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シェリル・ボルジャーの憤怒

 時系列としては、婚約破棄事件が起こる一年ほど前の話になります。


* 一話目に元となる短編を載せているので、もし読んだことのない方はそちらから読んで頂くのをお勧めします。

読まなくても内容を理解できるようにはなっているとは思いますが……

「何ですって……?」


 学園の空き教室を借りて執務を行っていたシェリル・ボルジャー領主代行の元に、伝言がもたらされた。その伝言を聞き、彼女は周囲から「百合の花のように美しい」と称される顔を醜く歪め、エメラルドのように輝く瞳はこれでもか、という程細められる。

 彼女を忿怒の表情に変えたのは、姉であるアレクサンドラの婚約者、第一王子ブライアンに関わるものだった。


「はい、一ヶ月後に開催される王家主宰の社交パーティで使用するアレクサンドラ様の装束を、今年はボルジャー家で用意しろ、とのことです」


「……あの王子、やってくれたわね……」


 令嬢としてはあるまじき言葉遣いではあるが、この場合は仕方がないのかもしれない。


 ボルジャー公爵家は、代々外交官として帝国や他の王国との架け橋となり、現在に至るまで他国とは良好な関係を築いていた。

 そんな王家の腹心とも言えるボルジャー公爵家の長女、アレクサンドラは第一王子と同年代でありがながら幼い頃から外交官の職務に携わり、妹のシェリルと共に他国の外交官との交渉を何度も担ってきている。その優秀さと、唯一第一王子を嗜める事ができる令嬢として、第一王子の補佐、むしろ不足している部分を補う役目を期待され、彼の婚約者として発表された。


 アレクサンドラとの婚約に関しては、第一王子の戴冠に疑問を持っていた国内外の貴族から喜びと共に受け入れられる。何故なら彼を第二王子と比較すると、王族として必須である政治能力・人心掌握能力など全てが劣っているために、アレクサンドラがその穴を埋めてくれると考えられていたからだ。


 無論、少数派ではあるがボルジャー公爵家に反発する者もいる。ボルジャー公爵家が権力を持ちすぎるのでは無いか、と主張する派閥の貴族がいるが、彼らの心の内は、アレクサンドラを押しのけて娘を王妃にして権力を手に入れたいと考えている野心の高い貴族の集まりなのだ。


 上記のこともあり、ブライアンが諌める婚約者を嫌がっているとの話が反ボルジャー派閥の貴族に伝わると、彼らはこぞって自分の娘をブライアンに近づけ、彼の気を引くように娘に指示をした。するとあっさりとブライアンはアレクサンドラよりもその娘に気を持つようになる。それを注意したアレクサンドラをまた嫌う。それの繰り返しだった。


 そんな事を何年も続けてきたのだ。正直、王家はボルジャー家を蔑ろにしている、と言われても仕方のない状態まで来てしまっていた。

 そのような状態で、ブライアンは婚約者のアレクサンドラに装束を贈らない、と宣言。この行為は完全に王家は婚約者の家であるボルジャー家を軽んじていると表明した事になる。これは怒りを顕にしても仕方があるまい。


 ちなみに当のブライアンは正直なところ、この行為がボルジャー家を軽んじていることに気づいていない。そこまでの事を理解する頭が無い……正確に言うと、考えなしに行動を起こしているのである。


 勿論、シェリルがその事を知るはずがないのだが、彼女はブライアンが考えなしで行動しているのだろうと当たりを付けていた。本来なら彼女から見れば、ブライアンは姉を含めた公爵家を軽視している、と考えるのも当然だが……そのような考えにならないのは、シェリルも姉のアレクサンドラ程ではないが、ブライアンとは面識があるからだ。現在シェリルは学園に通っているが、一学年上には姉とブライアンが在籍していることもあり、ブライアンが無計画の人間であることは理解している。


 だがそれを差し引いても、今回の件に関して彼女は許す事が出来なかった。いや、引き金になったと言うべきなのだろうか。

 

