4
男は困惑していた。
困っていた。
そして、その小さな子供には全く見覚えがないというのに何故か無視は出来なかった。
男は外交とは名ばかりの敵国視察のためアリアンロッド国へ訪問していた。敵国ではあるが、今はアリアンロッド王室の客人である。
如何にしてこの男、ウラジスラフがアリアンロッドに来ることになったのかというと大した理由では無かったりする。
自国の者たちは基本的に黒髪や濃い色の色素を持つものが多いのだが、アリアンロッドでそれは悪魔の色として恐れられ、敬遠される。だから淡い紫の髪に青い目という自国ではそれほど尊ばれない色味のウラジスラフが選ばれたというだけだ。
だが、客人といっても敵国の人間。明らかに腫れ物を扱うような態度に、ウラジスラフもついに王宮を抜け出した。つまり退屈になったのだ。
『ほんと、あんたもついてないわね、レイン』
ウラジスラフの右上の空間で中性的な声が喋る。この声は実際にはウラジスラフにしか聞こえていない声だ。
「煩い」
傍からは独り言を呟く危ない男に見えるだろうが、其のような些細なことを気にしない性分だった。
『だって、あんた仮にも王様なのよ?それが自国どころか敵国にまで軽んじられるのはなにごとなのよ!』
確かにウラジスラフ・レインは自国では王ではある。それは国の伝統がそうさせているだけで、誰もその素質を認めたわけではないからだ。そうでなければ簡単に敵国に視察としておいやったりもしないだろう。それを、知っているからこそアリアンロッドの王家も対応に迷っているところだろう。
人質にもならないと侮られているのだ。
『そもそもダフネオドラはとても栄えている城下町って話だったのに、何よこれ?』
花の都は?美しい街並みは!?とその声は吠えている。確かにアリアンロッド国内で最も栄えている、という割にはダフネオドラの街に活気はない。所々瓦礫が積まれているし、想像したほど素晴らしい処では無かったらしい。
ウラジスラフは少しがっかりしていた。
国外なら少しぐらい気分転換になるかと思ったのだが。これならば、自国であっても気分は変わらなかったろうに。
『あら、あれ何かしら』
ウラジスラフにしか聞こえない声が示す方向には一人の子供が倒れていた。まだまだ幼く見えるが体中に怪我と火傷を負い瀕死の状態だ。微かに身動ぎしたので生きていることは確認できる。
いつもなら無視して立ち去るのだが、なんだか無性に気になった。
スタスタとそれに近づく。
『あ、ちょっとレイン、どうする気?』
そして、躊躇いもなく抱き上げる。
普通の町人だったならあまりの汚れ具合に躊躇ったかもしれないが、ウラジスラフには戦争経験が数えられないほどあった。慣れたものだ。
「お前、名は」
少女はピクリ、と反応して小さな声で返事をした。
「みつる・・いえ、違う、ミル。私はミル」
朦朧とした意識の中で紡がれる微かな声にウラジスラフは耳をそばだてた。
「ミル、お前は何処に行きたい?」
連れていってやろう、と言うと彼女の表情が和らいだ気がした。
「お家へ帰りたい・・・」
「家の名は」
「あ・・・コリアリア」
ウラジスラフはピンときた。
コリアリア、隣国のとある豪商がアリアンロッドへ渡った際に王より名付けられたものだと聞いたことがある。
調べれば家は直ぐに分かるだろう。
「必ず、送り届けよう」
ウラジスラフは眠りの魔法をかける。少しでも体力を持たせるために。スッと少女の体からちからが抜け、眠ったことを知る。
『レイン、だめよ、この子。』
声だけの存在はウラジスラフを引き止める。
「なんだ、フロール文句は後で聞く」
『違うわよ、この子、あのクソ女の器なのよ。』
「は?」
『アリアンロッドを名乗る白の女神の器なの!このままじゃ、あのゴミがまた顕現するわ』
「お前がアレを嫌うのは分かるんだが、子供を殺すわけにはいかないだろ」
フロールは胡乱げに溜息を吐いた。
『あんたが殺すことを躊躇うなんてね。明日槍でも降るのかしらー』
「知っているだろう、器はこの子だけじゃない。」
『ええ、分かってる。分かってるけど』
「・・・そうだ、フロール」
何かを思いついたウラジスラフは自身の顎に指を添える。
『レインだめ、その考えは思っても口に出すな。絶対な。』
声は焦ったように言うが思いついたウラジスラフにとっては画期的アイデアだった。
