7.
名指しされた夫人はキョトンとした表情で、それでも落ち着いた様子で、「面白い事を言うのね、探偵さん。けれども――」と大鵺の方に振り返りながら、
「全て、状況証拠よ?」
「ええ、ですから最初にお聞きしたんです。『グレーな解決は許されるのか』――と」
大鵺が再び歩き始める。
「貴女の指示によって警察が呼ばれている以上、被害を取り下げるのも貴女の役割です。――まあひとまず、私がどう考えたのか、ご説明致しましょう」
言って男は奥のキッチンへと歩いていく。その後ろをクロがパタパタと着いて行き、足元で座り尻尾を振る。
「さて、どういった理由でこのような狂言が起こされたのか――それを説明するには、まずは先程話した二つ目の要点について考えなければなりません」
大鵺がピッと指を二本立てる。
「即ち、『先代』に関してです」
「大鵺様、宜しいでしょうか」
灘が困惑した表情で言葉を返す。
「旦那様が亡くなられたのは、もう四年も前の事になります。それが関係しているというのは、一体……」
「疑問は尤もでしょうね。ですが私の見立てだと、そこの部分がそれなり重要なようなのです。まず先代さんが亡くなる前後に起きた変化、遺された言葉について思い出してみましょうか。灘さん、思い付く限りだと、どんな出来事がありましたか?」
老執事は「そうですなあ……」と白い口髭を触りながら、
「まずピンクサファイアのネックレスを購入されましたね。それからクロも連れて来られました。『こいつを俺だと思ってくれ』というのは、暫くの間旦那様の口癖でして。――ああそれから、『ここは俺の宝の館だ』とも良く仰ってましたな」
「それを皆さん、良く覚えておいて下さいね?」
大鵺がニヤリと笑い、話を続ける。
「昨年のパーティーの時、ここに居る者の内、岬さんを除く三人は全員この屋敷に居ましたが、当時と明らかに変わっている箇所があります。即ち、中庭に植えられた花の存在です。――小角くん、率直に言ってアレを見た時どう思った?」
「ないわー、って思った。植え方が稚拙って言うか。勿体無いけど桜だけ残して真っ新にしちゃえばいいのに、って」
「私も同感でした。もっと言えば、『胡散臭い』でしょうか。つまりその辺りがポイントになります」
言って再び執事に目を向け、
「灘さん、昨年のパーティーは生憎の雨だったそうですね」
「ええ」
「その時クロが中庭に出たがったとか」
「左様です」
「ああ、俺も覚えている。随分な吠え方でな。あの大きさで何とかレバーに届かないか、何度か軽くジャンプする程だった」
「池端の言う通りです。クロにしては珍しい事でしたね。人が一杯集まって驚いたんだろう、と思いましたが」
「前任の女給さんは多分それを見てこう思ったんです。『あそこにお宝があるに違いない』――って」
一同が息を呑む。
「――まさか、前任者の植えた花々は、中庭で何か探していたのを隠す為……?」
夫人の驚きの声に大鵺が頷く。
「『俺だと思ってくれ』と先代自ら膾炙していたクロが吠えた意味と、『宝の館』という言葉。普段は吠えないクロがわざわざ雨の中庭に出たがるという事は、それなりの理由があると考えた。それは既に幾つか金目の物をくすねてきた彼女の感触からしても調べる価値のある、魅力的な調査対象だったのでしょう。パーティーを終えてから暫くして、花を植えましょうとか何とか上手く言って、彼女は発掘を始めたんだと思います。植えた所は調査済みの目印にもなりますしね」
「確かに、その通りね……」
夫人が唇を噛む。おかしいとは、彼女自身気付いていたのだろう。
「――しかし掘っても掘っても出てくるのは土ばかり。クロに場所を教えて貰おうとするも、上手く行かず。黒犬に八つ当たりしている所を目撃されて、加えて盗みが発覚して、敢えなく解雇となった訳です。――ここである人物が、彼女の企てを引き継ごうと考えました」
大鵺が脂ぎった顔の男に視線を投げる。
「それが池端さんです」
重役は虚をつかれた様子で激しく首を振る。大鵺は厳しい眼差しを向けられるのを無視して続ける。
「池端さんが気付いたのは、言ってみれば偶然かも知れません。しかし先代の『宝の館』発言や女給の植えた花、ダックスフンドの反応を繋ぐ『糸』が見えたのでしょう」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
御神楽巡査部長が話に割って入る。
「前任の女給が花を植え始めたのは、昨年のパーティーが終わってからの事になりますよ? 毎日居る三人と違って偶にしか来ない人が、そんな事考えて実行しますか?」
「勘がいいか情報の読み解き方が巧みなのか――恐らくその両方でしょうね。……実は前の女給さんとも繋がりを持ってるんじゃないかと、私は疑っていたりするんですが」
