近衛騎士団長の眼差し
「マルキオ・イークェス。何か申し開きはあるかね?」
初老の近衛騎士団長は、礼服の上からでもわかる筋肉を器用に机の上にまとめて、前に立つ俺を見上げてくる。
「ありません」
ずっと、最後に見たリンの泣き顔が脳裏にこびりついて離れない。トゲトゲしている時やワガママをぶつけてくる時はいくらでも受け流せるが、泣かれてしまうとどうしようもなくなる。
それもここ5年ぐらいは見ていないから、効果は倍増だ。
「ふむ……」
騎士団長は深く息をして、苦い顔で言葉を探す。
「聞いているかどうかは知らないが、俺はマルキオが近衛騎士になるのは反対だった。お前は昔から姫殿下と仲が良すぎたからな」
幼い頃、俺は同い年の高位貴族の子息という理由で、王女殿下の遊び相手に選ばれた。
もちろん、二人きりというわけではない。他にもたくさんいたのだが、リンに合わないと判断されたりリンのワガママに耐えられなかった遊び相手ははずされ、徐々に減っていったが、俺は最後までリンの友人として登城を許されていた。
そんな僕らを護衛していたのが、目の前のピタニウスおじさん、今の近衛騎士団長だ。リンと憎まれ口をたたき合う仲ということを知っていて、見守ってくれている数少ない人でもある。
「はい」
「もちろん、お前の実力や忠誠を疑っているわけではない。あの暗殺未遂事件でも、お前だけは身を挺して姫殿下をお守りしていたしな」
「……」
事件に触れられて、トラウマがうずく。ピタニウス団長の言うことは正確ではない。
あの時、リンを守ったのはピタニウス団長だ。暗殺者たちはすくんで逃げられなかった友人を一人一人血の海に沈め、最後に俺たちも殺そうとした。
リンがピタニウス団長に助けられた時、僕はそれを血の海の中でもがきながら見ているしかできなかったのだ。
だから団長の言葉に素直に頷くことはできない。
「近衛騎士たるもの、主君に危険が及べば代わりに死ななければならない。だが、お前が姫殿下の代わりに死ぬことに、姫殿下は耐えられない」
少し腹が立つ。リンはそんなに弱くない。現にあんな事件があっても、ちゃんと立ち直っている。
「そんなことはありません。王女殿下は王族で、とても強い方です。自分が死んでも、すぐに立ち直るはずです」
団長は今度は深いため息をついて、首を左右に振る。
「……やはり、お前は近衛騎士には向かないな。姫殿下も近衛騎士を辞めろとおっしゃていたと報告を受けている。『顔も見たくない』とも言われたそうだな?」
ズキン、と胸が痛む。近衛騎士というのは、この国の最エリートの一角だ。簡単になれるものではない。
あの事件でリンを守ると誓って以降、俺はここにたどり着くまでに全力で努力してきた。
「……はい」
嫌な予感がする。ここに至るまで繰り返してきた、あの誓いはなんだったのだろうか。
「マルキオには三つの疑いがかかっている。王権を象徴する宝剣に対する不敬の疑い、王女殿下に対する不敬の疑い、王女殿下への侮辱の疑いだな」
並べられると、確かに近衛騎士にあるまじき失態かもしれない。特に宝剣を落としたときの彼女は、本気で傷ついた表情をしていた。長い付き合いをしていた俺にはわかる。
「すべて王女殿下のご裁可に従います。申し訳ありませんでした」
深く、頭をさげる。
「うむ。詮議後、追って通知する。それまで謹慎しておけ」
部屋を出る俺を見送る騎士団長は、なぜか苦笑いを浮かべていた。