるのかが、どうしてもわからない。
自分など、王家の名を背負って生まれたというだけの存在に過ぎないのに。
ルデクは俯いたまま、しばし沈黙した。
やがて呼吸を整え、ひとつの言葉が落ちる。
「──旗が、どうしても必要だったのです」
旗。
王女の胸に、かすかな痛みが広がる。
“なぜ自分なのか”という疑問は、答えを聞いてもなお、胸の底に澱のように残っていた。
けれど。
──『あなたの意志を、旗として仰ぎましょう』
彼らが王女の言葉に残りの人生を賭けたという重い事実。
王女は胸に手を当てるようにして、そっと目を閉じた。
(……受け止めなくては、いけないのだろう)
理解しきれなくとも。
背負う力が足りずとも。
彼らが見つめた旗が自分である以上、その想いから目を逸らすことだけはできなかった。
「……では、あの暗殺者が私を狙うのは──」
王女は慎重に言葉を選びながら、震えるように口を開いた。
「私が……あなた方を降伏させたことを、恨みに思ってのことなのですか」
ルデクは静かに首を振った。
「いいえ。あの者には、恨みや憎しみといった感情はありません」
灰がかった茶の瞳が、どこか遠くを見るように細められる。
「あるのは──愉悦です。人を苦しめ、殺めることに、悦びを見出す男です」
王女の呼吸が、ひゅっと浅くなる。胸の奥が冷たく縮み、思わず体が強張った。
「……いったい、“王家の影”とは……何なのですか」
掠れた声で問う。
ルデクは一拍置き、深く頭を垂れた。
「王家の秘事に関わることゆえ、私もすべてを知っているわけではありませんが……」
そう言い置いてから、ゆるやかに語り始めた。
「我らが王国に、まだ奴隷制度があった時代──
奴隷の中で、身体能力の優れた者を選りすぐり、“王家に仕える暗殺者”として仕立て上げたと伝わります」
王女の胸に、嫌悪と悲しみが入り混じる。
「その後、その暗殺者たちの子孫が代々……奴隷制度が廃止された後も解放されることなく、王家にのみ尽くし続けてきたと」
言葉のひとつひとつが、長い影のように落ちていく。
王女の眉がわずかに寄る。
「……なぜ、彼らは王家に尽くし続けたのですか? あれほどの力を持つなら、王家に刃を向けることも、逃げ出すこともできたはずでは……?」
ルデクはわずかに目を伏せた。
「秘儀とされており、詳細はわかりませんが……。
彼らは“当代の王に決して逆らうことができない”何らかの術を施されていたと聞きます」
一瞬、言葉を選ぶように間を置き、
「王位の継承とともに、その“御する術”も継承される……そう伝えられています」と続けた。
「……まぁ、方法は色々ありますからね。洗脳、人質、薬、脅迫……あるいは複合的なものかもしれない」
セヴランが横から小さく口を挟む。
ルデクは小さく頷き、淡々と続ける。
「そうして生き続けた暗殺者たちの中でも、カイムは、当代随一の能力を持つ男だと囁かれていました」
短い沈黙ののち、ダリオスがゆるく椅子にもたれた。
その瞳がわずかに細まり、冷たい光を宿す。
「……つまり、俺が王家を滅ぼしたことで──」
声は淡々としているが、その奥に硬質な響きがあった。
「“御する術”の継承が途絶え、暗殺者が野に放たれた……というわけか」
ルデクは沈黙で答えた。
ダリオスは軽く鼻を鳴らした。
「自由になったのなら、自由を謳歌していればいいものを……」
その声音には、呆れすら混じる。
そして一拍置いて、冷ややかな納得が落ちる。
「……なるほど。“自由”に──快楽を追うことにした、というわけか」
ダリオスはわずかに顎を上げ、王女を見据えるように言った。
「いずれにしろ──お前の物差しで測れる相手ではないな」
声には嘲りではなく、現実を突きつける重さがあった。
王女は唇を結び、一瞬ためらってから声を出す。
「……でも」
胸の奥に渦巻くものを押し出すように、勇気を振り絞る。
「彼に対して……王家の者としての責任が、私にはあるのではないでしょうか」
「そうだな」
ダリオスは、驚くほどあっさりと頷いた。
王女は息を飲む。
そのまま肯定されるとは思わなかった。
ダリオスは椅子から少し身を乗り出し、低く静かな声で問いかけた。
「では──その責任を取るために、お前は何をする?」
王女は言葉に詰まる。
視界の端でセヴランが静かに目を伏せた。
「謝罪か? 説得か? それとも──あの男の罪を背負って死ぬか?」
淡々と、しかし畳みかけるようにダリオスの声が落ちていく。
王女の胸がぎゅっと縮む。
「……取れない責任を取ろうとするな」
ダリオスは短く息を吐き捨てた。
「王家を滅ぼし、奴を野に放ったのは俺だ。その責任は、俺が取る」
声が低く落ちる。
「俺が奴を捕らえ、終わらせる」
黒曜の瞳が王女を見据える。その光には、決して揺らがぬ決意が宿っていた。
「そのために──お前は奴をおびき出す“餌”になる。そして、その後の成り行きは黙って見守る。……お前に果たせる責任は、それくらいだ」
ダリオスの言葉が王女の胸の奥に沈み、痛みとも重さともつかぬ感覚が広がっていく。
反論の言葉を探そうとしても、何も見つからなかった。
後ろに控えるミレイユのまなざしが、わずかに王女に向けられた。
沈黙の中、その肩の揺らぎを、静かに見届けていた。
ダリオスは椅子にもたれ直し、そのまま淡々と告げる。
「具体的な策はこれから詰めるが……視察当日は、そいつも現場の守りにつかせる」
言って、ルデクを顎で指し示した。
王女ははっと息を呑み、ルデクを振り返った。
栗色の髪を揺らして、彼は静かに頷く。
ダリオスの傍らで、セヴランがわずかに目を伏せ、唇の端をかすかに上げる。
(……なるほど。そう来ましたか、陛下)
当日、王女の命の優先順位はもっとも低い。
守備に就く者すべてに、“王女よりも、皇帝と民の命を優先せよ”という命令が下されることは決まっている。
それが作戦の前提であり、揺るがぬ規律。
それでも──
その命令を破り、どんな危険の中でも王女を最優先に守るであろう男を、ダリオスはあえてそこに置く。
作戦指揮官としては看過できぬ采配だ。
それでもセヴランは何も言わず、心の内で淡く笑った。
冬の光が、静かに執務室を包み込んでいた。
その柔らかな明るさの中で、誰もがそれぞれの想いを抱いていた。




