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「今日の授業はここまで。次回は魔力と魔素についての授業を行う。基本的な魔法属性についてしっかり予習してくるように」
燃え尽きた。燃え尽きたわ……真っ白にね……
「エ、エステル大丈夫…?なんか今日、すごく指されてたね…」
「そうね………」
勢いよく突っ伏したせいでゴンと机に額をぶつけちゃった。痛い。
他の生徒はザワザワと談笑しながら教科書類の片付けをしたり席を立ったり騒がしい中、魔法科の教師ディアス・アートルムは終始無表情のまま黒いマントを翻し颯爽と教室を出ていった。
ディアスは、実は私のことが嫌いなのかしら。癪に障るってやつとか……。じゃなきゃ考えられないのよ。どうしてあんな、嫌がらせみたいに授業中私ばっかり指すのかしら?!
もう凄まじいのよ。
「体内に巡る魔力循環について…セウレイア、答えなさい」
「魔力暴走が起こる原理について答えなさい、セウレイア」
「ではその一般的な対処法について…セウレイア」
「上位魔法と呼ばれるものを答えよ、セウレイア」
「その中で使うことを禁じられている、禁忌魔法とされるものは?セウレイア」
「セウレイア、建国神話に出てくる初代国王の名前を答えなさい」
とかとかとか………それで私が答えてると突然あのゲホゴホ発作が始まるのよね。それで書記サンが「大丈夫ですか?!アートルム先生!」って心配して駆け寄るって言うのが何度か……。すぐケロッとしてるし、顔色も悪くないから体調に問題はない筈なんだけど、あの発作は何なのかしら。聞きたいけど学園内のディアスは鉄壁の無表情で話しかけるな、関わるなオーラが凄いのよ。本当はそんなの無視して話しかけたりしたいんだけど、私達の関係は学園の人たちには内緒だから学園内では不用意に話しかけるとバレちゃうかもしれないし……。それに最近、あまりディアスと会えてないのよね。夜に研究室に行っても居ないことが多いの。マメな人だからデスクに必ず書き置きがあって、“遅くなる。寝ていなさい”とか“今日も無理そうだ。済まない”とか……本当に忙しいみたい。
大変なのは分かるのよ。だけど…それがどうして授業中私への集中狙いになるのかしら?!予習しといてよかったわ本当に。今度会ったら直接抗議してやるんだから!
「やっぱり……」
「アレは相当だな……」
「あの先生に目をつけられるなんて」
「いい気味ね」
チラリと声のした方に視線を向けると、私の視線に気がついた生徒数人が慌てて教室から出ていった。
…なにかしら。この不快な感じ。
「なんだというの?私、指されても答えられてた筈……まあ所々リノンに助けて貰ったりしたけど大体は合ってたと思うんだけど」
「エステル、気にすることないよ…」
「アナタ噂になってるんですのよ。あのアートルム先生に目をつけられてる問題児って」
声のした方…私の後方の席を振り返ると、紫色のツインテールをさらっと揺らした書記サンが、なんだか「フフン」と得意気な顔で教えてくれたけど……私、噂になってるの?
「その顔だと、本当になにも知らなかったみたいですわね」
「モーヴさん、やめて。エステルは何も気にすることないよ。エステルが答えられるって分かってるから先生が指すわけで…」
「それは無理があるんじゃないか、リノン・ベス。今回の問題はどれも基礎的なもので難しいものはなかったしな。殿下は勿論、僕やヴィオレータ・モーヴも、君も…恐らくほとんどの生徒が答えられるであろう問題だった。そのすべてをエステル・セウレイアに指名で答えさせる…噂に真実味を帯びさせるに充分だ」
「その噂ってなに?私、目をつけられるようなこと何もしてないわ」
「君がディアス・アートルムの仇敵だという噂だよ」
濃い金髪の隙間から覗く深緑の瞳が楽しそうに細められる。
あぁ、やだわ。悪寒ってやつかしら。ゾワリとしちゃう。本当、王子サマってとてもスリルのある人間よね。油断するとすぐに足元を掬われるというか、優しい笑顔に気を許した瞬間バクッとたべられちゃうような、そんな緊張感のある人間……刺激的で楽しいわ。ほら今も、王子サマの発言に私がどんな反応をするのか隅から隅まで観察されてる。
「仇敵…って?」
「君がアートルム先生の故郷を滅ぼした、家族を殺した……魔女だと」
すごい!魔女です!大正解です!
