5.猟協会、始動
さて先輩の妄想はとりあえず置いといて……。
「いや俺らには全くわかんないけど、これとにかく日本の生き物じゃないよね」
会長が不思議がります。
「まだ結論は早いですけど、僕はこれ粘菌じゃないかと思いますね」
「ねんきんってなに?」
「ねばっこいばい菌の菌と書いて粘菌です。こんなふうに……」
お店のWi-Fiにノートパソコンを接続して海外動画のサイト出します。
そこにはアメーバーのように動きながら集まった粘菌が合体してキノコみたいな形になる様子が動画で公開されてます。
「うわースライムって現実にいるんだ!」
「いや俺こんなの見たこと無いんだけど」
「これ日本にもいるの?」
「たしかにそっくりだね」
「いますよ。でもこれ微生物です。見ればわかると思うけど顕微鏡で見ないとわからないような小さいやつで、バクテリアを餌にして繁殖します」
「よく知ってるなシン、こんなの」
「僕が知ってるもので一番近いものがコレかと。 南方熊楠とか昭和天皇が御専門で有名だったと思います」
「じゃあ、コレが巨大化したのがアレ!!」
今度は「巨大化」に食いつくんですか沙羅先輩。
「きっと政府の人間か電力会社が原発の核廃棄物をこの街のどこかに放棄したんだよ! だから放射能の影響を受けて巨大化したんだよ!」
「いや新種の粘菌だとは思わないんですか先輩。いったい誰がこんな町に放射性廃棄物を投棄するんです。だいたい『放射能』の言葉の使い方が間違ってます」
「なにが?」
「放射能ってのは放射性物質が放射線を放出する性質のことを言うのであって物質の名前じゃありません。『放射能力』、と言い換えるとわかりやすいかと思いますが……」
「つまりアメーバーのゴジラみたいなもの?」
たとえがゴジラですか会長。まあ会長の世代だとなんでも放射能で巨大化ですよね。
「それはまあ何かというのは後でなんとかするとして、コレ罠でつかまるの?」
「手足が無いからくくり罠はダメだよね」
事務局長の田原さんと事務局補佐の清水さんが言います。この二人は罠免許も持っています。
くくり罠ってのはワイヤーとバネでできた罠で、踏むと足にワイヤーの輪がバネで縮んで足を縛り付けるという罠です。日本でも許可されている数少ない罠の形式の一つで、現在の主流ですね。
「くくり罠の短径は12センチ以下ですからね」
現在ヒグマをくくり罠で捕らえることは禁止されており、人間やクマが間違ってかからないように直径が厳しく規制されています。短径ってのは、つまり輪の直径の一番小さい部分で、一番直径の小さい部分が12センチ以下なら楕円で全体が12センチより大きくてもいいんですが、まあそんな罠作る人もあんまりいませんで丸く作る人がほとんどですね。それに相手が軟体動物じゃあねえ……。
「じゃ箱罠?」
箱罠は文字通り大きな檻になっている箱の中に餌を入れ、その餌に食いつくと扉が閉まって動物が閉じ込められる形になってます。獲物を殺したりケガをさせたりしませんので犬や猫が間違ってかかっても安心で、役所はコレを使わせたがるんですよ。でも目の前にたくさんのエサになる野菜がある中で、わざわざ箱の中のエサを盗る動物もいないわけで大変に成功率の低い罠と言えますねえ……。
「それしかないと思いますね」
「これ大きさどれぐらい?」
「柵の高さが1mですから、たぶん高さ50cm、直径1m」
「キツネ罠じゃ小さいな。シカ罠かクマ罠でないと……」
「餌は何使うの?」
「牛が食べられるんです。お肉が好きだと思いますね」
「そうか、うーん……。あ、クマ肉だったら今いっぱいあるけど」
「冷蔵庫が満杯なんだよな」
「誰に聞いても『いらん』って言うしなあ……。シンいらんか?」
「いりませんよクマなんて……」
「お前が仕留めたんだろが」
「え、なかじークマ仕留めたの! すごい――っ!」
「知りません。関係ないです」
その件には触れてほしくありません。
子供をクマから守って撃ったなんて一見美談、先輩がネットとかSNSとかに書き込んだりでもしたらマスコミがたかってきます。
すぐに子供が襲われそうな危険な状況で発砲したとか、市街地で発砲したことが知られて連日批判されるわ告発されるわ役場までマスコミがコメントを求めて押しかけるわ謝罪会見させられるわで、せっかくの不起訴処分が取り消されかねません。
マスコミはクマが出るといつも「地元の猟協会によって射殺されました」ですからね。「市町村により殺処分されました」なんて報道してくれたことがありません。駆除の決定をしてそれを猟協会に依頼しているのは自治体なのにね。猟協会が依頼も無いのに勝手に駆除はできないんですよ。
「お嬢ちゃんは熊肉いらない?」
