解せぬ
「夜・露・死・苦ゥーご主人様よォ」
大気すら黒墨に潰すデュヒロー。
その前に白く佇む彼岸丸。
「……同じく…スーさんは………仲間になりたそうな…目をしている………」
ついでにスーさんもいるよ。
デュヒローは当然、不可解そうな顔をする。スーを見てから何かを考え込む様にして、黒い水面へと目線が向かった。
「ご主人様、ご用命とあらば………」
ツバキが地面に置いていた、箒に手を添える。
「……必要無い。確かに私が雇った」
デュヒローが静かに言う。ツバキは耳を疑った。
屋敷の主はスーに歩み寄っていく。
「スー殿とは、職務で良く〝手伝い〟を頼む間柄だ。……まぁ、彼女達は言ってみれば〝便利屋〟なんだよ。信頼もできるし、私が発つまでの短い間だが、セレスティアの代わりになって貰おうと思ってね」
デュヒローは表情を緩めて〝お見苦しい所を…申し訳ない〟と礼をする。白々しくも、しかし黒き圧はなお続いている。
音の無い重力の唸りが、スーに対し〝コレが最大限の譲歩である〟と訴えかけている様だった。
スーとデュヒロー、その厳かな間にうどんが打ち付けられる。
すかさず、ツバキが彼岸丸の喉元に箒の柄先を突き付ける。
既に傷なぞ直っている。
「何の真似ですか?」
「出来立てを喰らわしてやろォと思ってなァ?」
デュヒローは眼でツバキを退かせた。
「気に入らない事でもあったのかい?何やら興奮しているようだ」
「なァァア?彼女、オマエの娘守ろうとしたんだぞ?見苦しいィのは全部ご主人様じゃねェかァア?」
強面の主人に、凶悪なメイドが下からメンチを切っている。
「あぁ……レディ申し訳ない。どうか落ち着いて聴いて欲しいのだが、御覧の通りここは大変複雑怪奇な人工空間だ。ある意味、世界で一番安全な場所なのだが、ソレは〝此処の法を守る〟事を前提にした話だ」
そこに、主が真摯な語りで顔を近づけてきた。
「お、おうッ?」
「逆に法から逸脱し、この空間の歯車にでも足を絡まれれば悲惨な結末が訪れる。………過剰に映ったかもしれないが、アレは我が屋敷に住まう者を護る為に仕方が無き事なのだよ?」
メイドの予想に反してグイグイくる主。メイドの勢いが引き始めてしまう。
「当然、異論がある事は認めるとも。だが、私はこの空間の支配者としての責任がある。外での作為であればいざ知らず、ここではそうであると、ご理解いただきたい」
何だか自身が無くなってきてしまう彼岸丸。しかし彼は瀬戸際で〝美少女を殴るのはどの世界共通の大罪〟と偏ったフェミニズムを爆発させて踏ん張るが………。
「とは言え、私も〝やり過ぎだった〟と言う後悔はあった」
そう言い、突然デュヒローは自分の拳を〝ゴギュ〟と自らの鼻に打ち込んだ。
彼岸丸とツバキは絶句する。
「あぁ……コレは痛いなツバキ?……私も今後気を付けるとしよう」
高かった鼻が潰れ、尋常では無い血が高潔な衣服を汚す。彼はそれを気にも留めず、笑ってハンカチを出し、案じて寄って来たツバキに渡した。
「ツバキ、これで血を拭きなさい。着物は新しい物を後で寄越そう」
何かを言おうとツバキが口を開きかけた時には、彼はその場所には居なく、上空の飛び石を漆染める疾風の如く周って、倒れていた娘二人を担ぎ込んでいた。
「……イマミア、いつも苦労を掛けるな。ミークシス君も君に勇気づけられているよ」
両腕に一人ずつ。右腕では項垂れたヴィネーラが〝ごめんなさいごめんなさい…〟と繰り返し唱え続けていた。
「お気遣いありがとうございます、デュヒロー様。まさか、帝国の気すら引くご自慢のパフォーマンスをご披露していただけるなど、夢にも思いませんでした」
デュヒローは一層顔に笑みを塗って、イマミアに寄った。
「今日はもう、疲れた体を休ませると良い。成果品はここで受け取るよ」
「訳の分かんねェ草なら、スーさんの胃の中だぜェエ?」