「フロール、お前がこの器に入ればいい。そしたらあのクソ女が器にはできないだろ?」
ガッデムと声は思いつく限りの罵詈雑言をウラジスラフへ投げつける。だが当の本人ウラジスラフはどこ吹く風で涼し気な顔だ。
「ほら、フロール、もしあのクソ女に出会えれば一泡吹かせるんじゃないのか」
ニヤッとウラジスラフは黒い笑みを浮かべる、それにぱた、とフロールの誰にも聞こえない罵詈雑言の嵐はやんだ。
『いいわ、やってやろうじゃない・・・・復讐の女神の力見せてやろうか!!』
フロールは言ってから後悔した。
何故、自分がこんな貧相な娘の体に入らねばならんのだと。
フロールも200年前までは一端の神だった。まあそれほど信仰があったわけではなかったのだけど。それなりにやってきた。
そして呆気なくアリアンロッドの王家に潰された小さな国の小さな女神は、あの白い女神とプライドもクソもないあの金魚のフンどもによって神格を堕とされ、フロールは神でなくなったのだ。
そして、精神体でフラフラと彷徨っているところをウラジスラフに拾われた。
それはフロールにとって幸運だった。
通常神格を落とされ、女神の元へ遜ることを拒めば、神格を堕とした神は精神体を維持できず暴走する。そしてクソ女神に悪魔として調伏されるまでがワンセットだ。
ウラジスラフは正確には人間ではない。人間でもあるが神格を持ち合わせている。だからフロールは彼のそばで自分の存在を維持できたのだ。
そして神格を堕とされた神が精神体を維持するもう一つの方法が、器に入ること。因みにクソ女神は神格を持っているが器を持つことで、更に強力な魔力を持つことになる。だから必死に強い器を作ろうとしているのだろう。
人間の身体はもろい。
魔力が弱ければ女神が少しの間入るだけでその身体は壊れてしまう。だから女神は強い器を作ろうとする。
しかし、この子供は
フロールは入ってから後悔した。
不安定すぎる。
記憶が何やら入り混じってごちゃごちゃとしているし、女神が作った身体の制約のせいか居心地もよくない。
はあ、
フロールは誰にも聞こえないため息をついた。
少しの間、眠っているとしよう。
どちらにしても、私がここにいる限り女神は入っては来れないだろうし。静かに意識を沈めていく。
すると不思議なことに奥へ行けば行くほど静かになってくる。少女の奥底はまるで静かな湖畔のようで、心地よく暖かかった。
フロールは悪くない、と思った。
騒ぎが起きれば自然と目覚めるだろうし、ウラジスラフはこの少女に何かを感じていた。
あの男に恩を売っておくのも悪くない。
フロールは眠りについた。
大股でツカツカと歩く男の頭は怒りで一杯だ、全くあの男はいつもこうだ。勝手にフラフラと出歩き、仕事をすべて自分へ擦り付ける。今度こそは見つけたら徹底的に反省させてやると心に誓うのだが、未だにその誓いは守られたためしはない。
騎士の制服をきっちりと着込んだ男の髪は太陽の光を浴びて紺碧にきらめく。腰に差した剣の柄であの男より下賜した黒熊飾りがゆらゆらと揺れていた。
この男も黙っていれば王宮の侍女達が噂にするほどの美男子ではあるのだが。男は怒りの相手のいる部屋の前で足を止めた。
「ウラジスラフ!」
ドン、と勢いよく王宮の客間のドアを開ける。
「ロークか」
そこには男の主がソファで寛ぐ姿があった。
「ロークか、じゃないですよ本当に。また抜け出してどこへ?」
じとりと睨まれているのにやはりウラジスラフは全く意に返さないという様子。
「ちょっとダフネオドラの見物に」
ロークの小言など日常茶飯事だと言わんばかりにウラジスラフは静かに読書に耽っている。
「勝手に出歩かないで頂きたい、それにここは仮にも敵国ですよ、護衛もつけずに行くなんて信じられない・・・それよりあの妙な気配の精霊はどうしたんです」
ロークはフロールの気配を感じていた。ロークはただの獣人だが、鼻が利く。フロールの姿は見えず、声が聞こえずとも存在を匂いで感知していた。
「ああ、フロールだろ。ちょっとお使いにいかせたんだ」
ウラジスラフはこともなげに伝える。恐らくフロール本人が聞けばお使いだと?と激怒していたかもしれない。だけど、本人はあの少女の中だ。聞こえてなければ問題ない。ウラジスラフは煩いのと面倒なものは嫌いだ。
ロークは剣呑そうに考え込んでいたが、まあ、どうでもいいとばかりに頭を振っていた。
「それで、態々ここまで来たんですから、なにか手がかりでも見つけたんですか?」
