ほんとにやめたれ、遊び人
何の前触れもなかった。この不気味なバケモノ人間──自称遊び人とやらとの出逢いは。
ある日突然やってきて、睡眠を邪魔するようになった。ただそれだけ、と思うだろう。だが違う。限度を超えている。
たかが脆弱種族である人間の分際で、勇者の侵入さえ許したことのないこの魔王城の最奥に単身やってきては、ヘラヘラと毎夜騒ぐだけ騒いで朝方に消えるのだ。
おかげでわたしは朝に起きられなくなり、お仕事中の昼間にまで睡魔に襲われる日々が続いていた。あげく、ありもせぬ場所の日中に遊び人の幻覚まで見るようになり、悲鳴まで上げてしまう始末。
この、魔王ともあろう者が!
当然のように戦いの最中に眠ってしまうわたしは、配下から白い目で蔑まれ、側近たちの間でさえ「魔王様は支配に対する気概を失われた」と噂まで流れ始めていた。
もちろん、わたしは常勝無敗の魔王だ。
こいつが寝室に現れるようになってしばらくの間は、叩き潰すつもりで挑んだ。人間族が送り込んできた暗殺者だとばかり思っていたからだ。
ところが幾千もの騎士や魔術師らを張り倒してきた強力無比な魔法も、勇者とかいう小癪な少年の聖剣をも叩き折ってやった自慢の魔剣も、この遊び人には一切通用しなかった。
まったく当たらない。
壁どころか天井までドタバタ駆け回るというデタラメな動きでヘラヘラ笑いながらわたしを翻弄し、そのくせ自らは絶対に攻撃をしかけない。
まるでキッチンに湧く黒い小虫のようにだ。
この魔王たるわたしが、まるで子供のような扱いであしらわれ続けているのだ。ずっと。長い間。もう数週間にわたって。
やがてわたしは悟った。
無理だわ。倒せないわ。
※
わたしは力なくベッドに腰を下ろし、静かに両腕で頭を抱えた。
遊び人は平然と隣に腰を下ろして、わたしの顔を覗き込もうとしてくる。腕の隙間から、正面から、真下から。鬱陶しく。
デリカシーゼロなの?
「魔王ちゃん、今夜は元気ないっ。目の下にクマできちゃってるねっ」
「誰のせいだと思ってんの……」
「仕方ないな~。遊び人が元気づける?」
人の話はまったく聞かない。
「あのね、遊び人。わたし、寝不足なの。寝ていい……?」
「一緒にィ!? 一緒に寝るゥ!? 魔王ちゃん寝ちゃうと、遊び人一緒に寝たくなるぅ! 添い寝!? 添い寝だけ!?」
無意味に首を左右に倒すな。怖い。
「しない。うざい」
「ワオ、遊び人超ショック」
顔隠してんのにグイグイ覗き込んでくるな、こいつ。
だが、それが命取りだ。自ら魔王の間合いに踏み込むだなどと愚の骨頂。
わたしは落ち込んだふりから一転、右手の爪を刺突剣のように伸ばし、遊び人の死角からその頸部をめがけて振り抜く。
死ぬがいいわッ!!
「あ、目玉落ちちゃったっ」
ブン!