 ブライアンは幼い頃から第一王子と言う地位に胡座をかき、周りの人間の忠告に耳を貸す事が現在に至るまで一度もなかった。それは婚約者であるアレクサンドラに対しても同様であり、彼女が諌めると一転してふてぶてしい態度をとり、馬鹿にする始末。アレクサンドラはその度に心を痛めるが、ブライアンは他の女性と享楽に耽ったり、友人と賭博で楽しんでいた。

 

 結局は、またアレクサンドラが婚約者としてその行為を咎め、その度にブライアンは彼女を毛嫌い……と悪循環となってしまう。その事で以前より思い悩んでいた姉のことをシェリルはずっと影から見ていたし、少しでも心が軽くなるようにと、アレクサンドラをお茶に誘うなど気晴らしになるような事に誘ってきた。


 けれども、アレクサンドラはブライアンについて文句を言うことはなかった。愚痴の一つでも言えば、吹っ切れる事ができるのだろうが、彼女は仲が良い妹にでさえ繰言を言わない。

 思い悩む姉の助けになれないシェリルは、ずっとブライアンの事を歯痒く思っていた。彼が一度でも良いからお姉様の話を聞いてくれれば……と何度となく思ったことか。


 それが現在まで続いた上、この仕打ちである。考えなしのブライアンでも、今までは毎年のように姉への贈答はあったのだ。最低限婚約者としての義務は……本当に最低限ではあるが、果たしているんだ、とシェリルにしては心を広くして考えていたのだが。 


「蔑ろにするのも良い加減にして欲しいわね。どうしてやろうかしら……」


 心の声が言葉に出てしまう程、彼女は我を忘れていた。その報告をした伝令は倒れたり、悲鳴をあげることはない。流石公爵家の人間である。ただ、余りの迫力に身体は小刻みに震え、顔面蒼白だ。


それほど彼女から発せられる怒りの感情は、父である公爵にも負けないほど。


 現在シェリルは忙殺されている外交官の父、ボルジャー公爵から領主代行を任されている。本来であれば、領主代行の地位は学園卒業後でなければ与えることは許されないのだが、彼女の高い能力と公爵の仕事の多さから特別に許可が得られたのだ。

 そんな次期公爵として名高いシェリルも、一つだけ我を忘れる事がある。それは姉に関する事だ。


 青い顔の伝令に気づいた彼女は、大きく息を吸う。そしてニッコリと伝令に笑いかけた。だが、残念なことに顔は笑っていても彼女が纏うオーラはどす黒く、怒りを隠し切れていないため、伝令の手はさらに小刻みに震えるのだが。


「この件についてはお父様もご存知なのかしら?」


「はい。旦那様からこの伝言を頂いております」


「そう。でしたら家令のジェフにこの件を伝えて。衣装については、彼とお姉さま付きの侍女に任せましょう。ちなみにこの件に関してお父様に詳しい事情を聞けるかどうか、尋ねて頂戴」


「はい、その事に関してですが、詳細については後ほど旦那様よりお話があるとのことです。本日、学園に赴かれるそうなので、その際に聞いてくれ、とのことです」


「お父様が学園に……まぁ公爵家に戻る手間を考えると、学園に来た方が良いのかしらね」


「時間の関係上、学園に訪れる方が早いと仰っておりました」


「そう、分かったわ。後は何かあるかしら? 」


「学園長への伝言については私がこの後参りますので、場所の準備をお願い致します」


「ありがとう、下がって頂戴」


 話していて冷静になったのだろうか、シェリルから発せられる怒りのオーラは少なくなっていた。先ほどまで小刻みに震えていた伝令は、 報告が終わった安堵で気が抜けたのか、落ち着いた足取りで部屋から出ていった。