「いらない」
……まあ一般の人の反応はそうでしょうね。
おじいちゃんがクマ獲ってきたとき食わされましたけど、家畜として精魂込めて農家さんたちが育てた牛肉や豚肉よりおいしいわけがありません。僕は遠慮したいですねえ。
「じゃ、明日の晩から仕掛けられるように準備お願いしていいですか?」
「ああ、俺らでやるよ。田原さんも清水さんも罠免許持ってるからな」
会長が引き受けてくれます。これでなんとかなればいいんですが。
「中島はどうすんだ、今夜とか」
副会長の村田さんが聞きます。
「僕はこれから町営牧場に行ってみんなと一緒に見張りですよ」
「見張るって……こんなの出たらどうすんのさ。鉄砲使ったら違反だべ」
「とりあえず爆竹、ロケット花火です」
「そんなもんで逃げんのかね」
「逃げなかったら牛が襲われるところをカメラで記録ですね」
「いやそんなわけにいかんしょ」
「できることがそれぐらいです」
「棒の先にナイフつけて槍で刺すとかさ、スコップで殴るとかさ」
「誰がそれやるんです?」
「お前がやれよ」
「猟協会は自警団じゃありません。牛がやられるような相手に危険なことはできません」
「だからお前はバカなんだよ。そこを何とかするのが役場だべ」
「そんなの役場の仕事に含まれません。専門の業者に依頼するとかが仕事です」
「バカかお前。こんなもん捕まえる業者いるわけないべや」
「いるわけ無いですよ。決まってるじゃないですか。じゃあバカでない賢い対策という奴を村田さんがやってくれるということでお任せしましょうかね?」
僕はどうもこの村田さんとは馬が合いませんで、大嫌いですね。
文句ばかり言って自分では何もやらないんですよこの人。まあよくいる、若い人をいじめて喜ぶタイプの人です。
「ヤダよ。俺はなんもやらんからなこんなもん」
「はい、そうしていただけると大変助かります」
文句ばかり言う人って言うのは例外なく問題解決能力がゼロです。自分で何とかしようとはしませんね。こういう人は無関係でいてくれるのが一番です。
ハラハラ見守ってたみんなが凍り付きます。
僕と村田さんが仲悪いのはみんな知ってますからね。どういうわけか入会当時から僕、一方的にこの人に敵視されてまして、気に食わないのはこっちも同じです。
ま、いつもの新人いじめをやろうとしたら、僕がおじいちゃん譲りの知識も腕もあっていじめることができなくて、面白くないと思ってるんでしょう。もちろんおじいちゃんとも超仲悪いです。そのせいもあるでしょうね僕が敵視されるのは。
「じゃあ後はお願いします。僕は町営牧場にいかないといけませんので」
ふんって村田さんが口をへの字にしてますけど知ったこっちゃないです。
「あ、私も行く――!」
「関係者以外立ち入り禁止です。来ないでください」
「本当にスライムだったらアドバイザーが必要でしょう?!」
「何の専門家なんですか先輩は……。さ、飲み食いした分払って」
「いいよ中島君、お嬢ちゃん。中島君おにぎりとウーロン茶しか飲み食いしてないしお嬢ちゃんの分は俺たちのオゴリで」
「ご馳走様でーす!」
……会長、若い娘前にいいかっこしたいのかもしれませんが図に乗らせるだけですよこの人には……。
僕も会長にお礼を言って、お店を出て停めておいた軽四駆に乗り込みます。
先輩、勝手に助手席のドアを開けて乗ってきます。
「だからダメだってば先輩!」
「うあー車買ったんだ。ジムニーだよねコレ」
「そうですよまだローン払ってますから汚さないでくださいよ」
「こんなんで鹿運べるの?」
「運べません。悪かったですね」
「装備凄い」
「凄くないです。ノーマルです」
ジムニーというと改造しまくったやつ思い浮かぶ人もいるかもしれませんが、僕のジムニーは新車で買ってノーマルのままです。
ジムニーって北海道で買うと5万キロとか走った中古でも60万とか80万とかする人気車種です。なんで長い目で見たら新車で買ったほうが安いですわ。ジムニーって北海道じゃ、農家の奥さんのお買い物車ですから中古ではいくら探してもオートマしかありませんで、僕みたいにマニュアル車買おうと思ったら新車で買うしかなかったですね。
「無改造なの?」
「ノーマルのジムニーが走れないところはランドクルーザーもハイラックスも走れません。改造する意味がありませんて」
猟協会のメンバーはもう圧倒的にランドクルーザーです。獲ったシカを荷台に乗せるためにピックアップトラックのハイラックスも人気です。僕はそんなものが買えるほどお金が自由になりませんので、悪かったですね。