目を押さえて頭を下げた遊び人の上空を、わたしの奇襲が虚しく通過した。遊び人は足下から何かを拾うような仕草をすると、自身の目をはめ込むような仕草とともにムクリと上体を起こす。
そして、白塗りの不気味な顔でニタリと嗤った。まるで、「おまえの動きなどすべて読んでいる」とでも言いたげに。
でも、吐き出された言葉は全然違っていて。
「最近眼球が落ちやすくってさぁ? 困るよね~? 魔族ではよくあること?」
「こ、怖っ。ないわよっ、そんなの。の、糊かなんかでくっつけといた方がいいんじゃない。ほら、ほ、埃とか、ついちゃうし」
「うんそうするっ」
終始こんな感じだ。
大体何をしたところで、何にも通じやしない。
古い寝室では捉えどころのないこいつを殺すため、部屋中を炎結界術で満たしてやったこともあった。人間族はもちろん、並の魔族ですら耐え切れぬほどの熱量を秘めた獄炎だ。ところがこいつは炎に包まれながら涼しい顔で、いそいそと服を脱ぎ始めたのだ。
唖然とするわたしを前に、「暑いね~、今日は蒸すね~」とか言いながら、やつの手が燃えるパンツにかかったとき、赤面したわたしは魔法を止めざるを得なかった。
なぜなら脱ぐからだ。こいつは。本気で。目が真剣だった。
はぁ~、ぶっ殺したい……。
「あれ? 魔王ちゃん、髪切った?」
そして、めざとい。
初めて言い当てられたわたしは、若干戸惑いながら彼から身を引いた。だって本当に毛先だけだもの。こんなことに気づくなんて、こいつはいったいどれだけわたしのことを見ているというの。
そういうのって、なんだか……ねえ。
「き、切ったわよ。前髪の先を少し落としただけ……だけど……それが何よっ!?」
「似合ってるよ。今日の魔王ちゃん、とってもカワイイ」
ひ……っ。
「み、み、耳元でいきなり優しい声出さないでよ!」
ちなみにわたしは、そういった経験をまだしたことがない。身体を許すに相応しい相手は、やはり自身と同等かそれ以上の存在でなければならない。魔族民の行く末は、わたしにかかっているのだから。
そしてこいつは、男性経験がないがゆえに、ついつい反応してしまうわたしを見て楽しんでいる。わかっている。わかっているのに。
だめ。これだけは。苦手。
「どうしたんだい? 魔王ちゃんは遊び人のことが嫌いかい?」
「ちょ──」
そんなことを言いながらまた距離を詰めて。わたしは腰をずらしてベッドの枕元まで逃げた。
「待──っ」
それ以上は背中が当たって逃げられなくて、でも遊び人はわたしを逃すまいとしてか、わたしの肩越しに手をついた。壁がドンと鳴る。
逃げられ……ない……。
彼の強引さに、また心臓が先ほどとは違う奇妙な鼓動を刻む。
「だ、だって、好きになる要素ないでしょ! こんなふうに、わたしが嫌がることばっかりしてくるくせに!」
「空のように青い瞳も、キレイだよ」
息を呑んだ。
バカバカしいと、自分でも思う。
なのに、顔はカァ~っと熱く火照っていく。別にタイプでもないのに。
「~~っ!? そ、んなこと、急に言われても……こ、困る……」
「遊び人は魔王ちゃんのこと……好きだよ」
声がか細く震えてしまった。
魔王などやっていると、こういった機会はまずない。誰も彼もがわたしを恐れ、あるいは憧れを抱かれたとしても、わたしの地位と責任が分厚い壁となって立ちはだかる。
だから、浮いた話とは無縁だった。ずっと。
頭の中では「好きだよ」という言葉がリフレインしている。響くたびに感情が刺激され、思考は奪われていく。
もう顔どころか、手足まで赤く染まってしまっているのがわかる。
「あなたは人間だし、わたし、魔王……だし……」
互いの吐息さえかかる位置。だめ。目が見られない。
わたしは視線を逸らす。
ふざけた付け鼻や白塗りの化粧さえ悪くないと思えてくるのだから、わたしもチョロいものなのかもしれない。でも、こんなことされたら。
「あの……わ、わたし……」
ふたりの沈黙を破るように、フッ、と小さく笑った遊び人が、再び口を開いた。
「──お金と猫とバーベキューの次に好きっ!!」
軽い口調と笑顔で、サムズアップ。
「死、ッねえええぇぇぇぇ!」
怒りにまかせて握りしめた拳を、そのニヤケ面に叩きつける──が、当たったように見えたはずなのに、手応えはまるでなかった。
少し離れた位置で、楽しそうにパタパタ手足を動かしている。
「いまのがあの有名な、フ、残像だ、だよ! 魔王ちゃん! すごい? 遊び人すごい?」
「く──っ」
くッそおおぉぉぉぉ! 無駄にすごいぃぃぃ!