ピクリと重役の眉が上がる。
「……人をそうやって疑うからには、当然確証があるんだろうね」
「まあ女性関係の方については携帯電話の通話履歴とかを開示して貰う必要がありますが……そこまでする必要はないでしょう。夫人からグレーで構わないと言われていますし」
そう言ってニンマリと笑ってみせる。重役は「ふんっ」と軽く鼻息を鳴らし大鵺に話を続けるよう促した。
「この屋敷を『俺の宝の館』と言っていた先代の言葉を貴方も良く覚えていた。そして暫く『宝』とは彼の家族を指す比喩表現、乃至例のピンクサファイアの事を示すと、そう考えていた。――しかしある時ここの女給だった女と知り合いになり、彼女がお宝探しをしている事を知る。或いは見つからない腹いせに、見つかりにくい小物を何点かかっぱらっていたのかも知れませんね」
池端は黙って聞いている。ひとまず最後まで話を聞かせろ、という事だろうか。
「しかし昨年のパーティーの時、彼女はクロが鍵だという事に気付いた。中庭に降りたがっているという事は、仮に宝があるとして、それはまだ探していない、中庭のどこかに埋められている可能性が高い。……秩序立って植えるとしたら自ずと調べられる範囲は狭まりますからね。結果として、あの無秩序な植え方になったのです。しかし――」
しゃがんで足元の犬を撫でてあげると、一層テンション高く尻尾が振られる。
「何がクロをそうさせているのか、それが彼女には分からなかった。一方、伝え聞いた話と自らの体験で、池端さんは何が必要なのか分かった。そしてそれを試してみた結果、『何か』を見つけた」
重役が紅茶を啜る。やはり口を差し挟むつもりはないらしい。
「しかし見付かった『それ』は池端さんが望むような代物ではなかった。恐らく昼過ぎに滝沢夫人と権利関係などについて議論した後、夫人はこの家を巡る取引に何か自分の知らない要素が混じっている、と思ったのでしょう。そこで今回の狂言が生まれた。……夫人、今嵌めていらっしゃる指輪、騒ぎになる直前に見つかったものではありませんか?」
夫人の目が驚きに見開かれる。『その通り』という事だろう。
「私は宝飾品には然程詳しくありませんが、その指輪は身につけていらっしゃる他の衣服やアクセサリー……殊にピンクサファイアとの格が合わなすぎる。普段使いとしてもどうかと思います。それを付けていらっしゃるのは――犯人に対する示威行動ですね」
「師匠、早く教えてよ!」
弟子がうずうずしながらチーズを口に運ぶ。家でポップコーン片手に映画を見ているような感じだ。「君が観客側になってどうする」と呆れつつも師匠は続けて、
「『俺の宝の山』という発言、同時期に買われたサファイア、ダックスフンド――そしてそれを『自分だと思うように』という言葉。毎年開かれるパーティーと、その時に必ず身につけるよう言われているネックレス。……如何でしょうか池端さん、最後の一ピースを明らかにする前に、ご自分で話されませんか?」
そう言って再度大鵺は重役の元へ近付くも、やはり彼は鼻を鳴らして、
「空論だ。それに証拠もない」
「そうですか……岬さんがお手洗いに行っている間クロが吠えるのを聞いたそうですが、その時間にクロと居たのは、池端さん自身認めてらっしゃいますよね?」
重役が押し黙る。
「仮に昼食前に『宝探し』をしていたとして、中庭の蛇口を使えば土で汚れた手を洗うのにも丁度良いですからね。そこを使わなかったとしても、トイレは居間と応接間の間ですし、上手くやるには丁度良いでしょう」
「……俺じゃない」
「まあ一日経ってますものね。衣服の汚れとかも見られませんし、その点で追求するのは難しいというのは認めましょう――なので言い方を変えます」
大鵺は彼の目を覗き込んで言う。
「お宝みたいなもの――最近見付けてたりしてませんか?」
重役が悩ましげに息を漏らす。大鵺は夫人の方にも振り向いた。暗に『宝物』が見付かったらそれで手打ちにしては、という意味だ。
と、オーブンから出来上がりを報せる音が鳴る。忘れていた、と夫人が慌てて立ち上がるのを大鵺は制すると、自らゆっくりと、オーブンを開ける。忽ちアップルパイの芳しい香りが室内に広がった。
「夫人、今日は花見のパーティーの代わりという事で、コイツをご相伴に与っても宜しいでしょうか?」
言いながら大鵺は洋酒――コニャックの瓶を手に持って掲げる。夫人が肩を竦めたのを確認すると、「それでは皆様――」と封を切っていく。開栓されて馥郁たる香りが、僅かに男の鼻に立ち上る。
「――宝探しと行きましょうか?」
途端、足元をぐるぐるしていたダックスフンドが、けたたましく吠え始めるのだった。