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「良い天気だわ」
澄みきった青空と暖かな日差し。時折吹く風はまだ少し冷たいけど、とても過ごしやすいわね。入学式日和だわ。
ついこの前、私はエレナの薦めでサージェス国に移ったけど全く外に出れなかったのよね。観光を楽しみにしていたのに…。まさかあんなに勉強させられるなんて、聞いてないわ。
学園に入学するんだもの。ある程度の基礎知識が必要なのは分かるけれど、一カ月、食事も睡眠も全くとらせてくれないなんて。悪魔よ。拷問よ。普通の人間だったら死んでるわ。
まあそのおかげで、入学資格テストは真ん中くらいの順位で、無事マリエッタ学園に通えることになったのだけど。
四季があって美しいと有名なサージェス国。私が滅ぼした、今は灰の国と呼ばれている国から北へ、雪山…この国の人は霊峰と呼んでいるのだったかしら。その大きな山を越えた先の国。
その昔、魔女と後の国王が愛し合う二人で住める場所を探していて、偶然に何もない広大な土地を見つけて作ったのがこの国の始まりだって教わったわ。王族には魔女の血が流れていて魔力持ちが多いらしいわね。ちょっと信じられないけど。まあそれで、色々なところから逃げてきた他の魔力持ちが集まりやすくて、魔法に対して理解もあるから国は魔法師団とか作ったり、学園で正しい魔法の使い方を学べるように魔法科を作ったり。他の国に比べるとかなり魔法に馴染んでいるのよね。
それでも魔女は、魔女であることを隠してひっそりと生きているけれど。
「本当に大きな学園ね」
太陽の光を反射するような白く大きな建物。青空に映えてとても美しいけれど、今は眩しいわ。
この学園は白が好きみたいね。制服も白い丸襟ボレロに白いふんわりとした膝下丈のワンピース。裾には紺色の糸で刺繍がされていて可愛らしい。胸元に紺色のリボンが付いていてそれも気に入っているの。
初めての場所だからワクワクしちゃう。庭園もあるのね。あれは図書館かしら…他の建物よりちょっと年季を感じるし。気になるわ。あら、奥に可愛らしい小さな教会もあるじゃない。素敵だわ。ちょっと早く着きすぎてしまったし、お祈りでもさせてもらおうかしら。あ、でもレダからの指南書に、“思い付きで勝手な行動を起こすな”って書いてあったわ。つまり、誰かに許可をとればお祈りをしても良いってことよね?でも朝早いせいで人の姿が見えない…
きょろきょろと見回しながら教会の方へ進んでみる。まあ、ラッキー。黒いローブを着た人間がいるわ。
朝早く、真っ白な教会の前でこちらに背を向けて、身動ぎせず教会の入り口の方をずっと向いている真っ黒なローブを頭からすっぽりと着た人間…なんだか異様だけど、仕方がないわね。
「あの、教会でお祈りをしたいのだけど、いいかしら」
「っ!…ああ、すまな………」
あら。男の人だったのね。思い切り振り向いた拍子にフードが落ちた。さらりとした短い黒髪と紺色の瞳。黒いローブも相まって、夜の闇みたいな印象ね。見上げるほどに背が高いけど、男の人だとは分からなかったわ。
余程驚かせちゃったみたい。声をかけたらビクッ!となってたし、私を見た瞬間目を大きく見開いて、手に持っていた本やら書類やらをバサバサと全部落としちゃったわ。
落としたものには目もくれず、石になったみたいに私を見て動かないのだけれど、大丈夫かしら。私が拾った方が良い感じ?土とか芝とかついて汚れちゃってるから魔法で…は、ダメだわ。極力魔法は使うなって、レダにもリーエにもエレナにも言われているんだった。仕方ない。面倒だけど普通に拾って渡してあげましょう。
「ま」
「ま?」
私が動こうとしたら、ローブの男は漸く自分が人間であることを思い出したみたい。本当に石になってなくて良かったわ。あまりに微動だにしないから、私が無意識に魔法を発動したのかと思っちゃった。発した言葉は、意味が分からないけど。
「まっ……………まァなンと、見事ナ赤髪かと、思って」
「あら」
嬉しいこと言ってくれるわね。所々声が裏返ってるのが気になったけど、それほどまでに私の髪に見惚れてしまったってことかしら。毎日のお手入れを頑張ってる甲斐があるわ。
赤髪は珍しいものね。同じ髪色の人にはあまり会ったこと無いわ。同じ赤でも、私より落ち着いた紅色は見たことがあるけれど、これほど鮮やかな赤は居ないかもね。レダには、「目にうるさい」とか失礼なこと言われるけど。
「ありがとう。でも…派手で、目立つでしょう?だから好まない人も多くて」
謙遜してみる。
