月見草
「 ごめんなさい 」
なんで素直に言えなかったんだろう。
逃げよう、逃げちゃおう。
きっと瞬く星が、柔らかい月が、私を待ってくれてるはずだから。
晩春の朔日。私は誰よりも早く、その日に足を踏み入れた。
自由の中に存在する、不自由。それは、何よりも霞みがかっていて加減の判別がつかないみたい。自由だなんて私にとって恐怖でしかなかったはずなのに。
いつからか私はその恐怖が欲しいっておもうようになってて。その恐怖を体内に取り込んで掴むために。作り笑いの仮面を被る「大人」と呼ばれる人間に何度も縋る毎日を過ごしてた。
そんな中で迎えた今日は、うん、寒い。
でも、肌は冷えてるけど、私の鼓動は春の陽だまりみたいに跳ねることをやめなかった。
どこからか聞こえるあの旋律が私を包んで、街灯が私を照らす。跳ねる鼓動がステップを刻んで、鼻をすする音が風と混じり合った。
私が歩いてる道はほの暗くって、誰もいやしない。その日の星には幕が下ろされちゃってて、ただ朧気な月が私を心配そうに見守ってくれてるだけ。今一歩一歩確かめるように、私は歩いてる。でも、コンクリート脇の桃色の月が、私の足を止めた。
この花、夕方に目覚めて朝に眠るんだっけな。思考を張り巡らせても、名前が思い出せない。
「 あなたには、わかる?自由と、不自由。 」
尋ねてみたけど当然、お花は口を持たないもんね。言葉が返ってくるわけないか、
「 あなたには、わからないよね。ごめん。 」
何の返事もなくて、私の微かな息が花を揺らしてるだけ。今日は誰とも会いたくないし、話したくない。そんな夜に君だけには抱き締めて欲しかったなぁ、なんて。ちょっとだけ寂しくなった。
気がつけば私は、街灯が照らす先とは反対の方向に足を進めてる。花を抱き締めて独り、朧気な月に向かって走ってた。
-名前、思い出した。
その衝動が私を動かして、今ここで私は忘れないように涙を流す。さっき流した涙よりも脆くって、ぬるい涙を。同時に、その場に棄て去るように今までの思い出をその涙で置いてってしまおう。
私が縋る人間なんてもういない。いっぱいの感情が、ほの暗い道をがむしゃらに走る私に容赦なく纏わりついてくる。うれしくない、やめてほしい。
私の行先は、何にも見えない。
ただ、この夜だけは忘れたくない。思い出せなくてもいいから、覚えていればそれだけでいいから。道中で見つけた花壇に、桃色の月と朔日の儚い夜を埋めて、おもむろに閉じ込めた。