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 「あーしくじった。あーやっちゃった」


 薄暗い森の奥深く。

 誰もいない。生き物の気配がない。  

 危機察知能力に優れた動物達は、きっと我先にとこの国を出ただろう。空を見れば沢山の鳥が羽ばたいて四方八方に飛び散っている。


 泥に汚れるのも構わずゴロンと仰向けになったまま、ボーッと夜空を見上げる。

 木々の隙間からは沢山の星が見える。その一つに小さく、だがはっきりと色づく星が見えた。


 「赤い」


 左手で自分の髪を一房持ち上げる。見慣れたそれはとても鮮やかな赤色で、今見える星と同じ色だ。

 右手を開いてみると、そこにはベッタリとした赤が付いていた。鮮やかというには少し鈍い、血の色だ。

 ドクドクと脈打つように自分の脇腹から血が流れるのが分かる。持ち上げた両手を力無く地に下ろした。



 本来ならば今この瞬間、ここは火の海だった筈だ。ここだけでない。この国が、もう二度と人が立ち入ることが出来ないような荒れ果てた土地になる予定だったのに。欲にまみれた人間の作り出した狂った罠にハマったせいで深傷を追い、城の裏手の深い森…ここまで逃げてくるのが精一杯だった。まだ見つかってはいないが追手はきっと、近くまで来ている筈だ。



 「街の人達は、無事に出れたかしら…」


 根回しは充分に行った。

 絶やすべきはこの国の王族であって、そこに住む人々には何の罪もない。だから、城から狼煙が上がったらすぐさま逃げるように伝えていた。足腰の弱い老人や子供はそれより前に。もう一月前にはほぼ全員が退避した。いま残っているのは国の最期を見届けようとする数少ない良識のある臣下か、愚かな阿呆だけだ。


 

 手足が冷えていく。血が流れすぎたせいで力が入らない。



 「あぁ…勿体無い」


 血と共に大量の魔力が失われていく。これじゃあ、火の海にすることなんて出来そうにない。それより前に命が尽きるか、敵に見つかるか。



 「絶対にイヤだわ…あんな惨たらしく殺されたくない。死んでも尚使役されるなんて、お断りだわ。私は絶対、(かえ)るんだから……大丈夫よ、私。ちょっと待てば、すぐ塞がるわ。魔力も、回復、する……」



 力が先程より入らない。全くと言っていい。腕を持ち上げることも出来ず、呼吸が浅くなっている。

 ちょっと、ヤバイかもしれない。

 敵を舐めすぎていた。それは認めよう。けれど、譲れないものがあるのだ。


 「あぁ、どうしよう、私、こんなところで」



 死にたくない。還りたい。でも、終われない。

 物凄い眠気が襲ってきて、意思とは関係なく目蓋がゆっくりと閉じる。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ…



 「おねえさん、大丈夫?」



 バチッと目を見開く。

 いつの間にか幼い少年がこちらを覗き込んでいた。

 薄汚れた服装に痩けた頬、黒い髪も整えられておらず伸ばしたまま。長い前髪の隙間から見える紺色の瞳だけがキラキラと輝いて見えた。

 だが、そんなことは正直どうでもいい。視線が、全神経が少年の胸元に注がれる。


 「ぼ、坊や…」

 「おねえさん、血、すごいよ。大丈夫?」

 「坊や、何を、持ってるの?」



 震える声で尋ねると、少年は首を傾げた後「ああ」と呟いて服の中に隠していたであろうソレを取り出した。


 「血華石(けっかせき)……」

 「そういう名前なんだ、これ」



 首から下げたペンダントは親指の長さほどの小瓶で、中には艶々とした小さな赤い石が瓶の半分ほど入っていた。ゴクリと喉が鳴る。



 「坊や、それ、どうしたの?血華石(ソレ)は、魔力を回復する…とても貴重なものよ」

 「おばあちゃんが、くれた。お腹が減ったり、痛くて辛いときにひとつ飲んでって言われた」

 「そのおばあちゃんは…?」

 「もう死んじゃった。だから、あとこれだけしかない」


 少年が瓶を揺すると、中の石も小さく揺れる。ざっと数えると三十ほどはある。

 これは、この偶然は神の思し召しだ。ならばするべき行動はひとつ。


 「坊や……そんな形見の大事なものを、どうか、私にひとつ頂けないかしら」


 断られるだろう。見たところ五、六才ほどの幼い少年だ。何故こんな森に一人でいるのか謎だが、血だらけの女が大事な形見をくださいなと言ってきて、素直に差し出すだろうか。いや、逃げる。この少年が真っ当な幼子なら「あげねーよ!バーカ!」などと宣って逃げるだろう。逃がすつもりは毛頭ないが。


