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作者: 偽ゴーストライター本人

「俺、政治家になります」

「はあ?」

 都内にある芸能事務所の応接室で、五十代の女社長は素っ頓狂な声をあげた。そして目の前に座っている男性タレントの顔をまじまじと見つめた。

「平田・・・あなた今なんて言ったのかしら?」

「俺は今度の選挙に立候補することに決めました。もう地元では選挙の備も始めています」

「・・・・・・」

 平田の言葉に女社長は絶句していた。そしてあらためて正面のソファーに座っている冴えない中年男に目をやった。

 お笑いコンビ『バクチ&モンキー』でボケを担当している平田賭、43歳、独身。通称バクモン平田で活動する芸歴二十年の中堅芸人である。社会風刺を盛り込んだ毒舌漫才は世の評価も高く、その漫才ネタの全てを作っているのがこの平田である。三十代後半になってからはワイドショーのコメンテーターや討論番組の論客としても活躍し、お笑い以外の分野でもその才能を発揮し始めている。

「選挙公約の骨子も大筋で出来上がりましたし、あとは選挙スタッフと細かい打ち合わせをすれば発表できると思います」

「・・・・・・」

 真顔でそんなことを話す平田に女社長は本気で戸惑っていた。今日はそんな話をするために事務所に呼んだ訳ではないのだから。

「平田・・・」

「はい」

「あなたは今、自分がどういう状況にいるのかわかっているのかしら?」

「もちろんです」

 平田は力強く頷いた。

「俺は一年前から芸能活動を自粛しています」

「・・・そうよね」

「未成年淫行の疑いで仕事を干されました」

「・・・そうなのよね」

 その通りなのだ。平田は一年前に未成年と知らずに少女とふしだらな行為をしたとして世間から袋叩きにあった男なのだ。

「あなたねえ・・・ようやく復帰のメドがついたっていうのに、なんで選挙の話なんか始めるのよ」

 女社長は大きな溜め息をついた。破天荒な芸風でも知られる平田なので、女社長も少しくらいの奇行なら慣れっこだったのだが・・・。

「平田・・・今はそうう冗談を言っている時期じゃないのよ」

「社長は俺が冗談でこんなことを言い出すと、本気で思っているんですか?」

「心の底から、本気で冗談であってほしいわよ」

「俺がこの程度の冗談しか言えない芸人だったら、とっくの昔に芸能界から消えてますよ」

「・・・中井はまだ前の仕事が終わらないのかしらね? ・・・コンビ復帰に向けてのせっかくの話し合いなのに」

 女社長は腕時計を見ながら平田の話を聞き流した。とてもじゃないが今の平田とまともな話し合いができるとは思えなかった。ここは援軍として平田の相方・中井マサルがくるのを待った方が賢明だろう。

 バクチ&モンキーはボケ担当の平田とツッコミ担当の中井によって結成された漫才コンビだ。大学生の頃から素人参加のお笑いライブ等で活躍し、数年後には東京のお笑いシーンでも名の知れる存在になった。その二人をスカウトしたのが新しい芸能事務所を立ち上げたばかりの女社長である。デビュー後はなかなかチャンスに恵まれなかった二人だが、お笑いの賞レースで決勝に残るようになると徐々に知名度も上がりテレビで活躍するようになっていった。賞レースで優勝することはなかったが、頭脳派の変人・平田と陽気な人格者・中井とのコンビは今でも芸能界の第一線で活躍し続けている。特に中井に関してはその親しみやすいキャラとコメント力の高さから広く世間に受け入れられ、今ではバラエティー番組に欠かせない存在として引っ張りだこの状態であった。

 そんな頼れる相方・中井が事務所を訪れたのはそれから一時間後のことだった。

「・・・どうしたんですか社長?」

 それが中井の第一声だった。中井が応接室に入ると女社長は疲れた顔でソファーに沈み込んでいた。中井は平田の隣に座ると不思議そうに首をひねった。

「なんなのこの雰囲気・・・今日は平田の復帰の話し合いでしょ? どうしてこんなお通夜みたいな状況なんですか?」

「中井・・・平田を説得して頂戴」

 女社長が心底疲れたように言った。言われた中井は『は?』と間の抜けた声を出してから隣にいる平田の顔を見た。

「・・・お前、またなんかやらかしたのか?」

「いいや。俺はただ選挙に出る事実を伝えただけだ」

「選挙?」

 中井が怪訝そうな顔をした。

「・・・誰が?」

「俺が」

「・・・・・・」

 相方の突然の告白に中井も言葉を失っていた。

 平田は討論番組などでも政治や社会問題について語ることがあったし、漫才でも過激な政治ネタをすることが多かった。しかしそれはあくまで芸人としてのスタイルであって、これまで実際に政治に色気を持つことなど皆無だった。

「平田・・・休みが長すぎておかしくなったか?」

 世の中の政治家志望者を敵に回すような発言をしながらも、中井は今後の選挙予定を頭の中で思い巡らせていた。

「えーと・・・衆議院選挙は終わったばかりだから・・・ってことは来年の参議院選挙?」

「・・・そうじゃないのよ」

 女社長が言った。

「平田は地元の選挙に出るつもりなのよ」

「地元? ・・・ああ、なるほど」

 平田の知名度があれば地方の議会議員選挙なら余裕で当選できるだろう。

「平田なら市長選挙でも当選するかもな」

「だから・・違うのよ」

 女社長が再び中井を訂正した。

「平田は・・・・」

「俺は福島県知事を目指すことにしたんだよ」

 女社長の言葉を平田が遮った。

「もし反対するなら俺は事務所は辞めるしコンビも解散するし・・・芸能界を引退したって構わない」

 平田は宣言した。

「俺は福島県知事選挙に立候補する」

 時は東京オリンピックの翌年の二〇二一年。

 場所は東日本大震災から十年が経過した福島県。

 東京で足踏みしてた芸人が生まれ故郷で政治の表舞台に立とうとしていた。


     ★


 平田が生まれ育ったのは福島県の南部・太平洋に面する市だった。彼は高校卒業までの十八年間をその地で過ごし、大学進学で上京したことで故郷と疎遠になった。それでも芸人として売れると県内のテレビやラジオにも呼ばれるようになったし、ご当地CMや地元のイベントに参加する機会も増えた。特に東日本大震災以降は復興イベントにも積極的に参加してチャリティーや募金活動にも尽力した。平田の芸風が過激だったために県の公的な仕事は少なかったが、それでも福島県出身の芸能人としての認知度は高かった。平田が不祥事を起こした際も少女が年齢詐称で風俗店で働いていたことがわかると、真っ先に仕事のオファーをくれたのが地元のテレビ局だった。平田が活動自粛を決めたためにこの話は流れたが、後にこの話を知った平田はとても感謝したという。本来なら自粛期間を終えた平田が最初に出る組が地元のテレビでもいいはずなのだった。

「今の県知事がもうすぐ辞めるみたいですね」

 平田が事務所で出馬表明をした翌日、中井は都内の高級居酒屋で大御所芸人と酒を飲んでいた。

「なんでも健康上の問題とか」

「いや・・・それよりもだな」

 七十代の大御所芸人は突然の話に狼狽していた。

「お前は平田を止めなかったのかよ?」

「あいつが俺の話なんて聞く訳ないじゃないですか。それなら師匠から言って下さいよ」

 二人のいる個室は壁が厚いので秘密の話をするにはもってこいの場所だった。この話はまだ表に出す話ではい。

「いや俺だってどう説得すればいいのかわかんねえよ。前もって相談された訳でもないからな」

「平田は地元で選挙事務所を押さえているようですし、どのみちもう止まりませんよ

「なんだか勿体ない話だよなあ・・・せっかく復帰できそうな頃合いなのに」

 そう言って中井が『師匠』と呼んだ大御所芸人は肩を落とした。この師匠は芸歴四十年を超える芸能界の重鎮であると同時に、映画監督や役者や小説家としても活躍する多才な芸人である。バクモンの二人は若い頃かこの師匠に可愛がられており、所属事務所こそ違えど師弟関係に準ずる間柄でもあった。

「お前ら解散するわけじゃないんだよな?」

 師匠の言葉に中井が頷いた。

「とりあえずは現状維持ですね。平田も事務所に籍を残しておくことを了承しました」

 中井はこの一年はほぼピン芸人だったし、それ以前も二人はバラ売りの仕事が多かったので影響としては漫才をやらないことくらいだ。

「中井はこの状況を割とあっさり受け止めてるんだな。ちょっと薄情過ぎないか?」

「平田とコンビを組んでから今まで散々振り回されてきましたからね。まともな神経じゃ俺もここまでやってこられませんよ」

「ま・・・それもそうか」

 そう納得した後で『でもなあ』と師匠は続けた。

「俺はあいつに芸人を続けて欲しいよ」

「・・・・・・」

 中井は師匠の心中を察した。師匠は平田が芸人を休んで政治に行くの寂しいのだ。もしかしたら自分に相談がなかったことも寂しいのかもしれない。平田は若い頃の師匠によく似ているらしく、だからこそ師匠はバクモンの二人に目をかけてくれたのだ。

「平田が選挙で不利になるように、あいつの昔の悪事を週刊誌にタレこんでやるか・・・」

「・・・師匠?」

 それをやったら今度こそ芸能界を追放されるのでは? と思った中井だった。

「選挙運動中の平田からパンツを剥ぎ取ってだな、そのまま下半身丸出しの状態で平田を警察署の前に放り出したら多分、

あいつはなんかの罪で捕まるよな?」

「・・・師匠」

 この人なら本当にやりかねない、と中井は思った。なぜなら師匠は平田の師匠なのだから。


     ★


 二〇二一年の四月某日。

 福島県知事が正式に辞職を表明し、それに伴い五月中旬に知事選が行われることになった。通常ならよくあるローカルニュースで終わるはずの話題が、今回ばかりは日本中から注目されることになった。

『福島レボリューション』 

 お笑い芸人のバクモン平田がこんなキャッチフレーズを掲げて福島県知事選挙への立候補を表明したのである。平田は新たに開設したブログで出馬表明をするとともに公約となる福島復興プランも掲載した。約一年ぶりの表舞台ということもあってマスコミも大きくこの話題を取り上げたのだった。

