5.
「師匠、何だか全く分かんないんですけどー」
小角が居間のダイニングテーブルの上に伸びる。それに大鵺が「大概の物事は分からなくても回っていくものですからねえ」と返し、彼の後ろで腕を組んで難しい顔をしている人物に「どう思いますか」と振り返った。
訊かれた方――御神楽巡査部長は虚をつかれたようにびくりとすると、軽く咳払いをしてから、
「防犯カメラでも付いていたら良かったんですが、些か困りましたね」
「ナユータは何かしらの答えを出すのがお仕事だもんねえ」
「ええ……ナユータ……?」
「可愛くない?」
言うと今度は仰向けに椅子に寄り掛かり、「んあぁっ、このままじゃお金が貰えない! 困るぅ!」とジタバタする。
「それに関しては貴女の日々の行いが悪いというやつでしょう」
「師匠だって阿闍梨さんからの最低保証分しか貰えないじゃん! 解決しないと仕事振って貰えなくなるよ!?」
「ならば解決すれば良いだけの話でしょう。それで夫人からも成功報酬をいただけるんですから、何を慌てる事があるんです?」
そこでピタリと小角が動きを止める。
「……え、師匠もしかして、何か分かったの?」
「なんとなくですがね」
「ほ、本当ですか!」
身を乗り出して寄ってきた御神楽に「そう慌てないで下さい」と言うと、
「まだ仮説の域を出ませんから。ちょっと実験もしてみたいですし……」
「実験……?」
女性二人が首を傾げていると扉にノックがあり、警備の巡査が犬を抱いて中に入ってきた。
「飼い犬のダックスフンドを連れて来ました!」
「ありがとうございます。では実験に取り掛かる前に御神楽巡査部長に再度何点か確認したいんですが、宜しいですか?」
「どうぞ」
大鵺は御神楽の頷きを見ると椅子から立ち上がり、応接間をゆっくりと、ぐるぐる歩き始める。
「まず重役の池端さんについてですが、警察の調べではどんな人物像なのでしょうか」
「ええっと……お金に関しては、本人もそれなりの立場にいる人ですから、困っている様子は見受けられませんね。でも社内評的には、カネにがめつい女誑しだとか」
「彼は独身でしたよね」
「はい。だからと言うのは嫌ですが、社内の色んな女に手を出していたようです。そういった繋がりから内部情報を手に入れてのし上がってきたんじゃ、と言う人も中にはいるようですね」
「女にルーズ、ですか……」
尚も歩き続けながら、大鵺は顎に手を当てて考え込む。
「……岬さんは? やっぱりカネに困ってたりするの?」
助手が挙手して御神楽に問う。
「給金については充分貰っていると思いますよ。彼女の借りる郊外のアパートなら問題なく暮らしていける稼ぎだと。……ただ、お話ししたようにそれ以上に週末の浪費が激しいです。パチンコ、競馬、競艇……ギャンブル狂ですね。家賃の滞納も一度あったようです。酒癖の悪い男と離婚したからというのもあるのかも知れませんが、そういった類は嫌いなようですね。滝沢夫人も普段は飲まないですし――花見の時は例外なのでしょうね」
言いながら彼女はキッチンの上に置かれたコニャックの瓶を一瞥する。
「あれは来客用、ってワケ?」
「そうですね。普段は来客用にも酒は置いていないそうです。酔漢に暴れられても困る、との事で」
「老執事は?」
再び師匠の方が声を上げて、顎の下の指をくるくると回し始める。
「彼自身の発言にもありましたが、距離的にも精神的にも、灘家は実質的には離散している状態ですね。奥方とは定年前に別れていますし、娘と息子は既に独り立ちしており、特に娘の方は父親とは完全に没交渉なようです。息子はまだ辛うじて繋がりがあるとか。資産的な意味では決して多く持っている訳ではありません。老後を過ごすには若干心もとない、といった感じでしょうか」
「怨恨などはどうでしょう」
「想像する事は幾らでも出来ますが……今の所は」
そう言って彼女は首を振る。
「奥様の物忘れについては?」
「確かに激しくなっているようですね。本人も気になり病院に検査に行った事があるようです。その時の診察では、アルツハイマーの類や痴呆症ではないとの事でしたが」
「自分が取り出した高級ジュエリーをどこかに置き忘れていたとしたら、何ともコメントに窮してしまいそうですね」
「それなりのお年なので、いつそうなってもおかしくはないのでしょうが……」
「健康状態は良好だと」
「いえ、一昨年大病を患っていますね」
「大病?」
