マリア・バレットと婚約者候補
「そんな面白そうな事、俺が聞いても良かったのかよ?」
ある晴れた日。学年末休暇を利用して実家に帰宅していたマリアは、 昔からの腐れ縁で幼馴染、そして現在婚約者候補筆頭であるチャールズ・ボーフォードと中庭でお茶を飲んでいた。チャールズはボーフォード子爵家の次男として生まれ、マリアの五歳程年上である。既に学園を卒業しているのだが、学園時代に自身の持つ魔力量と技能を見初められたことで、現在は一介の宮廷魔道士として働いている。実は魔道士の中でも数少ない偵察・諜報部隊を兼任する一人でもあるのだが、マリアはそのことを知らない。
そんなチャールズとは、実はまだ正式に婚約をしていない状態だった。ボーフォード家とバレット家は元々家族ぐるみで仲が良いため、マリアが生まれた際に、感極まった父親が「ボーフォードの次男と結婚させよう!」と言って、両家に話は通っていたのだが、最後は二人の気持ちだと言って婚約は先延ばしになっていたのである。そして現在、チャールズが諜報部隊を兼任することになったことで業務が増えて忙しくなったため、婚約にまで手が回らなくなっていたのだ。今日はチャールズも久しぶりの休日だったようで、顔には少し疲れが見える。
「ええ、うちの両親からも許可が出たし、貴方の実家にもシェリル様から話は行っているはずよ」
「ああ、だからマリアに会いに行けってせっつかれたのか。理由を聞いても、マリアから聞け!の一言だけだったし……まぁ流石にこの話は迂闊にできないわな」
「ええ……だから来てくれて助かったわ」
紅茶を片手に微笑むマリアを眩しそうに見るチャールズ。彼女が砕けた言葉で話すことを知るのは、婚約者候補(内定)の彼だけである。幼い頃自分が言葉遣いが悪いから、と彼女を避けていた事もあったのだが、そんな時に彼女は「私も丁寧に喋ることに疲れてしまったの。貴方の前だけ砕けた喋り方をして良い?」と尋ねられてから、今までずっと二人は砕けた言葉で話し合ってきた。それが心地よいと感じるくらいには、マリアは彼に心を許していた。
そんな仲良しな二人なので、マリアはチャールズにアレクサンドラとシェリルの話をしていた。チャールズも彼女たち二人にマリアが助けられたことを知っているので、ボルジャー公爵家の好感度は高い。それと同時にマリアを虐めた貴族たちのことを聞いた彼は、顔では笑みを湛えながらも心中では激怒しており、業務の合間に誰が彼女を虐めたのか調べる程、実は彼女を溺愛しているのだが、表に出さないため、マリアは彼の心を知る由もない。
ちなみにその時に調べた貴族たちの名前は、後々シェリルが知ることとなるのだが。
「しかし、アレクサンドラ様も忍耐強いな。俺が彼女の立場だったら一年も経たずに投げ出してるぞ」
「え、王宮でもブライアン殿下の噂が流れているの?」
「ああ、 第一王子は婚約者を蔑ろにしているって話は噂どころか事実として認識されてるんじゃないか? 学園が休みの日はアレクサンドラ様が執務のために王宮にある第一王子の執務室に足を運ばれるらしいのだが、書類を持って行く文官が『いつも執務室にはアレクサンドラ様しかいない』と愚痴ってたぞ。職務を放棄して、婚約者に押し付ける王子と影で言われてたな。そりゃ、心も痛めるわ」
「酷いヒドイとは知っていたけれど、ここまでだとは思わなかったわ」
「ああ、しかも今年はアレクサンドラ様への装束を贈らない上に、それ用に国から分配されていた婚約者用資金を横領した疑惑まで出てたぞ?」
「何それ!?」
「あ、知らなかったのか?」
「ええ。シェリル様には婚約破棄計画の概要を教えて頂いたあと、『計画に協力して欲しい』としか聞かれなかったから……」
チャールズの話に口をあんぐりと開けるマリア。チャールズの持つ新しい事実に愕然とする。王宮の人間は誰もがこのことを知っているのか、と王宮の情報網に驚いていたが、彼が諜報部にいるから話が回ってきただけで、特に横領の件については誰でも知っている訳ではない。
彼も「やべ、言っちゃいけないことまで言っちゃった」と心の中で思っていたのだが、マリアなので言いふらしはしないだろうと、口止めだけしておくことにした。
チャールズの情報で、何故シェリルが動いているのか、マリアは手に取るように理解できた。
「シェリル様は多分、公の場で婚約破棄をさせるように、あの方を仕向けるはずだわ」
「ああ……普通の感覚の貴族ならあり得ない事だろうけどな。あの王子ならやりそうだな」
婚約破棄をさせられるかどうかは、マリアにかかっているのだ。マリアは思った以上に自身の立場が重要なことに改めて気づき、少し不安に感じ始めていた。
機敏にもその悩みを感じ取ったチャールズが、マリアを元気付けるために明るい声で提案する。
「じゃあ、俺も一肌脱いでやろうか?」
王宮で業務をこなしているチャールズが、何を手伝ってくれるのだろうか……彼が何を考えているのかを理解できないマリアは首を傾げるが、その後に続く言葉で目を見張る。
「いや、俺さ。宮廷魔道士としての能力が高いことを評価されて、学園での臨時講師をしないかって言われてるんだよ。元々講師はするつもりで調整していたんだが、まさかこんな面白そうな事が起きてるなんて思わなかったからさー。だらだらと準備してたんだよ。いやー、学期の途中から講師をする予定だったけど、学園長に年初からできるって言っとくわ」
「え、そんな話聞いてない」
「そりゃ、言ってないしな。当たり前だろ? 言わないままにしてマリアを驚かせようと思ったんだが、そんな事よりもシェリル様が提案した計画を成功に導かないといけないからな……そうだ、俺も第一王子がどんな女性が好きかリサーチしといてやるよ!」
「え?」
「あの王子の事だから、多分マリアの外見は好みだろうけど……好みの性格までは分からないもんな!そこは俺に任せとけよ!俺も付いているから、マリアはどんと構えてろって」
そう胸を叩くチャールズが可愛らしくて、思わず吹き出してしまうマリア。彼なりに元気付けたつもりなのだろう。それが分かったからこそ、先ほどの不安はどこかに吹き飛んでおり、胸にポカポカと暖かさを感じていた。
そして改めてお前ならできると、そう背中を押されたような気がして嬉しかった彼女は彼にしか見せたことのない満面の笑みを見せたのだった。