「平田は何を考えているのかしら?」

 女社長が呆れたように言った。

「選挙なんて名前さえ目立てばいいものなのに、なんでわざわざ余計なことまで言うのよ?」

「それが平田の芸風でしょ」

 女社長の疑問に中井が簡潔に答えた。女社長が首を左右に振った。

「あの芸風で選挙を戦ったら負けるに決まってるじゃない。知名度はあるんだから嘘でもいいからお行儀よくしてればいいのよ」

 平田が出馬表明して以降、事務所にもマスコミからの問い合わせが殺到した。しかし事務所としては平田の政治活動には一切関与しないことを説明し、ようやく事務所や所属タレントに対する取材もひと段落ついた。

「復帰のチャンスを棒に振って選挙に出るんだから、せめてタレントイメージだけでも回復させて欲しいのよね」

 平田がタレントとして芸能活動をしないと事務所にはお金が入ってこない。女社長としてはそれが最大のネックだ。

「平田のせいで中井も仕事を自粛しなきゃならないし・・・」

 おまけに平田が選挙に出ることで中井の仕事にも影響が出た。選挙期間中のマスコミは政治的に中立でなければならないので、テレビ局では相方の中井も番組での起用を避ける構えだ。それほど長い期間ではないにしろ中井は事務所の稼ぎ頭なので女社長としては痛いところだ。

「もしも選挙に出るのが中井だったら平田の仕事は減らなかったのよね。あいつがテレビに出ても中井のイメージアップには繋がらないから」

「いや・・・それはそれで問題でしょ」

「とにかく選挙には負けていいから復帰する時のために悪いイメージだけは残さないで欲しいのに、それを・・・あの馬鹿」

 女性社長が不満を漏らすのにも理由がある。選挙の公示日前にもかかわらず、平田は既にやらかしてしまっていたのだ。

 平田のブログには過激な公約が掲載されていた。

『私が県知事に当選したら赤字経営の福島空港を廃止して、その跡地に沖縄の在日米軍基地を誘致します。それによって国からの補助金を獲得して地域に新たな産業と雇用をを生み出します』

 まさに前代未聞で荒唐無稽な公約だった。平田は過去に出演した討論番組で沖縄基地問題について過激な発言をしたこともあるが、それはあくまでコメンテーターとしての発言であり政治家(候補)としての発言ではない。

「まさか選挙前からこんなにネットが炎上するとは思わなかったわ」

「ま、平田らしといえば平田らしいですけどね」

 中井もこの公約が実現可能な公約とは思っていない。米軍が福島に基地を置くメリットはないし、県内でも抗議運動が起きて進展しないだろう。おそらく平田もそれは充分わかっているはずで、それでも敢えて公約に掲げるのが平田らしい。

「そういう悪目立ちは本当に困るのよね。今後のタレントイメージに直結するんだから」

「もともと平田に好感度なんかないですよ。今さらそこを気にしても仕方がないような・・・」

 相方に対して酷い言いようだが、中井の指摘もあながち間違ってない。良くも悪くもそれが平田の芸風なのだし、だからこそ競争の激しい芸能界でも生き残ってこれたのだ。

 中井に言われて女社長も『言われてみればそうか』と納得しかけたが、それもやはり物事には限度がある。

「だからといって思いついたことをなんでもかんでも口にするのは、やっぱり良くないわよ」

 知事を目指す以上は平田も公人の扱いになるので、やはり発言には気をつけなければならない。平田の問題発言はこれだけではなかったのだ。

『私が県知事に当選したら皇居と宮内庁を福島県内に誘致します。その候補地としては原発事故で復興が遅れてい沿岸地域とします。園遊会や一般参賀などによる集客で地域に経済効果をもたらします』

 この公約に関しては言語道断だった。これが今回最大の炎上ポイントであり、ブログ公開直後からネットでは平田に対する誹謗中傷の嵐が巻き起こった。ブログのコメント欄にはクレームの書き込みが殺到し、一時はサーバーがダウンしそうになったらしい。さらにその炎上に拍車をかけたのが平田の口の悪さで『天皇の政治利用は憲法違反です。政治家を目指すのにそんなことも知らないんですか?』という書き込みに対して『これは天皇の政治利用ではありません。観光利用です』と返信して火に油を注ぐ結果となった。平田から反省や訂正のアナウンスがなかったため、やがては平田の殺害予告まで出る始末だった。

 このことが原因かどうかは不明だが、平田は知事選に出馬する際の会見は行わなかった。

「平田の選挙カーに政治団体の車とか突っ込んできそうで怖いですね」

「私は平田が刺されないことを祈るわ」

 こうして平田が発信した福島レボリューションはあらゆる意味で注目の的となっていた。


     ★


 前知事の辞職の噂が流れ始めた頃、既に水面下では後継候補として副知事の名前が挙がっていた。おそらく野党系候補との一騎打ちで選挙がが行われ、結果的に副知事が完勝するだろうと思われていた。まさか地元出身のタレント候補が選挙戦に名乗り出てくるとは誰も予想していなかったに違いない。

 最終的には平田を含めて四人の候補者が知事選に届け出を出し、二週間弱の選挙戦が開始された。いざ選挙選が始まると副知事が堅実な県政をアピールして他の候補者を一歩リードする形となった。副知事は前知事の支援者や高齢者を中心に支持を集め、さらに与党系国会議員の応援もあり安定した戦いをみせていた。一方の平田は若者や無党派層からの人気は高かったものの破天荒芸人のイメージが強すぎたせいか、選挙戦の中盤になっても差のある二番手の評価だった。特に過去の不祥事の内容が内容なだけに女性からの人気が異常に低く、女性単独の支持率は四候補中で最低だったという。また選挙期間中もネットでは平田を誹謗中傷する書き込みが続き『選挙に出たのは芸能界に復帰するためのパフォーマンス』とか『落ちぶれた崖っぷち芸人が政治でひと儲け』とか『売名のために福島を利用するクズ』など厳しい意見が目立った。応援演説に芸能人を呼ばないことは多少評価されたものの、全体的にみればネットでは平田が有名人であることがマイナスに働いていた。

 こうして全国的にも注目された福島県知事選挙は平田にとって苦しい展開のまま終盤戦に突入していった。

 

      ★


「何年か前のアメリカ大統領選挙もこんな感じだったな」

 師匠が懐かしそうに言った。

「国境に壁を作るとか、中東から来た人を国に入れないと、よくよく考えれば平田の公約にも通じる滅茶苦茶なものばかりだったな」

「言われてみればそうですね」

 師匠の言葉に中井も同意した。それから中井も懐かしそうに言った。

「俺は『サイレントマジョリティ』って言葉をあの時に初めて知りましたよ」

「本音は言わないけれど実は違う意見の人ってか。本音を言うと嫌われるから言わないってのもあるだろうけど、どうせ言っても無駄だから言わないってのあるだろうな」

「今までの福島はどうだったんでしょうね」

「さあな。東京で遊んでるだけの俺たちが偉そうなことを言える立場ではないわな」

 そう言って師匠は自嘲気味に笑った。そんな師匠に中井が訊ねる。

「平田が選挙に出るって聞いた時、

師匠はどんな結果を想像しました?」

「さあどうだったかな・・・あの日はだいぶ酔っぱらったから覚えてないわ」

「・・・・・・」

 おそらく師匠は平田が当選すると思っていたのだろう。だからこそ平田が選挙に出るのを快く思わなかったし、だからこそあの日も酔い潰れるまで酒を飲んだのだ。平田が知事になったら最低でも四年は芸能活動を休止しなくてはならない。当然その期間は芸人ではなくなるのだから。

 先日、福島県知事選挙が終了した。終わってみれば平田の圧勝だった。投票率も三十年ぶり八十パーセントを超える高水準だったらしい。

「平田に投票した人ってどういう人たちなんでしょうね」

 中井が感慨深げに言った。

「今まで不満の受け皿がなかったから選挙には行かなかったけど、けして現状に満足はしていない・・・って感じなんですかね」

「さあ、どうなんだろうな。たまたま海岸に流れついたアザラシが物珍しかっただけかもしれないぜ?」

「アザラシだって出る場所によっちゃ漁場を荒らす害獣ですよ」

「平田みたいな人間はどこに現れたって害獣だろうよ。あいつがおとなしく水族館の見世物になるとは思えない」

「前にウチの社長も言ってましたね。嘘でもいいから真面目にお行儀よくしてくれ、って」

「どのみち平田はこれから客寄せアザラシをやらなきゃならんのよ。それを期待して票を入れた人だっている訳からな」

 師匠はそれから『客を呼んでこそ芸人さ』と笑った。


     ★


 選挙前は過激な発言で世間を騒がせた平田だったが、選挙後の平田は一転して低姿勢になった。当選直後の記者会見でも『本当に実現可能な公約なのか、慎重に検討したうえで・・・』と、都合の悪い公約については口を濁すようになり『基本的には前知事の路線を引き継ぐ形で・・・』と、これまでの県政を踏襲することを強調し『私は福島県のセールスマンとして頑張る次第です』と、自分の役割をそのように決めた。素人知事が県の方針に口出しをして県を混乱させるよりは、タレント知事として福島のPRに努めた方が得策というわけだ。これには知事としての資質を疑問視していた県民も安心したようで、ひとます新知事のお手並み拝見ということになった。その一方で選挙戦で他の候補を支援した県議会議員たちは議会が始まったら平田に厳しい質問をぶうける予定で、その対応如何では平田は無能知事のレッテルを貼られることになるのだった。議会との関係が悪くなると平田の公約が反対される可能性もあるし、そのための予算が承認されない可能性もある。

 本当の意味での平田の戦いは、まさにこれから始まるといっても過言ではなかった。

 

     ★


「本日の特別ゲストは・・・福島県知事に就任された平田知事でーす!」

 アシスタントの女子アナウンサーの紹介で平田が生放送のスタジオに登場した。

「そして番組のレギュラーゲストの席には、相方の中井さんにお座り頂いてまーす!」

 中井はその紹介に申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。

 日曜お昼の情報バラエティ『日曜アタック!』は全国ネットの生放送番組だ。平田にとっては知事就任後の初の全国放送ということで、スタジオも盛大な拍手と歓声で平田を迎えていた。

