7.
「……」
「……」
喫茶店の四人掛けテーブルに掛けた男一人と女三人。呼ばれてここに来た二人の女は対角線上に座り、倹のある表情で睨み合っている。傍から見れば大半の者が修羅場だと思うような強烈さだ。
「……小角くん?」
「なんっすか師匠?」
テーブルで唯一、朝から呑気にパフェなんて頬張っている弟子に師匠は声を掛けると、次いで軽く顳顬を押さえた。
「……流石に場所と時間はズラした方が良かったのでは?」
「この方が時間の節約っしょ。それにお互いの有名人が顔を合わせておけば、後々過激な事にはなりにくいから」
言われた二人は互いに僅かに顔を背ける。余計なお世話と言わんばかりなのは明らかだ。
オレンジのワンピースに栗毛のロール髪をした女が桜井のファンである『デザイナー』こと椿、もう一人のワイドパンツを穿いた黒髪ショートが通称『ドクター』の柊で、『ドゥカート』の追っかけとの事だった。二人はイベント当日のあれこれを聞きたいという小角の連絡に応じて来たものの、『敵』が同席する事は知らされていなかったらしい。
(……まずはそこを上手くほぐす必要がありそうだな)
大鵺は溜息をつくと二人に自己紹介してから、用向きを伝える。
「これは貴女たちの推しにとって極めて重要な案件になります」
言うとピクリとふたりが反応する。茶化しているのかとこちらを探っている風だ。
「正しい答えが見付からなければ――どちらかの活動は、終わりを迎える可能性があります」
二人がバッと腰を浮かす。
「どういう事よ!」
「詳しく教えて下さい」
「その為には恐らくお二人の力が必要になります。お互い思う所はあるでしょうが、そこは飲み込んで頂いて、話をお聞かせ願えませんでしょうか。彼らの為です」
言うと二人はゆっくりと腰を下ろし、互いに力強く握手を交わす。恩讐の彼方に――ではないが、二人とも協力する事に利益の一致を見たようだった。呉越同舟と言った方が近いか。
「まず椿さんにお伺いしますが、当日何かいつもと違うと感じるような事はありましたか」
「いつもと違う? そうですね……まず開演前に控室の辺りまで押し掛けようと思ったんですけど――」
「いやいや」と小角が激しく首を横に振る。
「本番前にソレはまずいっしょ! いや、本番前じゃなくてもだけど!」
「え? 私もやってますよ?」
『ドクター』がまさかの援軍に現れる。
「あんたらはちょっと行き過ぎなの!」
二人が揃って「何で?」と小首を傾げるのを無視して大鵺は「それで?」と話の続きを促した。
「スタッフが居ない隙を狙って階段を降りようと思ってたんだけど、舞台袖のトイレから葵さんが出て来るのが見えて、隠れてたんです。まあ、すぐ見つかっちゃったんですけど」
「言葉を交わしたんですか?」
「いやあ、ハハッ、私彼女にマークされてるもんで」
「顔を覚えられてると。何とも不名誉な……で、話したの?」
「ええ、いつもだったらすぐ怒られて追い立てられるんですけど、あの日はそこまでじゃなかったですね。逆に聞いたら緊張で吐いていたらしいです。目も充血していましたね」
「強心臓だね……それで弱っているのが幸いと、控室に向かったとか?」
「いいえまさか、流石にあの姿を見ちゃあ大人しく戻るよりほかないですよ。葵さんが裏方で色々頑張ってるのは、我々ファンの間でも知られた話ですから」
「嫉妬を覚えたりは?」
「いやいや! 確かに桜井さんの事は好きですけど、葵さんはこう……言うなれば桜井さんと一緒なんですよ! 不可侵の存在というか!」
「分かるわぁ、そういうものよね」
再度柊が声を上げ、椿に同調する。あんたら敵同士じゃなかったんかい――と内心思うも、それはやはり飲み込んで、続けて小角は柊にも話を聞いてみる。
「私も体調不良を装って開演の結構前に舞台袖のトイレを使わせて貰ったんですけど――」
「警備ザルだねー」
「同感ですが、続きをどうぞ」
「下に降りて控室の近くまで行った時に、あそこのスタッフ用パーカーみたいなのを着てる人がいて」
「ほう、誰だか分かりますか?」
「いやあ、スタッフに見つかったらマズいと思って急いで隠れたもので……後ろから見た限り背丈は中肉中背で、多分男だったかな? 真ん中の部屋から、廊下の奥の部屋に向かおうとして、一度引き返して来ました」
「奥の部屋――引き返して来た、ですか」
目を爛々と輝かせながら大鵺が顎を摩る。
「柊さんはその後部屋の中までは入っていたりしませんか」
「いや、流石にスタッフさんがあれだけウロウロしてるとヤバいですからね。大人しく戻りましたよ」
残念そうに彼女は肩を竦めてみせるが、大鵺は至極愉快そうな顔を浮かべると改めて二人に礼を言った。
「いやあ、お二人のお陰でなんとか問題が解決しそうです。ひょっとしたら面白い事になるかも知れませんので、お楽しみに――とでも言っておきましょうか」
「教えてはくれないんですか」
「生殺しってやつですね」
「いえいえ、考えてみて下さいよ」
不満を漏らす二人に大鵺は僅かに声を潜めると、
「ひょっとしたら自分の証言が彼らのターニングポイントになるかも知れないんですよ? これほどファンにとって興奮して――そして恐ろしい事はないでしょう」
二人の偏執的な女は表情を固くして、じわりと額に汗を滲ませながら店を後にした。この件について口外しないという約束も取り付けていた。
「なんで最後あんな顔真っ青にしてたの?」
ファン二人の背が見えなくなったのを確認してから小角が大鵺に問う。師匠は「詰まる所」と何でもない風でそれに答える。
「彼女らの無分別な行動のお陰で『推し』は良い方向に向かうかも知れないが、逆に本来の道から外れていく可能性だってある――そういう事が起こり得ると、彼女ら自身がようやく自覚したからでしょう」
「自覚?」
「ええ。今回は上手くいきそうですが、自分が見る必要のないものを見たせいで、『推し』が苦境に陥るというのは、なかなかにしんどいものでしょう?」
「早い話脅かしたって事?」
「いえいえ、人聞きの悪い! 更生する為に少しばかり背中を押してあげただけですよ。あの感じなら、以前程は迷惑を掛けるような言動は取らないでしょう」
「どうだかねー、かえってテンション上がっちゃうパターンもありそう」
弟子が微かに肩を竦める。それでもニヤリと口角は上がっており、
「でも師匠があんな嬉しそうにしてたって事は……」
「そういう事です。――小角くん、今晩あのイベント会場に関係者を集めて下さい」
「やっぱり謎が解けたんだねっ!」
「ええ。やはり彼女らに連絡を取って貰って正解でした」
そう言うと伝票をヒラヒラさせながら彼は立ち上がり、「さて」と窓外に目をやった。
「彼らの間の不協和音を終わらせに行きましょうか」
次話から解答編です!