11.
一週間後、師弟と棗は事務所に程近い喫茶店にいた。女性陣は運ばれて来たイチゴジュースやらメロンソーダを何やら熱心に撮り合い、互いに画像のやり取りをしている様子だった。
大鵺はコーヒーを啜りながら、ぼんやりそんな彼女たちを眺めていた。こういう時は放っておいた方がいいというのが、彼の経験値から来る判断だった。ややあって小角がひと口含み、「堪らんぜよ」と宣ってから、ようやく大鵺は口を開いた。
「それで、その後の桜井夫妻について、近況を教えていただけるとの事でしたが」
棗が「あっ! そうでした」と我に返り軽く口元を拭うと、青いクリームソーダの色が紙ナプキンに僅かに染みた。
まずアーティスト桜井についてだが、某有名音楽番組への出演を果たし、急速に巷間の認知度が上がってきているという。何故かエッセイの連載も決まったようで、順風満帆な船出のようだった。顔が売れ始めた事で妻の葵が裏方として動く事はほぼなくなったが、特別関係が悪化した訳でもなく、棗によれば以前よりラブラブなのだとか。出先でも葵お手製の弁当を惚気顔で自慢しているとの事で、ここ数日は流石の棗も食傷気味らしい。
「『雨降って地固まる』――ってやつ?」
「反動がありそうで怖いですけどね」
大鵺は興味なさげに更にひと口コーヒーを啜る。本当の近況報告など、実際彼の欲する所ではない。つまり――
「あっ! まずはこちらをお渡ししておかなければならないんでした」
棗が鞄から茶封筒を取り出し、師弟の前に滑らせる。「ありがたく!」と手に取ろうとする小角の手を叩くと、師匠が「失礼します」と中をちらと覗いてから懐に仕舞った。
「ししょー、幾らだった?」
「依頼人が友人だろうと、そういう事は本人がいる前で堂々と言うものではありませんよ」
「なんでさー!」
満足気な顔を浮かべる大鵺に弟子が不満を漏らす。棗は二人のやり取りを見ながら、僅かに含み笑いを漏らしていた。
「そう言えば残りの三人はどーなのか知ってたりする? 例の新曲……『三点リーダ』だっけ? 新加入後の三人体制で発表する最初の曲」
大鵺提案の新バンド名『三点リーダ』は諸々協議の末ボツになり、バンド名は引き続き『ドゥカート』で行く事に決まっていた。その代わりと言ってはなんだが、曲名として使う事に落ち着いたらしい。既に八割方は完成していて、一、二週間の内に発表される見込みらしい。
「初めて音合わせした瞬間から、三人とも『これは間違いない』と思ったそうですよ。私も一度お邪魔させていただいたんですが、確かにそれくらいハマっています。橘さんのベース自体も、楠木さんと榎田さんによれば、これまでサポートで入っていたメンバーと比べて格段に上手いのだとか」
「そうなんですか」
「当分はそれぞれの仕事をこなしつつ活動をするスタイルで行くようですね。とは言え皆さん、随分前のめりで練習していましたが」
大鵺が笑い、「それは何より」とコーヒーにミルクを投入する。と、そこで思い出したように小角が声を上げた。
「そう言えば師匠、何であの時橘さんの件をおおっぴらにしようと思ったの? こう言ったらなんだけど、桜井夫妻の件が解決した後に、また別の場所で仕切り直して真相を明らかにする事も出来たワケじゃん?」
これには棗も「確かにそうですね」と同意するように頷いた。二人の問いに師匠は「ああ」と思い出しながら、何故あの場で橘と榎田の関係を詳らかにしたのか話し始めた。
「端的に言ってしまえば、あそこにいた四人の関係性の為ですよ」
「関係性?」
棗が目を点にする。
「桜井・楠木・榎田の三氏は、長いことお互いの活動を見てきた音楽仲間です。イベントの時の一件で下らない蟠りなど残して欲しくないじゃありませんか。それに、橘さんも榎田さんも、実際に脅迫文と写真を見てから自ら桜井さんの疑いを晴らす事が出来た筈です。逡巡があっただろうとは思いますが、脅迫犯が誰か判明したから写真については追及しなくていいというのはアンフェアでしょう。まあ、あの二人ともかなり桜井さんの事を心配している風ではありましたから、脅迫犯が判明しそうになかったら上手く口裏を合わせて桜井さんを助けただろうとは思いますが」
