死神と餓鬼
注意:残酷な描写がございます
〝切り裂ける〟という現象について考えてみる。
「物は細かい物の集まりである」
この文では〝物〟が循環するような言い回しであるため、前に言った〝物〟を〝親〟後ろに言った〝物〟を〝子〟と呼ぶ事とする。
つまり〝子〟が集まると〝親〟になる。
もし〝親〟の形は好きなように出来るが、〝子〟は全て均一だったとする。
〝子〟は〝親〟になる為の量と、集まった各々が〝どこに居いるべきか〟の指示が必要である。
〝親〟を獣の形にするとして、必要な量と、配置の指示を用意する。
〝子〟は波の中を互いに手を取り合って踊る。伝染した指示の通りに流麗に。
〝親〟が狼であれ、猿であれ、その中では〝子〟が互いを引き合っている。
そこに、その引き合う手の間に、瞬間1トンの力が降りてくれば、〝子〟が漂う波は大きくうねり、繋いだ手が離れてしまう程に〝子〟を突き放してしまう。
時に〝子〟自体が攫われ、溶かされる事もあろう。
そうして、形である〝親〟に〝切り裂ける〟という現象が現れる。
よって、ゆえに、魔獣が〝切り裂ける〟という現象は在り得ない。
「にも拘らず、彼はアレの腹を切り裂いた………」
雄牛の頭蓋骨が、黒き坩堝を覗く。
〝アレ〟とは、ソコから産まれたモノだった。
アノ魔獣は魔人によって手を加えられたモノ。
狼、猿、鳥、猪、大蛇、蜘蛛、その他にも様々な魔獣を用意した。
魔人はグツグツの大鍋にたっぷりと入れた。
魔獣達は皆、犇めきながら自分たちの〝カタチ〟を再生し続けた。
魔獣が〝尊体〟を想定したその極小版であるならば、魔人にとってその構造を弄繰り回す事は、容易である。
血の沼で苦しみ藻掻く咎人の如く、溶けては必死に己を思い出す獣達の断末魔。
魔人はそれに鼻歌を添えて、鍋の中をかき混ぜた。
幾度も再生する〝カタチ〟幾度も崩れる〝カタチ〟何故何故もう嫌だ。
この部位なに?あの部位どこ?これは私?あれは私?どれ何私のかたち………。
足、翼、手、口、口、口、脚、爪、脚、目、毛、鱗、牙、牙、手、手、足、脚、脚、あ!死
嫌だ嫌だ嫌だこれじゃない違う違う違う違う違うこれでれない出れないィィィィィィイ
「そうだ、神の戯言なぞ信じるな。己を否定し蜜を求めろ。それが〝知恵〟というモノだ」
甘美なテノールが、煮え立つ煉獄で融け合い、かつ濃縮されてゆく〝魔〟を誘った。
そうして、煮込み続ける事、外の時間を引き延ばして数百年分。
その〝魔〟は〝カタチ〟などの役に立たぬモノから逸脱した。
死行錯誤上で、己を生かすための器官のみを錬成していく。
そうすることで、彼らは一つとなって坩堝より産まれ出でたのだ。
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魔人が足元の黒い立方体を転がした。表を向いた面に、モノクロの記録が映る。
万物の〝子〟である世界の最小単位に憑り憑き、神に定められた〝カタチ〟を以って使命を果たす〝魔獣〟。
その災いは、守護精霊が持つ〝浄化〟の力でのみ祓う事が出来る。
〝雲竜ソルギララ〟
あれなぞ、その力の最たるモノである。
一度その光の矛が向けば、あらゆる魔獣は滅され、イリスという星を包む雲海如きオーラは、触れた〝魔〟を溶かし近寄る事を許さない。
実際、弾丸の如く穿って入った融合魔獣は、従来の数百倍の質を持つにも関わらず、その大部分を消し溶かされ、瞬間的に二つの部位までしか形成できぬようになっていた。
〝魔〟を否定する〝チカラ〟。
「それも無しに………」
最も紅き光が、白き火焔すら僅かに及ばなかった域を抉った。
魔人は、その〝紅〟を知っている。
以前、この黒い部屋を改変したモノだ。
「ヤツの能力は〝運命に対して何も起こせぬ極低灼刻の現実改変〟……否………本質を見誤った…のか?」
魔人の前で見せたアノ能力は、一時的に発動者にとって優位な時空を作り出すが、終われば何とも無いモノのように思えた。そこで生み出された結果は〝遡及的に無効〟となり、現実になんら影響を及ぼす事が無かったからだ。
ところが、此度はどうだ?