人間は謙遜する事を好ましく思うみたいだから。情報源はリーエから貰った恋愛小説よ。かなりの量を貰ったけど、そのどれも主人公の女の子はみーんな控えめで常に謙遜していたわ。もっと堂々と自分の能力を誇れば良いのに「そんな、私なんて、全然ですぅ」とか言うのよね。それに男はキュンとくるらしいわ。そして、色々な男に同時に口説かれてモテまくっていたわね。私の目指すべきポジションだわ。
逆に、勝ち気で主張が激しい女の子は大抵報われない終わり方をしていたわ。私はこちらの人間の方が好みなんだけどね。
「そう、か。お、俺は、こ、ここっ、こ好ましいと、思うが」
あらやだ。どうしましょう。効果覿面だわ。謙遜ってすごい。
顔を真っ赤にして目を反らされた。この反応は、かなりイイ反応よ。小説でもこういう描写が何個かあったわ。
「あ、貴女は…何故ここに?学園の制服を着ているが、何かの調査か?」
言いながら、男は指先を小さく動かして落とした書類や本を拾い上げた。付いていた泥や汚れは一切ない。
魔法だわ。この人、魔力持ちなのね。全然気づかなかった。この、黒いローブのせいかしら?…っと、いけない。思考を飛ばすな。興味なくても会話に集中しろ。って指南書に書いてあったわ。
「いえ?新入生よ」
「しんにゅうせえっ?!?!」
そんなに驚くことかしら。ああ、生徒が来るには早すぎる時間だからね。しかも新入生がこの時間に来るとは思っていなかったんでしょう。
「ちょっと早く来すぎてしまったの。楽しみで。だから、時間までお祈りをしてようと思うのだけど、いいかしら?」
私の目的を改めて伝える。男はハッとした様子で、「勿論だ」と許可してくれた。
「入学式まであと三時間以上はあるが、ずっとここにいるつもりか?」
「ええ。祈っていたらあっという間よ」
「そ、うなのか…。入学式は教会の裏手の講堂で行うから、開始時刻の少し前には入っているように」
なんて親切。ちょうど場所が分からなかったから助かったわ。
それに、気になってたけれどこの人の話し方…なんだか先生っぽいわ。私に勉強を教えるときのエレナがまさしくこんな話し方をしていたもの。丁寧だけど強制力があるっていうか。あら、よく見たらこの人制服を着ていないわ。マリエッタ学園の生徒は皆白を基調とした制服を着ている筈よ。男子もね。でもこの人が着ているのは黒のローブと、黒っぽい軍服、かしら?そんなデザインの服を着ているわ。じゃあやっぱり、この人は先生なのね。先生だったら、新入生に場所を教えるのは当然の義務。つまり、この親切は恩にはならない。
「ありがとう。じゃあ私はこれで」
扉に手を掛けると、「待て」と声をかけられた。
紺色の瞳がじっと私を見ている。なんだか必死そうに見えるのは、気のせいかしら。
「新入生…貴女の名前は?」
なんだ、そんなこと。先生も大変ね。新入生の名前を覚えるのも大事な仕事だから。でもきっと、私は印象に残って覚えやすいと思うわ。なんてったって、目立つ赤髪だもの。
「エステルよ。エステル・セウレイア」
本来、魔女に姓はない。けれど、学園だと姓がないと困るだろうからとエレナが付けてくれた。夜空と言う意味の言葉だって。私の名前も星って意味だし、夜空の星を見るのはとても好きだから気に入っているの。
「それは………本名か?」
この男、なんて失礼なことを言うの。ここで偽名を使う理由があるのかしら?それとも、私が平気で嘘を付くように見えるとか?!
「いや、すまない。失礼した。…エステル。エステル・セウレイア、か……」
不機嫌が顔に出ていたのだろう。先生は慌てて撤回したあと噛み締めるように私の名前を呟いて「良い名だな」なんて言うから、機嫌を直してあげましょう。私も、私の名前が好きなの。同意を兼ねて、にっこりと微笑む。あら。何故か突然顔を赤くして慌て出したわ。落ち着かない人ね。
「じ、じゃあ!俺は失礼する!時間までゆっくり過ごすと良い」
「ありがとう。そうさせていただくわ」
背を向けて教会に入ると、朝のひんやりとした冷たい空気が漂っていた。
あまり大きくはないけどしっかり掃除されていてホコリ臭くもないし清潔。ここなら、毎日お祈りに来れそう。
そっと、神像の前に跪いて手を胸の前で組む。
そういえばあの先生。
なんだか挙動不審でちょっと変だったわね。魔法を使っていたから、魔法科の先生かしら。人間の使う魔法はやりにくくて苦手だから、仲良くしておけば色々と便利そうね。
それに…なんだか、どこかて会ったことがあるような。無いような。紺色の瞳と黒髪…うーん。まあ、黒髪も多いし紺色の瞳も珍しくはないから、気のせいね。
ああ、もう少しで入学式!楽しみでしかたがないわ!