って言いたいところだけど、合ってるのはそこだけね。
どうして私がディアスの家族を殺すのよ。魔女は人間を無意味に殺すことは禁じられてるんだから。…まあつまり、理由があれば殺してもいいってことだけど……ディアスの故郷を滅ぼして家族を殺す理由なんてないし、全く身に覚えがないわ。
「どう思う?セウレイア嬢」
「どうもこうも…私が初めて先生に会ったのはこの学園なのよ。どうしてそんなデタラメな噂が立ったのか不思議だわ」
じっと王子サマを見つめると、「そう」ってニコニコと微笑みながら言ってたけど…どうやら信じてくれてないみたいね。
「そ、そんな噂もあったのですか…!流石殿下です!僕は“エステル・セウレイアが魔法科の授業で先生より目立つ魔法ばかり使うのが気に食わない”とかそんな下らないものばかりでして」
「わたくしは“高貴な学園に入学してきた平民の癖にバカで無知なのが気に入らない”とかそんな噂でしたわ。ですが、あのアートルム先生が平民だ何だと難癖つけるなんてあり得ません。それに、殿下の噂だと…ぷふふ。この女が魔女だなんて!それこそ絶対にあり得ませんわ!魔女はもっと知的で妖美で恐ろしい生き物ですわ。こんな基礎知識すら怪しい中の下の成績の女が魔女な訳がありませんわ!」
「すごいわ書記サン!確かに私は知的で妖美で中の下の成績よ!大正解!」
「エステル、落ち着こうか。話がおかしくなってるよ」
リノンにポンポンと背中を叩かれる。あら、何の話をしていたかしら。書記サンが私をとても誉めてくれたことが嬉しくてつい前後の話を忘れ……あ、誉めてない?なーんだ。残念。
「最近、エステルに関して根も葉もない噂が凄く多いんだよね…その理由の一つが、アートルム先生がエステルに対してちょっと違う態度を取るから、なんだけど…」
「あの若さで優れた魔法能力を持ちとても有能。冷静沈着で生徒に分け隔てなく接し感情の機微を出さないアートルム先生が、アナタにだけ厳しい態度を取るということは、余程アナタの事が嫌いなんでしょうね!オホホホっ!」
「きらい…?!」
な、なんてこと…!やっぱりそういうことなの?!あんなに指すからおかしいとは思っていたけど、本当に嫌われていたからなの…?も、もしかして最近は部屋に行っても居ないのは、私に会いたくないから忙しいフリをして逃げてるとか…。どうして急に、嫌われちゃったのかしら。いえ、でもまだ本人に聞いたわけでもないし、実際話を聞いてから…でもそれで避けられたら確実よね…あぁ、嫌だ。何でこんなに気分が落ち込むの。
「モーヴさん!エステルに対して対抗心燃やしてるからってその言い方は酷すぎるよ。憶測でそんな発言するから余計な噂が立っちゃう。先生に特別扱いされてるエステルが嫌だからってそんな言い方するの、良くない!ヤキモチだよ、それ」
「な……なぁっ?!」
「むう。確かに…ヴィオレータ・モーヴの発言は些か私情が混じりすぎている気もするな。それに今は教室に誰もいないから良かったが、生徒会書記の君が一般生徒を貶めるような発言はすぐさま広まるだろうし余計な先入観を与えてしまう。気を付けた方がいい」
「それはっ!……。確かに、良くなかったですわ……申し訳ありません……。ですがヤ、ヤキモチだなんて?!まさか!このわたくしがあっ、あありえませんわっ?!」
なんだか外野がぎゃーぎゃーと騒がしい……私はこんなに気分が沈んでいると言うのに。
ふと視線を感じて顔を上げたら王子サマがニコニコと微笑んでる。
「君も落ち込んだりするんだね」
「久しぶりに落ち込んだわ。ここ数十年は自由気ままに楽しく生きていたからね。うん、考えてみたらこんな感情も逆に新鮮だわ」
「へぇ…」
王子サマが私の髪を軽く掬うと指でクルクルと弄り始めた。やっぱり人間の男は赤い髪が好きなのね。ディアスもよく同じことをするもの。
「さっきの噂の件だけど…アートルム先生は君を嫌っているから指したりとか、そういうことはしない人だ。授業で君を執拗に指したのは、サージェス国の常識を君の常識から上書きするためだろう」
「どういうこと?」
「君の一般常識は我々と齟齬がある。それこそ、どこか深い森でずっと一人で暮らしていて、ここ最近急に街に出てきてそこでこの国の必要最低限の知識を無理やり叩き込まれたような、付け焼き刃のようなね。その癖魔法に関しては他の追随を許さないほどの経験と知識がある。その片寄った魔法の知識をアートルム先生は心配してこの国の一般的な魔法をイチから君に教えているんだよ」
王子サマ、色々鋭いわ。
確かにこのサージェス国に来るまで一人でずっと森の中で暮らしていたわ。エレナの地獄の勉強会のお陰で一般知識はイケると思っていたんだけど…目敏い王子サマは見破っちゃうのね。
それにディアスの事も中々に説得力がある。王子サマの言う通りだとしたら…私は嫌われていないってことよね。
「流石殿下…!それなら確かに先生がエステル・セウレイアを指す理由がわかります。確かに彼女は………中々に変わった嗜好の持ち主で価値観も独特だ。それを先生が矯正しているのだとしたら」
「ほら、だから噂なんて気にしなくていいよって言ったでしょ?先生はエステルを嫌ってるんじゃなくて、逆なの。特別に気を遣って接してるんだよ。ね?モーヴさん、私の言った通りだったね?」
「んぐぐぐぐ~!」
書記サン、そんな鬼の形相で睨まないの。かわいい顔が台無しよ?
それにしても、なんだかホッとして力が抜けたわ。噂って恐ろしいのね……核心をついてくるのもあれば嘘っぱちのものも…一体誰が流してるのかしら。不思議だわ。
「では、僕たちはそろそろ失礼するよ。またね、セウレイア嬢、ベス嬢」
「またな。次は調理の授業で」
「くうぅ~!剣術では負けませんわっ!」
お供二人を引き連れて王子サマは教室を出ていった。私達も次は刺繍なのよね。リノンと二人廊下に出る。
私の落ち込み方が相当だったのね。リノンはとても心配してくれたみたい。「モーヴさんはアートルム先生が絡むと凄いから。だから今後も色々言われちゃうかもしれないけど、根はとってもいい人だから気にしなくていいよ」って優しく言ってくれる。リノンは本当に優しいわよね。癒し系ってやつだわ。
そして……王子サマもさすがね。抜け目のない人。いつの間にか私の制服のポケットにラブレターを仕込んでくれたみたい。私が気付くように普通の紙ではなく魔力を染み込ませた紙…授業で使った魔法具ね。
ポケットの上から手をかざして内容を読む。
“明日の夕方、僕の執務室で二人きりで話そう”
「ふふっ……喜んで」
まさか本当に王子サマから誘ってくれるなんて。どうしましょう。モテ期到来だわ。