翠の炎が紅に転じた。
火を放つ円環は彼の者の後光へ。
束錀の外れた鉄槌は大鎌へと組み変わり
死せず無限に悲鳴を吐き続けるはずだった〝魔〟
その膨らんだ腹を裂き、小娘の遺体を奪い捕る。
そうなれば、もう紅き三日月は廻るのを止めない。
再生しない傷。
〝魔〟はそれに怯え、逃げ惑う様に體を拡げていく。
ある部位は地の果てを目指した。
けれど、紅き月は決して逃がしはしなかった。
ある器官は深く深く地中を潜り進んだ。
どこまでゆこうと、まるで、核の一つ一つに刻み込むようだった。
ある輪郭は天へ昇り続けた。
〝終わりからは誰も逃れられぬ〟
刻まれた最後のあの一片は、尽きて眠るように消えていった。
「バカな…パラドックスだ……そんなモノを内包する者は、存在自体が矛盾している………」
魔人は映像の途切れた立方体を蹴り捨て、己の仮説を笑った。
冗談にも程があると………。
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「……一体…何なんだよ?……オマエは…さぁ……?」
事の始終を見ていたエヌワの全身、その細胞の一つ一つが凍える様に悲鳴をあげ止まぬものだから、彼はどうしようもなく熱を帯びていた。
目の前の濁った草の上では、まるで子供のように大粒の涙と鼻水を垂らし、呼吸も幾度となく詰まらして、イリスの死体を繋ぎ止めようとする彼岸丸がいる。
エヌワが子供の姿である彼岸丸を〝まるで子供のように〟と思ったのは、その姿が余りにも、先刻までとかけ離れているからだ。
血よりももっと、生命に深く根差す〝紅〟。
ソレを振るって宙を舞った姿は
当に〝異〟質なこの世界に於いても想像上にしかない
〝死神〟
そのものだった。
そんな死神が、その紅を必死に、繊細に手繰って傷を縫っている。
一度はくっつくが、別の場所を縫ううちに崩れていく。
崩れた場所をまた縫うが、それでも意味は無く。
仲間の制止も払い除け………。
もう、ずっと、同じことの繰り返しだった。
〝無様〟〝みっともない〟〝見苦しい〟
端麗な顔を歪ませて、巻き戻せぬ時を嘆くその姿は
誰でもあって、どこかに置き去りしてきた
「………餓鬼が…」
エヌワを魘す熱が、凍えから温度のあるものに直っていった。そこに灯った火は嫉妬の紫である。ついさっき会ったばかりの分際で………。
ルーク達の様子を伺うと、彼らは頭を地面に伏せて怯え続けている。
きっと未だに彼らは、死神の幻想に囚われ続けているに違いない。
エヌワがルークの背中を擦ろうとした矢先に………。
「イ、イリス…様の……イイイ、威光を…穢すなァア死神ィイイイ!!!」
血走った眼を見開いた顔を、突然に跳ね上げたルーク。彼はその重量級の守護精霊を顕現させ、彼岸丸目掛けて飛び出した。
「………ッ!?ば……」
エヌワが自身の守護精霊〝白閉蛇ウロボロス〟で止めようとする…よりも早く………。
ルークはスーの足に引っ掛けられて、草の上に転ぶ。
「……今……彼岸丸…脆い………やめて……」
それでもルークは、何故自分の守護精霊が消えたかなぞ一切気に留めず、地を這ってでも彼岸丸を死体から突き放そうと進んだ。
しかし、少しでも止まれば十分だった。エヌワは先に、死体の元へ駆け寄った。
「……いい加減諦めろよ?続ければ見込みはあるのか?無いよな?有るんだったら、あの卑劣で太々しいオマエが泣いたりする訳無いよなッ!?」
エヌワは血が衣服に染みるなぞ、構わず死体を奪って抱えた。
「……ま…まて…うぐッ…ひ…まって…まだ……ひぐ…ま…まっでぐれェ!」
「黙れッ!!オマエは何がしたいんだッ!?何の真似かは知らんがッ、やればやるほど弱っててんのはッ、見りゃ分かるんだよォ!!自殺なら他所でしやがれッ!!!イリス様は〝月のトウ〟の英霊となられたんだッ!イリス様は我々が連れ帰るッ!!!」
エヌワは産まれて以来やもしれぬ大声で、すがる彼岸丸、そしてルークを牽制した。
紅い糸が途切れたのを見計り、ツバキがその着物の袖で優しく彼岸丸を覆う。
すると彼岸丸は、こと切れたかのように目を閉ざし動かなくなった。
スーがその様子を不穏に見守っている。
「おいッ!そのバカが目覚めたら伝えろッ!!〝オマエは俺の見込み違いだった〟となッ!!目障りだから、とっとと他所へ消えろッ!そんなんで、仕事が務まるか……いままでに…一体何人ッ、死んでると思ってやがる!?」
イリスを抱えて昏き先へ。二度と振り返らぬエヌワの後を、別の二人は何度も睨み付けながら、木の陰に融けて行った。
「……………」
「……………」
残されたツバキとスー。
眠る白き体は一切の歪みなく………。
心なしか、髪を薄紅色に染めている滲みが、引いていくように見える。
スーが、口を瞑った。
ツバキは静謐な殺気の意図を汲み取り、〝せめて安らかに〟と遠い故郷の子守唄を口ずさむ。
スーの輪郭がユラリと、炎の様に揺らめきかけた時………。
「ダサっ、………自分の首はくっつけられて、他人は助けらんないの?」
その侘しさを破るように、ミアが現れた。