我こそは〝常連十客〟が一人…
銀の砂丘〝月のトウ〟。
その中心に佇む巨大な寮は、シンプルだが隆々としいて、見る者を圧倒する円柱群から出来ている。
その地を治めるは、アレン・レグナトール。
レグナトール家当主デュヒローと、その子供たちが暮らすこの〝水鏡天命反転陣〟。六つの島、それぞれの地を〝ゲニウスの六兄弟〟が統治している。
アレンは世界各地に広く散るデュヒローの子。その中から選ばれた40人から、更に選りすぐられた〝ゲニウスの六兄弟〟。そして、その頂点たる〝長兄〟の続柄を冠する寡黙な王だ。
「まさか、イリスが魔獣にやられるなんて………」
イリスが、無惨な姿で帰還する事となった日の晩。
談話室にて………。
彼は〝月のトウ〟に所属する兄弟たちが、水を求める様に言葉に喘ぐ姿を他所に、部屋の片隅でイエローとマゼンタを薄めていた。
「まさか、彼女の守護精霊は最強クラス。故に、芒紋は四芒紋でありながら、そのチカラはアレン様の、五芒紋に匹敵するというではないか?」
アレンの先には、ホワイトとコバルトで描かれた蒲公英の群れ。
「数は?何体の魔獣が出たっていうの?」
水彩の淡く繊細なタッチで、風と一体になる冠毛が現れている。
「それが、一体だけだったらしい……。なんでも獣の形をせず、奇怪な変化を繰り返したとか………」
優しい綿に囲まれて、その中心ではまだ太陽の様に咲き誇る蒲公英。
「そいつは、そいつはどうなったッ!?まだこの辺に居るのか?」
薄く黄色を、花弁の繊維に沿って流してゆく。
「いや、なんでも突然〝自壊〟したとか………無理な変化に体がついていけなかった様だ」
陰には熾烈な赤を、縁にゆくにつれ襲を増してゆくが、アレンのイメージ通りには成らなかった。
「そう、どうりで今まで遭遇しなかった訳ね。そんなヤツ、普通に存在されて堪るものですか!」
筆を止めて、訝しむ様に考え込んでいたアレンに、待機していたエヌワが近づく。彼は〝月のトウ〟の主任執事だ。
「……今回は不慮の事故だった訳だ。使用人たちには見慣れぬ〝魔獣〟を見かけたら戦わず、自壊するまで撤退する事を指示しておこう」
〝混乱を避ける為に……他の方々には、イマミア様の使用人について伏せております〟と耳打ちされる。
「それなら、使用人たちに足止めの為の罠を作らせておきましょう」
アレンは静かに頷き。エヌワは乳白色のドアの横へと戻った。
「いや、それ以前に屋敷へ近づいきた事を考えて………」
改めて筆を、パレットと紙に往復させる。
「オマエは、この水鏡天命反転陣の事を、何も学習出来ていないのか?」
どれだけ、色を濃くしても、重ねても、やはり彼の思い通りにはならない。
「いや、だって先日侵入者を許したばっかりだろ!?」
ついには、油絵具を持ち出し水彩を塗りつぶした。
「バカねー。入ったところで、招かざる者がどこにも辿り着けないのが〝ここ〟でしょ?」
赤褐色の下地を塗り、強烈な黄色を筆先でこびり付けてゆく。
「し、しかし、そんな訳の分からん魔獣相手に…通用するかどうか………」
一度や二度塗っただけでは終わらない。
「問題は無いだろう!今まで近寄るヤツさえいなかったんだッ!!魔獣共は僕たちを恐れているのさ!!!」
それこそ、色の溜が平面から荒々しく浮き出るまで塗って、塗って、我に返るまで、塗った。
「その通りだ、外に出た使用人ばかりを狙うのが良い証拠じゃないか!」
満足した笑い声が遠くに聞こえる。
「………あの……アレン…お兄様……」
アレンが醜くなってしまった花から、初めて目を逸らした。
「あ、あの、すみませんッ!あの……お邪魔して!」
横には、ルーゴがいた。彼の頭には、アレンが編んだファンシーな毛糸の帽子がある。自己申告によれば、事故により彼は美しきプラチナブロンドの髪を失っている。その帽子はそれを隠すためだが………本人には苦渋の末だ。
「……気にしなくていい………」
アレンは、冷淡な目線を戻した。
「……そ、その…な、なんと言ったらいいか………」
ルーゴの目はバツが悪そうに、絵とアレンを交互に泳ぎ渡った。
「…ご、ごごごゴシューショー……?…様です……はいぃ、ほんとに……お寂しい限りで………」
アレンの薄い目と、再び目が合うルーゴ。彼は全身から汗が噴き出した。
「ご、ごごごゴメンナサイぃ!……え、エンジュ様から昔聞いた事あって……」
