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食せ、さすれば与えられん  作者: 皐月皐月
13/14

第十二話

 目が覚めると、見覚えのある一室に居た。


賢介の意識の覚醒と共に、ズキズキと右腕に刺すような痛みが連続する。

首を巡らせて右腕を見れば、痛々しい痣に塗れていた。

色もおかしい。内出血が酷いのだろうか。


「…ここは、俺の部屋か」


ぽつりと呟く。

脳裏をフラッシュバックするのは、あの古狼との闘い。


「あいつは…! いっ…!?」


思わずがばりと起き上がる。

全身に痺れるような痛み。どうやら腕以外もそこそこ重症なようだ。


ぼすん、とベッドに倒れ込む。


 こうして、見慣れてしまった部屋の中でぼんやりしていられるのは、古狼を退けたからだろう。もしくは誰かが仕留めたのかもしれない。それだったら幾分も気が楽だ。兎に角、安寧は守られたとみるべきか。動かない身体に頑張ったなと声を掛けてやりたい。賢介の人生史上最大の頑張りだった。それだけは確実に言える。身体は節々が痛む、満身創痍で、かっこよさは微塵も無いけれど。


『コネクト』



ーーーーーーーーーーーーーーー


名前:金城賢介

Lv:30


能力値


筋力:800

耐久力:820

体力:820

器用さ:760

幸運:430

魔力:800

理力:770


潜在技能:『大罪』『星喰らい』『渇望』『満たされぬ欲望』

解放技能:『暴食』『ジャイアントキリング』『殴打技術Lv380』『肉体強化Lv320』『精神強化Lv320』『呪い耐性』『古狼との血盟』『狼王の系譜』『威圧』『殺気感知』『ナックルマスター』



ーーーーーーーーーーーーーーー



レベルアップに応じて得られるボーナス値も跳ね上がっている。


 古狼を倒したわけでもあるまい。その割にこれだけレベルが上がっているのを見れば、相手がどれだけの強者だったかが頷ける。何せ、鼻先を食い千切った程度であの上昇幅だ。本体のスペックは並大抵のものではないだろう。本来なら、ヤツを倒して、骨の髄まで食らってやるつもりだったのだが。そうは問屋が卸さない。『暴食』に頼りっきりというのも良くない。今回は、そういうことにしておこう。


その時だった。


コンコン。


控え目なノック。


「け、賢介くん、起きてる?」


この声は、姫路か。


「あぁ、起きてる」


「入っていいかな?」


「別に良いけど」


そう言うと、姫路がひょっこりと顔を出す。


 恰好はお洒落なノースリーブワンピースにシャツワンピースを組み合わせたもの。決して長身ではない姫路だが、だぼっとした緩めの恰好もよく似合う。雰囲気と相まって愛らしさが増しているように見えた。同じく緩くかかったウェーブと、くるりと巻いた前髪が、如何にも今時女子な感じだ。


