第八話
エイラから有難いお話を清聴した次の日。少し霧がかかっている。
この日は、姫路の若干強引な接触は鳴りを潜めていた。それはそれで不気味な気分なわけだが、安寧を保つ上ではこれほど有難いものもない。姫路にせよ倉橋にせよ、話す場合はTPOを考慮しないと、ただただヘイトを集める結果となるだけだ。倉橋の立ち回りの上手さを見習ってほしいとは思っていたが、まさかこんな早期の段階でそれを習得してくれるとは、賢介も驚きを隠せない。
何せ、高校時代は一切治らなかったからだ。
一応、二年三年と通年で姫路とはクラスが一緒だった。
倉橋とは三年からだが、あの時期は夏休みを終えて、受験勉強が佳境に入る頃。
半年も過ごせば、それは下手な友人よりも友人だと言えるだろう。
「ちょい、賢介」
そんな時だった。
魔術訓練が終了し、賢介だけは居残り授業(今は両手に火を出せるようになった)といういつもと変わらないスタイルで皆がスムーズに移動を終えた頃、一人残された賢介がゆっくりと動き出す。すると、前回と似たタイミングで倉橋が声を掛けてくる。良く人を見ている。このタイミングならば、余程のことが無い限りは大丈夫だろう。流石はMs立ち回り女王である。
しかし、倉橋の顔は若干曇っているようにも見える。
何かあったのだろうか。
「何だ?」
「あ、あのさ、そのー、あんましこの手の話は、こう、男子に聞きにくいんだけど…」
「…下世話な話か?」
「ち、違うわよ! なんで賢介とあたしが下ネタトークしなきゃなんないのよ!」
「だろうな。俺もそうなったら、お前のキャラ軸がブレて対応に困る」
「でしょうね…。じゃなくて。えーっと、あのさ、あんたって今、付き合ってる人、居るの?」
倉橋からこの手の話題が飛び出すのはちょっと意外だった。
倉橋雪乃と言えば、良くも悪くも浮いた噂がほとんど無い。スポーツ万能で頭も良い才女であり、姫路と同じく容姿にも優れているが、故に彼女のお眼鏡に適う男子生徒は少ない。姫路は究極まで接近する突き詰めたコミュニケーションによって、それ以上を踏み込ませない無言の圧がある。倉橋は、適度な距離感を保つノーマルなタイプだ。それだけに、姫路よりも浮いた噂は少ない。姫路のもその全てがガセネタという驚異の数字を弾き出してはいるのだが。男子に優しいのは倉橋だろう。
ボディタッチ、男子から道具を借りる、一緒に遊ぼうと声を掛けられる。
これは三大男子が「あれ、こいつ俺の事好きなんじゃね」と勘違いするであろう事例だ。
姫路は男子から物をよく借りる(特に賢介が多い)。ボディタッチは割と少なく、身持ちは堅そうだが。
だから、姫路からこの手の話を振られるのは自然な感じがするのだ。
しかし、倉橋からだと若干の不自然を感じ取ってしまう。
「なんだその告白する前に意中の相手に相手がいるかどうか確認する女子みたいな質問は。お蔭でこっちもツッコミが死ぬほど長くなっちまっただろうが…」
「う、うるさい! 仕方ないでしょ。ってか、別にその、なんて言うの、告白する気はないし。麗華に申し訳ないから…。じゃなくて、ほら、あれよ。あんたが誰かと付き合ってるのに、あたしが付き合ってないって釣り合わなくない?っていう、そんな感じのよ!」
「…あのなぁ。普通に考えて見ろ、倉橋。俺が誰かと付き合う? 馬鹿言え。今現在、お前を除いたクラスの女子連中において、唯一まともな関係なのは姫路だけだぞ。それで、姫路と俺が付き合ってないのは明白だろう。そしてお前と俺は友人で恋仲じゃあない。消去法で誰も残らんだろうが」
「そ、そうだけど、その、見たのよ」
「見たぁ? 俺が誰か女と一緒に居るのをか?」
「そうよ。ほら、昨日、だったかな。あんた、女の子と一緒だったじゃない。心当たりが無いとは言わせないわよ。証拠は挙がってるんだから」
昨日、女の子。
そうすると、当て嵌まるのはエイラの件だろう。それしかない。
まさかそれを見られていたとは。別に疚しいことはないが、何だか気恥ずかしい。