「お二人は久しぶりの再会ということですが、こういう形で顔を合わせることに照れなんてあるんですか?」

「そうですねえ・・・」

 女子アナの質問に平田がわざとらしく両手で顔を覆った。

「・・・恥ずかしくて顔も見れません

感動で泣きそうです」

「嘘つけ! 気持ち悪いわ! さっき楽屋で一緒だったじゃねえか!」

 平田のわかりやすいボケに中井が素早くツッコんだ。スタジオがどっと涌くなかで中井がツッコミを重ねる。

「おまえ白々しいわ! 来る時も同じ事務所の車だったじゃねえか! ・・・なんだったら昨日も皆でメシ食っただろ!」

 番組はそんなお約束もやりとりを交えながらスタートした。しばらく番組が失効した後、平田の経歴を紹介するコーナーのところで番組の総合MCである師匠が毒舌を吐いた。

「平田が政治家を目指したのは淫行事件を揉み消すためだろ?」

 平田の経歴が載ったボードがちょうど二〇二〇年にさしかかったところだった。

「とりあえず県知事くらいから始めて、最終的には国会議員になって公文書の書き換えとか指示する気なんだよな」

「ちょっと師匠! やめて下さいよ! テレビでそういうことを言うと本当に信じる人も出ますから!」

 師匠のアドリブに平田もオーバーに反応してみせる。あくまで芸人のノリではあるが、けして県知事の品格を落とすくらいにハメをはずしてはいけない。平田もそのあたりのラインを計算しながらコメントをしていた。

「そんな平田知事からスタジオの皆さんにお土産があります・・・それではどうぞー!」

 頃合いを見計らって女子アナがスタジオに荷物の乗ったワゴンを招き入れた。

「福島県の特産品の、採れたてで新鮮な桃でーす!」

 平田はスタジオに登場した桃を懇切丁寧に説明しながら番組の出演者に振る舞った。これが福島のセールスマンとしての平田の重要な仕事である。師匠もその辺はわかっているので平田に協力的だ。

「おい平田よ・・・今までお前にどれだけ飯を食わせてやったか覚えてるか? こういうのは俺の家に箱ごと送ってこいよ」

「さすが師匠! お買い上げありがとうございます! ・・・それでは師匠の家に五十箱ほど送らせて頂きます」

「馬鹿野郎それくらいお前が払えよ! ・・・そんなの県の予算をちょろまかして払っちまえ」

「いやいや・・・さすがにそういう訳にはいきませんよ〜」

 そんなやりとりを絡めながら番組は順調に進んでいった。

「・・・ということで、本日の特別ゲストは福島県の平田知事でしたーっ!」

 一通りコーナーをこなしたところで平田の出番は終了した。最後にもう一度名前をアナウンスされて平田はスタジオを退席したのだった。


     ★


「師匠、今日は番組に呼んでもらって本当にありがとうございました」

 番組終了後の控室で平田は師匠に深々と頭を下げた。

「これで県議会の連中もしばらく文句を言わないでしょう」

 選挙の影響から平田と県議会とは対立が予想されていた。しかし平田がメディアで福島の宣伝をすることで風当たりも弱まるはずだ。

「お前も大変な仕事を選んだもんだよ」

 衣装から私服に着替えながら師匠が言った。

「俺なら死んでも政治家になんかならねえわ」

 こうして平田と師匠が顔を合わせたのは今日が久々である。選挙のドタバタがあって平田はずっと多忙を極めていたのだ。

「平田も今日は時間があるんだろ? 俺も夕方まで空いてるからこれから飯にしようや」

 こうして平田は師匠と昼食に行くことになった。中井は次の仕事があったので同行しなかった。

「お前のパンツを脱がしに行かなくて正解だったわ」

「は?」

 師匠いきつけの料亭で個室に案内されると、座布団に座った師匠が謎の言葉を言った。不思議そうに首を捻っている平田を見ながら師匠が言った。

「それにしても福島レボリューションとは大風呂敷を広げたもんだよな。選挙公約とはいえ、反発されるのはわかってただろうに」

 師匠は感心しているのか呆れているのかわからない口調だった。

「普通なら思いついても口に出さないようなことを、わざわざ大声で言いやがって」

「いや、それは師匠譲りの芸風だから仕方ないですよ」

「俺だってもうあんなことは言わねえよ。昔と今では環境が違い過ぎるからな」

「俺は叩かれることにすっかり慣れましたからね。あれくらいのバッシングではビクともしませんよ」

 もともと叩かれることが多かった平田だったし、一年前の不祥事でもこっぴどく叩かれた。あっけらかんと平田は言ってのけた。

「そういう意味では炎上が足りませんでしたよ。米軍基地と宮内庁の公約なんかは俺の予想を終える悪口がきませんでしたし、正直もっと偉い人が噛みついてくると踏んでたんですけどね」

「・・・お前は本当に性格が悪いな」

「初めから県外の人は勝手に騒いでいてもらってよかったんですよ。そもそも興味のない人の目を福島に向けることが目的でしたから」

 もし平田が選挙に落選しても一時的とはいえ国民の目が福島に向けられる。震災から十年経過したことで勝手にひと区切りつけられても困るし、東京オリンピックの後の燃え尽き症候群を勝手に福島に持ち込まれても困るのだ。

「お前の言いたいこともわかるし、お前の狙いも感づいてはいだがな」

 そう言って師匠は運ばれてきたお茶を軽くすすった。

「野次馬は見事なくらい見せ餌に食いついたし面白いように騒ぎが広がっていったもんな。これだけ日本中で話題になれば、そりゃ投票率も上がるわ」

「欲を言えば他の公約も、もっと取り上げて欲しかったですけどね・・・」

「それこそ他所の人間には関係ない話だからな。そういうのは福島の人聞が吟味したんだろ、県知事選挙なんだから」

 そう言ってから師匠は平田の顔を見てニヤリと笑った。

「ま、俺でも平田に投票しただろうな。もしかしたら福島が変わるかもしれないって考えるわ。お前に期待した県民の気持ちもなんとなくわかった」

 平田が提案した福島レボリューションは世間から誤解されている部分が多い。きちんと読めば実現可能な公約があることもわかるし、政治家にありがちな理想論だけ掲げた選挙公約ではないのだ。

 食事の配膳を終えた女将が部屋から出ていったところで師匠が口を開いた。

「福島県を物語の舞台にするって公約は面白いが、映画のロケを誘致するなんて他の自治体でもやってるし簡単じゃないだろ?」

「ま、そうですね。もし議会の承認が得られれば県から作品に対して多少の補助金を出す予定ですし、誘致はこれからの営業活動にかかってますね」

「へえ・・・県から製作費が出るのか」

 平田の選挙公約に『福島県を物語の舞台にする』という公約があった。それは福島にロケ地を誘致する活動でもあったが、マンガ・アニメ・小説・演劇などで福島を舞台にした作品を募集するというものでもあった。製作者が福島を取材する際には地元が最大限に協力するし、実際に作品が発表された場合は県から製作費の一部を補助するとした。それによって作品の舞台を巡る聖地巡礼の場所を創生し、県内への観光客増加を促す狙いだった。

「補助金の話は俺が知事になった後で県職員から聞いたアイデアなんですけどね」

「どうりで初耳なわけだ」

「そういえば師匠は小説も書きますよね。いま書いてる話とかないんですか?」

「あるけど・・・別に福島が舞台の作品じゃねえぞ」

「それでもいいんですよ。で、これも職員から出たアイデアなんですけどね」

 平田の話はこうだった。他地域から福島県内の市町村にふるさと納税をしてくれた人に後日、福島県の観光パンフレットを送付する計画だという。そのパンフレットに有名作家のオリジナル小説を掲載することで県内への寄付を増やせるのではないか、という。

「もちろん原稿料は支払いますし著作権も師匠のものです・・・で、贅沢をいえば県内各市町村ごとに違う作品を提供してもらえれば最高です。それぞれの町のパンフレットに別の作品が載っていたら、マニアならコンプリートしたくなるでしょうし」

「馬鹿野郎。福島県にいくつ町があるのか知らねえが、俺一人でそんなに書けるわけねえだろ」

 そう言って師匠は苦笑いした。

「俺には荷が重すぎるわ」

 師匠は目の前にある刺身を箸でつつきながら言った。

「ま、俺には無理だがそういうのに協力的な作家もいるだろうからな。知り合いの作家で良かったら紹介してやるよ。後はお前がうまく交渉してくれ」

「恩に着ます」

 そう言って頭を下げた平田を見て師匠は『ふうん』と感心したように言った。

「平田が部下の県職員の話を素直に聞くような人間だとは思わなかったよ。どちらかというとお前は後輩をいびって高笑いするタイプだろ?」

「・・・師匠は俺をどんな人間だと思ってるんですか」

「それが世間から見たバクモン平田の正統な評価だと思うぜ。県職員ってのも意外と命知らずが多いんだな」

「いやいや・・・俺は知事になってからずっと腰が低いんですよ?・・・あれ? そう思ってるのは俺だけなのかな・・・」

「今度、部下に直接聞いてみりゃいい」

 師匠はそう言って楽しそうに笑うのだった。


     ★


 福島のセールスマンとしての平田はとても優秀だった。タレント知事として数多くのテレビ番組に出演会し、その度に全国に向けて福島の農産品や観光名所をアピールした。国民は良くも悪くもミーハーな人が多かったので、平田のメディア露出が増えると県の農産品も売れたし観光客も増えた。この現象を一時的なブームで終わらせないことが目下の課題でもあった。その一方で県政においては平田は全くの素人だったので、就任当初から県職員の言うことを素直に聞いていた。それと同時に平田は若手からベテランまで広く職員の話を聞くようにしていたので、そこで現場レベルの課題を知り新たな問題解決策やアイデアを拾うことができていた。こういった姿勢が評価されたのか県民からの支持率も高く、県職員や各自治体の長からの信頼も集めるようになっていた。芸人時代や選挙中の悪いイメージを完全に回復するには至ってないが、それでも県知事平田を全否定するような声はもう聞こえなくなっていた。こういう状況なので議員たちも人気者の平田と正面から対立することを避け、議会運営も概ね順調で反平田派の議員もひとまず静観の構えをみせていた。