「いや、何も」
そう言ってウラジスラフは目を瞑る。
小さな少女だった。
だけどもウラジスラフは彼女の心を見た。
静かで温かい世界。
それはは300年前からウラジスラフが探していた女性に瓜二つの情景だった。
「まさか、な」
まさか彼女の子孫だとか生まれ変わりだとか言うわけでもあるまい。
それよりも大切なのはあの女性の持っていた情報だ。そう、アレの居場所さえ聞き出せればこの国に用は無いのだ。
300年前のあの女がただの人間だったとしたらとっくに死んでいる。だけどもどこかで生きてはしないか、と無意識に探してしまうのはどうしてだろうか。
ウラジスラフは見つからない答えを何百年と探し続けているのかもしれない。それでも、アレの場所を見つけないことには
ウラジスラフはライラの真の王となれないのだ。
大聖堂は見るも無惨な状態だった。
これがエリニエスの力か、と考えながら立入禁止のロープをくぐる。ステンドグラスの破片は床に散乱したままで、衝撃によるものか女神像も一部欠けていた。
怪我をしないように注意しながら歩く。
「シーラは大丈夫かな」
ぽそり、と呟く。誰も聞いていないから思わず漏れた本心だった。命は無事でも私と同じ魔力過多体質なのだからどうしても心配なのはエリニエスの影響だ。
『うわ、サイコー、いい気味〜』
ん?
え?
なにか、聞こえた気がした。
きのせい、だよね。気の所為だ。
『いやいや、気のせいじゃないし、私だよ私』
「あの、どちらさまですか」
『貴方に取り憑いてるエリニスよ』
だめだ、理解が追いつかない。
なんか変な声が聞こえてるし、私もう精神が崩壊しちゃったのかなかな、死ぬのかな。
『ちょっと、あの白い女神追い払ったんだから感謝ぐらいしなさいよね!』
あれ、あのときの声に似てるけど、喋り方、フランクすぎない?こんなんだったけかな?
つらられて思考もこんがらがる。
「あ、あの」
『フロール』
「フロー・・・」
『フロールよ、あ、フューリーでもいいけど』
「はあ」
『因みにワタシの声聞こえるの貴方だけだから、独り言喋ってる変な子になるわよ』
気をつけなさいよ、と楽しそうにケタケタ笑う。
てか、エリニエスって喋るの?
こんにちは、私エリニスだよ!て自己紹介するかなぁ~?普通?
私はもうパニックとか通り越して少し冷静になってきた。なんだ、彼女?に聞けば全て真実は分かって万事解決なんじゃないだろうか。ここのところ私の精神状態がガタガタになりそうなことが立て続けだ。
「あの、フロールさんはどうして会話できるんですか?」
さん、なんて他人行儀だからいらないよ、と謎の声フロールは言う。おかしい。なんか情緒が安定しない。距離感が分からない。確かに私の中に居るんだから距離はゼロなんだけど。
『ああ、それはワタシも聞きたい。どうしてあんたあのクソ女神の声聞こえたの?』
クソ、女神・・・。
「えっと、自分にもよく分かりません。それに昨日より前の記憶もないし」
『ふぅん、だって二人分混じってるどころか、変な魔力もまじりきってるもんね、マーブル模様みたいにグッダグダになってるし。記憶も防衛本能で封印してんだねきっと。』
フロールは私の中にいるから何か見えている、らしい。
「グッダグダですか」
『そう、グッダグダよ。』
「あ、そう言えば、先日は助けて頂きたきありがとうございます?」
思わず疑問形になってしまった。
『なんで疑問形?』
「フロールがエリニスってことは、私死ぬんですよね」
『は、なんで?』
フロールは間の抜けた声を出す。
「一応、魔力が高すぎる子供達は魔力を暴走させてエリニエスを生み出す、それで魔力枯竭で子供は死ぬと神殿は言ってたんですが」
それがこの国の世間一般の常識だ。まあ、あの白い女神はどうやら『器の子供』と『エリニスたち』を区別していたからどうやら事情は違うらしい。
『ワタシがあんたの中にずっといたら多分あんた・・・100才はまるっと生きてしまうわ〜』
「んん?」
『どうして、お前たち器の子が長生き出来ないか知っているか?』
少しフロールの声が低く、落ち着いたものになる。これから真面目に話をするつもりのようだ。
「それは、私が一番知りたいことです」