「あぁ…。あいつはエイラっていう、オーデリアにある教会の司祭だよ。休日あっただろ? お前らが名所観光とか一日の日程で出来るわけもない意味不明なスケジュール組んでた時だ。あの時、俺が城を出るタイミングでオルディナさんと会ってな。お前らに頼み事があったらしいんだが、俺が代わりに引き受けたんだ。んで、その時に頼み事の関係でエイラに会って、昨日たまたま城に来てたエイラと鉢合わせして、ちょっと話し込んだって、それだけだ」
「エイラ、ねぇ。賢介がファーストネームで呼び合う関係か…。やっぱ怪しい」
「あいつのミドルネームを知らないんだ。名前しか名乗らんかったからな」
「ふぅん。じゃあ、取り敢えず交際してるわけじゃないのね?」
「当たり前だろ…。何だ、毎日の激務に心身共に疲れた俺が教会の修道女に絆された、みたいな話を想定しているのか? 人の弱みに付け込むようなやり方で付き合うのは、申し出た側も受け入れた側も本意じゃないだろう。それを差し置いても、まだ二週間そこそこ程度の日数で、こっちの世界に恋人作るって…。俺はゲームの主人公じゃないんだぞ」
「そりゃそうだけど。何、そういう可能性もあるじゃない? その、毎日、あれだし…」
言葉を濁す倉橋。
きっと、止められない事に罪悪感を覚えているのだろう。ジレンマもあるかもしれない。
その気持ちの片鱗を知れただけで、賢介はすっと気分が楽になっていくのを感じた。
「まぁな。仕方がない。今は俺がヒールを徹底する方が都合がいいからな」
「悪いって思ってる。本当は、あの噂は嘘なんだって、無実なんだって言いたい。でも、あたしは…」
「分かってる。お前も言ってただろ。自分の命の次ぐらいには俺を考慮してくれるって。お前にとって、それは死活問題だ。つまり、俺より優先すべき事項だ。そのうえ、俺を庇って得られるものは何もない。ハイリスクノーリターンだ。自分の保身の為に他者を貶すのは醜いものだが、中立を保つのは仕方のないことだろう。寧ろ、そうやって割り切ってくれている方が信頼がおける。無茶な自己犠牲は、あまり好きじゃないからな」
「…最後の、凄い自虐だって気付いてる?」
「あぁ、俺は俺が嫌いだからな」
「でも、その、困ったら言って。あたしの立場で賢介を救えるなら、出来る限りは頑張る。エイラ、だっけ、その子に頼るのも良いかもだけど、話すだけで気分が晴れるってこともあるでしょ? そういう時は頼って。あたしだけじゃない、麗華だって頼ってほしいと思ってるよ」
「相変わらず、お前のかっこよさには惚れ惚れするよ。そうだな、折を見て、愚痴りに行くとする。覚悟しておけよ、俺にとってクラスの連中は若干名を除いて全員が愚痴の対象だからな」
「任せなさい。あたしだって似たようなもんよ」
そう言って、お互いに笑う。
こういうやつなのだ、倉橋雪乃という女は。
賢しくて、狡くて、それでいてかっこいい。倉橋雪乃の魅力。倉橋の徹底した演技は、仮に気づいたとしても嫌にならないものなのだ。彼女ほど裏表のない人間も居ない。彼女は常に自分を晒している。ただ、それをオブラートに包んでいるだけだ。無用な衝突を、無益な対立を起こさないように。だから、彼女のオブラートの中身に気付いても、嫌にならない。寧ろ好感が抱けるほどだ。
そのくせ、大事な時には必ず本音で語る。本当の気持ちを包み隠さず語る。
だから、頼れるし、信用できる。
「はーっ。取り敢えず、賢介の付き合ってる疑惑は解消ね。嫌疑が晴れてよかったわね」
「俺の知らない所で、俺の裁判をするな。当事者が法廷に居ないとか、最早犯罪だぞ」
「まぁまぁ、良いじゃない。さ、あたしも気分すっきりしたし、練習してくる。またね」
「あぁ、頑張ってくれ」
軽く手を振って別れる。
若干だが、普段の倉橋よりテンションが高いと言うか、ご機嫌が良さそうなのは気のせいか。
気のせいだとしておこう。情緒が不安定な時期は誰にでもある。
女子なら尚更だ。深くは言えないが、月一ペースでやってくるんじゃないだろうか。
憶測は賢介の嫌いとする行為の一つだ。変に勘繰るのは止そう。
この後はどうせ、既に何度も何度も訓練に訓練を重ねた、基礎魔術の練習。
飽き飽きするほどにして来た訓練を、飽きる事無く今日もやるわけだ。
いや、本当はこっちに来て三日目ぐらいにはもう飽きていたのだが。
ステップアップしても所詮基礎は基礎。
相変わらず、賢介に魔術の技能が開花する見込みは無い。
