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ブライアン・マーティンの愚行

「何故このような執事の真似事をしなくてはならないのだ!!」


 陛下の弟であるマーレス侯爵の元で執事見習いをしているブライアン。ブライアンは現在、侯爵家の使用人屋敷で与えられた自室にいた。


 その部屋は王宮で使用していた部屋の半分にも満たない、ベッドと机と椅子があるだけの部屋。食事は使用人屋敷の食堂でとれるが、以前と比べれば質素な食事。それに食事は自分で取りにいかなければ、食いっぱぐれてしまう。ここに来た初日、彼は食事は部屋に持ってきてくれるものだと考えており、夜になっても食事が来ないと、食堂に怒鳴りに走ったこともあった。食堂は真っ暗で誰もおらず、偶然起きていた料理人を叱りつけたのだが、その件で翌日、マーレス侯爵の右腕である執事長に怒られたのである。事前に『自分で取りに行くように』と執事長に説明されていたにも関わらず、その話を聞いていなかったからだ。


 自業自得ではあるのだがそんな事が積み重なり、苛々は頂点に達していた。

 ベッドにうつ伏せに寝転んで顔だけ上げているその目には怒りが溢れている。今日もブライアンは執事長に怒鳴られつつも、下働きをこなしていた。執事長は『出来ない』事で怒ったりはしないのだが、やる気がない、一度言ったことが出来ていない事については厳しい。その両方とも出来ていないブライアンは指導される対象になるのだが、残念ながら彼にはその事を理解できていなかった。

 

「いや、もう少しの辛抱だ。いつかは王宮に帰れるはずだ」


 そう、彼は呟きながら……疲れからなのか、そのまま夢の世界へと旅立って行った。









 卒業パーティの後、ブライアンは父である国王陛下、宰相、そして両思いであったはずのマリア・バレットの四人で王城のある部屋で話をしていた。

 初めはマリアと国王と宰相の三人で話し合っていたのだが、ブライアンが「マリアと話をさせろ」と暴れていたため、マリアの了解を取って今に至るのだ。勿論、ブライアンが騒ぐことは目に見えていたので、事前に国王は近衛兵を何人か呼びつけ、マリアに危害が及ばないように対応することとなっていた。

 

 この呼びつけは本来、シェリルの計画を手伝ったマリアに対しての感謝と、アレクサンドラが王家に嫁入りする事に反対している派閥を全て把握するためのものであり、和やかに行われた。だが、その後急遽ブライアンが参加する事になったため、部屋の中はただならぬ雰囲気に支配されていた。

 その空気を破ったのは、ブライアンだ。


「マリア、何故あんな事を言ったのだ?……君を虐めていたのはアレクサンドラだろう?!」


 マリアのために虐めという罪を犯した婚約者を断罪したはずが、何故自分が怒られたのか。その事を全く理解できていなかったブライアン。その様子を見て、国王と宰相は頭を抱えたくなるくらい、彼に失望していた。

 マリアがブライアンを見る目には、今や軽蔑の色しか残っていないのだが、彼はその事実を受け入れる事ができないのだ。


「ブライアン、落ち着くが良い。先ほど彼女から話を聞いたのだが、マリア嬢は元々アレクサンドラ嬢と仲違いなどしていないとの話だ。そもそも何故お前は二人が仲違いしたと思ったのだ?」


「彼女に一番初めに会った時、彼女が泣いていたので……その時に、去っていくアレクサンドラの後ろ姿が見えたのです」


「その件については、私共も聞いております。確か一人で物語を読んでいて、感極まって泣いてしまっていたのを、アレクサンドラ様が見つけて……落ち着かれるようにと、飲み物を取りに食堂へ向かったところを殿下が見られたとのこと」


 「は……?」


 ブライアンは宰相から思ってもみない事実を突きつけられる。自分が真実だと思っていた事が、実は真実では無かった……その事に気づいたのだ。


 勿論、この件についてはシェリルの計画通りだった。

 アレクサンドラがその場を立ち去る時に、目の赤い泣いている令嬢がいれば、アレクサンドラが虐めたのではと思うであろう。そう簡単に思い込ませる事ができるのか、と思うだろうが、思い込ませる相手がブライアンである。いつもアレクサンドラを蔑んでいる彼がこの場面を見れば、元々完璧な令嬢だと讃えられていた彼女であるからこそ、彼女にダメージを与えられるのではと考えるのではないか。そして実際、アレクサンドラがマリアを虐めていたと考えたのである。


 その場はお供であるライズに止められてマリアと話すことは無かったが、ここからブライアンはマリアに興味を持ち、接近していく事になる。「まさかこんなに上手くいくとはね」とはシェリル談である。これが駄目なら……と色々と他にも考えていたらしかったが。「これで引っかかるなら、もう少し詰めの甘い計画でも良さそうね」とシェリルがため息を吐いたくらい、ブライアンは見事に罠にハマったのである。


「それにいつもお前は決めつけではなしていたようだな? 考えてもみなさい……王族のお前が伯爵家の令嬢であるマリア嬢に例えば『俺の事が好きなんだろう』と話されても、曖昧に微笑むしかないだろう? お前は王族だ。彼女からすれば身分を振りかざして、否定できないのをお前が良いように取ってしまったようだな。アレクサンドラ嬢の罪の件についても、マリア嬢はお前に一言も彼女が虐めたと言ったことはないそうだ。その件については、お前に付けていた暗部にも確認をとっている。全く、完全な思い込みで冤罪を起こすとは……」


 頭を抱えている国王である父には見向きもせず、奥で静かに佇んでいるマリアに縋ろうと一歩前に足を出す。しかし、残念ながらその足は近衛兵によって阻止され踏み込むことすらできない。そんなブライアンの様子を見た国王は、この結果を王妃に伝えるために先に部屋を後にする。

 父親が居なくなった事にすら気づかないブライアン。それもそうだろう。今まで信じていたものが、全ては勘違いだったのだ。父親に言われたその言葉がブライアンの頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。


「そんな……嘘だ、嘘だと言ってくれよ、マリア……」


「殿下、婚約者でもない女性を呼び捨てで呼ぶのははしたない事ですからお止めください」


 既に宰相の咎める声すらももう聞こえていない。お互い愛し合っていると思い、彼女のために断罪を決行したにも関わらず……それが勘違いで全くの嘘だったとは。


「殿下は、廃嫡となりましたが……陛下の弟君であるマーレス侯爵が引き取ってくださるとの事です。そちらで執事見習いとして、お過ごしください」


 宰相の言葉はもう彼の耳には届かない。その様子を見た宰相は肩を竦めたあと、国王に許可を得て近衛兵に自室に連れていくよう指示をする。勿論、自室から出ないように監禁状態にしておくつもりだ。


 近衛兵に連れられたブライアンが引きずられて部屋から出ていく。その後ろ姿を見送ったマリアは宰相に声をかけ、この部屋を辞する事を伝え、背を向けた。

その様子を見送った宰相は、一人になった部屋でこう口に出していた。


「これで彼らの怒りは収まるでしょう……本当にあの方はどこまでも愚かでしたね」


 しばらくは閉まった扉を見つめていた宰相だったが、その顔には一仕事終えた後のような笑みを湛えていた。

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