「ええ、肝炎の類という話です。丁度花見の前ぐらいですかね。お酒もその年は出さなかったとか」
「去年の花見の頃には回復していたんでしょうか」
「そうですね。でも肝心の当日に雨が降ってしまい、『ただの懇親会になってしまったわ』と笑っておられましたね」
大鵺が僅かに考え込む。ややあってから巡査部長に向き直ると、
「昨年と一昨年の花見の様子というのは、分かりますでしょうか」
御神楽は目をぱちくりさせながら、「さ、昨年と一昨年、ですか……?」と半ば困惑した様子で大鵺を見返す。
「ええ。あの四人の発言で、その時期の事について何か言及がありましたか?」
御神楽は「ちょっと待って下さいね……」と手帳を繰ると、
「残念ながら大した発言はなかったようですね。雨で客も中庭に出られないのに、クロが『何で今日は中庭で遊ばせてくれないんだ』と吠えて仕方がなかった――なんて嘆いてますが」
「発言者は?」
「滝沢夫人ですね。一昨年は大人しかったらしいですけど」
「ふむ……アリバイ関係は?」
「執事も重役も女給も、皆一人になっているタイミング自体は存在します。誰にでもネックレスを持ち出すチャンスはあったという事ですね。――ああ、池端さんの言っていた『宝の館』についてですが、灘さんもその点については幾らか言及していましたね」
「どんな事?」
助手が御神楽に訊ねると、
「初めて来た時、稼ぎの割に質素で驚いた、との事です。どれくらい蓄財しているのでしょう、とも言っていましたね」
確かにこの屋敷は瀟洒ではあるものの、決して内装やら調度品がゴテゴテしている訳ではない。趣味の良い、それなりの品を使っている印象だ。
「ああ、それと岬の証言なんですが、例のトイレに篭っていた時、クロが吠えているのが聞こえたとか」
それを聞くや大鵺はぴたりと立ち止まり、「なるほどねえ……」と大きく頷きを返す。
「ありがとうございます。……さあ二人とも! 一緒に検証するとしましょう」
そう言うや大鵺は居間を出て、夫人の部屋へと向かっていく。何が何だか分からぬ二人は慌てて着いていくと、後ろから彼が何をするのかじっと観察する。
「クロを連れて……どうするおつもりですか?」
ダックスフンドを連れ中に入った大鵺に御神楽巡査部長が訊く。
「ちょっとした確認ですね」
そう言ってクロを床に下ろすと、自身は椅子に腰掛け、そこで「おいで」と声を掛ける。クロは一瞬大鵺の脚に掴まるものの、直ぐに離してしまう。ジャンプして飛び乗るような気配など一切ない。助手が途中から師匠に代わってやるも、やはり師匠と大差はない。
「知らない相手だと言う事聞いてくれないねー」
小角が口をへの字にそう零す。御神楽が代わっても、結果は同じだった。大鵺が黒犬の頭を軽く撫でてから抱き上げ、「ありがとうございます」と警備の巡査に返す。
「……やっぱりさっぱりなんですけどー」
助手が口を尖らせる。御神楽も「うーん……」と何とも言えない表情だった。
「ところで小角くん、各人に考えられそうな動機はどんなものがあると思う?」
「動機?」
言われて助手がメモ帳に書き出してみる。
【滝沢夫人】 ボケてどこに何を置いたか忘れている。或いは、誰かを嵌めようとしている。でなければ、ただ構って欲しかっただけ。
【灘(執事)】 この家を離れるに当たり、何かしら金目の物が欲しかった。或いは、長年表に出していなかった感情の表出としての、一種の嫌がらせ。
【岬(女給)】 ギャンブルで金がないので、前任の者を見習って何かしら掠め取ろうとした。ネックレスがなくなっている間に小物を、というつもりだった。
【池端(重役)】カネにがめついからちょっとした出来心で。或いは館の取引に関する腹いせ。ネックレスを隠れ蓑に、会社の書類か何かでもパクろうとした。
「さっぱりなんですけどー」
「うーん……」
二人が一層難しい表情を浮かべる。
「――御神楽さん、三時間後に皆さんを食堂に集めて貰えますか」
「三時間後、ですか?」
「ええ。お願い出来ますか? そうすれば皆さんが満足するような答えを提供出来ると思うので。ああ、どうせ明日のパーティーが出来なくなるなら、折角だからみんなでその時食べる筈だった料理をいただきたいものです――と、夫人にお伝えいただけませんか? 実の所、朝を食べていないので腹ペコなんですよ」
ハハハと大鵺が笑う。御神楽は困惑を覚えるばかりで、それには「はあ……」と曖昧に頷くしかなかった。