現段階で出せている手の平大の炎だって、基礎魔術の一つだ。炎属性のものじゃない。魔力というのはそれだけで熱量を持つエネルギーだ。それを体内にある『魔術回路』(彼らは『魔術刻印』と呼ぶ)で変換して発動する。炎というフォルムは、非常にイメージがしやすい。だからそれを用いているだけで、今の賢介が出来るのは、微々たる魔力を炎のフォルムで、見える形で放出しているに過ぎない。
属性魔術の場合は、その回路の中でより強いエネルギーへの変換が必要となる。
つまり、強力な回路が存在しないと、一つだって属性魔術は使えないのだ。
『魔術回路』は後天的に鍛える事も可能なのだそうだ。実例もある。
だが、元より素晴らしい才覚のある連中を相手にするとなると、どうも見劣りする。
それでも、他の連中より一歩でも二歩でも努力を重ねれば、追いつき追い越すことは可能なのだそうだ。
「(俺が姫路に勝てるイメージが一切湧かないがな…)」
そもそも対立して争っているイメージが湧かない。
そんな下らない事を考えながら、魔術訓練を終えた。
時刻は三時を回っていただろうか。徐々に天気は曇り始め、正確な時間は分からない。
ただ、霧はより一層深みを増し、陽光を雨雲が遮っていた。
そんな時。
「勇者様方ァァ!!! 至急! 王の間にお集まりください!!!」
バタバタと衛兵らしき恰好の青年が大声を張り上げて城郭に出て行く。
血相を変えて走っていく衛兵の姿は、この上ない危機を予感させる。
「金城くん、君も行くべきだろう」
ローレンスにそう言われて、渋々賢介も向かう。
結局足手纏いになりかねないのなら、いっそ城で寛いでいようかとも考えていたのだが。
「…まぁ、肉壁ぐらいにはなるか」
いざという時、身を呈することぐらい出来る。
なら、取り敢えずは向かうのみだ。
◆◆◆
「勇者諸君、よく集まってくれた、急に悪いな」
王の間には、若干焦りの色の見えるフォード王が鎮座していた。
全員がその場に集まり、ただ事ではない雰囲気にざわめき始める。
「『レーゼ』がオーデリア城壁の向かい側にあるソヴィトの森に大群で現れた。ソヴィトの森はセコメアとオーデリアを繋ぐ経路だ。ここを荒らされ、占拠されると、この街は陸の孤島になる。いつ城壁を崩そうと攻撃を仕掛けるかも分からない。現在、帝国軍兵士たちが相手をしている。君らにはそれに加勢して、進軍を抑え込んでほしい」
突然の報告にどよめく一同。
琴野先生(騒ぎを聞いて駆け付けた。具合は回復しているが、専ら情報収集をしている)が言う。
「『レーゼ』の段階は?」
「フェーズ3だ。段階としては中間、危険度は低くも無いが高くも無い。突然の実戦ではあるが、皆の表情を見れば、動揺こそあれ、不安は見て取れない。しっかりと責務を果たしてくれるだろう」
「…皆さん、無茶はしないで下さい。ほんの少しでも良いです、身に危険を覚えたら一目散に逃げ帰って下さい。みっともなくても、情けなくても、惨めでも、必ず生きて帰ってきてください」
既にこちらの情報に精通している琴野先生は、真剣な表情で言う。
その言葉は、踏ん切りのついていない生徒の後押しとなり、皆の瞳に凛とした炎が宿る。
「なぁに、俺らが負けるわけないって、彩ちゃん。逃げ帰るのはヲタ介にお任せだ」
笑いが起こる。さすがは大柳、今の彼らの緊張を解す、小粋なジョークを挟む。
琴野先生が複雑な顔で賢介を見るが、賢介も表面上は苦笑いを浮かべる。
彼女に変に悟られると、色々と厄介だ。「いじられ役」をまかり通そう。
「では、俺達も前線に参加します」
新十郎が力強く宣言する。
鷹揚に頷くフォード王。
かれこれ二週間、この地で訓練を続けてきた。
そんな彼らは、元よりある才覚を、十分以上に使う術と自信を手に入れたのだ。
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名前:鴻上新十郎
Lv:21
能力値
筋力:560
耐久力:560
体力:560
器用さ:500
幸運:500
魔力:540
理力:540
潜在技能:『四星魔術師』『神子』『覇王』