 そして平田が知事に就任してから半年以上経過した。この頃になると平田も少しずつ独自の政策を表に出すようになり、部下たちも平田が非常識な独裁者でないことを知ったので安心して平田に協力してくれた。特に師匠が紹介してくれた有名作家のオリジナル短編小説が、正式に福島県のパンフレットに載ることが決まってからは平田の株は急上昇した。この県のPR冊子がふるさと納税の返礼品としって発送されることが報じられると県全体で納税者が増え、一部ネットオークションではパンフレットが高額で取引される事態も起こった。

 今後、同じような取り組みをする自治体が日本中に現れることが想定されたので、平田は今の段階で数人の有名作家と執筆契約を結んでいた。おそらくスタートダッシュの差があるので、福島県は来年度もこの手法で勝ち逃げできそうだった。


     ★


「平田知事ぃ〜、これからも我が社のタレントをどんどん使って下さいね〜」

「やめて下さいよ社長・・・その猫なで声は本気で気持ち悪いです」

「そんなこと言わないで下さいよ〜、スポンサー様に媚を売るのが私たちの仕事なんですから〜」

「・・・・・・」

 作り笑顔全開で握手を求めてきた女社長に平田は顔をひきつらせていた。

 場所は福島県内にある総合運動公園。季節は平田が知事になった翌年の春の大型連休。福島県が主催するお笑いイベントの、関係者用のテントでの光景だった。

「・・・と、冗談はこれくらいにしておいて」

 女社長は平田の手を離しながら言った。

「最近どうなの? 知事の仕事はうまくいってるの?」

 女社長もニュースやネットなどで平田や福島ことを知ることはあるが、実際どういう内情なのかは詳しく知らない。

「ま、ぼちぼちですね。一年経ってようやくやりたいことができるようになってきた感じです」

 福島県内で大規模な無料お笑いイベントを開催することも平田の選挙公約のひとつだった。大型連休に観光客を福島に呼び込むことが目的で、できればこのイベントをGWの恒例行事にして観光客の誘致に繋げたかった。平田のイメージとしては野外ロックフェスのお笑い版で『GWは福島で笑おう!』だったが、なにぶん急仕上げだったため今回は準備不足が否めない。

「本当は三連休を使って盛大にやりたかったんですけどね。県の予算も限られてるし、初年度から大失敗するわけにもいかないし、で一日だけの中途半端な開催になってしまいました」

「そう?」

 女社長は公園内に作られた特設ステージや出店ブースなどを見回しながら言った。

「これで充分なんじゃない? お役所が主催するイベントにしては立派なものよ」

 女社長は平田に会う前に公園内をくまなく見てきた。メインステージの他にも各所でコスプレのイベントがあったり大道芸人がいたり、地元学生らしきブラスバンドの生演奏があったりした。もちろん昔ながらの縁日的な店や福島の物産品コーナーも充実していた。

「私は大学の文化祭を思い出してウキウキしたけどね」

「たしかにその路線を狙ったんですけど想像してたよりコンテンツが少ないんですよね。少なくとも半日は会場で楽しめるようにしないと」

 それに平田としては県内の若者が参加できるイベントも付属させたかった。学生限定のお笑いコンテストとか地元高校生が作る故郷CM大賞とか、ちびっこ川柳選手権とか地元食材料理対決とか・・・一般からもアイデアを募っていただけに準備期間が足りなかったのが悔やまれた。若者をイベントに巻き込むことで郷土愛を感じてもらったり、都会に出なくても地元で楽しいことができることを知ってもらいたかった。

 女社長が呆れたように言った。

「一度に全てを成し遂げようとすること自体が無茶なのよ。そんな贅沢な望みが叶うなら私なんか、とっくに一流芸能事務所の会長様になってるわよ」

「・・・俺は贅沢なんでしょうかねえ」

「素人の県知事が一年足らずでこんなイベントを開催するなんて、部下がよっぽど頑張ったに決まってるわよ。あなた周囲に我儘ばかり言ってるんじゃないの?」

「・・・・・・」

 平田の脳裏に『忖度』と『パワハラ』の文字が浮かんだ。女社長は小難しい顔の平田を見て笑った。

「それでも部下が上司のために働いてくれるのは有難いことよね。ほんと平田も立派になったものだわ・・・私が今までどれだけ苦労したか、少しでもわかってくれると嬉しいけどね」

「いや、もう・・・本当に・・・今まで大変ご迷惑をおかけしました」

「だからね〜・・・こういうイベントにはウチのタレントをどんどん使って欲しいのよ。今回の出演者だけじゃ会社は全然儲からないのよ」

 今回のイベントでは総合司会に中井が起用されている他、お笑いライブに参加する芸人が二組きている。予定では十組ほどの芸人が昼過ぎから夕方までネタとトークショーを行い、夜は地元出身のロックバンドがライブを行う予定だ。

「俺は出演者の人選にはノータッチですよ。今回だって職員が忖度したから中井がMCに起用されたでしょ」

「そうかしら? 集客のためなら中井をチョイスするのは当然よ。なんてったて現職知事の相方なんだし、今のバクモンは相当なプレミアなんだからね・・・平田はそういうことに関しては全くの素人なのよね」

 女社長はそう言いながらニヤニヤしていた。。

「いつか私に県の仕事をコンサルタントさせなさいよ。あなたや県職員よりよっぽど上手くやってみせるわよ?」

 女社長はここでも平田に商売根性を見せつけるのだった。


     ★


 その後、お笑いイベントでは飛び入り参加した平田が中井と久しぶりに漫才を披露したり、出演者と一緒にコスプレで会場を練り歩いたりしてイベントを盛り上げた。その甲斐もあってかイベントは盛況のまま終了し、後のアンケートでも来年度の継続を望む声が多かった。このことでイベントに予算をつけることを渋っていた議員を黙らせることに成功し、来年度の予算アップと開催期間の延長が決まった。

 そして平田は知事就任二年目を迎えても引き続き福島のセールスマンとして精力的に活動した。また県政では既定路線に逆らわない知事として県の官僚や職員たちと良好な関係を築き、公務員にとっては余計なことに口出しをしない扱いやすい上司として人気を集めた。もちろんそれを快く思わない県議もいただろうが、翌年に県議会議員選挙を控えていたため表立って平田に反旗を翻すものはいなかった。それに加えて平田が熱心に誘致していた福島県内でのロケ撮影が決まると、今度は今まで平田に非協力的だった議員までもが露骨に態度を一変させた。さすがにこうなると平田を持ち上げた方が後の選挙でも有利に働くと考えたらしく、本音はともかく表面上は平田の政策に賛同する動きが出てきた。結局、政治は長いものに巻かれるのが得意な人たちのパワーゲームなのだろう。


     ★


 今回、福島県で撮影されることになったのはネットで配信されるオリジナルドラマだった。そのロケ地として選ばれたのが福島県浜通り中部で、ここは原発事故後に避難解除された地域だった。もともと平田の構想でも住民の帰還が進まない地域を盛り上げるためのプランだったし、今回のロケ決定は本当にありがたかった。ロケが決まった際に地元住民にエキストラ参加を呼びかけた結果、それを聞いて久しぶりに地元に顔を出した人もいたという。これだけで地元を離れた住民が帰還するとは平田も思わなかったが、これが何かのきっかけになればいいとは考えている。

「よ、ご苦労さん」

 撮影現場を表敬訪問に訪れた平田を出迎えたのはメガホン片手の師匠だった。

「県知事様が見学にいらっしゃるとは光栄だ」

「師匠が空き巣に入らないように監視するのも県知事の務めなんですよ」

 師匠と握手を交わしながら平田も軽口で返した。今回のロケ地を福島に選んでくれたのは師匠だった。またしても平田は師匠に助けられたことになる。

「撮影は順調ですか?」

「まあ順調だな。だいたい予定通りに進んでるよ」

 そう言って師匠は廃校跡のグランドに建てられたテント群を見渡した。

「地元の人が協力的で助かるぜ」

「今回のロケは地元の人にすれば祭りみたいなもんですしね」

「まあ俺も仕事して県から補助金を貰えるんだから、いいお祭りだわ」

 今回のドラマは師匠が監督と脚本を担当している。どうやら企画をネット配信会社に持ち込んだのも師匠らしい。

 そんな師匠が明後日の方を見ながら言った。

「余計なことを言うと怒られるかもしれないが、こういう静かな田舎町が作品のイメージにピッタリなんだよ」

「・・・・・・」

 師匠はそう言っているが、これは師匠の優しさだと平田は思っている。ドラマのロケ地になるような田舎は日本中にいくらでもあるのだから。

「それよりお前の権力を使って、補助金の額を水増しできねえもんかね」

「いや、それはさすがに・・・」

 おそらく照れ隠しと思われる師匠の言葉に感謝しながらも、平田は一つだけ腑に落ちない点があった。

「俺が師匠にこういうことを言うのもなんなんですけど・・・」

 平田は小さな溜め息を落とした。

「・・・なんで殺人鬼が主役のサイコ作品なんですか?」

 平田が知事として力を入れてきた公約『福島県を物語の舞台にする』の記念すべき第一作は、殺人鬼が次々と町民を殺していく猟奇的なサスペンス作品だった。

 師匠が平田に反論した。

「そんなこと俺に言われたって仕方ないだろ。俺だって配信会社の意向を無視するわけにはいかないんだからよ」

「・・・・・・」

 平田は無言で製作スタッフが休憩するテントに目を向けた。役者やスタッフに紛れて血まみれの服を着たエキストラが数多くみられた。

「まあ・・・地元の人も楽しんるみたいですし・・・別にいいですけどね」

「こういうのは逆転の発想が大事なんだよ」

 師匠が楽しそうに言った。

「ハロウィンみたいにすればいいのさ。このドラマをきっかけに、血まみれの犠牲者が町を練り歩くイベントを開催するとかな」

「・・・・・・」

「他にも物語に沿った名所を作るのもありだろ。たとえば『サイコキラー通り商店街』とか『殺人鬼が佇む路地裏』とか『犠牲者の見える丘公園』とかよ」

「・・・それは町のイメージダウンに繋がる気がします」

 平田は師匠の話を聞いて少し不安になってきた。もしかしたらこの公約は大失敗に終わる可能性もある。

 しかし師匠は平然と言ってのけた。

「問題ないだろ。こっちはロケを決定する前から地元の人と話をしてるんだぞ? こういう作品だけど本当にロケに協力してもらえますか、ってな」

 物語の内容が内容なだけに、師匠も事前に地元の役場や住民から了承を得ている。

「役場からは撮影で使い終わった道具でいらない物は寄贈してくれって言われてるしな」

 平田はその話は初耳だった。もしかしたら地元もこの機会に町の活性化を考えているのかもしれない。

「町で博物館でも建てるつもりなんですかね? だけど箱物は建設費も高いしリスクも大きいから心配だなあ・・・」

 そんな平田の言葉に師匠が鼻を鳴らた。

「お前は知事様だから偉いのかもしれないけど、それでも地元のことを決めるのは地元の人間なんだよ。福島県の全てが知事の思い通りになると思ったら大間違いだ」

「いや、俺は別にそんな風には思ってませんょ・・・」

「そうか? それならいいんだけどな。知事になってからずっと調子がいいみたいだから、そろそろ天狗になってるんじゃないかと思ってな」

「・・・・・・」

 師匠に言われて平田は思わず考え込んだ。自分が気づいていないだけで周りにはそう見えているのだろうか。もともと平田は調子に乗りやすい性格なので、芸人時代はそれで失敗もしている。平田はそんな自分を知っているからこそ、知事になってからは努めて礼儀正しく振る舞っているのだ。