「……何だ?………何と言った?」
「す、すすすすみませんでした!!」
謝罪を皮切りに、その場を離れようとするルーゴ。
「……待て………悪かった…もう一度………言ってくれないか?」
アレンは、自分が聞き返してしまった事に謝り、引き留めようとするが、ルーゴは退散することに必死になっていた。
そこで、エヌワがルーゴを制止させ頭を下げる。
「ルーゴ様、アレン様は怒っておりません。寧ろ貴方様との会話を望まれています」
「ほ?」
イワシに釣られたザリガニみたいな目をして、ルーゴは振り返る。
すると、アレンが立ち上がりコチラに向かってくる。無言の威圧感からは会話では無く〝制裁〟を望まれているようにしか見えなかったが………どの道だろうとルーゴはそこに立ち止まるしかなかった。
しかし、他の兄弟たちが割って入ってくる。
「お兄様ッ!そんな面汚しの事より、私が皆の意見を纏めましたので!!」
「何を!結局全員、僕の考えに賛同しただけじゃないか!!」
「おいおい、争って兄上を困らせるんじゃない。今は皆で一致団結する時であろう!」
「ハハッ!何も案を出さなかったクセに、こんな時だけ張り切るのだなッ!!」
ルーゴから見た長兄は、喧騒に隠される存在感では無かったが、如何せん彼自身がその中に入って行く勇気がなかった。
「申し訳ございませんルーゴ様。しばらくお部屋でお待ちください」
エヌワが黒銀の取っ手を引き、白い扉を開く。
「いや、俺は……特に何か言いたかった訳では………」
そう、ルーゴは〝言葉〟をかけたかった訳ではなかった。長兄の超然とした雰囲気に気圧され、頭が真っ白になったのではない。
何かを言うなんて、考えていなかった。
ただ、なんとなく………。
気付けば、御傍に寄ってしまった。
自分でも分からなかった。
でも、昨日までは彼女は〝そこ〟にいたのだ。
彼女は太陽の様に明るかったので………。
いつも、苛烈な存在感だったから
どうしようもなく、記憶に濃く残ってしまって………。
違和感。
体が知らない内に動かざるを得ない程の。
それを………。
それを一番間近に感じていたのは、あの人の筈だったから………。
思わずに、寄ってしまったのだ。
ただ……それだけの事だった………。
―――――――――
―――――――
―――――
―――
―
「……ここ最近何です。エンジュ様の御蕎麦に〝テンプラ〟が入る様になって………」
〝月のトウ〟寮主の執務室に月光を採る巨大な窓。
「最初は、美味しくって感激したんです!サクッてなって中から野菜の甘みがじゅわって」
その前で、二人の男子が椅子を向き合わせ座っている。
「でも、何回か食べてるうちに……前の素朴な味が恋しくなって………」
特に用も無く呼び出されて、ルーゴは必死にその場を繕うとした。
「な、なんだか麺自体の香りが感じづらくなったんですよね!あ、蕎麦は独特の香りがありまして………」
早く追い出してくれればいいのに、長兄はただ静かに頷くばかりだった。
「そ、それで何だか寂しいなーって………」
「……寂しい…」
今まで、ずっと黙って聞いていたアレンの口が開いた。
「も、ももも申し訳ございませんッ!人と蕎麦を一緒にすんなよッ!!って話ですよねッ!!!」
さっきから、ルーゴは生きた心地がしなかった。
「いや………イリスも香り……〝匂い〟が肝心と言っていた………」
けれど、談話室での〝落ち着かなさ〟に比べれば、不思議と数億倍もマシに思えた。
「そ、それは違う意味なんじゃないですかねー………」
「……そうか、そう言うのなら…そうなのだろう………」
アレンがまた口を瞑ってしまう。
「あッ!でも、確かにおっしゃるとおりですッ!!テンプラが入る様になってから、イリスさんが〝常連十客〟の地位から外れましたからッ!」
「ソバンクロス………」
フォローしようと思ったら、変な所に興味を示された……。
「え、ええ。エンジュ様の蕎麦屋は予約不能にして、客である以上、主と使用人関係無しでしたから、完全に先着順にしか食べれなくて……常に上位十人にいるのが、俺たち〝常連十客〟………なんです」
「……自分の知らない…イリスだ………」
ルーゴには、神秘的なまでに物静かな長兄が
なんだか、とても寂しそうに……
〝笑っていた〟
…気がした。