解放技能:『刀剣技術Lv200』『五属性適正』『魔術Lv180』『肉体強化Lv200』『魔力回復神速化』『殺気感知』『聖典の加護』『武装強化Lv200』『防御率無視』『反射率無視』『種族ダメージ倍加』『精神強化Lv180』『聖煌魔術』『暗獄魔術』『霊剣』『剣聖』『神剣』『魔槍』『ビーストテイム』『神速』『ドラゴンライダー』『後光の守護』『神栄の守り手』
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これが今の鴻上のスペックである。
元はバランス型の驚異的能力値だったが、鴻上は早々に魔術の能力に見切りをつけ、物理戦闘系の能力値に傾倒している。そのせいか、潜在技能である『剣聖』が解放された。今の鴻上の剣技は、帝国軍総帥であるセヴェイにも匹敵するだろう。もしかしたら、競り勝つ可能性さえある。そのぐらいの実力者だ。初戦を華々しいデビューで飾る事は間違いない。そして、それは鴻上に限った話ではない。
姫路麗華。彼女もまた、最強の一角を担っている。
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名前:姫路麗華
Lv:21
能力値
筋力:300
耐久力:300
体力:350
器用さ:560
幸運:500
魔力:630
理力:650
潜在技能:『聖帝の皇女』『魔神』『アストラル』『ワールドオーダー』
解放技能:『魔術Lv250』『五属性適正』『属性魔術Lv230』『魔女』『魔力無限供給』『女神の加護』『聖霊の施し』『龍の巫女』『肉体強化Lv120』『精神強化Lv200』『神速』『ドラゴンテイム』『精霊人』『魔眼』『天使の微笑み』『霊界』『クラッシャー』『術式神速化』『ゼロフレーム』『聖天魔術』『暗戒魔術』『属性合成』
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魔術師として最高峰に近いステータスを誇る姫路。
メインである『魔術』は異例も異例、200を越えるレベルを誇る。他にも魔術師にとっては強力な技能も数多解放されている。魔術という分野においては姫路の右に出る者は、今ここには居ない。なんなら、鴻上でさえも軽く負かされてしまうかもしれない。それほどのスペックを持つ。これに負けず劣らずなのが倉橋である。倉橋の『魔術』はレベル300をマークしている。間違いなく、魔術においてはトップだ。
それに比べて賢介は。
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名前:金城賢介
Lv:21
能力値
筋力:44
耐久力:44
体力:44
器用さ:40
幸運:42
魔力:42
理力:40
潜在技能:『大食漢』
解放技能:なし
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代り映えしないステータスである。
能力値の伸びしろも低く、皆が帝国軍一個大隊と同様レベルのスペックなのに、この有様だ。
下級兵士の上位程度の能力。今回参戦している兵士に紛れれば、そこそこ戦えるかもしれない。
それでも、相手の動きを見ながら、隙を突いて攻撃しないとすぐに死んでしまいそうだが。
「ミア、メア! 皆を馬車へ案内しろ! 各自、テイム技能を持つ者は名乗り出よ。それに応じた生き物を貸す。さぁ、急げ!」
フォード王の一喝に皆の表情が引き締まる。
鴻上や姫路、倉橋、大柳と大澤、その他数名がフォード王の元に駆け寄る。
彼らはドラゴンなり何なりに乗れる資格があるのだろう。
賢介は無論、馬車以外に持ち合わせている移動手段は徒歩程度のものなので、大人しく馬車に乗る。
馬車に乗った連中の表情はいつもと違って緊張しており、賢介など目にも入っていないようだ。
「(…変なのと出くわさない事を祈ろう)」
賢介は一人、馬車の揺れに応じて蠢く、ポケットの中の十字架を握る。
エイラに渡されたものだ。ないよりはマシだろう。
馬車は進んでいく。
すると、少しばかり進んで、オーデリア中心街を外れていく。
人影は失せ、一種のゴーストタウンを彷彿とさせる。
城門が徐々にその姿を大きくし、視界に収まりきらなくなった頃。
「勇者様ご到着です!」
賢介ら、勇者御一行は、前線へと参加した。