ゆっくりと後ろ手にドアを閉める。

そんな姫路の姿に、しかし、違和感。


「…訓練はないのか?」


「一週間お休み。皆お疲れモードだからね。って言っても、残り四日ぐらいだけど」


「ってことは、俺は丸々三日ぐらいは寝込んでたわけか…」


「そうだね。でも、良かったぁ…。最初ほんとに、死にそうだったんだもん」


泣き出しそうな姫路。

賢介は姫路のいきなりの豹変具合にびっくりして慌て始める。


「ば、馬鹿だな、死ぬわけないだろ。俺は逃げることに関しては最強だからな」


取り敢えずそれっぽいことを言ってみる。

すると、姫路の表情が一瞬で訝しむようなものになった。


「…逃げる? 賢介くんは、あのでっかいオオカミのいた場所で見つかったんだよ?」


「え、あぁ、そうだったかな。いや、なんていうか、あれだ。クレーターに落っこちて気ぃ失ったんだ」


「クレーターなんて一言も言ってないよ?」


「う、ぐ…。と、とにかく、生きてたんだから良いじゃないか」


「…賢介くん、ステータス、見せて」


姫路がずいっと距離を縮める。

ふわり、と控え目な香水が鼻腔をくすぐる。賢介の好きなシトラスの匂いだ。

若干膨れた様子の姫路。お顔は非常に可愛らしいのだが…。


「な、なんでだ? なんだ、お前までそうやって俺を馬鹿にするつもりか?」


「ちーがーいーまーす」


より怒気を孕んだ瞳にグレードアップした。


「んじゃ、なんだよ、俺は怪我人だから、無理は言わないでくれると助かるんだが…」


「ステータス見せてくれるぐらい、片腕無くたって出来るよ。良いから」


「いや、待て。落ち着け。取り敢えず離れろ、近い、近い近い近い!」


身を乗り出して迫る姫路。

賢介との距離は僅か数センチにまで迫っていた。


 賢介の言葉にハッとして身を引こうとするも、何故か躊躇いを見せる姫路。そのせいか、さっきよりは離れているが、依然として距離は近い。顔が近い。目と目が合う。大きく漆黒の瞳を見つめていると、吸い込まれそうな感覚を味わう。ベッドで半身を起こした状態の賢介、その賢介に跨るような感じで迫る姫路。その構図は第三者からすれば色々勘違いされてしまいそうだ。


時間にして数十秒、だがそれは時が止まったかのようにも思われた。

その止まった時間を打ち壊してくれたのは、倉橋だった。


「賢介ー、起きたのー? 麗華がさっきすっ飛んでったか……ら…」


今度はリアルに時間が止まった。


二人きり。至近距離。見つめ合う。男と女。一つの部屋。ベッドの上。

不穏当なワードが幾つも羅列する。


「…ごめん、邪魔したね」


「「待って(くれ)、雪乃ちゃん(倉橋)!!」」


本当の意味で、賢介と姫路が心を通わせた瞬間である。







◆◆◆







 「はぁ、あんたらねぇ」


事情を説明し、何とか倉橋を説得する。

どうやら、倉橋の脳内では賢介と姫路がイケナイ関係になっていたようだから。


「見せつけてくれるじゃないの。病み上がりのくせに元気じゃない」


「俺のせいなのか…?」


「あんたのせいでしょ」


「…そういうことにしておこう」


強く出られないのが悲しいところだ。


「あー、で、姫路にも言えることだが、何か用か」


「だから、賢介くん。ステータスを見せてってば」


「ちょっと待て、その話はさっきの騒動で有耶無耶になったはずだろう。何故持ち出す」


「それのことなんだけど」


その時、倉橋が口を挟んだ。


「やっぱりさ、あんた、あの時、あのオオカミを吹っ飛ばしたの?」


「…」


真剣な表情の倉橋。


 事実から言えばイエスだ。古狼を吹き飛ばしたのは、他の誰でもない、賢介である。しかし、これをおいそれと口にして良いものか、判断に困る。かといって完全否定をするのも、嘘を吐いているようで気が引ける。どの道、自慢できるような出自の能力ではないのだ。出来るだけ人目に触れないようにしたいのが賢介の意思だが、どうやら彼女らはそうではないらしい。


はぁ、と一つ溜息。


「…あぁ、そうだよ。あの狼吹っ飛ばしたのは俺だ」


「やっぱり! なら賢介くんなんで…」


「なんで嘘をついたのか、って事か?」


「う、うん…」


姫路がこくんと頷く。


「…まぁ、お前らならいいか。扉は閉まってるけど、リアクションは抑えろよ」


「うんうん!」


「分かったわよ」


素直に頷く姫路と倉橋。

それでもきっと驚くだろうなぁ、と思いながら、ステータスを見せる。


「えええ━━むぐぅ…」


「し・ず・か・に、しろ」


「(コクコク)」


思いっきり叫ぼうとした姫路の口を手で塞ぐ。

無言で首肯する姫路の顔が若干赤いのが気になるが、それはさておき。


「…800って。あんた、何が起きたらこんなことになるのよ?」


倉橋の反応は至極真っ当なものだった。

クラスメイトならいざ知らず、この二人相手に不義理を働くのは居心地が悪い。

なので、今まで起きたことを掻い摘んで説明する。


 逃げ出した先で古狼と出会ったこと。古狼の鼻先を食い千切って、結果呪いを受けたこと。しかし、賢介の持つ技能が開花し『大罪』へと変貌したこと。その『大罪』の力によって能力値や技能が解放されたということ。掻い摘んで話した内容ではあるが、それなりに時間を取ってしまった。