 「いいよ。おねえさん、死んじゃいそうだから全部あげる」


 はいどうぞ。と瓶ごと差し出してくる少年は、どうやら真っ当な幼子ではないようだ。大人びすぎててなんだか怖い。


 「ぜ、全部はさすがに…ひとつだけ、貰える?」


 差し出された赤い石を飲み込む。

 最早手を動かすことも出来ず話すのが精一杯だったため少年に口に入れて貰った。

 飲み込むと同時に血華石は瞬時に溶けだし体内の魔力と同化した。傷口が塞がる。

 と、同時に問題が発生した。

 


 「足りない………」


 全然足りない。傷口は塞いだが身体が動かせない。少年の大事なものなのはわかるが、これだけではどうしようもない。


 「おねえさん、すごい魔力量なんだね。僕は一粒で数ヵ月は飲まず食わずでも生きられるようになるのに」

 「魔力で生命力を補っているのね。でも食事をしたことにはならないから、ずっと空腹のままでしょう?」

 「うん。お腹減ってる。だから、死なないけど辛い」


 痛ましい。

 こんな幼い少年が、どうしてこんな目に遭っているのだ。どこまでいっても腐った国だ。やはり、消さなければならない。



 「坊や、申し訳ないんだけど…もう少しだけ貰ってもいい?」





 結局、瓶に残ったのは一粒だけだった。少年は「全部飲んでいいよ」とはいうが、良心が痛む。申し訳程度に一つだけ残したのだ。

 魔力も全快とは言わないがかなり回復した。これなら、当初の予定どおりいけそうだ。



 「ありがとう…本当に助かったわ。それで、予定どおりこの国を滅ぼそうと思うのだけど、いいかしら?」


 少年はじっとこちらを見たあと小さく頷いた。


 「良いと思う」

 「そう。許可も得られたし容赦なくやらせて貰うわ。…あなたの家族は、生かしてはおけないの」


 少年は強い意思を込めた瞳を向けたまま、しっかりと頷いた。

 どうやら見た目の幼さに惑わされそうになるが、かなり賢いようだ。


 「でも、坊やは特別に生かしてあげる。恩人だからね。それで、恩を返したいのだけれど何か望みはあるかしら」

 「僕はなにもしていないよ」

 「いいえ。私は死にそうだったの。坊やの偉大なお婆様が遺した血華石が無ければ、私は死んでいたわ。坊やが石を持ってここに来てくれたお陰で、助かったのよ」


 そっと、ぐしゃぐしゃの黒髪を撫でる。

 ビクリと体を揺らすも、大人しく撫でられたままの少年は少しだけ頬を赤くして目を反らした。傷だらけで捨てられた子猫みたいだ。


 「それにね、受けた恩は必ず返し、害を受けたらそれもしっかり返す…それが()()()のルールなの。だから、大人しく受け取りなさい。望みはある?」

 「……………わからない」



 少年は申し訳なさそうにうつ向いた。



 「何かを望んだり、したことないから」

 「本っ当にどこまでも腐った国ね」


 ギロリと遠くの空を睨む。至るところから白煙が揺らめき、街のどこかで火が上がったのだろう。夕闇がぼんやりとオレンジ色に染まっていた。



 落ち込む少年の頬を、励ますようにそっと撫でた。


 「…これからは、自分のために生きてみる、とかは?」


 

 顔を上げた少年の紺色の瞳が小さく揺れる。



 「僕の…ために?」

 「そうよ。今日、この瞬間から坊やは新しい人生を歩むの。国を捨て、新しい場所で新しい人生を始めるのよ。…そうね、隣国に行くといいわ」

 「東の?」

 「そっちはダメ。この国以上に魔力持ちに過敏だから。折角だもの、坊やの魔力を生かせる場所…北がいいわ」

 「北って…ここからすごく遠いんでしょ?この森の奥の物凄い崖を登って、さらに標高の高い雪山を越えた場所だって聞いた」

 「その通り、凄く遠い。でもとても良いところだと聞くわ。私の仲間も多いし、魔力持ちもそれなりにいるから、迫害されたり浮いたりすることはないでしょう。それに、四季もあって美しいし。新しい人生を始めるなら良い場所だと思うわ」

