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5.

「思ったより普通の場所にあるんですね」

「そりゃそうっしょ! 立ち(・・)で二千人以上入るような所じゃないんだし」

 大鵺と小角の二人は件のイベントが行われたライブ会場に足を運んでいた。実際の現場を見た方が分かるものも多いだろうという事で、棗を通じて予め施設側には話を通していた。

「通用口から中に入ってみましょうか」

 表通りから少し入った中層建てビルの裏手に回る。警備に用向きを伝えると、中から老爺が姿を現した。このライブハウスの経営者との事だった。幾分呆けてしまっているのか、イベント当日の事を訊いても「どうだったかのお」「覚えてないのお」と首を捻るばかりで、有用な情報は得られなかった。

 経営者と別れて中に入るも、特段凝ったつくりになっている訳ではない。関係者用の通路を通って階段を降りると、程なく部屋が並んだ廊下に出た。地下一階のここが、出演者控室だ。

「階段を降りてすぐが桜井さんの控室、真ん中が橘さんで奥が『ドゥカート』でしたか。聞いていた通り、トイレは真ん中の部屋のすぐ向かいですね」

 橘が使っていた部屋の真向かいには男子トイレが、その左隣には女子トイレがあった。

「階段のすぐ横にパーカーが二つ懸かってるね」

 小角の言うように、階段脇の釘に引っ掛けられたハンガーに、施設名の入ったパーカーが二着懸けられていた。

 当日、一着は桜井が着ていた。となると問題は、彼が件の写真に写るのと同一人物か、そうでなければ誰なのかという点になる。

 仮に桜井でないのなら、消えた二着目(・・・・・・)は誰が着ていたのか。

 通路の左側にある控室三部屋は全て左側にノブの付いた内開きになっている。トイレも同様のつくりだ。広いとは言えない廊下から荷物を運び入れる際、外開きだと邪魔になるからだろうか。男子トイレの隣の女子トイレはノブが壊れてしまっているらしく、例のイベント後には錠が掛けられマスキングテープで大きくバツ印がつけられていた。

 バッタンバッタン音を鳴らしながら小角と扉を開閉する。他の部屋からだと音だけでは誰がどちらに入ったか――真ん中の控室か男子トイレか――分からないだろう。

「……緩いですね」

「こっちもちゃんとノブが回ってないと、上手く閉まらないみたい」

 試しにその状態で控室の扉を閉めてから、対面にある男子トイレの扉を少し勢いをつけて閉めてみると、空気圧の関係か、正面にある控室の扉が僅かに開くのだった。控室の三部屋とも鍵がない仕様だったが、そうやって開いてしまうのは真ん中の一室のみのようだ。

「ちょうど写真の開き方と同じくらいだね」

「恐らくこうやって開いた隙間から撮られた――という事ですか」

 中は意外に広い。僅かに開いた戸口からは、奥の小卓と椅子が見えた。椅子まで十メートル程はあるので、誰かが廊下に立って盗撮しているとして、すぐ気付いて咎める事が出来るかは何とも言えない。

 小角がスマホを構えながら、例の写真と同じ画角を探っていく。「近すぎるねー」と言いながら後退りして、トイレのドアノブで頭を打った。

「使える女子トイレは二つ上、つまり二階にあるみたいですね」

「うへえ、舞台の近くですかい」

 見取り図を見ながら小角が呻く。

「桜井嫁も大変だったろうねー」

「その言い方はやめなさい……本人とこれから会うんですよ?」

 大鵺が腕時計に視線を落とす。針は六時過ぎを指していた。

 桜井の妻である(あおい)とは、このライブハウスのロビーで落ち合う事になっていた。職場が近いらしく、定時で上がるから待っていて欲しいという、そういう話だった。

「分かってるって! 本人の前ではちゃんとするから」

 小角はそう言うものの、師匠の方は「どうだか」と思わず肩を竦めてしまう。

「『デザイナー』と『ドクター』についてはどうですか」

「なんとか明日の朝会えるように都合をつけて貰った! だけどもっとフツーの観客に訊く方がいいんじゃないの?」

「或いはそうかも知れないですがね。君の言うフツーの観客では、頭数を揃えても欲しい情報は集まらない(おそれ)があります。我々には時間的猶予もないですし、だったら偏執的な人間に話を訊いた方が実利が取れそうじゃないですか」

 大鵺の言う『デザイナー』と『ドクター』とは、それぞれ桜井と『ドゥカート』の熱狂的なファンだ。両者とも若い女で、楽屋まで押し掛けてくるような――最大限良い言い回しを使うなら、『行動力のある』ファンだ。両方とも、小角がSNS経由で連絡を取っていた。