「まあ・・・今のところは評判もいいみたいだけどな」

 平田が何やら考え込んだのを見て師匠が言った。

「ここの役場の人がやる気になってるのも、もしかしたらお前に触発されたのかもしれないぜ?」

 師匠はそう言って平田の肩を軽く叩いた。

 実際のところ平田の評判はすこぶる良かった。師匠が地元の人から話を聞いたところ、そのほとんどが平田を誉める内容だった。

 師匠も平田の性格を熟知しているので、けして本人に多くを伝えることはしなかった。


     ★


 師匠が撮影したドラマはそれから半年後にネット配信サービスで放送さた。もともと映画監督としても評価の高い師匠だったので、ドラマの評価も上々だった。ドラマを見た一部のマニアはロケ地の町に観光に訪れるようになったし、そのことを見越していた地元は撮影現場となった民家を民泊施設として利用した。そこにはドラマで使われた道具や撮影現場の写真などが展示され、希望者にはドラマのシーンを再現した部屋(殺人現場)に宿泊できるサービスも用意した。もちろんノーマルな民泊施設も別に用意されていたので、マニアから一般まで出演者(犠牲者)気分で聖地巡礼を楽しむことができた。町ではハロウィンに仮装行列を計画しているらしく、地元ではそれを毎年の恒例行事にしたいと考えているようだ。この取り組みに対して一部からは『悪趣味』という声も挙がったが、多くの住民は続編がこの町で撮影されることを期待しているという。そしてこれが一つの成功例となり、他の自治体もロケの誘致に力を入れるようになったのだった。

 また平田が提案したGWのお笑いイベントも二年目には期間が三日間に延長され、一般参加型のコンテンツを充実させたことでステージを見にくる以外の来場者も多く集めることができた。この成功によって翌年の開催も決定し、開催地域を数年ごとに移動させるプランまで浮上した。これによって県全体に観光客を呼び込むことが目的だが、議員たちの間では早くも自分の選挙地盤にイベントを誘致する動きも出てきたらしい。ちなみに今回の成功の陰には多数の協賛スポンサーを見つけたえに、効果的な宣伝で多くの来場者を集めた女社長の手腕もあった。今回のコンサルタント料がリーズナブルだっただけに、イベント終了後に女社長が言った『来年はお高くつくわよ・・・ふふふ』の言葉におののく平田だった。

 こうして知事としての実績を積み重ねる平田だったが、けして天狗になることもなく堅調に仕事を続けていった。さすがに当選直後のようにテレビに引っ張りだこでセールスマンをする機会は減ったが、最近は敏腕知事として報道や討論などのお堅い番組に呼ばれることが増えたという。たまに過去の過激な発言を咎められることもあっが、知事就任二年目以降は平田をイロモノとして見る人はほぼいなくなっていた。

 当選直後から心配されていた議会との関係も良好で、特に県議会銀選挙が近づくにつれ人気者の平田に擦り寄る議員が増えたという。おそらく議員選挙後もこの状況は変わらないだろうと思われ、平田はこのように県知事として態勢を盤石にあいとぃった。


     ★


 平田が知事になって三年が過ぎた頃、国内では衆議院の解散総選挙が行われていた。

 それは、そんな時期に開かれた知事の定例会見での出来事だった。

「国会議員の皆さんは、福島県を選挙のダシに使うのがお好きなようですね」

 平田が久しぶりに毒舌芸人の本領を発揮した。それは計算で言ったというよりは、ついつい本音が出てしまったという感じだ。平田は以前から不満に思っていたことだが、今回の衆院選でも各党の党首が福島県を訪れて『福島の復興がなければ、日本の復興はありません』を連発した。それは十年前から変わり映えしないフレーズだったし、今さらそんな綺麗事を信じる県民などいなかった。選挙初日の出陣式だけ福島県内でパフォーマンスをしても、どうせ選挙戦の終盤には都会の人口密集地で選挙運動動をするに決まっているのだ。

「どこの党とは言いませんが、私に衆院選の出馬を打診してきた党があるんですよね・・・つまり知事職を途中で放り出せってことですよ? 彼らは福島県をなんだと思っているんでしょうね?」

 平田人気にあやかろうとする動きは衆院選の前から出ており、縁もゆかりもない人から平田に応援演説の依頼がきたり一緒に選挙広報に写ってくれやらの話がきたりした。

「まだ選挙期間中ですし、愚痴を言うのももここまで・・・と」

 そんな平田の心中を察した記者たちから小さな笑いが起きた。平田も久しぶりに公共の場で本音を言えて満足していた。もともと平田はそういう芸風の人間であり、知事になってからの真面目な振る舞いの方がイレギュラーなのだ。

「たしかに平田知事の言いたいこともわかります」

 一人の記者が平田に同意した。

「我々もパフォーマンスだけの政治家には失望していますし、今までの国の対応にも満足していません」

 記者も思うところがあったようで、この機とばかりに平田に言った。

「だからこそ平田知事には国政で活躍してもらいたいという意見もあると思うのですが・・・それについては如何でしょうか?」

「いや・・・さすがにそれは」

 平田は思わず苦笑した。実際にそういう声があることも知っているが、いくらなんでも気が早すぎる。平田は少し考えてから言った。

「そうですね・・・もしも私が県知事をクビになったら、その時に同じ質問を聞かせ下さい」

 平田の冗談に会場がどっと沸いた。質問した記者も頭を下げて質問を終えた。会場内にはどことなく爽快な空気が漂い、平田もこの場の雰囲気が心地良かった。芸人時代に舞台で笑いを取った時とも違う、なんともいえない満足感だ。それはチームを背負ったスポーツ選手に通じる心境なのかもしれない。

 きっと今日の平田は機嫌が良かったのだ。

「私はその時には復興大臣か地方創生大臣を目指しますよ」

 長らく封印していた毒舌を披露したことも影響しただろう。

「まあ、おそらく与党が私に声をかけることは二度とないでしょう・・・」

 だから平田は口を滑らせてしまったのだ。


     ★


 当然、その話題はネットで炎上した。平田が言った『福島を選挙に利用するな』という趣旨は面白おかしくクローズアップされて記事の見出しにされた。選挙期間中なのでテレビや新聞で扱われることはなかったものの、現職知事を辞めさせようとした与党に対しては批判が殺到した。ちなみに各党の言い分としては『福島の復興が道半ばであることを知ってもらうため、あえて福島で選挙戦を開始した』らしい。

「お前、最近調子に乗ってんじゃないの?」

 東京での仕事を終えた平田とバーで酒を飲んでいた中井が呆れたように言った。

「まあ、その方が平田らしいとは思うけどさ」

「俺もそんなつもりで言ったんじゃないんだ」

 日本酒をちびちび飲みながら平田が答える。

「あの記者がうまく持ち上げるもんだから軽いリップサービスのつもりで喋ったら・・・なかなか性格は直らないもんだ」

「いや、その発言に至る前の発言からもう駄目だろ」

 中井が苦笑しながらも平田の人気に感心する。

「でも平田に国政に出てもらいたがってる人がいるのは凄いな」

「それもどうなんだろうなあ。知事だからできる仕事はあるけど、国会議員は一人だけだとほとんど役に立たないし」

「どこかの政党に所属するにも、あれだけ批判した後ではもう無理だろうしな」

「だから俺は最初から国政に出る気はねえよ。俺は福島のセールスマンが気に入ってるんだ」

「まあ国会議員がセールスマンになったりイベントで漫才したりはしないわな。それにタレント知事だからこそロケ誘致や小説家を口説くことができたんだろうし」

 福島を舞台にしたロケ誘致は 師匠の後にも数本の映像作品の誘致に成功した。福島を舞台にした文学小説も雑誌に掲載されたし、マンガの読み切り作品で福島の高校を舞台にした物語も登場した。

「でも、それだけじゃ駄目なんだよな」

「そうなの?」

 中井から見れば平田知事の仕事ぶりは文句のつけようがない。なぜか浮かない顔をした平田に中井が首を傾げた。

「平田のおかげで観光客が増えたって評判だけどな」

「聖地巡礼も結局は一時のブームで終わるんだよ。これが海外の映画賞をとるくらいの作品なら話は別だろうがね」

 実際に福島を舞台にした作品が世に出ているのは事実だが、だからといって全ての作品が高評価を得ているわけではない。福島が舞台になったことで地元の人間は喜んでいるが、数あるご当地ソングのなかで国民的ヒット曲がどれだけあるだろうか。

「今では同じようなことをやってる自治体が全国にあるからな。ゆるキャラブームの時と同じで、これから少しずつ淘汰されていくだけだろうし」

 ふるさと納税の返礼品にオリジナル小説をつけるアイデアは既に全国に広まっているし、今では地元出身ミュージシャンのオリジナルDVDやご当地アイドルの写真集をつけるなど変化球で勝負する自治体も出てきた。