 「そうなんだ…でも…」

 「ああ。安心して。魔力もかなり回復したから、坊や一人くらい簡単に転移……」


 バチンッと腕に痛みが走る。

 驚いたように少年は目をパチクリさせた。


 「な、なに。大丈夫?おねえさん…」

 「うーん、困ったわね」



 発動しようと思った魔法が弾かれた。腕がビリビリと痺れる。


 「坊やの魔力がまだ体に馴染みきっていないせいで、私の魔力と反発してしまうみたい。魔法は残念だけど使えないわ」

 「そっか…」

 「安心して。受けた恩は、必ず返すわ」


 胸の前で両手を組んで目を閉じる。

 ふわりと赤い髪が揺れ、小さな光の粒がキラキラと二人に降り注ぐ。時間にして十秒そこらの出来事だが、少年は目が反らせない。


 「きれい…」

 「ふふ。ありがとう。これは私からの“祝福”よ」

 「しゅくふく…?」

 「ええ。“幸運”という祝福を坊やに。例えば…崖から落ちても幸運にも軽傷で済むとか、悪い奴らの視界に幸運にも絶対に入らないとか、立ち寄った先の人が幸運にもみんな好い人だった、雪山では幸運にも全く寒くない…とかそういう幸運よ」

 「そんなの、アリなの?」

 「アリなのよ」


 信じてない顔だった。それでもいいと、にっこり笑う


 「この祝福は向こう十年くらい持続するようにしたわ。坊やは、北に向かってもいいし止めてもいい。北に向かう途中で何かやりたいことを見つけたのなら、それを叶えてもいいわ。商売人になってもいいし薬師になっても、海賊や奴隷商人になってもいいのよ。まあ出来るだけ真っ当な人間になってくれるのが一番だけど…とりあえず、まずは行動しなさいな。生きていくうちに、きっと見つかる。この祝福は、それの手助けになる筈だわ」

 「…うん」



 にっこりと微笑みながら不安げな少年の頭をポンポンと叩くと立ち上がり、服に着いた汚れを魔法で落とす。


 「気になってたんだけど…おねえさんはどうしてメイドの格好をしているの?」

 「これ?城に潜入するのに着てたの。まあバレちゃって、ここまで逃げてくる羽目になったんだけど」

 「もしかして…城の大きな爆発は、おねえさんがやったの?」

 「そうよ。小癪な罠にハマってね。捕まるわけにはいかないから目眩まし程度にするつもりだったんだけど。切羽詰まってたせいで加減を間違えてしまって、かなりドカーンとやっちゃったわ」

 「そっか。そう…だったんだね」


 エヘヘと照れ隠しのように笑うと、少年も苦笑し立ち上がった。背は腰ほどの高さで腕や足も棒のように細い。あのでっぷりと太った国王と同じなのは紺色の瞳だけで、愚かで下衆な国王と違いこの少年は賢い。きっと、どこでもうまくやっていける。


 怒号が聞こえる。

 静かで生き物のいない森の中に、沢山の人の気配が迫っている。追手だ。


 「じゃあ、私はそろそろいくわね。坊やがこの森を抜けられるくらいの時間は残しておくから、安心して。元気でね」

 「ねえ、おねえさん」


 少年はこちらをじっと見つめる。紺色の瞳は相変わらずキラキラと輝いていた。



 「また、逢える?僕は、貴女に逢いたい」

 「ふふ。嬉しいことを言ってくれるのね。坊やが望むなら、きっとまた逢えるわ」



 じゃあね。と手を振ると一瞬で姿が消えた。

 美しい赤い髪も、夕闇に映える輝くような琥珀色の瞳も全ては夢であったかのような静寂が訪れる。

 少年は胸元から下げた、残り一粒となった赤い石の入った小瓶のペンダントを握ると、くるりと踵を返し夜の森を走り抜けた。

 

 走って、走って、走って。

 聳え立つ険しい崖を手探りで上る。ボロボロと崩れる部分はあるものの、不思議と恐怖はなく少年はすいすいと登っていく。これが祝福の力なのかと。授けてくれたあの女神のように美しい女性に感謝してもしきれない。

 


 漸く崖を登り終える頃、背後から爆音がした。

 振り向くと、夕闇を切り裂くような業火の火柱が王都を飲み込んでいた。

 その炎は、彼女の髪と同じ鮮やかな赤色だった。



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