第六話
ハイペースで投稿していますが、書き置きしたものばかり。
なので、十話を超えたあたりからペースダウンします。きっと。
時は過ぎて。
その日の夜、クラスメイトらは随分と遅い帰宅となった。
時刻は十時を回っていたかもしれない。若干名が酔っ払っていた。
これには琴野先生も怒り心頭で、飲酒をした生徒らは厳しく叱られたという。
彼らは各々が風呂場に行ったりそのまま布団にダイブしたりと、自由行動になっていた。賢介は早い内に帰り、琴野先生とフォード王、そしてフォード王の正妻であるヘレン女王、ミアとメア、オルディナの計六名と食卓を囲んだ。フォード王はヘレン女王と共に、琴野先生と愉快に談笑をしていた。賢介は、ミアとメアに倣って無言で食事を続けた。時折オルディナに話しかけられたりもした。
その後、オルディナに頼まれ事の完遂を報告し、渡されたロザリオを提出する。
「ありがとうございます」
そう言ってオルディナは聖堂に戻っていった。
賢介も自室に戻り、本を読み込む。本当は紙に書いて残したいが、足がつくのを恐れたのだ。
ぼんやりと眠気に襲われた頃、階下の馬鹿騒ぎで半覚醒した。
そんな折、静かになった階下へ向かおうとする途中、姫路とばったり出くわした。
「あ、賢介くん…」
「あー…。悪かったな、姫路。その、オルディナさんに色々頼まれてな。それで、合流するタイミングを失って…。何せ、連絡手段もないだろ? だから、今どこにいるのか、ってのが分かんなくてな」
「そうだったんだ…。良かったぁ、私、賢介くんに避けられてるのかなぁって思ってて…」
「そんな事はしない。俺が姫路を避ける理由がないだろ」
「そっか、そうだね。あはは、私ちょっと変だったみたい。色々忙しかったからかなー」
「そうだな。こうして異世界に来るなんて、まずあり得ないだろうし」
他愛ない会話をする。
なんだか、こうして落ち着いて姫路と話したのが、数年ぶりにさえ感じられた。
此方に来てからは、賢介が自ら一歩引いていたのも除いても、割と疎遠がちだっただからだろう。
避けているつもりはない。賢介は一歩引いているだけだ。
線を引いているだけ。それが避けている、と思われるのなら、もう賢介に打つ手はない。
「そうだよねー。こっちにはさ、エルフとか、そういう子達がいるんでしょ? いつか会ってみたいなぁ。猫耳の子もいるんだもんね?」
「そうらしい。何だ、結構調べてるんだな」
「もう、私だって危機感はあります。だから、せめて基礎的なことは調べておこうと思って」
「良いことだな。って偉そうに言える立場でもないが…」
「…ねぇ、賢介くん」
思わず口をついて出たブラックジョークに、姫路の声のトーンが下がる。
一応コミカルで小粋なジョークを挟んでみたつもりだったが、どうやら失敗に終わったようだ。
自虐的な対応に慣れすぎるのも問題がある、という事なのだろう。
これは学ぶべき教訓だな。
「なんだ?」
賢介は努めて明るい声で応える。
今回は賢介に非がある。叱られるなり何なり、甘んじて受けよう。
「その、私は、賢介くんのこと、凄いと思ってます!」
「…ん?」
予想の斜め上を行く姫路の言葉に、思わず首を捻った。
「あ、えっと…。なんていうのかな。こういう言い方は、あんまり好きじゃないんだけど…。その、賢介くんは他の皆より、ちょっとだけ遅れ気味、で、それでも頑張ってる。私が同じ立場なら、ちょっと無理。だから、凄いと思うの。その、ごめんね…。私が言うと、嫌味にしか聞こえないと思うんだけど、でもこれは本音。本当の気持ちだから、今はまだ出来なくても、いつか、信じてほしいな」
「…そっか。姫路にそう思われているなら、それは救いかもしれないな」
「私だけじゃないよ! 雪乃ちゃんも…」
「はは、倉橋もか、こりゃ両手に花だな。…うん。その、まぁ、頑張ってみるよ。励みになった」
当たり障りない台詞を言っておく。
姫路からのそういったメッセージは、凄く有難い。暖かい気持ちになる。でも、今の賢介には、もう一人氷の心を持つ自分が居るのだ。彼は囁く。そんなのは所詮まやかしだと。圧倒的高みから見下した物言いだと。そんな気持ちが姫路に無いのは分かる。でも、理性が訴えるのだ。素直に受け取れない。だから、今はその言葉を額縁に飾っておこう。今はまだクロスを掛けて直視しないようにしておこう。いつか、その額縁に飾られた美しい絵を胸を張って見れる時がくるまでは。
その時だった。
「麗華…。お前、また金城と」
鴻上がやって来たのだ。
「あ、鴻上くん…」
「はっ。こんな役立たずと話して何になるんだ。下で倉橋も待っている、早くいくぞ」
「…鴻上くん、それ、どういう意味?」
鴻上の嘲笑と、侮蔑の籠った一言に、姫路が食い下がる。
「どうもこうもない。ただの穀潰しとお前が話して有益な事はないと言っているんだ。鈍間で役立たず、誰よりも使えない人材に、お前が掛けている時間はないはずだぞ、麗華」
「なんでそんな酷い事が言えるの!」
「…! 酷いこと? ふん。麗華、お前は気づいていないようだな。金城にとっては、俺よりもお前と会話することの方が苦痛のはずだぞ。だろう、金城。素直に言ったらどうだ」
嗜虐的な笑みを浮かべて鴻上は言う。
確かにその通りだ。鴻上のように、敵愾心を持ってくれれば助かる、それは前にも感じた通りである。姫路の優しさは、今や寧ろ激痛でしかない。それはそうだ。この場で言ってしまって、すっぱり縁を切るのも手かもしれない。お互いにとって良くないことなのだろうから。鴻上達と己を高め合う事こそが、今の姫路に必要な事だ。どうせ賢介は逃げるのである。逃亡するのだ。
だったら、ここで素直に白状してしまおうか?
