2.キャトルミューティレーション、発生
「おい中島君、町営牧場行ってくれ」
「はい、なんかありましたか?」
「牛が襲われたんだとさ。死体になってるから見てくれって」
「クマかキツネかなんでしょうかねえ」
「いやそれがわからんのだと。とにかく見に来いの一点張りでさあ」
先日捕らえたクマのものと思われるデントコーンの食害被害額をパソコンでまとめてた僕は農政課の大山課長に声をかけられまして、なんだかよくわからないまま街はずれの町営牧場に向かいました。
事務所に行ってから職員さんに案内してもらいます。
「これだよ」と言ってみせてもらったのがホネです。牧草の上に骨がバラバラに散らばってます。
「えええええ……」
デカい骨ですよね。牛の骨です。それも白い、ピカピカの。
みなさん野生動物の骨って森や山で見つけたことがありますか? 普通風化してボロボロでしょ? 表面がカサカサしてます。
でもこの骨は昨日今日、ホネにされたみたいにピカピカで湿っていて生々しいです。しゃぶりつくしたフライドチキンって感じですね。
「なにに食われたらこうなるんでしょうねえ……」
「キツネはこんなふうにきれいに舐めたりしないし、かと言ってクマもこんなふうにはしないよなあ」
とりあえずデジカメで写真撮っておきます。状況は記録しておかないとね。
骨の周りの牧草は押しつぶされて平らになってます。大量の足跡とかありません。全体が押しつぶされたみたいです。なにか大きなものが転がって全体的に押しつぶされた? そんな感じです。ローラーで潰したような。
牛泥棒がこの場で解体して肉持ってったってなら内臓とか血の跡とかトラクターやトラックとかの跡とかありそうですけど、それも無いです。クマやキツネとかの肉食獣が牛捕まえてなんかしたという痕跡でもありませんしねえ。暴れた跡がありませんし、柵も壊されていませんし。
「これってあれでないの? ほら空飛ぶ円盤が牛捕まえてどうのこうの」
「キャトルミューティレーションですか」
「そうそうそれそれ! そんなんよく知ってるな中島!」
UFO目撃談とかありますかねえこの周辺?
「とにかく僕が見たってわけわからないですよこれ。どうしましょうか」
「夜見張って、何が来るか監視するか?」
えええええ。時間外労働ですか。イヤだなあ……。
「トレイルカメラ仕掛けますから、それで数日様子を見ましょうよ」
「そうすっか」
トレイルカメラってのは要するに監視カメラです。
夜間用の監視カメラでね、動くものを感知すると高感度カメラで自動的にメモリーカードに記録してくれますよ。今はこんなのも一台二万円ぐらいで買えます。それを町営牧場の柵に設置してますと、携帯に電話かかってきました。
「はい中島です」
「あ、中島さん? 穂得警察署、生活安全課の白河です」
「どうもお世話になってます、なんの用です?」
白河さんは銃砲所持の申請とか所持許可の発行とかで何度も顔を合わせてますから知り合いです。年に一度の銃砲の点検もこの人ですし、鉄砲の弾を買うにもいちいちこの人に申請して許可をもらわないといけません。そのたびに隣町の警察署に行かないといけないんだからもう何回顔を合わせたかわかりませんよ。
あ、銃砲所持許可の申請も警察の生活安全課です。全国どこでもそうです。
「なんの用って……ほらあの住宅地での発砲事件」
「勝手に事件にしないでください」
「いや小学校の敷地で発砲したら事件でしょ。あれ書類送検したんだけど検察で不起訴処分になったから」
「敷地じゃないです。裏山の公道上。話盛らないでください。それにしても話早いですね……一週間ぐらいしかたってないでしょ? いいんですかそんなんで」
「こんなこといつまでもグダグダやってらんないって」
「だったら最初から告発しないでください」
「あのねえ、これ全部警察の仕事なの。起訴するかしないか判断するのは検察の仕事でね、警察は勝手に判断できないの、ちゃんと書類送検までやって警察の仕事は終わりなの」