火照りは怒りの熱へと変じていた。
殺したい。こいつを殺したいし、それ以上にさっきまでの自分を殺したい。胸キュンをなかったことにしたい。悔しい。
「~~っ!!」
さらに攻撃を繰り出そうとしたけれど、やめた。
わたしはため息とともに肩を落とす。
どうせ当たらないから。これまで散々試したからわかる。また部屋が汚れるだけだ。
ちなみに扉の方に逃げようとすると、恐ろしい速さで回り込んでくる。そっちの方も何度か試してあきらめた。
「今夜は何して遊ぶ!? 遊び人、トランプ持ってきたけど!?」
「……しない……」
「ガーン! ルール知らないから!?」
「それもあるし、めんどい」
わたしは再びベッドに腰を下ろした。
少し考えてから横になる。
どうせ実害ないんだから、耳を塞いで眠ってしまえばいい。そう思って、遊び人に背中を向けて。
「寝る」
「え、遊び人寂しい」
「おやすみ」
だが遊び人はいそいそとキルトの中に入ってくると、わたしの目の前にニュっと顔を出した。
「ばあっ!」
「……」
わたしが再び背中を向けると、今度はキルトの中を通って足下から回り込み、また顔を出す。
「ステキな寝顔だねっ」
「見せない」
「魔王ちゃんって、睫毛長いよね。とってもキレイだよ」
「ひ……。う、うるさいなっ」
また寝返りを打って背中を向ける。今度は堂々とわたしの身体の上を這って、正面側に回り込んできた。
くそうぜえ~……!
「ばあっ!!」
「……く! 気にしなければいいだけ気にしなければいいだけ気にしなければいいだけ気ニシナケレバイイダケ気ニ気ニキキキキ……」
わたしは固く目を閉じる。
瞼が指先でニョ~ンと持ち上げられて、至近距離で目が合った。
「触るなっ!! てか何!? わたし、女子よ!? なんで勝手に部屋どころかベッドにまで入ってくるわけ!? 常識ないの!? つか、身体の上を這いずるのもやめてもらっていいですかっ!? 訴えますよ!」
「じゃあ寝返り打つのやめてもらっていいですかっ!? 遊び人、魔王ちゃんの寝顔を見たいだけなのに!」
なんっでわたしが叱られてんの!?
「も~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
キルトの中で足を引いて、遊び人を蹴り出すべく放つ。けれど遊び人は見えていないにもかかわらず、寝たままぴょ~んと跳ねてそれを躱した。
どうなってんの、こいつ。怖。物理法則知らないのかしら。
ポスンと、元の位置に着地する。
「髪も細くてサラッサラだね。ふーっ、サラサラ~、ふーっ、サラサラ~」
「息かけないでよ!」
妙なことをされるよりも、褒められた方がなんだかざわざわしてしまう。その弱点、もしかしてバレてるのかしら。
わたしはあきらめて起き上がる。遊び人も合わせてムクリと起き上がった。ほぼ同時に。ううん。何だったら、一瞬遊び人の方が早かったような。なぜ追い抜いた。
「あんたさあ、何の目的でここに来てるわけ?」
「聞いちゃう? それ聞いちゃう? 遊び人の目的を聞いたら、魔王ちゃんもう戻れなくなっちゃうかもよ?」
「はいはい。いいからどうぞ勝手に語って」
変な動きをされたり、褒められるよりはずっといい。話を聞いている方がマシ。それに、ふとした情報からこいつを追い払う方法が知れるかもしれない。
敵を知り己を知れば百戦殆うからず、とか言ったか。
くく、聞き出してやろうじゃない。あんたの弱点をさ。
魔王さんの反撃が始まる……!
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※最終話は0字前後に投稿予定です。