止まらぬ想い
薄手のワンピースに無骨なブーツを履く少女の名は、イマミア・アルティシムス。歳は12。親を亡くした彼女は、人里離れたレグナトール家の屋敷に6才の弟と居候になっている。
彼女の弟は、3年前レグナトール家に引き取られて以来、重い病を理由に屋敷の地下に隔離されている。イマミアはもう、久しく会う事も許されない。そんな少女が唯一の肉親にしてあげられる事は、病を治すための薬を探す事だけだった。
少女は〝それらしい〟薬があると教えられれば、どこへでも向かった。例え、鰐型の魔獣が潜む大河だろうが、食人植物が犇めく森だろうが、竜型が鎮座する山だろうが、道中に屋敷の刺客が潜もうが、関係無い。
少女の瞳は光を呑むような濃紺であった。屋敷に来たばかりの頃は、その瞳にモヤがかかったかの様に目が悪く、ずっと小屋に籠って外には出なかった。なので彼女が一人で、誰の助けも及ばぬ所へ行ってしまえば、確実に命を堕とす。そのハズであった。
しかし、少女の瞳は外の、彼女が経験した事が無いものに触れる度に〝澄んで〟ゆく事となる。それに連れて、少女の瞳は目の前の景色をハッキリと映すようになり………やがて〝その先〟すらも見通す様になった。
それ以降少女は、密かに濃紺の瞳が映す〝導き〟をなぞる事で、全ての災難は無難に。いつも軽装で散歩するかの如く〝それらしい〟物を見つけて〝それらしい〟傷を負って屋敷に帰る。そして何度も自分の〝無駄足〟を告げられる。
少女は、今日もその知っている日常を繰り返す筈だった。何も変わらないレグナトール家との茶番を………。お互いに〝時〟が来るまでは、これ以上動く事は出来ない。少女の弟が七つを超す、その時まで。
なのに、予定調和の筈の今日は〝狂って〟しまった。居るはずもない魔獣との遭遇。導きの軌道は完全に曇って観る事が出来ず、星の輝きだけを追って生きてきた少女は、最期は光一つ観えぬ闇に呑まれていった。
〈〈〈〈〈〈 〉〉〉〉〉〉
「お代は、3,000円になります~」
「は?」
「は?じゃねェよ。ピザ食ったろ?お代だよ。お代ィ。因みにカルパ換算だと45,000カルパッしくよろ~!!」
「あれ蕎麦ね。勝手に差し出しといた上に、アンタぼったくる気満々じゃん」
「ぼったくりでは無いッ!サービス料だッ!!DV解決サービスッ!!!」
「何かは分からないけど、もしそれならアレは〝解決〟と対極に位置する行いだったと思う」
ある日の夜、ワンピースの少女と着物姿の少年は、教会の廃墟で場違いな会話をしていた。
「刻に、問題の解決には〝原因〟との調和では無く、排除が最適解という場合がある」
そこに、折れた柱の影から、妖しくも甘美なテノールが割って入る。
「キミの場合は、果たして………どちらかな?」
片隅の闇から具現する様に出てきた者は、余にも奇怪な姿だった。まず月光に照らされたのは雄牛の頭蓋骨。その下には艶やかな黒の燕尾服。すらりと伸びた手足。あの黒く長い指の皮手袋の内は、果たして人肌があるのか……少女は新たな未知に息を呑んだ。
そして、影から出づる姿はもう一人。少女と同い年っぽい女の子が、紫灯る円らな瞳をじっとり半円にしている。
「何だテメェはァ!?」
白い、桜色の少年は得物であるロッケトハンマー「スロンガトロン」を担ぎ上げた。
「フッ……落ち着けよ、そうだな………〝中山〟と言えば分かるかな?」
「フッ……そして………私の名前……〝スー・フー〟………コイツ…探ってる……スーパースパイ………」
スパイまで尾行対象者と一緒に出て来て、挙句の果てに自己紹介までする必要があったのか、戦慄する少女。
「あ゛ァ?オレにナカヤマなんて知り合いは………、待て、中山だとッ?」
少年は突然焦って袖の下から何やら物を探り始めた。どこにそんなにも仕舞ってあるのか「アレデモナイ・コレデモナイ」と言う呪文を唱えれば幾らでも、傍らの少女が見慣れぬガラクタを放出していく。
そして「あったァ!!」と少年は光る手のひらサイズの板を取り出し、光る面を指でなぞって何かを確認して固まった。彼の動揺の汗で滑り、板が床にボトリと落ちる。地に堕ちた光は『注文番号666〈宅配先:中山様〉』と顕れており、間もなくその啓示は暗転していった。
「気づいた様だな………〝真のお客様〟が誰かと言う事に……」
黒く重いプレッシャーが圧し掛かる。少年は信じられないモノを見る様に、震えた目を再び魔人に向ける。少女はコレが夢で無い事が信じられない。