それを聞いた二人は、百面相かってぐらいに表情をころころさせる。


「…あんた、流石に前線逃げ出すのは情けないわよ」


「鼻先食い千切るって…。その上右手右足も食べられたんでしょ…? な、なんか腕と足痛くなってきた…」


呆れた様子の倉橋と、若干顔を青ざめた姫路。


「…ま、お蔭で何とか退けられたみたいだな」


「そうね。あの後あいつは逃げ帰ってったわ。そして、その中心地であんたが見つかった」


「さすがに死を覚悟したがな…」


あの一瞬は本当に死んだと思われた。


 音が消え、光が消え、意識が消えた。盲目に陥ったような感覚の後に、鈍器で叩かれたかのような鈍い衝撃を受けて脳機能が停止した。それも、あの古狼のトンデモな一撃によってだ。大柳や鴻上に殴られてノックアウトするならまだしも、本気で殺しにかかってきているヤツの一撃を食らって意識を失ったとなれば、それはもう再起不能と同義だと受け取っても致し方ないだろう。


姫路は言う。


「ほんとに良かった…。賢介くん、無茶は駄目だよ」


「多少は無茶もする。個人的に借りもあるしな。あの野郎に右手右足食われといて、はいそうですかって許せるかって話だ。ま、ちょっとばかし調子に乗ってたのはあるかもしれないがな…」


行き過ぎた力。

それに対する過信は、鴻上や大柳以上に、賢介を蝕んでいたのかもしれない。

そう言う意味では、いい薬だ。古狼には随分と世話になっている。


「でも、あんた…。それ、どうすんのよ。いきなり強くなったら、色々面倒じゃない?」


「そうなんだよな…。そのくせ俺魔術使えないから、結局魔術訓練だけは普段通りっていう…」


「アップダウンが激しいわね…」


「俺もその波についていける気がしなくてな…」


倉橋の心配は最もだった。

姫路も言う。


「そうだよね…。いきなり強くなっちゃったら、鴻上くんとか、立場ないもんね…」


「辛辣だな…。その通りだが。かといって俺には鴻上のように集団を纏めるカリスマ性は皆無だ」


「それは同意ね」


賢介の言葉に倉橋も頷く。


 集団を統制する能力を持つ鴻上が、事実上のトップである事は外せないマストな条件だ。賢介が入れ替わりでその地位に着いても、良い結果にはなるまい。となると、賢介はいつも通りに対応するのが無難か。しかし、未だ分からない事だらけの能力である。いつ暴走するかも分からない。その可能性を示唆しておく必要もあるのではないだろうか、という葛藤もある。


取り敢えず。


「現状、鴻上をトップに据えた、あのスタイルを維持で良いだろう。暴発の要素も見られないし、いざとなればヤツとコンタクトを取ればいい。取り方は分からないが」


「最後一番重要なとこじゃない…。でも、それしかないのよね…」


倉橋も苦々しい表情で同意する。

すると、姫路が口を挟む。


「でも、それってまた、賢介くんが酷い目に遇うってこと?」


「…」


倉橋も黙り込む。


 確かに、賢介のここでの扱いは相当に酷い。罵詈雑言、誹謗中傷、暴力、なんでもありだ。賢介がそれに甘んじていたのは、実力の無さが原因である。その原因が取り除かれた今、確かに無為に嬲られる意味もなくなったわけだ。反抗して逆に嬲り返すことだってできる。姫路の言葉は至極真っ当だ。倉橋が黙り込んだのも、きっと何か思うところがあるからだろう。倉橋からお勧め出来る案ではないのだ。


賢介がそれをするから、倉橋は同意したのである。


だが、姫路は異論を示す。


「私、凄く辛かった。賢介くんがああやって酷い目にあって、それでも止められなくて。本当は助けてあげたかった。けど、雪乃ちゃんに止められて、それが賢介くんの意思だってわかって…。もう、頭の中こんがらがっちゃって。絶対嫌なはずなのに。私で辛かったんだもん、賢介くんはそんなものじゃないと思う。もっと痛かったと思う。だから、ああいう目にはもう遇ってほしくない…」


