3.
小角と調査状況の連絡を取り合った後、大鵺は棗たちとは別れて、一人とあるビルの一室を訪れていた。そこは『マッチ』で演奏した別組の男――楠木の使っているヴォーカルスタジオで、待合室で待っていると程なく汗を拭いながら男が姿を現すのだった。上背がそれなりにあり、パフォーマンスをするのに体力も必要なのだろう、身体は鍛えられている印象を受ける。
「……あんたが調査員か?」
「そのようですね」
ぶっきら棒な物言いに大鵺が肩を竦めてみせると、楠木は苦笑を浮かべながら、「食えない人みたいだな」と手を差し出してきた。
「『ドゥカート』の楠木だ。あんたは確か……オオヌエ、だったか?」
「覚えて頂き光栄です。ここで話すのもなんですし、場所を移しても……?」
「そうだな」
朝事務所を出る前に大鵺が連絡したのを受けて、この場所と時間を指定してきたのは楠木だったが、流石に落ち着いて話を聞けるような場所ではない。楠木が荷物を纏めるのを待って二人は階下に降りると、喫茶店に腰を落ち着けた。
「それで、桜井が濡れ衣とか何とか言ってたが、具体的に俺は何を教えればいい?」
そう言って緑色のゼリーやら糖蜜の垂らされた甘ったるそうな飲み物を啜る。
「失礼ながら当日の行動と、後は変な人物を見たりしなかったか教えて頂けると助かります」
「そうだなあ……」
話によると、会場入りした楠木と榎田は桜井同様控室に詰めていたという。リハーサルは機材の関係上、桜井より少しばかり時間を要したらしいが、それでも比較的短時間で済んだとか。
「リハは本公演の始まる三時間前だったか。それ以外はあまり動いていないな。精々トイレに立ったくらいか」
「成程。その間怪しい人影なんかは……」
「別に怪しくはないが、桜井の新妻は一瞬見掛けたな。ギターケースを肩に担いでたよ。丁度俺らが会場入りしたのと同じくらいの時間だな」
「トイレの位置は、どちらにあるんでしたっけねえ」
「橘さんの部屋の、真ん前だったと思う。俺たちの部屋が階段から一番遠い、奥の方でな。桜井の部屋は近かった。……ギターが盗まれたって話だったな?」
「ええ。それと詳しくは言えませんが、脅迫状のようなものも」
「ならあんたが聞きに来たのも頷けるな」
そう言うとハハッ! と男は軽く笑いを上げた。つまり、『こっちを疑ってるな?』という意味だ。
「別に審査結果に異議はねえよ。控室でちょろっと聴いてたが、アイツの演奏もなかなかのもんだったからな。かと言ってあんたが言うような下らねえ真似はしねえよ」
「榎田さんとの活動は解消されるとか」
大鵺が小角から電話で聞いた情報を投げてみると、「ああ、それな」と楠木はあからさまに不機嫌そうな顔をしてみせる。
「まあ、榎田がそう言うんだ。仕方ないさ。『曲作りがマズかったから負けたんだ』『鍛え直す』――とか言ってたが、俺は決してそんな事はなかったと思うがな」
『ドゥカート』はギターボーカルの楠木と、ドラムの榎田の二人組だ。ベースはいつもサポートメンバーに頼る形で、スリーピースバンドとして活動している。
「作曲は基本的に榎田さんが担当されているんですよね」
「ああ。昔俺も試しにやってみた事があったんだが、全然だな。凡庸なものしか書けなかった。だからアイツが『辞めよう』って言ったら、俺は『そうか』って言うだけさ。そもそも『ドゥカート』って名前をつけたのもあいつだしな」
「そうなんですか」
「桜井含め俺らは同じ大学の出身なんだが、卒業間際に一曲ちょっとバズってな。卒業後も続ける事になって、あいつが『縁起が良さそうだから』とかって改名を提案してな。それ以前は『エノクス』とか『クスノキエノキダ』とか、それこそまんまな名前で活動していた」
「長く一緒にやって来られたんですね……しかし実際、これからはどういった活動を?」
「その辺りの事情を橘さんが耳にしたらしくてな。幸い――って言ったらアイツには悪いが、俺に合いそうな曲調は得意だから、楽曲提供して貰える事になりそうなんだ」
「おや、それはおめでたい事じゃありませんか」
「まあ一応は、な」
ズルズルと楠木が例の甘ったるそうなものを飲み干す。話はこんなもんでいいか? とでも言いたげだった。
「最後に二、三点、お伺いしても宜しいですか」
どうぞ、と目の前の男は席に凭れ両手を広げてみせる。
「桜井さんが恨まれるような事に、何か心当たりはありませんか」
「恨まれる、ねえ。ひととなりは別に悪い奴じゃないからなあ……カネ絡みなら、あるかも知れんが」
「お金、ですか」
「あんたがもう調べてるか分からんが、アイツのエレアコは借りた金で買ったものらしくてな。まだ返せていないとか何とか、そんな事をボヤいてるのをこの間聞いた」
「誰に借りたかまでは分からないと」
「そうだな」
「成程……因みにギターや不審人物以外で、何か気になった事はありましたか」
「気になった事? 大してなかったとは思うが……ああ、変な事って訳じゃないが、あの会場には関係者用にパーカーが置いてあってなあ」
「はい」
「夏場だから二着しか置いてないって話なんだが、俺は一着も目にしてないんだ」
「誰か着てたって事でしょうか」
「さあな。桜井は割と寒がりだから、控室が冷えてたらエアコンを切ったりパーカーを着込んだかも知れないな」
「パーカーですか……」
大鵺が顎を撫で、次いで軽く頭を掻いた。
「では最後に……」
「はいはい」
「本当の所、榎田さんとはまだ続けたかったですか」
楠木がピタリと動きを止め、大鵺に射るような眼差しを向ける。しかしそれもややあってふっと緩むと、
「蒸し返しても仕方ない話さ」
言って伝票を取り、男は会計に向かうのだった。