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6.

「何というか、意外でしたよ」

「何がです?」

「待ち合わせの場所をこういう所に指定されるとは」

 大鵺の言葉に、パーカーを着た若い男は思わず苦笑を漏らす。

「どこぞの高級店やバーの方が良かったですか?」

「いいえ。それに――多分今の方が貴方の『素』の姿なんでしょうしね」

 言うと男は僅かに表情を緩ませた。

 二人の男――大鵺と橘は、都内のベッドタウンにある公園のベンチに腰を下ろしていた。時刻は既に八時を回っている。灼けつくような日差しもなく、昼間と比べれば格段に過ごしやすい。砂場やすべり台で遊ぶような子どもの姿は当然なく、二人を除けばコンビニ弁当を頬張る交通整理員と、帰り掛けに一杯缶ビールを引っ掛けているスーツを脱いだ男がいるばかりだ。

「それで、この写真についてでしたか」

 思い出したように彼は手渡されたものを街灯の光で検める。

「そこに写っているのは、貴方で間違いないですか」

「そうですね。多分例のイベントの時かな」

 事もなげに彼は言ってみせる。

「スタッフの方から出演報酬(ギャラ)を貰っていたんですよ」

「ギャラ……? 現金(げんなま)を、手渡しで、ですか」

「手違いがあったみたいで、口座振込がすぐには出来ないって話になりまして。私は少し遅れてもいいと言ったんですが、現金ならすぐに渡せると言われましてね」

「それで受け取られたと? 帯が付いていますから、それなりの大金ですよね」

「一束と少しなら、なんとか財布に収まりますよ。まあ気分としては、少し落ち着かないものがありましたが」

「因みに渡してくれたスタッフの顔か名前、覚えてらっしゃいますか」

「どうだろうねえ、佐藤さんだか鈴木さんだか、そんな名前だったような気がするけど……」

 それ以上は覚えていない、と彼は言う。因みに当日の関係者の中に、佐藤姓も鈴木姓も存在しない。まあ、仮に存在していたとして、顔写真を見て「この人じゃないなあ」などと適当な事を言うのは目に見えていた。それくらい、橘の言っている事には現実味がなかった。

「相手は関係者だからこのパーカーを着ていた、という感じですか」

「そうなんじゃないですかねえ」

 言いながら彼は買って来ていた缶ビールを一本大鵺に手渡すと、二人で乾杯をしてグビリとひと口飲み込んだ。既に生(ぬる)くなり始めている。

「正直今回の件は、引き受けなければ良かったと思っていますよ。――私がネットから出始めた人間だという事は、ご存知ですよね?」

 大鵺が首肯すると、彼は続けて、

「正直一人で色々やっていた方が気楽ですよ。余計な事を考えなくて良い分、集中出来る」

「顔出しで活動するようになってから、大変ですか」

「率直に言って、その通りですね」

 彼が肩を落とす。

「余計な人間関係ばかり増えて、困っています」

「一度曲を提供すると、その人のその後も気になっちゃうとか」

「私の場合は他人(ひと)よりその傾向が強いでしょうか」

「そもそも、何故『出よう』と思ったんですか? 今の時代、そこまで表に出なくても充分発信出来ると思いますが」

 橘は「うーん」と複雑な表情を浮かべる。それから、「説明し辛いです。……でも何となく、出たいと思ったんでしょうね。自己顕示欲かも知れません」と言って苦笑を浮かべる。

「桜井さんや楠木さんたちに感化されたのでは」

 忽ち苦笑が強張る。そうして注意深く大鵺を一瞥してから、「どういう意味でしょう?」と僅かに硬くなった声で訊く。

「橘さんも桜井さんも、楠木さんや榎田さんも、皆さん同じ大学のご出身ですよね? 交流なんかもあったのでは」

 橘が目を丸くする。どこでそんな情報を入手したんだと言わんばかりだ。彼はビールを二口程喉に流し込むと、袖で口元を拭い、ひとつ深く息をついた。

「まさか知られているとは思いませんでした。公に言った事はないもので」

「ウチに優秀な調査員が居ましてね」

 手癖が悪い事を除けば、小角はこの手の事には比較的強い――というか、才能を発揮する。実際事務所に寄せられる調査依頼の内、少なくない割合を彼女が受け持っていたりする。まあ、サボりの常習犯なのが問題ではあるのだが。

「……私はお三方より二つ学年が下でして。話した事もありませんよ。既に彼らも路上で活動し始めていたでしょうし」

「橘さんも既にその頃からネットに投稿は始めていたんですよね」

「そうですね。……私は恵まれていますよ。皆さんと比べればずっと早く売れましたし」

 そう言うと彼は僅かに目を細めた。当時の事を思い出しているのかも知れない。

「――話を戻しましょうか。改めて今回の件についてですが、桜井さんが疑われています。平たく言えば、橘さんを買収して勝ちを得たんじゃないかと思っている人間がいるようです」

「実際は違うんですがねえ……でもこのまま手が打てないと、あの写真もばら撒かれてしまう……そういう事ですね?」

「察しが早くて助かります」

「私もこれでいて、『折角ここまで来れたんだ』っていう気持ちがありますから、自分の評判が下がるような事は嫌なんですが……。いやはや、困りましたねえ」

 大鵺が見た限り、本気で困ったような表情を橘は浮かべる。もっと言えば、嘘を抱えているもののどうするのが最善なのか分からない――そんな表情だった。

 アレに写っているのは桜井じゃないと説明しても火に油を注ぐ結果になりかねないし、かと言って既に広告が打たれ始めている桜井を下ろして楠木・榎田組を改めて勝者として世に出すのは、金銭的な事を含めて相当な混乱を引き起こすのは目に見えている。

 つまり脅迫状を出した犯人に、納得するような答えを提示する必要がある。

 しかし大鵺は何か思いつくものでもあったのか、どこか得心がいった様子で、

「橘さん、恐らく明日もご足労頂く事になると思います。ウチの助手に電話させますので、その時はどうぞ宜しく」

 そう言って握手すると足早にその場を後にしようとする。と、途中で立ち止まり引き返してくるや、飲み差しだったビールを摘み上げ、「大事なものを忘れる所でした」とおどけるのだった。

「忘れてらっしゃるかと思いましたよ」

「いやあ失礼失礼! 音楽家に音楽が必要なように、冴えない男には酒が必要ですからね」

 そう言って缶を傾けながら、大鵺は駅へと向かってゆく。橘はその後ろ姿を見つめつつも、言葉の意味が分からず、僅かに首を傾けるのだった。

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