ぎゅぅっと拳を強く握る。

目元は少し涙で濡れていた。


「姫路…」


賢介は今更になって思う。

姫路に嫌な思いをさせていたのは、賢介を虐める側だけではない、賢介もだったのだと。


 姫路は心の優しい女の子だ。友人である賢介が無抵抗で虐められている様子を見て、心を痛めないわけがない。それを賢介は、自分のちっぽけなプライドの為に、見て見ぬフリをした。姫路の立場も考慮はしていたが、それは姫路が考えるべきことであって、賢介がああだこうだと心配するべきことではない。自分勝手に傷ついて、一人だから大丈夫と強がって、情けは無用だと周囲を拒んだ。


それでも、ずっと友人で居てくれた二人。


「…そうよね。確かに。あたしだって、嫌よ。あんなの、もう見たくなんかない」


「倉橋まで…」


拒絶。

賢介の意思を、表明を、はっきりと二人は拒絶した。


「…」


そうとなれば、一番無難な選択は何か。

考える。原因の根本を。諸悪の原点を。


そうして、思い至る。


「…わかった。何とかしてみよう」


「賢介くん、それって…?」


「俺が虐められていた原因は、俺の特異なまでの弱さだ。なら、それを均してしまえばいい。平均的なところにまで持っていけばいい。そうすれば、俺が虐められることは無くなるだろう」


弱点を失った賢介にとって、力加減を調整するのは造作もない事だ。

クラスの中間レベルを維持すれば、変に虐めることも出来まい。

それでも。


「誹謗中傷は残るだろうがな。俺が強くなろうが、本質的な問題は変わらない。正面切っては言えなくなるだけで、陰で色々言われるのまでは治らないだろう。そこは、まぁ、我慢してくれ」


金城賢介という人物へのヘイトは減ることは無い。

それは高校生だったあの頃から変わりはしない。


「…むぅ、分かった」


「ま、元々それはあんたも悪いからね」


理解を示す二人。


「で、他に用があるのか? 用が無いなら俺は寝ようかと思うんだが」


取り敢えず部屋から追い出そう。


 いきなりノック無しで部屋に突入するような無礼な輩が居ないとも限らない。この現状を見てどう解釈するかは、見た人間に一任される。賢介へのヘイトが溜まるのは勝手だが、変な憶測が二人に流れるのは非常によろしくない。クリーンなイメージというか、そういった部分に禍根を残したくないのだ。その手の話題で疎遠になったり犬猿の仲になったり、なんてのはよく聞く話だからだ。