「これはソフト産業と同じだから、魅力的なコンデンツを供給できなくなったら終わりなんだよ」

 今では日本中が新しい観光名所を作るのに必死だ。しかし第二の『寅さん』や新しい『北の国から』は簡単には生まれな。

 平田の話を聞いて中井は師匠の言葉を思い出していた。

「今の福島の強みは客寄せアザラシがいることなんだろうな」

「・・・アザラシ?」

「県知事が平田だから上手くいったのかもしれないってことさ」

 平田は納得したようなしてないような微妙な顔をしていた。中井がそんな平田に言葉を続けた。

「だけどな、それでも平田には賞味期限があるだろ? お前の影響力がなくなった時、お前はどうするつもりだんだよ?」

 平田が知事になって三年が経過したが、正直なところ当選直後の影響力はなくなっていた。どんな会社でも同じ商品しか宣伝しないいセールスマンは客から飽きられてしまう。

「そんなことは俺だって最初からわかってるさ。だからソフトに頼らない政策だってちゃんと作ってある」

 平田はつまみのチーズを口に放り込んでから言った。

「新しく保健福祉の街を作る」

 それは平田の選挙公約のひとつだった。福島県内に日本最大級の老人介護施設を含めた保健・医療・福祉の街を作る。周辺には施設の従業員宿舎や遠隔地から訪れる家族のための施設も用意し、街の中心部には役所や商業施設や高速バスターミナルなども建造する。さらには近隣に大規模な霊園まで完備し『天国に一番近い街』として高齢者に豊かな老後を送ってもらう。平田のイメージでは学園研究都市の福祉医療版という感じだったが、これも発表直後に大炎上し『福島を姥捨て山にする気か!』と非難轟々だった。

「おいおい平田・・・まさか本気で言ってるのか?」

 この公約も平田の当選後は世間的に無かったことにされていたのだ。

「いや、これがなかなか人気のある公約なんだよ。なんといっても地元の建設業者とその族議員が心待ちにしている」

 先日行われた県議会議員選挙でもこの公約を推進する候補がいたほどだった。

「政治と公共工事は切っても切り離せない関係なんだよな。知事になって改めて実感したわ」

「へえ・・・」

 いっぱしの政治家みたいな口を聞く平田に中井は感心した。一般市民や野次馬の声と政治の裏側とではだいぶ事情が違うのだろう。

 それならばと中井が言った。

「それがわかっているならさっさ作れば・・・」

「金が無い」

 平田が即答した。

「県にそんな予算があったら、もうとっくに建設してるわ」

 高齢化社会はこれからも続くので需要があるのは間違いない。現在でも施設に入居できない高齢者は大勢いるし、都道府県を越えて施設に入居する人も少なくない。施設を一か所に集中して全国から高齢者を募集することで、効率的な介護ビジネスを提供することができる。それを地域経済の柱として街を運営する。

「どんなに理想を語ったところで結局、金がないと何もできない世の中なんだよな」

  平田はそう言って大欠伸をした。

 街や施設を作ったところで従業員が集まらなければ高齢者は受け入れることはできない。福島県内にスタッフを呼び寄せるためには他地域より高い賃金や住みやすい環境も必要だ。それを整備するにも維持するにもやっぱろお金がいるのだった。

「中井が思っている以上に知事ってのは大変な仕事なんだぜ・・・」

 平田はそれからも福島の現状と課題、さらには自分が理想とする県政や国政のあり方など普段は誰にも語らないような話を延々と語っていた。中井も二十年来の友人の話を時には頷き時には反論しながら聞いていた。

 この夜、中井が確信したのは『あ、こいつ来期も知事をやる気だわ』ということだった。


     ★


 芸能活動を自粛していた二〇二一の三月十一日、平田は初めて地元の慰霊式典に参加した。今まで芸能人として各地の式典に参加したことはあったが、一般参加者として会場に行くのは初めてだった。親しい人聞が被害にあわなかったことも今まで式典に足を運ばなかった理由でもある。今回、平田が出席しようと思ったのは被災地出身のタレントとして復興イベントにも参加していることや、謹慎期間中に実家に帰る回数が増えたこともあった。それでも謹慎の身でもああるし何より売名行為と受け取られるも嫌だったので、平田は誰にも告げずに変装もして式典会場に行った。

「毎年、少しずつ参加者が減ってきてますね」

 目立たないように会場の隅にいた平田だったが、そこに一人の老婦人が声をかけてきた。

「そう・・・ですね」

 平田は『そうなんですか?』と聞き返そうとしたが、それは失礼な気がしたので言い換えた。老婦人はマスクと伊達メガネの平田に気づいていないようで、式典前の会場を見回しながら言った。

「もう十年ですものね・・・少なくても仕方ないのかも」

「今年は平日ですし、特に少ないのかもしれませんね」

 平田はそれとなく地元の人間を装いながら言った。老婦人も平田に同意する。

「そうですね。これが土・日と重なるともう少し賑やかなのでしょうけど」

 老婦人はそう言って笑った。

「私は賑やかな方が好きなんですけどね・・・そうじゃない方もいらっしゃるので、その辺の兼ね合いが難しいところです」

「難しい?」

「はい、難しいです。何年か前の他所の式典で、アイドルがコンサートを開いたことがあったんですけど『こんな日に不謹慎だ!』なんて意見もあったそうですよ」

「そ・・・そうですか」

「他にも『どうせイベントをするなら、日程をずらして地元にお金を落としてくれ!』なんて意見もあったそうですり」

「・・・そうですか」

 平田は自分が参加した復興イベントの記憶を辿りながら、そのコンサートに自分がかかわっていないことを祈った。

「私は良いと思うんですよね。一年に一度だけでも被災地のことを思い出してくれるなら。そのきっかけがアイドルだろうとロックだろうと演劇だろうと。それで皆が色々な事を考えてくれるなら有難いことです」

「なんだか・・・耳が痛いですね」

「そういう私だって普段は家事やら孫の世話やらで手一杯で、震災当時のことなんてほとんど思い出しませんから・・・あら?」

 老婦人は遠くに知り合いの姿を見つけたようで、誰かに向かって小さく手を振った。それから申し訳なさそうに平田に頭を下げた。

「なんだかすいません・・・急に気易く声をかけたりして」

「あ・・・いえ」

「それでは失礼しますね」

 老婦人は平田に軽く会釈をすると知り合いの方へと歩いていった。

 それはわずかな時間の出来事だった。

 平田は老婦人の背中を見送りながら複雑な気持ちだった。老婦人も式典に出るからにはなんらかの事情があるはずで、それがどのような事情かは平田にはわからなかった。老婦人の口調から毎年式典に出ていることが伺えて、その心中を察すると平田は考えずにはいられなかった。平田にとって救いだったのは、孫の話をした時の老婦人が幸せそうな顔をしていたことだろう。平田はこの時に自分の醜さや愚かさ、救いようのない惨めさに打ちひしがれていた。自分のやっていることはただの自己満足で、ここにいることでうわべだけの体裁を取り繕っていたのだ。

 老婦人にとってはなんてことない数分間だったかもしれないが、平田の心境に変化を与えるには充分な時間だった。

 その日を境に平田は地元の友人と会う機会が増えた。今までそれほど親しくなかった知り合いとも話すことが多くなった。平田は表舞台に立つ人間として、復興への係わり方を見直したかったのかもしれない。

 平田が県知事が辞任するという噂を聞いたのは、それから間もなくのことだった。


     ★


 平田が知事になってから四年を過ぎた頃には平田の人気はピークに達していた。議会との関係も非常に良く、今では平田に反発する動きは皆無といってよかった。しかし平田が独裁に走ることはなかったし、常に周囲の話を聞いて使えそうなアイデアはどんどん採用したし、ある意味では理想的な上司といってもいい。県民からは早くも来季の続投を望む声が挙がっていて、選挙になれば圧倒的大差で勝つことは間違いなかった。なので野党勢力も『知事選をするだけ税金の無駄』という県民の声を聞いて対立候補を立てない可能性もあるという。もしそうなれば無投票での県知事が当選するという非常に珍しい事例が起きることになり今からそれを楽しみにする人もいるようだった。

 そして二〇二五年の春になり平田の任期が残りわずかになると、いよいよ平田の去就に注目が集まるようになった。平田に近い関係者によると平田は知事続投を望んでいるらしく、あとはどのタイミングでそれを表明するかという問題だった。そのため県内のマスコミは平田が出馬宣言する機を逃すまいと、いつも以上に平田への取材に力を入れていた。

 そしてついにその日はやってきた。

「私は今度の福島県知事選挙に立候補します」

 定例会見の会場にいた記者たちからは安堵とも歓声ともとれる溜め息が漏れた。カメラのフラッシュとシャッター音が続くなかで平田が話を続けた。

「もし私が今度の選挙で当選した場合、私は自らの地域政党『福島革命党』を立ち上げる予定おります」

 平田の発言に会場からどよめきが起こった。今までそんな話は議員の噂でも聞いたことがなかった。記者たちの誰もが平田の発言を予想していなかった。

「しかし知事・・・議会とは今でも良好な関係を築いているのに、なぜ新党を立ち上げる必要があるのですか?」

 その記者の質問は会場の総意といってよかった。現在の平田の勢いをもってすれば来季の県政も平田の思いのままだろう。ならばなぜ新党を立ち上げる必要があるのか、ということになるのだが・・・この時、平田の答えに期待した記者が数多くいたかもしれない。つまり『自分の作った党から国会議員を輩出する』だ。平田の国政進出を望む声に応えるべく、自らが党首となって福島から国政に影響を及ぼすつもりだ、と。そのための第一歩として地域政党を立ち上げるのは必然といってもよかった。