デュヒローが手を差し伸べる直前で、彼岸丸がスーを磔た台で割って入る。
「今からメイド流緊急手術を開始しますッ!直ぐに腹から取り出しますので、しばしお待ちをご主人様ァ!!」
流石は表情筋永久凍土のスー。突然の解体ショーでも動じない………かに思われたが、よく見ると分子レベルの高速振動を繰り返して、助けを求めているスーのジト目。
そんな〝オレでなきゃ見逃しちゃうね〟レベルのガクブル半円と目が合うデュヒロー。
「………そうか、それならいいとも。
ツバキッ、今日からはイマミアに付いて、彼女達に色々教えてあげなさい」
〝御意〟と言い、ツバキは当然の様に主の影から出て来る。
「ッ!?そんなお父様ぁ!!ツバキは私の………」
ヴィネーラが雷に打たれたかの様に反応した。
「何を勘違いしているんだヴィネーラ、ツバキはキミに預けていただけだよ」
薄らいでいた光無き眼光が、再びヴィネーラに向けられる。すると途端に、彼女は言葉を発せなくなった。それでも、苦しみながら何かを訴えようと必死に口を喘いでいる。
「ツバキが付くのは、こいつらが居るまでの間だけなんでしょ?」
ミアは邪魔な台を蹴ってどかす。ズレた台が、縛り付けられたスーの上でネルネルするお菓子を作っていた彼岸丸の腹部に直撃する。
「優しいね。しかし、その後ツバキをどうするかは私の判断だ」
「そう、ツバキは私とうどん王国を建国するのだ」
「しません」
彼岸丸が、デュヒローに並んで彼と同じ表情で語った。
「ハハッ、今日はここで失礼するが、いつかキミのウドンも食べさせてくれ。もしかするとエンジュ様のソバ並みに人気になるかもな?」
デュヒローは冗談100%にそう告げると、浮く列石から飛び、黒い水面が隆起し具現した翼竜の背に乗る。
黒い風が吹き荒れるその去り際で、ヴィネーラは苦悶と怨めしさに歪む目を、彼方に消えていくまでミアから離さなかった。
「………エンジュ、そいつがオレのライバル店の主か…」
彼岸丸は台の上のスーさんの上で、うどん生地を切り始めた。スーさんのお腹は柔らく見えて実は鋼の如し。
「……あんた、本当に何しに来たの?」
ミアは彼岸丸のエプロンから水入りの鍋を取り出し、スーさんの口に唐辛子を含ませ置いた。スーさんの火遁の前では如何なるものも沸騰せざるを得ない。
「……え~と、彼岸丸君は師匠に会いたいんですか?」
ツバキは彼岸丸のエプロンから、しどろもどろと慣れない様子でドンブリと出汁醤油を探し出して並べた。
「師匠ォ?」
彼岸丸は、沸騰したお湯で麺を茹で上げていく。
「そうです。〝影も形も無き蕎麦職人〟ことエンジュ様は、私の剣術の師です」
ドンブリに麺を入れた者から順に、出汁醤油をかけて、浮く岩に座る。
「なんじゃそりゃァ、透明人間が蕎麦打ってやがんのかァ?」
彼岸丸は両サイドのミアとツバキに割りばしを渡した。
「アレは、そんな感じよ。何も無い庵に十人分だけ席が設けてあって、時間になるとどこからともなく調理の音だけが聞こえてくる。気づくと自分の目の前に蕎麦が置いてある」
ミアは難なく箸を割っていた。
「お化け?」
彼岸丸は何度もフーフーする。猫舌の様だ。
「フフっ、お化けよりも怖いかも知れませんよ?以前、アギト様が騒ぎ立てた時なんかゾッとしましたよー。無から刀を収める音が鳴ったと思えば、あら不思議、彼女の衣服が木っ端みじんに」
ツバキは腰ぎんちゃくからマイ七味を取り出し、埋め尽くさんばかりにうどんに掛ける。〝あっ、いります?〟と訊かれ、呆然と見ていたミアと彼岸丸は横に首を振る。
「そっかー。アイツってエロ担当だったんだー」
啜る彼岸丸の頭をミアは叩いた。
そんな星空の元の光景を、磔のままになっているスーはじっと見ていた。
物言わぬジト目は、ずっと見ていた。
「……解せぬ……」
彼女は、解せなかった。