 それを見届けた彼女はすぐさま机の上にあった書類を右側のテーブルに全て置き、足を組んで頬杖をつく。冷静にはなったが、怒りは収まっていないのだ。婚約者である姉アレクサンドラに迷惑ばかりかける第一王子をどうしてやろうか……いっそのこと、廃嫡にできないか?と考え始めたその時、扉から聴きなれた声がした。


「あれ、僕の机の上に書類があるんだけど……? 」


 部屋に入ってきたのはシェリルの婚約者である、ハワード。彼はボルジャー家の分家であるウィンズ侯爵家の次男で、シェリルと同い年である。公爵が彼の資質を気に入ってシェリルの婚約者に指名し、以前よりシェリルと共に家令から指導を受けてきていた。

 艶のあるシルバーグレイの髪に青と緑の中間のターコイズグリーンの瞳を持っており、社交界に出れば令嬢や淑女の視線を一気に掻っ攫ってしまうほどの美貌の持ち主だ。

 気が強くて口数が多めのシェリルとは違い、おっとりマイペースなハワードだが、なかなかウマが合うらしい。

 

 現在彼女の暴走を止める事ができるのは、家族を抜かせば彼、ハワードしかいない。

 

 そんな困惑顔のハワードに、シェリルは容赦無く書類を押し付ける。


「それ、お願いできるかしら? 私は少し考え事をするわ」


「ちょ、ちょっと待ってよ。さっき僕の分は終わらせたんだけど……それに、そこに積んであるのは領主代行の君の承認でないと駄目な案件じゃなかったかな? 」


「その分は終わらせたわ。そこの書類は貴方でも大丈夫な案件よ」


「……本当だ……これは一本取られたね。しかし、いきなりどうしたんだい? ……あ、もしかして第一王子がまたやらかした? 」


 第一王子に対してなんて態度なのだ……と普段は怒られるところだろうが、ここは二人とボルジャー家の使用人しかいないので、それを咎める者もいない。

 シェリルは以前から、ブライアンの愚痴をハワードに言う事が多かった。と言うか、大抵シェリルが怒っている時は、姉のアレクサンドラ……の婚約者のブライアンが何か失態を犯した時だ。だから、ハワードの頭の中では、「シェリルが怒る=ブライアンがやらかす」という図式ができている。


 それに、第一王子に関する評判は、悪いものが多い。以前は多少なりとも執務をこなしていたが、現在は執務に携わることなく、享楽に耽ってばかり。仲間内の賭けで大損した事も何度もあったらしい。そしてその尻拭いをするのは、婚約者であるアレクサンドラだった。噂話ならまだしも、この話は事実として貴族の格好の語り草となっているため、第一王子に関わりがほぼ無いはずの、男爵家や子爵家の令息令嬢たちですらもこの事を知っている。


 ハワードとしても、そんな不評のブライアンの肩を持つ理由はない。また周囲に迷惑をかけたのか、と思っていたのだが、シェリルの話は彼の想像の斜め上を行ってしまう。


「お姉さまの装束をこちらで用意しろ、との事よ」


「は……あの御坊ちゃまは、婚約者に対する義務すら放棄したのかな。この状態でよく、自分が王太子になるんだと言い張れるねぇ」


 ハワードも王子の行動に呆れたのか、肩を竦める。彼の反応は、この国の貴族であるならば普通だ。もし彼とは異なる反応をする貴族がいるならば、それは煽てるのが上手な人間か、王子を傀儡にしようと企んでいる人間だろう。


「まぁ、でも何か事情があるんじゃない? ……あるよね、きっと」


「無かったら叩き潰してやるわ」


「おおー、過激だねぇ。僕でもシェリルを止められるか分からないな」


「むしろ協力してもらうから、覚悟しててね? 」


 「仕方ないなぁ」と言いながら、ハワードは机の上に置かれた書類を捌き始める。シェリルはその光景を横目で見ながら、あの優しい姉がどのようにすれば婚約者を諦める事ができるのか、を考え始めたのだった。


 

 

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