 平田が口を開くまでの数秒間、記者たちの期待が一気に膨らんだ。

「まずは・・・私が今度の選挙に当選することが第一条件です」

 しかし平田の言葉は会場が期待していたものではなかった。

「そして・・・次の県議会議員選挙で、福島革命党が過半数を獲得することが第二条件になります」

 平田の言葉に記者たちはとまどっていた。誰もが思っていた展開とは違っていた。記者のなかにはお互いに左右で顔を見合わせる者もいた。

「その二つの条件が満たされた場合、私は福島県内に・・・」

 その瞬間、会場中の視線が平田に注がれていた。

「・・・福島県に放射性廃棄物の最終処分場の誘致します」

 そして会場が静まり返った。

 一瞬の静寂の後、先ほどより激しいシャッター音が会場内で鳴り響いた。


     ★


 このニュースは瞬く間に日本中を駆け巡った。核廃棄物の処理というデリケートな問題を、こともあろうに福島県知事が選挙公約に掲げたのだから、当然といえば当然である。

「あいつの非常識さは芸人としては面白いんだけどな」

 師匠も今回の話には驚きを隠せなかった。

「やっぱり政治家としては問題あるわな」

「いつだったか平田が言ってましたけどね『県に金が無いから公共事業ができない』って」

 中井は以前に平田から聞いた愚痴を思いだしていた。

「その打開策のつもりなんですよね?」

「さあな」

 師匠は素っ気なく答えた。

「どっちにしても選挙で白黒つけなきゃならないし、仮に選挙で勝ったとしても問題は山積みだぞ。そもそも処分場を受け入れるのは市町村だからな」

 たとえ福島県が誘致を決めたとしても地元自治体が反対したら意味がない。師匠は平田の会見を思い出していた。

「平田は明言しなかったが、おそらく候補地は原発周辺地域だろうな。誘致で得られた交付金を使って保険福祉団地を整備する計画だろう。住民の消えた町を新しく再生するプランだろうが、果たして地元が納得するかな」

 最終処分場誘致にに関してはとにかく大金が動くのだ。建設に適する土地かどうかを調査するだけでも数十億円規模の交付金が入るし、もし処分場の建設が決まれば公共工事で地域の経済が活性化するし、完成すれば雇用が生まれるので町に定住者が増えるかもしれない。さらにその地域に日本最大級の保健福祉タウンが完成すればかなりの発展が見込まれる。

「問題は住民感情ですかね」

「だろうな」

 原発事故で大きな被害を受けた福島県が、その原発ビジネスで金儲けをしていいのか? という問題だ。それに放射性廃棄物を取り扱う以上は万が一の可能性も忘れてはならない。

「平田は自分がリトマス試験紙になるつもりだろうよ」

 師匠は難しい顔をしていた。

「県民が平田の四年間をどう判断して、その判断を見た候補地の住民が何を考えるのか」

「・・・胃がキリキリするような話ですね」

「言っても俺たちは部外者だから気楽なもんよ。面倒なことは全部他所に押し付けてりゃいい」

 師匠は皮肉たっぷりに言った。

「誰かの犠牲の上に胡坐をかきながら俺たちは楽しく暮らしているのさ」


     ★


 平田の会見で世論の多くは福島擁護派に回った。福島に核のゴミを押し付けるのはよくないし、そもそも国は福島を最終処分地にしないことを明言しているはずだ、というものだ。これに関しては国会でも取り上げらることになり、野党の質問に対して総理も『今後の推移を見守りたい』としか答えられなかった。国の本音としては最終処分地が決まれば有難いし平田の公約は大歓迎なのだが、それを表に出すと批判の的になるので控えめな発言しかできなかった。しかしその裏では平田が知事選で有利になるように選挙コーディネータの派遣を検討するほか、経産省や各電力会社からも平田の応援に人員を送る計画が内密に進められているという。特に原発を抱える電力会社にとってこの問題は重要で、このまま処分地が決まらなければ最終的に原発の敷地内に核のゴミを保管し続けなければならなくなる。既に真空パックされた生ゴミは日本中の原発と六ケ所村に存在するわけで、それを最後にどの冷蔵庫で保管するかという問題が長年の課題だったのだ。

 もちろん平田の公約に賛成する意見もみられた。そこには平田の会見を見て共感し、また同じ危機感を抱いていた人の存在があったのだ。まず平田は処分場誘致の理由を『交付金を受け取るため』と『住民の帰還を進めるため』と正直に語った。このまま被災地がゴーストタウン化するのを避け、地域に新たな産業を育成することが目的だという。それと同時に平田は今後起こり得る大規模災害への懸念も口にした。もしも首都直下地震や南海トラフ巨大地震が発生した場合、その時には莫大な額の復興予算が必要となる。そうなると福島に復興予算が回ってくることはもうなくなるだろう。地震発生のメカニズムからいえば巨大地震は必ず起きるものだし、歴史的にみれば津波被害を伴う巨大地震は過去に何度も起きている。それは明日に起きるかもしれないし五十年経っても起きないかもしれないが、いつか必ずその時はやってくる。それまでに福島の復興が完成していなければ、二度と復興のチャンスは訪れないかもしれない。いつどこで大規模災害が起こるかわからに以上、平田は迅速に福島の復興を進めたいとした。福島県を豊かな県に発展させ、万が一の際に支援する側に回ることで『我々はもう被災地ではない』と胸を張って言えるようになる。そのための第一歩として最終処分場を誘致したいとした。平田は次の任期で最終処分場を誘致することとに政治生命を賭けると宣言し、その後の会見でも記者の質問に対して真摯に答え続けた。平田は会見の予定時間をオーバーしても会見を打ち切ることはせず、記者からの質問が出尽くした後でようやく一礼して会見場を後にしたのだった。

 そんな平田をタレント知事と揶揄する声は、もうどこからも聞こえてこなかった。


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 平田の公約は福島県内でも様々な影響を及ぼしていた。

 まず県議会では早くも平田新党への参加を画策する動きが出始め、今後も平田時代が続くことを見越して所属会派を離れる者が現れた。その一方で最終処分場に反対する野党系議員は反平田で一致団結し、知事選では強力な対抗馬を立てるべく動き始めた。その候補としては地元で人気のフリーアナウンサーや全国的に有名なジャーナリストなど、平田に負けない知名度と最終処分場反対をスローガンに平田に正面から戦いを挑む構えだった。候補者が乱立すれば平田に分があることは明らかだったので、反平田の陣営は候補者を一本化するために関係各所と調整をしていた。さらにその一方では平田の勝利を望む福島県外の勢力が暗躍し、反平田を掲げるダミー候補を立候補させて反平田票を食い合う構図を作ろうとしていたという。しかし多くの県議会議員はこれらの動きを静観していた。本音では処分場に賛成の議員でも県民の顔色を気にして意思表明できなかったし、また野党以外の反対派にしても平田が当選した後の政局を考えると何も言えなかった。ここで平田が圧勝した場合は次の議員選でも平田新党が議会を席巻することになり、そのことを考えると平田と敵対することは自らの議員生命の危機にも繋がるのだった。

 平田の公約に対しては一般の福島県民の間でも当然のように賛否両論あった。それは日本中で議論されている内容と概ね同じようなものであったが、決定的に違うのはやはり当事者であることだろう。しかし同じ福島県民であっても住んでいる地域によって問題の深刻度が違うのが悩ましいととろだった。おそらく候補地となるだろう浜通り地方とそれ以外の地域とでは、まるで原発の誘致にも通じる地域間温度差がみられたのだ。地域によっては受ける恩恵もそれに伴うリスクも違うし、それぞれの地域ごとに抱える問題も事情も違う。それらの要因が複雑に絡み合っているのが実情なのだが、単純に有権者人口だけをみると浜通り地方よりその他の地域の方が多いのだ。最終処分場の問題を除けば実質的には平田の信任投票のようなものだったので、県全体で考える平田に投票する人が多いだろうと見込まれていた。選挙が数取りゲームである以上はこの事実に揺るぎはないのだが、それがはたして県民の総意と呼べるのか? ここにもある種の地域間格差や押し付けがあるのではないか? など様々な問題を孕みつつも着実に選挙の足音は福島に近づいていた。


     ★


 遠ざかるタクシーのテールランプが見えなくなると、平田の周囲に動く物は何もなくなった。

 平田は森と山に囲まれた小さな公民館の広場に立っていた。ここも震災前なら小さい山村なりに集会やイベントなどで人々の交流もあっただろうが、今では深刻な過疎化によって集落が消滅の危機にある。日本中に同じような限界集落が増えるなかでも、福島県のそれは際立って深刻だった。

 平田はショルダーバックを公民館の玄関前に置くと、変装用のマスクと帽子をその中に突っ込んだ。入れ違いにネクタイを取り出すとそれをシャツの襟に固く結んだ。平田は首を軽く回して具合を確かめると、公民館を背にして広場に正対した。

 そして口を開いた。

「私が、今回も福島県知事に立候補しました平田賭です」

 平田は無人の広場に向かって大声で語り始めた。もう深夜といっていい時間帯なので、普通の住宅街なら警察に通報されていてもおかしくない状況だかった。しかし残念ながらこの山村ではそんな人々の営みさえ消えている。

 平田はさらに言葉を続けた。

「私が次の県知事選挙に当選することができたら、その時には絶対に成し遂げたいことがあります」

 平田の声は森と夜に静かに吸い込まれていく。この選挙演説を聞く者はここには一人もいなかったし、平田の言葉が誰かの元に届くこともなかった。

「福島県を日本一楽しい県にしたいです・・・福島県を日本一住みやすい県にしたいです・・・」

 しかし平田はそんなことは全く気にせず自らの理想をひたすら掲げ続けた。

  これは平田にとって儀式のようなものだ。

 おそらく選挙が始まれば平田がこの地で演説をすることはない。人をどれだけ集めるかが選挙の目的であり、それが選挙の勝敗を左右するのだ。過疎の地域を重点的に回る戦略など常識ではありえない。マスコミを引き連れて行うパフォーマンスなら良い見世物になるかもしれないが、それを好んでする政治家はいずれ正体を見破られて地に堕ちる。