先程の言葉も、本当は痛いんだって。辛いんだって。憎いんだって。
額縁に飾ったあの絵を、粉々に砕くべきなのだろうか。
「……そうだな、素直に言うとするよ」
「け、賢介、くん…?」
苦しい。痛い。辛い。恨めしい。憎い。悔しい。
きっと、誰よりも醜いのは賢介なのだ。だから、言おう。
「馬鹿じゃねえのか」
「な、に…?」
せめて、強がって見せよう。
誰に恰好つけるわけでもない。ただただ、ここは越えてはいけない一線だ。
下らないプライドだ。惨めな意地だ。
「てめぇの言葉の方がうざったいに決まってんだろ頭でっかち。何勝手に自分の理論を正当化してんだ。頭の出来は良くても、そこらへんポンコツだなお前は。だから愛しのあの人に振り向いてもらえねえんだよ」
「金城、貴様…!」
「姫路の言葉の方が辛いだ? 褒められて苦しいわけあるかよ。俺は悲劇のヒロインかよ。頭ン中お花畑なんですか? これだから優等生には困っちまうな」
「黙れ!」
ガン、と鈍い痛みが顔面に走る。
どうやら殴られたらしい。元々インドア派な賢介は、ぐらりと視界が歪むのが分かる。
それでも、やられっぱなしは気に食わない。目には目を、歯には歯を。
ハムラビ法典万歳だ。
「ッ!?」
ふらりと揺らいだ身体を無理に動かして、殴る。
まさか反撃されるとは思っていなかったのだろう、鴻上の表情が驚きに染まる。
硬直した鴻上の右頬にクリーンヒット。
「いっ…!」
「賢介くん、鴻上くん、止めて!」
「…」
殴られた頬を抑えて呻く鴻上。
二人の殴り合いを止めようとする姫路。
ただ無言で立ち尽くす賢介。
それを止めに入ったのは、誰あろう、倉橋雪乃だった。
「はいはい、喧嘩はそこまで。新十郎も、賢介も、取り敢えず部屋に戻って頭冷やしなさい」
「倉橋…! そうはいくか、こんな奴に殴られて…」
「あ、そう。なら力づくで止めるけど」
「何…?」
「あたし、新十郎より強いし」
「…ふん、下らん。たかだか一つ二つ俺より得意なだけで、いい気になるなよ」
「驕りね。あんたいつかやらかすわよ。ってか現にやらかしてるし。こうして大きい騒ぎを起こしたこと、全部あんたにとって不利益なんじゃないの? 麗華も居るし。ま、他にも不利益はありそうだけど?」
「…」
黙り込む鴻上。
鴻上は今現在、このクラスをまとめ上げるカリスマだ。事実上のリーダーにしてトップ。そんな彼だからこそ、その一挙手一投足に注目される。相手が賢介でなければ、内部分裂を起こしてもおかしくはない。何より、恵まれ過ぎた鴻上は、心のどこかで皆を見下している。些細な反論が、非常に耳障りだったり、鼻につくなんてこともあるかもしれない。勝って兜の緒を締めよ、勝ち過ぎた力を過信しすぎた鴻上。
今回は、身を挺してそれを示す立場を、それとなく演じてしまった賢介である。
それに、姫路の心象を著しく悪くする可能性もある。ここで殴り合えば、よりそうだろう。
どうやら鴻上の精神的成長の一端を担ってしまったようだ。
「…俺は部屋に戻る。またな、姫路、倉橋」
若干苦々しい気持ちを噛み下し、落ち着いた声でそう言う。
「ええ、また明日、賢介」
「賢介くん…」
さらっと挨拶を交わすと、姫路が何か言いたげな表情でこちらを見ている。
罪悪感が増す。一応、女性の目の前で、醜い殴り合いを仕掛けてしまったのだ。
どう返事すべきかが分からず、賢介は無理に笑う。
「…悪い。姫路の言葉は本当に嬉しかった。だから、それを馬鹿にされたくなかった、それだけだ」
曲解されようと誤解されようと、それは構わない。
言いたい事は言った。それをどう受け取るかは姫路次第だ。
そのまま賢介はその場を後にする。
長居は、無用だ。
一瞬、鴻上と視線がかち合う。
チロリ、と怨恨にも似た仄暗い炎がその双眸に宿ったように感じる。
しかし、それを見て見ぬフリ。挨拶を交わす義理も意味もない。
「…はぁ、いって…」
部屋に戻ると、ジンジンと俄かに頬が痛みを訴える。
殴り合い、というほどではないが、小競り合い、それだっていつ以来だろうか。
争うことを諦め、放棄した。自分の心をすり減らして、ダメージを緩和させようと努力した。
だから、鴻上には悪いが、少しだけ気分が良かった。
こうして、真っ向から殴られ、そして殴り返すようなことは、あちらの世界では有り得なかったから。
それで背負ったペナルティはあまりにも大きいけれど。
自分の感情を、本当の想いを、こうして直に感じて、まだ暖かい部分があることに安堵する。
痛くて、苦くて、辛くて、切ない。
鴻上が羨ましい、妬ましい、憎らしい、苛立たしい。
けれど、素手で殴り合えば、なんてことはない。
痛み分けで済むのだ。
最強の勇者でさえも。
そう思うと、少しだけ気が楽だった。
元々脳内を舞っていた睡魔が、再度舞い降りてくる。
痛む頬を抑えながら、気づけば意識が薄れていく。