蚊取り線香職人の朝は早い
「何だァ、ここは?」
黒い空間。
ここでは何もかも一様に黒く溶け込んで、少年は白い輪郭だけで現れていた。
「ここは裏側にある私の部屋だ」
白く細い線が雄牛の魔人を象った。
「つまりここでの会話が露呈する事は無い」
少年と魔人の間に丸テーブルの図が描かれる。
「事情を聞かせて貰おうか……〝主の種〟よ………」
少年は虚空に、椅子の線を勧められた。
「あ゛ァ?シュラシュシュシュ?」
「金毘羅山では無い。〝アレ〟の守護は我々の役目だ。なぜ顕現した?」
「??何でテメェ金毘羅ボートソング知ってんだよッ!?テメェも転生者か!?」
「〝転生者〟というコードは認知外だ。何だ?一部の〝主の種〟は既に眠りから覚めて〝Amenohīri計画〟を修正しているのか?」
「あまり難しい言葉を使うなよ?鼻水垂らすぞオラァ?」
少年の鼻当たりの位置から白い線が垂れ下がる。この奇妙な空間では、少年も魔人も椅子もテーブルも、その鼻から垂れる線も、皆等しく白く均一の幅の線から成り立っている。後はただ黒い。
「………私の正式名称は〝First logos of the extra origin element:lotNo.14〟……」
「あ゛ァ!?中山さんじゃねェじゃねェかテメェ?詐欺ってんじゃねェよゴラァ!」
少年は垂れた白い線で、器用に魔人をペチペチ叩いた。
「……略して〝中山〟だ」
「ッ!!確かにッ!!」
何も〝確かに〟な事は無いのだが、少年は己が出来る最上位の謝罪として、丸いテーブルに鼻から垂れる白い線を、螺旋状に描いていった。テーブルを回すことで、少年は座りながらそれを行っていた。
「何をしている?」
「お詫びに蚊取り線香作ろうと思って………」
「……なるほど、この空間の性質を確かめようとしているのだな?確かにソレは蚊取り線香にでもキャンディにでもなるだろうな」
「そうだ、オレたち蚊取り線香職人は一瞬のミスが命取りだ。加圧を僅かにでも誤る事によりキャンディを作った瞬間、ソレは〝死〟を意味する」
「そんな話では無い」
「それじゃァ~何の話だっていうのさーーーー!」
「キミは恍けているのか、それとも本当に何も知らないバカなのか判別がつかないな……」
「オレの名前は桜丸彼岸丸……探偵さ」
今や殺人現場の検証用白線みたいになっている少年の背後に〝ドヤ〟という白字が浮かぶ。
「よし、今は仮にだが〝バカ〟ということで分類しておくよ」
「フッ、馬鹿と天才は表裏一体だぜェ」
「それは良かった。あと〝アレ〟についての守護は我々〝FLEE〟で継続されている。この世界に何をしに来たかは、聞くのも無駄の様だし問いはしないが、〝アレ〟についてキミが心配する必要は無い」
「あ゛ァ?〝アレ〟ってアイツの事かよ?その割には喰われそうになってたじゃねェか?」
「 ? 〝アレ〟は喰われたところで問題はあるまい。むしろ異なる因子との横の繋がりが形成され好ましい結果となる。
………まさかキミは〝器〟の方を気にしていると言うのかね?そんなのはまるで、エントロピーに追いつかれる前の愚鈍な〝主の種〟の様な考え方じゃないか?……思えばアノ奇妙な躰といい、本当にキミは一体全体……〝何〟なんだい!?」
雄牛のシンボルが、興奮した言葉を発するたびに大きくなり、ついには彼岸丸の輪郭はその顔の上に乗る形となった。
「テメェの話はオールイミフだが、一つ分かった……」
少年の形は、勢いよくテーブルの形を蹴り上げる。
「〝アイツ〟を喰われて良しとするテメェは、オレの敵だ」
そう呟いた彼岸丸の、黒く塗りつぶされた顔の奥で、紅く滲み出すものがある。
彼岸丸の位置はちょうど魔人の口辺りで、突然底にニンマリとした三日月型の図が開いていくと、椅子もテーブルも彼も等しく沼の様な黒に呑まれ始めた。
「ハハッ!〝主の種〟がアントローポスの心配だって!?何だソレは?ハハハッ!!キミの正体、興味深いなァ!?ねェ教えてよ?恍けるなら結構ッ!キミの魂に直接問わせて貰うからッ!!」
少年の輪郭は必死に藻掻くが、ずぶずぶ沈んでゆく。
「無駄だよ?水じゃ無いんだ」
ついには、テブール諸共見えなくなった。その跡に泡がブクブクと……。
〝妙だ?何故、泡が立つ?〟魔人は訝しんだ。なぜなら自分で唱えたばかりだ、彼岸丸が沈んでいるのは水では無いと。
そして、泡の発する音は〝ブクブク〟から〝ヴァカメェ〟に変わったと思えば、白く長い一本の線が天高く底無しの底から伸びて行った。
「何だッ!?」
続いて黒い平面から飛び出して来たのは、先ほどの丸テーブル……にしがみ付く彼岸丸の輪郭。先に天に伸びた白い線は、彼岸丸がテーブルに螺旋状に垂らしていた物で、それを巻き取るようにテーブルは上昇して行った。
「〝何だ〟じゃねェ!さっきも言っただろうがァ!!オレの名前は〝彼岸丸〟
〝なろう系異世界転生者〟じゃァァァァァァァア!!!」
「そんな事言ってたかな?」
天に昇ったテーブルを蹴って、更に飛ぶ白線の人型。その奥で、この世のモノとは思えない紅い光が輝く。
「魅せてやるぜェ!!オレの劇場型奥義ってヤツをなァァァァァァァアアア!!!」
その光に黒き空間は枯渇し、脆く割れて総ては過去となってゆく。
侵される様に、紅く照らし出された地平が新たな理として再編された。