「私は自分勝手で我儘で、ずる賢くてあざとい人間です」

 平田も結局は自分が批判した国会議員と同じことをするのだ。選挙戦の終盤にはどうせ都市部を中心に選挙カーを走らせる。所詮は平田も同じ穴の狢なのだ。

 平田もそれがわかっているからこそ今ここに立っている。けして誰かを納得させるためではなかったし、誰かに理解してもらおうとも思わなかった。

 ただ自分自身に納得したいだけなのだ。

 だから平田はこうして夜に吠えている。

 結局、これも平田の自己満足なのだろう。

 平田は演説を一時中断するとバックの中から紙コップと一升瓶を取り出した。紙コップの縁まで日本酒を注ぐと平田はそれを一気に飲み干した。空きっ腹の胃にアルコールがじわじわ染みわたっていく。平田は口元を手で拭いながら大きく息を吐きだした。そして再び広場と対峙すると夜の静寂に向かって自らの想いを吐き出した。まだまだ言いたいことは山ほどあったし、今まで言えなかったこともこの場で全てさらけ出すつもりだった。どうせここには誰もいないし、だからこそ恥ずかしげもなく己の理想を口にすることができた。平田は間違いなく自分に酔っていたし、それを自覚するだけの冷静さも持ち合わせていた。日本酒のせいで少し身体が高揚し始めていたが、それでも呂律が回らなくなることも体がふらつくこともなかった。

 平田は演説を続けながら考えていた。

 どうせ明日は休みなのだ。おそらく選挙前では最後の休みになるだろう。数少ないプライベートをどう使おうと自分の勝手ではないか。このまま徹夜で演説の練習をしても構わないし、ここで何も考えずに横になっても構わないし、ここで酒盛りをして憂さ晴らしをしても構わない。

 山村の広場は平田だけのステージだった。この瞬間の平田は政治家でもあったし芸人でもあったのだろう。普段の平田なら口にする言葉の青臭さに赤面することも狼狽することもあっただろうが、今は酒の勢も手伝ってか何も恐れる必要もなかった。ただ純粋に自分の理想と故郷への想いを叫び続けるだけだった。絶対に他人には見られたくない姿だったし、きっと今夜のことは一生誰にも話さないだろうと思った。それは四年前に出席した慰霊式典と同じように、平田の心にだけ刻まれるべき出来事なのだ。

 平田の演説は止まらない。

 もはや語っているのが理想なのか妄想なのかもわからないほど平田の言葉は支離滅裂だった。ただ昂った感情を表に出すだけでは獣となんら変わらない。それを情熱と呼ぶにはあまりにも危険なのかもしれない。

 深夜の山村で発せられた平田の想いは県民の胸に届くのだろうか。

 福島県知事選挙は目前に迫っていた。     


     ★


 今回の平田の選挙でも、やはり中井の仕事に影響が出た。前回同様に選挙期間中はテレビの出演を自粛することになったし、ラジオのレギュラー番組でも政治の話題はNGとなった。それでも四年前と比べるとスケジュールの調整はしやすかったし、事務所も対応を学んでいたので特に混乱はみられなかった。

 その日、中井は選挙前としては最後のテレビ番組を収録していた。合間の休憩時間に自分の楽屋に戻った中井は、スポーツ新聞を開きながらテレビの電源を入れた。流れてくるニュースをなんとなく聞きながら競馬の記事に目を通している。どこかで発砲事件があったらしく、テレビでは事件の概要を伝えていた。中井はぼんやりと『ヤクザの抗争か? 物騒だな』なんて考えていた。

「・・・ん?」

 そのまま新聞を読んでいた中井だったが、ある瞬間にその事実に気づいた。反射的にテレビ画面に目を向けると、中井はそのままテレビに釘付けになった。

 そして思わず、

「えーーーっ!」

 と、叫んでいた。

 それから突然のことに動揺した中井は慌てて周囲を見回した。当然、楽屋には中井しかいない。中井は自分がドッキリにかけられているのではと疑い、慌てて楽屋に隠しカメラがないかを調べ始めた。

 その途中でニュースがCMに変わったのを見て、中井はおそるおそる他のチャンネルのニュースをチェックした。


     ★


『・・・容疑者はパトロール中の警察官によって一時は保護されました。しかし突然その場で暴れ始めると保護した警察官に掴みかかったうえ、それを制止しようとした別の警察官にも殴りかかったそうです。さらに容疑者は警察官が所持していた拳銃を奪って発砲しようとしましたが、幸い拳銃には安全装置がかかっていたため弾は発射されませんでした。銃を投げ捨てた容疑者が再び警察官に殴りかかったところで、警察官は平田容疑者を現行犯で逮捕しました。なお現場となった公民館には空の一升瓶が転がっていたことから、容疑者は現場で飲酒して酩酊状態に陥ったものと思われます。後の尿検査で容疑者から薬物反応は出なかった模様です。この逮捕を受けて平田容疑者の選挙事務所では『現在、事実関係を確認中です』とコメントを発表しました。しかし今後の知事選への影響は避けられそうもなく・・・』


     ★


 その後、福島県知事選挙は届け出候補者が一名のみとなり、無投票で新知事が誕生するという珍事が起きた。棚ボタで当選した反平田の新知事は『これで福島に平和が戻ります』と語ったのだが、それを聞いた県民のなかには『福島の平和とはなんぞや?』と口にする者もいたという。

 平田の福島レボリューションは、こうして幕を閉じたのであった。


     ★


「わたし、村長です」

「はあ?」

 都内にある芸能事務所の応接室で、バクモン平田は素っ頓狂な声をあげた。そして目の前に座っている若い女性の顔をまじまじと見つめた。

「あれ? ・・・あんた村長の秘書じゃなかったのか」

「違います。どういう見解の相違があったのかは知りませんけど、わたしは社長さんに正式にオファーを出してここにきました」

「・・・・・・」

 村長の言葉を聞いた平田は『あ、社長に一杯食わされた』と思った。おそらく平田がドタキャンしないように女社長は敢えて詳しい話をしなかったのだろう。よくよく考えれば事務所で取引先と打ち合わせをすることも初めてだったし、応接室の外でニヤニヤしている女社長の顔を想像すると平田は苦笑するしかなかった。

「平田さんはトップが率先して交渉することを由とする人間だと思っていましたが・・・もしや、わたしが女村長だから馬鹿にしているんですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが・・・えーと・・・失礼しました」

 平田は恐縮しながら頭を下げた。

 平田が芸能界に復帰してからしばらく経つが、知事を辞めた平田が政治に関わることは今まで一度もなかった。どの都道府県や市町村から仕事も全て断ってきたし、この先も公共の仕事に関わるつもりは一切なかった。自分が過去に裏切った人達のことを考えると、申し訳なさすぎてそんな気にはなれなかったのだ。

 そんな平田を変えたのは師匠の死だった。

 師匠は急性心筋梗塞が原因で先日亡くなったばかりだった。突然の訃報に芸能界も大騒ぎになったし、平田も驚きや悲しみや無力感など様々な感情を抱きながら師匠を見送ることになった。その告別式からの帰り道、平田は中井と女社長と三人で師匠の話をした。デビュー直後の不遇の時代に世話になったことや売れるようになって初めてテレビで共演したこと、お笑い番組で馬鹿騒ぎをして視聴者からクレームが殺到したことや平田が不祥事を起こした時のこと。

 そして平田が知事になってからのこと。

 平田は師匠になんの恩返しもしていなかった。

「先日、わたしが問い合わせをした時に社長さんから『平田はやる気になってるわ』と聞いたのですが・・・あれは、わたしの聞き違いだったのでしょうか?」

「あ〜、そうね・・・確かにそんな話をしたような気もするね・・・」

 まさか半月もしないうちに社長がその手の仕事を受けるとは思わなかったのだ。

「・・・ま、社長がそう言ったのなら、多分そうなんだろう」

 平田は自分自身にそう言い聞かせながら頭を切り替えていた。

 そしてその後、平田は村長から村を活性化するために仕事を依頼したいと言われ、そのためのアイデアやプランをいくつか提示された。

 しばらく打ち合わせが続いた後で村長が平田に言った。

「わたし、学生時代に平田さんの福島レボリューションを見てとても感動したんですよ」

 遠い福島で起きた政治ショーは村長の故郷でも話題になったという。聞けば彼女は二十代の若さで先月の村長選で初当選したばかりらしく、地元のマスコミやネットではそれなりに話題になったらしい。

「あの時の平田さんは地方政治のヒーローでした・・・そして最後の散り際なんて、まさに伝説です。間違いなくレジェンドです。もはや生きる屍です」

「・・・・・・」

 村長は打ち合わせの内容に手ごたえを感じているようで、先ほどから少しテンションが上がっているようだ。妙な言動が増えたのが平田を不安にさせている。これは平田の偏見かもしれないが、自治体の長を目指すような人間は基本的にどこかのネジが飛んでいる。

「わたしが通っていた大学でも平田さんは人気者だったんですよ? もちろん大嫌いだっていう人も大勢いましたけど」

「・・・なんでわざわざそれを言うかね」

 平田は呆れたようにそう言うと、ソファーの背もたれにゆっくりともたれかかった。打ち合わせでの村長の熱量が強すぎて平田は少々疲れ気味だった。村長の地元愛の強さにも正直、ドン引きしている。はたから見れば村長による強烈な故郷の売り込みセールスだった。

 平田は今までの内容を反芻しながら村長に言った。

「まあ・・・あんたのやりたいことは大体わかったよ」

 平田も故郷を盛り上げたいと願う村長の気持ちは充分に理解できた。平田とはやり方もタイプも違うが、彼女も理想に燃える政治家であることに間違いはなかった。

「ただなあ・・・言っていることがあまりにもお花畑すぎて、とても現実的ではないんだよな」

「そ・・・そうですか」

 村長は一瞬で表情を曇らせた。ぎこちない動きでテーブルのお茶に手を伸ばすと伏せ目がちに茶をすすった。明らかに先ほどまでとはテンションが違っている。

 そんな村長を見ながら平田は師匠のことを思い出していた。

 おそらく師匠も知事時代の平田を同じような目で見ていたのだろう。もちろん今の平田が師匠の域に達しているとは到底思えないが、それでも自分より若い世代の粗さや拙さはよく見える。きっとこれが踏んできた場数や味わった屈辱の数など人生経験の差なのだろう。

「ま・・・そういうものなんだろうな」

 それをフォローするのが人生の先輩の役割なのだ。

「とりあえず、できることからやってみるか」

 平田の言葉に村長が大きく頷いた。

「は・・・はいっ」

 こうして革命の遺伝子は次世代へと引き継がれていく。<完>


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