「馬鹿な……じゃあオレがブッ飛ばした…さっきのヤツは一体………?」
「ハッキリ言おう。全く関係無いヤツだ」
「関係無いヤツ……ふっとばした………モシモシ………憲兵団?」
無表情のスーは、ちっちゃな丸いこぶしを自分の耳に当てる。
「ハッ……ハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
夜の廃墟の中、突然笑い出す少年。少女は彼が今壊れたのか、最初から壊れていたのか良く分からない。
「ハハハハ………〝見たのは〟テメェらで全員だな?」
笑う少年は、今日で一番凶悪な顔をしていた。少女は〝まさか〟と思った。
「わざわざ出てくるとはァ、ご苦労なこったなァ!!目撃者全員ッ世界の果てまでブッ飛ばしてやるぜェェェェェェエ!!!」
再び少年のハンマーが翡翠色に光る。〝え!?ほんとに使うのその力!?そうなると、本当に私って助けてもらったんじゃ無いのッ!?〟少女は風圧からスカートを守りながら困惑する。
そして、ちらつく白い腿を、凶悪で最低な少年の瞳が横目で覗いているのに、少女はイラついた。そちらはさて置き、同性の筈のスーは口を△にしてガン見している。どちらの鼻からも赤い筋がツーっと垂れた。
「よっしゃッ眼福……じゃねェや、サラバだ諸君んんんんんんんんん!!!」
少年は魔人に向かって、地層を断絶させる様に大きく踏み込む。その低位置となった体勢から、地平を滑走したハンマーを斜め上へと振り上げた。
〝また、何もかも吹き飛ぶ〟そういう少女の予想とは裏腹に、空気を裂く音は静かに止まった。魔人は黒革の指先一つでハンマーを抑えていたのだ。
「……落ち着けよ。話はまだ終わって無い」
「あ゛ァ!?これ以上テメェと何話すって言うんだッ!??」
魔人の強さに安堵する少女。スーはビビッて丸まっていた状態からチラッと安全確認をした所だった。少女は〝あの子スパイ向いてないんじゃないかな?〟と心配になった。
「話は単純だ………。キミの犯した罪は一つでは無い」
「何ィ!?」
「一つ目は明確だ。キミは配達先を間違えた………」
「何だァ!?それ以外は完璧だっただろォ!?」
気違いの〝完璧〟は常人では理解できない事を痛感する少女だった。
「二つ目は………私が注文したのは〝寿司〟だ」
少年からサッと血の気が引いた。緑玉の炎が黒い重圧に呑まれていく。
「馬鹿なッ!?ピザの筈ではァ!?」
「あれ、蕎麦な」
「馬鹿なッ!?ピザの筈ではァ!?」
〝自分の発言無かった事にされた〟と内心で怒りを覚える少女。
「何度でも言おう。私が頼んだのは〝寿司〟だ………それも〝特上〟のな……」
「〝特上〟だとッ!?正気かッ!!その位は人の域じゃなェぞッ!!?」
少女に〝特上〟が何かは分からない。どう考えても茶番にしか聞こえないのだが、スーは〝特上〟と聞いて恐怖の余り震えている。少年も戦意を喪失したようで、とうとうハンマーを地面に着けてしまった。
今、力強い光は静寂な闇に屈した。
やっと静かになったようで、少女は胸を撫で下ろした。
だけど……少女には、微かに……だったが……確かに聞こえた。
闇に抑えつけられた炎が、僅かに残した小さな、とても小さな光。
「………こんな……こんなところで……止まれねェ………」
その光が、必死に空気を吸おうとしている。まるで生まれたばかりの生命の様に。
「……オレは………止まってらんねェ……」
懸命に膨らんだ光が爆ぜた。
「例えェ!相手が〝特上〟を頼む奴であってもォ!!」
爆ぜた火花が大気を焼き、闇を払戻し始める。
「給料日のオレは止まらねェェェェェェェェェェェェェェエ!!!!!」
「そんな理由なら止まってくれェェェェェェェェェェェェェェェエ!!!!!」
少年の雄叫びの後に、少女がそれ以上に叫んでいた。すると渦巻く翠の奔流が爆発的に増し、少女の祈りとは真逆に今度は魔人でも抑えつけられない、教会の遺った瓦礫と伴に魔人は吹き飛ばされて行った。
「……もう…限界……」
元々の疲労もある。その上、慣れない大声まで出し尽くしたせいか、少女の意識は暗い方へ引かれていく。自分がこの後、少年にどうされるか心配だが、どうにももう、目を開けていられない。
その場に、倒れ込む少女だったが、跡形も無く吹き飛んだ神への祈りの場には少年の姿さえも無く、そのまま日の光が地を奔りつつあった。