「で、なんで不起訴になったんですか?」
「まあいわゆる緊急避難が認められて」
「そういうのって裁判とかで喧々諤々やるもんだと思ってました」
「検察もこれ有罪にするのめんどくさすぎると思ったんだと思うよ」
……公務員それでいいのか? 仕事しろよ。いや、今回に限っては仕事しない公務員に感謝ですか……。
「今後のために聞いておきたいんですけどね、警察に書類送検されないようにやる緊急避難の方法ってやつを教えておいてもらいたいですねえ僕は」
「あー、今後そういうことがあったら現場の警察官に判断してもらって」
「ええええ――――!」
「現場で立ち会ってる警察官が危険だと判断して発砲許可したら撃っていいから」
「そんな判断駐在さんがしてくれますかね!? っていうかそううまいこと駐在さんが現場にいるとは限らないでしょ? だいたい現場にいるなら警官が発砲すりゃいい話でしょ? 鉄砲持ってるでしょ警官」
「なんと言われても警察としてはそう回答するしかないの。悪いけど」
うわあ最悪。
「じゃあまた子供が熊に襲われるようなことがあって現場に警察官がいなかったら、僕らハンターは有罪、罰金刑または実刑覚悟の上でクマを仕留めるしかないんですね」
「いや撃たないようにしてよ」
「子供が熊に食べられてても?」
「……いや気持ちはわかるけど、どう言われても私ら警察は違法とわかっていてもクマを撃てなんて言えないねえ」
なんかむちゃくちゃ腹立ってきました。
「とにかく不起訴処分ということはおとがめはないんですね?」
「ないよ」
「次の銃砲所持許可更新もちゃんとできるんですね? 賞罰の報告する必要はないんですね」
「ないですよ」
「はいわかりました。ご苦労さまです。では」
「あっちょ」
ぱたん、僕は携帯を折りたたんでポケットに突っ込んでやりました。
ぷるるるるるる。ぷるるるるるる。
なんだよもう……。
「今度はなんですか?」
「忘れないでよ。鉄砲」
あー、証拠物件とかで押収されていましたっけ。
「返すから取りに来て」
「はいはい、5時でいいですか?」
「もうちょっと早く来れない?」
「4時55分には。では」
ぱたん。僕は携帯の電源を切ってポケットに突っ込みました。
定時で帰ろうとすんなよ警察官……。もうちょっと仕事しようよ。
トレイルカメラを四箇所に設置してから、40分ほどかかる隣町の穂得警察署まで行きまして、生活安全課に文句言われながら鉄砲返してもらいましたよ。書類に三枚もサインしないといけないんだから。
「……サビ浮いちゃったじゃないですか」
撃ってすぐ押収されましたから手入れされていませんもんね。
「いやそう言われてもねえ。証拠物件だから現状維持しないといけないし」
ろくに口も聞かずに黙々とサインしまして、ハンコも押して、愛銃のレミントンM870をガンケースに入れてからすぐに家に帰り、ガンロッカーに収めます。鉄砲を車に積んでいるうちは寄り道とかできません。車に銃を入れっぱなしで離れると管理状況下に無いということで違反になりますから。
役場に車を返してから帰ってきて、ゆっくり銃の手入れをします。
機関部にサビが浮いてますけど、汎用潤滑剤のWD−40をふきかけてよく磨けばまあほとんど見た目わからないぐらいに元に戻ります。銃身も取り外して吹きかけ、クリーニングロッドの先にブラシを取り付けて往復させたあと、ボロ布を押し込んでやると銃身内部もピカピカになりました。
サボットスラグなので、ハーフライフルです。
ハーフライフルというのは散弾銃の銃身の内側に螺旋状の溝が切ってある銃身のことです。日本の法律で銃身の長さの半分まで溝であるライフルを削り落としてあります。こうしないと散弾銃としての所持が認められませんので仕方がないですね。
銃砲所持許可をもらって最初に持てる銃は散弾銃か空気銃に限られます。