「偏執的ねー。師匠もなかなか言うねー」

 弟子が笑っていると、カンカンと靴音が響いてくる。

「こちらにいらっしゃると聞きまして……」

 階上から降りてきたのはスーツを着た若い女だ。仕事終わりだからだろう、緊張した面持ちの中にも、疲労の色が混じっている。彼女が桜井の妻の葵だった。

 三人はそのまま手前の一室――イベント当日桜井が使っていた控室に入ると、椅子に掛けて葵の話を聴き始めた。

 当日彼女は桜井の随員として出入りをして、機材の搬入なども一緒に行っていた。と言っても、当日は流石に桜井も緊張していた様子で、あまり言葉を交わす事はなかったという。

「一気に名前が売れるかどうかの分水嶺でしょうからね。それは緊張するでしょう――因みに控室では、パーカーは着ていましたか」

「ええ、彼寒がりなんです」

 桜井の証言通り、部屋の温度が低く設定されていたらしく、それを消した上でパーカーを羽織って手足が強張らないようにしていたという。彼女自身はパーカーは使わず、肌寒いと思ったら自前の上着を羽織っていたようだ。

「他の人がパーカーを着ているのを見たりとかは?」

「ちょっと分かりませんね」

「何度か榎田さんに会ったとか」

「ええ。記憶が確かなら、控室入りした少し後と、それから勝敗が決してすぐの舞台袖だったでしょうか」

「ここからだと舞台袖のトイレまで遠くて大変だねー」

「ええ、でもまあ、良い運動になりましたよ」

「女子トイレは今も当日と同じなので?」

「いいえ、マスキングテープと錠は私がもう一度見に来てから――イベント翌日に再度ギターがないか確認しに来たんですが、その時初めて見ました」

「……因みに、失くされたギターを最後に確認したのはいつ頃か、分かりますか」

 彼女はこくりと頷くと、思い出すように僅かに瞑目しながら説明を始めた。

「恐らく彼――桜井がステージを終えて、舞台袖に置かれたギターを見たのが最後でしょうか。機材を回収して控室に持ち帰って……恐らく私もどこか上の空だったんでしょうね。桜井がいい演奏をしてくれたので、気が抜けていたのかも知れません。訊かれてどこにあったっけ、となったのは、もう帰り支度をする頃でした」

「正確には覚えておられないと」

 言われて彼女は「お恥ずかしながら」と僅かに頬を紅潮させる。

「演奏直後に回収したような気がしないでないんですが、確かでは……。とは言え、無意識でちゃんと控室に持ち帰っていたのではとも思うのですが」

「……率直に言って、ご自身に過失があったとお思いですか」

「ちょ、ちょっと師匠!」

 思わず小角が大鵺に『何言ってんの!?』と言わんばかりの視線を向ける。葵はビクリと顔を強張らせ、一度細く息を吐くと、「あったでしょうね」と肩を落とした。

「私がちゃんと管理していたら問題はなかったのは、事実です」

「そんなの人任せにしてる旦那が悪いんだよ! 私が奥さんだったら逆にキレてるね!」

 憤慨する小角をよそに、尚も大鵺は続けて、

「写真の真偽については如何でしょう。葵さんの目から見て、写っているのは旦那様だと思われますか?」

 葵はこれには首を横に振り、

「桜井ではないと思います」

「根拠はおありで?」

「ありません――もう少し画角が広ければ、顔や履いているもので分かるんでしょうが……あの人はそういう事をする人ではないと、私は信じています」

「……仮に、写っているのが桜井さんだとしたら?」

「仮定の話には答えたくないです」

「分かりました。では話を変えて、楠木さんや榎田さんとは古くからのお知り合いで?」

「ええ、桜井と付き合い始めてから比較的すぐ知り合いになりましたね」

「橘さんはどうでしょう」

「橘さんですか? お名前は存じていましたけど、お会いするのは今回が初めてでした」

「成程」

 それから更に二、三質問をして、二人は彼女と別れた。彼女も実は早く帰りたかったようで、曰く彼が心配との事だった。

「さっぱり分からないんですけどー」

 小角がテーブルに突っ伏す。大鵺は軽く笑いを上げると、

「小角くん、例の偏執的ファン二人とは接触出来そうなんでしたね?」

「二人とも明日の午前中なら大丈夫らしいよー」

「結構。ならば遠くない所で待ち合わせ場所の設定をお願いします――私はこれから、本丸に探りを入れなければなりません」

 弟子がガバッと起き上がる。

「じゃあいよいよ……」

「ええ」

 大鵺が懐から写真を取り出す。ピントのぼやけた人物の後ろ姿と、もう一人――

「この金について、彼はどう説明するのでしょうねえ」

 言いながら天井の照明で透かし見るように、写真を掲げてみせるのだった。

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