『あのクソアマ女神がエリニエスに復讐されるのを恐れてるからね。だから、自分も器がほしいが、器が奪われるのもゴメンだと思ってるんだ。だから質のいい器を沢山作って、使えないと判断した器はドンドン潰すって訳。ほら質が良くないと器は一度神格が入っただけでぐちゃぐちゃに壊れちゃうのよ。』
ほら、あんたも侍祭が真っ白な目で死んでるのを見たでしょ?と言われる。すると不思議なことに、無くしていた記憶が微かに蘇った。確かにあの侍祭は白く濁った瞳になり、私を殺そうとし、突然死んだ。突然のことに驚きはしたが、器が女神に耐えきれずに壊れた、ということならよく理解できる。
これは私が神殿から脱走した日にあったことだった。
フロールは続ける。
『神殿にいる間はホンモノのエリニエスは結界のせいで内部に入れないから、あのクソ雑魚どもが態々エリニエスのふりして器を壊さなくてもいいって話』
それって、つまり
「ごめんなさい、フロール。私の理解がおいついてないのだけど」
『大丈夫よ、あんたアリアンロッドの生まれなんだから知らなくて当然なのよ』
「あの、そのクソ雑魚どもって」
『クソ雑魚よ、白い女神に負けて神格を堕としたのにプライドを捨てて白い女神に縋った痴れ者のこと。あんたたちは天使って呼ぶのかしら?』
「神殿の外で、エリニエスのせいだとしている暴走事件って・・・もしかして」
『あんた、敏いねぇ。そう、神殿に来なかった器の子供は白い女神の指示で、その天使共が器に取り憑いて処分してるってわけよ。多分神殿も粗方の女神がやっていることを知っているはずよ。』
「じゃあ、シーラが危ない!」
神殿にいないシーラは天使に狙われ放題ではないか。急いで父に知らせないと、自室へ走り出そうとするが、フロールが止めた。
『大丈夫、シーラって最後にあのクソアマが入ったコドモでしょ?あの子、あれで聖痕付いたからもう入れないわよ』
「聖痕?」
『白い目よ、保持魔力が足りないと残るんだよね、神格の傷が。つまり、穴の空いた水差しは壊れた器なのよ。』
「神格は入れない、と」
『そーそーでも、大丈夫、ワタシがあんたから抜けても聖痕なんて残さないから』
残すとアイツが煩そうだしーとなにかゴニョゴニョ言ってるのが聞こえる。
『それより、ワタシ、そろそろ疲れたから沈むわね。あんたの奥ってとっても静かで気に入ったわ』
フロールはフワーッと生あくびのような声を出して、それ以降話さなくなった。
なんだったんだ。
嵐が過ぎ去ったような、理不尽な力の前にねじ伏せられたような、奇妙な疲労感があった。
やっぱり、私まだ
夢でも見ているのかしら?
ライラからカエンが持ち帰った情報は以下の通りだった。ライラの国立図書館で簡単にいくつかの情報が入った。
『エリニエス』とは黒い女神たちのことであり、その語源は王国アリアンロッドの侵略よって滅亡し今は存在しない亡国ダフネの古代語に遡る。エリューニス、つまり復讐の女神、だというのだ。
「黒い女神、復讐の女神、か」
ニーリアンはカエンが持ってきた本の写しを見つめながら呟いた。
器の子供、とエリニエスは全く別の存在だという説が出てきた今、これは有力な手がかりとなってきた。
「閣下、『器の子供』についても記録がありました」
カエンの姉であるホムラがもう一枚の写しを差し出す。それは、ライラでは有名な精霊師の書いた本だという。
神の作る器とは、則ち神器となる。神器は神の力をこの世に顕現せしものであり、この世に行使するものである。但し、これは魂の器とはならず、神自身が顕現することはならず。神が御身をもって顕現または言葉を伝えるのは神子のみである。
ホムラがそれに付け加える。
「祖国でも話に聞いたことがあります。生きた人間を神器そのものとして作り上げたものが、神の器なのだと。」
「神殿に集められた子供は器であり、それは女神や女神がエリニエスと呼ぶ神のようなものが入る神器ということか」
カタン、物音の方へ全員の視線が集まる。
そこにリトが現れ新たに報告がある、というのだ。
「閣下、あの死んだ侍祭のことですが・・・」
あの日、ミルドレッドが神殿から逃げ出した日。
侍祭と助祭の二人が魔力枯竭で使い物にならなくなった孤児を処分していた。その孤児はエリニスを生み出してはいない。だが、その孤児は魔力枯竭として処分するために、折檻部屋で神器に魔力を吸い続けられたという。何故処分されなければならなかったのかまではわからないもの、ミルドレッドはその事実を知ってしまった。だから、侍祭がミルドレッドを殺そうとした。