ライフルは散弾銃を十年以上継続して所持、運用した実績がなければ所持許可が降りません。これは空気銃ではダメで、散弾銃のような火薬を使う装薬銃に限られます。
十数年前からアメリカで散弾銃にライフリングを施すサボットスラグという銃が売り出されるようになりました。これはただの筒であるスムースボアの散弾銃からスラッグという一発玉を撃ち出すのでは命中精度が悪いということで、回転かけて命中精度をあげようということで作られたものです。
弾はプラスティックのサボットに包まれていて、ライフリングで回転させられながら発射し、銃口を飛び出したところで空気抵抗でサボット部分が開いて落ち、弾だけが回転しながら飛んでいくという構造になっています。
通常のスラッグ弾が射程距離が50m程度なのに比べると、このサボットスラグのライフル銃身散弾銃は100m以上はなんとか狙えるという性能がありますが、これに日本の警察が噛みついて、「ライフリングが刻んであるんだからこれは散弾銃ではなくライフルである」と言い出したので所持が全面禁止されることになってしまいました。
アメリカではこれは散弾銃ということになってます。州により法律が違いますが、銃によって猟期が異なり、ライフルは禁止、散弾銃しか使えない猟期というものがありまして、その間使うために開発されたのがこのサボットスラグなわけですが日本の警察はその点融通が全く効かないということになりますか。
で、いろいろモメにモメた結果、「ではライフリングを半分以上削り落とすなら散弾銃として認めてやっても良い」ということになって日本中のサボットスラグ専用銃身が泣く泣く半分に削り落とされてしまいました。
なので、僕がおじいちゃんからもらったこのレミントンM870もライフリングが半分以上削り落とされているわけで……。それでハーフライフルと呼ばれているわけで……。
実感ですが、ライフリングを半分以下に削り落としたからって、そんなに命中精度が下がったりはしませんね、幸いながら。
海外動画で見るフルライフルの射撃映像とか見る限りは僕と命中精度たいして変わんないですから気にするようなことじゃないですな。
結果的に警察の「散弾銃としては性能が高すぎる。半分に落としてやれ」という嫌がらせは失敗しているということになりますか。
なんで命中精度が高いと危険ってことになるのかまったくわかりません。
命中精度が悪いどこに当たるかわからない銃のほうが圧倒的に危険だと思うんですけど、警察の考えることはわかりませんね。
ま、そんなことはどうでもいいです。
手入れを終わらせてデスクトップPCを見ると、メールが一通来てました。
「うげっ……」
沙羅先輩です。
『町営牧場でキャトルミューティレーションあったんだって? 聞かせてよ!』だって。話早いな。ちょー早い……。
あっそうか、ケータイの電源切ってたからこっちきたのか。
沙羅先輩に電話です。
「あ、もしもし、中島です。お久しぶりです。なにかありましたか?」
「なかじー電話出ないし、なにやってたの!」
「すいません電源切ってたのもので。なんの用事でしょう?」
「だから町営牧場でキャトルミューティレーションがあったんでしょう!?」
「あれって野生動物が襲っただけだってのが定説だったと思いますけど」
「いいから報告に来なさい! 焼き鳥大将で待ってるからね!」
うわあ強引……。
2025年3月よりハーフライフル規制が施行され、ライフル同様ハーフライフル所持は散弾銃の継続した十年以上の所持経験が無ければ取得できないように法改正された。散弾銃を十年所持してライフルではなくハーフライフルをわざわざ選んで買うハンターがいるわけ無く、事実上ハーフライフルの廃止である。
現在北海道等、シカやヒグマの害獣駆除に従事することを条件に所持が認められる特例があるが、要するにハンターの害獣駆除参加の義務化であり、ハンターの負担はよりいっそう過酷となりさらなるハンター人口の激減が懸念される。
次回、「3.めんどくさい先輩」