足回りがノーマルなのは、ジムニーは改造しなくても十分これでどこにでも行けるからです。冬、どうしても入って行かないといけない場所なんてのがあったらスノータイヤにチェーン巻けばいいですし、ジムニーが入れないようなところはメンバーのみんなも諦めますから。ジムニーがハマったらランドクルーザーで引っ張り出せますが、逆は無理ですもんね。
「でもこれ凄い」
「アマチュア無線機です。触らないで」
猟協会でも前はアマチュア無線で通信してましたが、最近は総務省の指導があってハンティングでアマ無線使うの禁止にされまして、「業務に使用してはならない」という電波法に従って今は合同の一斉駆除ではデジタル簡易無線を使ってます。でも、役場の依頼を受けた一斉駆除は業務ですが、個人的に仲間とハンティングに行くのは業務に当たらないのでアマ無線の出番もあるんです。
「先輩、自分の車は?」
「私飲んじゃったからもう乗れないしーっ」
ああ、生ビール三杯がぶ飲みしてましたっけねえ……。
「……じゃあ行きますよ」
「もしかして鉄砲も積んでるの?」
「そんなことしたら違反です。持ってませんよ」
銃を車の中に置きっぱなしにしておくのは違反です。保管場所として認められません。一発許可取り消しです。
「つまんない」
「面白い仕事なわけがないですよ……」
そう言って、僕は車を出しました。
町営牧場行ったら、職員さんがみんなまだ仕事していました。放牧していた牛を牛舎に戻したり、麦わらを敷いたりとか。
まだ成牛になる前の牛たちですから乳しぼりは無いですけど、世話は夜まで続きます。そのかわり昼間は割とヒマなので労働時間が長いわけじゃないですけど、拘束時間は長いということになるかな。
一通り作業が終わって、夜八時。いよいよこれから夜明けまで柵を見張ります。
牛舎に入りきらず、放している牛は一か所の柵の中に集めて、集中して監視です。
「本当に来るのかねえ」
みんなで牛舎の外でジンギスカン焼きながら待ちます。
職員さんは五人。それに僕と先輩。
「ビールが欲しい」
「まだ飲むんですか先輩……。みんな我慢してるんだから先輩も我慢してくださいよ……」
牛舎周辺の照明を全部点灯させて、車も全部牧場に向けていつでも点灯できるようにしてます。
「もし来たら?」
「まず爆竹、そしてロケット花火です」
爆竹とロケット花火は農家の必需品です。夏でなくても年中農協の資材店で売ってます。これでハトやカラスやその他の農作物を荒らす害獣を追い払うのに使われています。
「それで逃げなかったら?」
「うーん僕としては危険は避けたいのでビデオで撮るだけにしたいですね」
そう言って役場の備品のビデオカメラ出します。
「牛がやられるのを見てろっての?」
「牛がやられるんだから人間が相手するともっと危ないと思いますし」
「中島君猟協会だよね。鉄砲で撃ってくれないの?」
「夜間の発砲は銃刀法違反です。それに猟期以外に町で害獣指定していない生き物を撃つのも鳥獣法違反です。できないですね」
「めんどくさいんだな猟協会……」
「そうですよ。日本で鉄砲で撃てるのなんてほんの限られた条件の中の一部の動物だけなんですよ。世界一厳しいです」
ふーんとみんながしかめっ面になりますけどしょうがないね。
「勝手に、こっそりバンバン撃っちゃうってのはダメなの? バレなきゃOKとか」
なに言ってんですか先輩……。
「そういうのは最悪です。長い時間かけて築いてきたハンターの信頼があっという間にゼロになります。こういう危ないことほど、こそこそ隠れてやるんじゃなくて、ちゃんと手続きして、許可をもらって、大っぴらにやるべきなんですよ。僕はいつだってそうしてます」
「……固いなあなかじーは」
ハンターは誤解されやすい職業です。信頼される組織であるために一人一人が努力しています。
僕一人が余計なことをして日本全国のハンターに迷惑をかけるわけにはいかないんですよ。
たった一人が猟銃やナイフで犯罪犯したために銃刀法が一段グンと厳しくなる、エアソフトガンやモデルガンまで規制がされる。カッターナイフを筆箱に入れておくことも、スイスアーミーナイフを車のダッシュボードに入れておくこともできなくなる。不正をしたせいで狩猟の手続きが一段と難しくなる。一度厳しくなった法規制は二度と緩和されることがありません。ずーっとそんなことを繰り返した結果、日本は世界で一番銃刀法が厳しい国になっちゃったんですから……。
※令和四年より総務省より、「ボランティア、災害活動におけるアマチュア無線の使用許可(害獣駆除を含む)」が解禁されました。アマ無線にハンター無線が入り込んで通報されるケースが全国でありますが、現場に駆けつけてきた警察に「市町村の依頼で害獣駆除をやってます」と説明すれば現在おとがめはありません。
次回「6.法律の抜け穴」