とは言え大鵺たちが解決出来なかった時の事を考えると、あまり気分の良い事にはなっていなさそうだった。
桜井に対する葵の勘違いはそのまま続き、やがて愛故に『暴露』されていた可能性だってある。その場合、桜井は再起出来るか分からない悪評を買い、また夫婦関係もどうなってしまうか分かったものではない。
後から本当の事を公表したとしても、『ドゥカート』の二人には確実に不和が生じるし、橘も忽ち炎上するだろう。桜井に付いたマイナスイメージがすぐに払拭されるとも思えない。そしてそれ以上に、彼ら同期の関係性は、ぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
つまり脅迫状が暴露される前で、且つ当事者が一堂に会し、各々の事情や心情を理解出来る場でなければダメだったのだ。
「まあ、何れも可能性の話ですがね」
「なるほどねー! ……あ、でもししょー、実際どの辺りで橘さんがゴーストライターだって思ったの?」
「ああ、それは私も気になりますね」
棗も若干身を乗り出しながら訊いてくる。
「正直、他の人が曲を書いているなんて夢にも思いませんでした。どうやって分かったんですか」
棗の問いに大鵺は「ああ」と何でもない風でコーヒーカップを持ちながら、
「最初に違和感を覚えたのは小角くんが事務所で橘さんの作った曲を言っていた時ですね」
「あの時!?」
「そんな前に……」
二人が思わず驚きに目を見開く。
「ええ。橘さんが大学の頃の初期発表曲の中に『リラを買え』ってあるんですよね? それでもってイベントに出たのが『ドゥカート』なる二人組。調べてみれば同じ大学の人間で、『リラ』からそう間を置かずに榎田さんたちは『ドゥカート』へと改名している。何かしらの関わりを疑うのが自然でしょう」
「どういう事?」
弟子がぐりんと首を傾げる。
「『ドゥカート』は中世イタリアで使われていた通貨単位でしたね。『リラ』は…………あっ、そうか! 今のトルコと――」
大鵺が笑みを浮かべ棗に頷いてみせる。
「そう、昔のイタリアの通貨単位です。楽曲にそういった名詞が使われるのは稀と言いますか、まあ決して多くはないと言って差し支えないでしょう。関係者が続け様にそういったものを曲名にしたりユニット名にしたりなんて、自ずとそちらに疑いの目が向くというものです」
そう言うと大鵺はくいっとカップを傾け、コーヒーを飲み干す。そうして「また機会がありましたら」と伝票を持ってその場を後にしようとした。
「あれ、師匠もう帰るの? 分け前頂戴よー」
「ですから依頼人の前でそんなはしたない……給料日にはちゃんと渡しますから」
「えー!? ダメだよ!! 先月もちゃんと満額払ってくれなかったじゃん!!」
「それは貴女が事務所用にと言って要らないものをわんさかネットで買ってくるからですよ。経費で落ちると思っているんですか? 貴女の居ない時間に代引きの得体の知れない品を受け取る身にもなって下さい。送り状の『小角様からのご依頼品です』はもう見飽きましたよ」
「い、いや……あれは必要でしょー、快適に仕事をする為には必須だよー?」
「……えっと、因みに、どんなものが送られてきたんですか?」
棗が問うと大鵺は指折り数え始め、
「ヨ◯ボー擬きのクッションとか、えらくハイランクなゲーミングチェアとか……ああ、デカいサボテンなんかも勝手に買ってましたねえ。運び込む時に配達員の方が棘に刺されて難儀されていましたよ」
目を泳がせイチゴジュースの残りをジュルジュルやり始める友人に棗は『マジかコイツ』といった何とも言えない眼差しを送る。その隙に大鵺はさっさと会計を済ませ、店の外に出る。後には「いや、違うんだよ!」と友人に弁解する小角の声が残されるばかりだった。
『四人のアーティスト』はここまでになります。
宜しければ評価等、お願い致しまする……!