ニーリアンは瞑目した。
これをレイナードにどう伝えたものかと、しかし、存外これに冷静だった。
ニーリアンはてっきり、レイナードはミルドレッドのこととなるとアリアンロッドを潰すと怒り狂うかと思ったが、冷静でなかったのは自分の方だったと自覚する。
レイナードの自室へ向かい、そこでライラ国での調査結果を伝える。ソファに掛けたまま二人は押し黙った。
先に口を開いたのはレイナードだった。
「・・・ニール、僕はここじゃない国の出身だからね、この国のシステムが当たり前とは思えないんだ。僕が生まれた国では子供は神樹から生まれない。それに、たくさんの神様も、ヒト以外のものも、ドラゴンは少ししかいなかったけど、この国・・・この世界には無いものもあった。」
レイナードは静かに淡々と話す。
「ああ」
ニーリアンは頷いて、出された紅茶を口に運ぶ。
レイナードは異世界から来た。元来魔法の使えたレイナードは見落とされ、気付かれなかったのだがニーリアンだけがその事実を知らされていた。それは幸いだった。もし何処かしらの国に見つかっていれば神の使いとか巫とか祭り上げられ、その人生は奪われていたのだろうから。
「ごめん、ニール」
予想していなかった言葉にニーリアンは首を傾げる。
「黙ってたことが1つある」
ミルドレッドが屋敷の前で倒れており、その傷だらけの身体を治療した際、気付いたというのだ。
「ミルドレッドが記憶を無くしたのは、僕の魔法のせいだ。」
ミルドレッドはあのとき、色々な魂、記憶、魔力を身体に取り込んでいた。このままでは不安定でいつ魔力暴走を起こしてもおかしくはなかった、正確にはどうなるか危険予測のできない状態だった。
だからレイナードは封印の魔法を施した。
そして気付いていた。
ミルドレッドの中にはナニかがいることに。
「ミルドレッドがエリニスを顕現させた、と聞いたときやっぱりと思った。既に、エリニスは中にいたんだ。」
だけど、それがエリニスという確証もなく、その混じり物を言葉でどうニーリアンに伝えたらいいのかわからなかった、という。
「ああ、やはり」
ニーリアンも少し感づいてはいた、戻ったミルドレッドから妙な魔力を感じていたからだ。
「けれど、僕は神殿から聞いていたものと自分の目にしたものが一致しなかったんだけど、今の話で少しはっきりした。エリニスはミルドレッドが作ったものじゃなくて、全くの、次元的に存在原理の違うものだって。その事実を神殿は僕たちに黙っていたってことだよね。・・・ミルドレッドを虐待、しかも殺そうとまでして」
レイナードは徐ろに立ち上がる。
「レイナード?」
その顔は穏やかだが、金色に光る魔力がその身体の輪郭を描くように漏れ出ている。レイナードが今まで見たことも無いほど怒っているのは明らかだった。
「言ったよね、ニーリアン。僕はこの国の理を知らない。・・・だから神殿のありがたみも女神を信仰する気持ちってものもない。」
だから、この国、潰してもいいよね、と言わんばかりに凶悪なオーラを垂れ流している。普段の人のよさそうな柔和な笑顔もこの時ばかりは冷気を発している。
「レイナード、諸悪の根源を潰さないことには意味がないぞ」
とニーリアンもどこかズレた返答をする。
「流石の僕でもこの国の軍隊を相手するのは骨が折れるからね。・・・神殿相手ぐらないならいけそうだけど」
ニーリアンは知っていた、レイナードは普段争いを好まず穏やかであるが、一度怒らせれば国王軍小隊ひとつ分は軽く圧倒する魔力を持っている。
ニーリアンが初めてレイナードと会ったときを思い出す。
レイナードはアリアンロッドの辺境、リーリア渓谷で魔物狩りをしていた。アリアンロッドの国力の及ばない地で、小さな村々を守るためにたった一人で何百という魔物を殲滅したのだ。現在はコリアリアの領地として兵力を置いている。
だから僧兵ごときでは相手にならないのは明らかだった。
「もしかして、ニールも同じことを考えている?」
少しいたずらっぽく笑うレイナードは、かつての傭兵時代を彷彿とさせた。
そうだこの男の本分は力こそ正義なのだった。穏やかな生活をしているとついついわすれがちだ。だが、ニーリアンはその危うさを知っているからこそ彼を手放せずにいた。
「ああ」
ニーリアンは頷いた。
例えそれが間違った方法だとしても、娘を守り、そして領民や部下を守れるならばそれは正義だ。