すると、その真意を知ってか知らぬか、倉橋がいやらしい笑みを浮かべた。


「あ、そう。なら、あたしが添い寝してあげよっか?」


「おい…」


「え、え! ちょ、ちょっと待って! なら私もする!」


「おい!?」


話が変な方向に捩れていく。

倉橋の表情から察してあの提案が冗談なのは分かるが、姫路の切羽詰まった口調は判断がつきにくい。

にやっとした倉橋の口角が徐々に上がっていく。


「賢介はそこそこ背丈あるから、あたしぐらいが抱き枕に丁度いいわよね?」


「な、そ、そんなことないよ! 私は確かにちょっと小さめだけど、ぎゅって抱いて寝るなら私の方が抱き心地はいいよ! ぬいぐるみみたいんな感じだよ!」


「おい待てお前ら。なんだ、お前らは俺にヘイトを溜めて何をするつもりだ。俺はポイントカードじゃないんだぞ」


「あたしは本気だけどなー? なんなら裸でもいいよ? ほら、よく言うじゃない。雪山とかで遭難したら裸で抱き合って寝るって」


「うええ!? く、くぅ…。わ、分かりました! なら、私も裸で一緒に寝ます! ちょ、ちょ、ちょっとぐらいなら、え、エッチなことしてもいいです!」


「静まれお前ら!」


倉橋め…。なんつーこと言い始めるんだ。そして姫路、お前も何故対抗する。

普段大きいリアクションを取らない賢介が見せる、珍しいツッコミだった。


「なんで遭難もしてない俺がお前らと裸で抱き合わなきゃならないんだ…」


おふざけが過ぎる。男子高校生には刺激の強い冗談だ。

これが大柳なら一も二も無く添い寝敢行だろう。相手が姫路で断る理由もない。

姫路も倉橋も、運動部に所属していただけあって、身体つきやシルエットも奇麗だ。


 賢介のような自制心が無ければ、流されてしまってもおかしくはない。自分の容姿を少しは考えろと声を大にして言いたい。これが大して可愛くもない相手ならまだしも。モデルレベルの容姿を持つ二人に、そんな事を言われて揺るがない男子などいない。これが姫路だけなら少し危険だった。倉橋のは確実に冗談だと分かるので、そのノリで回避できる。本当に危険な連中だ。


某恋愛シミュレーションでもあったな、こんな展開。

それならやっぱり、それは嘘っぱちだ。この場合は冗談に分類されるわけだが。


「相変わらずガード固いなー。滅多に無いわよ、こんな機会」


「なんだその大学生の飲み会みたいなノリは。止めろ、俺はその手のノリが死ぬほど嫌いだ」


「む、むぅ…。既成事実が出来るかもしれなかったのに…」


「おい姫路、どういう意味だ。その既成事実は誰にとってメリットがあるというんだ」


ネタにするのか。実はこいつは工作員だったのか。

時々、姫路のぽそりと呟かれる一言に戦慄を覚える賢介。


「折角、あのオオカミを追い払ってくれたんだし、サービスしてあげよっかなーとか思ってたのに。残念だね。ただの添い寝じゃなくて、ね」


妖艶な笑みを浮かべる倉橋。


「そ、そうだよ、賢介くん。あのオオカミを追い払ってくれなきゃ、私たちも無事じゃ済まなかったわけだから…。そ、その、お礼? うん、お礼だよ。そう、だから、気負わなくていいんだよ」


照れた様子ではにかむ姫路。


「(…おい、どんな展開だこれは。二人同時攻略だと? …じゃなくて。なんで俺は友人からこんな勢いで迫られているんだ。分からん。これが勇者補正か。或いは罪な男的な補正か。くそ、笑えんぞこれは…)」


ずいっと身を寄せる姫路。

ぐっと近寄る倉橋。


「い、いいから、あれは俺の為の戦いだったんだ。それで偶然、お前らを救うことになっただけだ」


「それでもいいもん。どういう理由があろうと、結果はそうなんだから」


「そうそう、麗華の言う通り。というわけで、黙ってサービスされなさい」


「おい、待て、待ってくれ…。頼む、なぁ、冗談だろう? 盛大なジョークなんだろう? 帰還後の留学を意識したアメリカンジョークなんだろ? 分かった、面白い。非常に面白い。抱腹絶倒だ。もう全米が笑うだろうよ。なぁ、だから、ほら、な、引き際を、考慮しないとさ。だろ? なぁ、おい…おいぃぃ!」


無言で迫る二人。その目に光は無い。

まずい。どういう状況だこれは。賢介は動けない身体を無理に動かして、後ろに下がる。


それでもベッドで移動できる距離なんて限られている。


僅か数センチまで迫った二人の顔。

本来なら嬉しくてにやけ顔であろう賢介の顔、未知の恐怖に引き攣っていた。


そのまま十数秒。


「ぶふっ!」


盛大に唾が飛んできた。

倉橋が思い切り吹き出したのである。


それにつられて姫路も吹き出す。


美少女二人の唾を顔面に受けて喜ぶような性癖は、当然賢介にはない。


そのままケタケタと腹を抱えて笑う二人。

心臓に悪い。出来れば今後一切止めて頂きたいものだ。


「…おい。お前ら。人様の顔面に大量に唾引っ掛けといて、何笑い転げてるんだ。お前らのそれだって普通に虐めだからな? そこら辺理解してるのか?」


「アハハハハハ! ご、ごめんごめん…。くくく…。賢介の、か、お、アハハハ…」


「賢介くん…ぷ、ぷふ、そ、その顔は…くふっ…。普通、もっと嬉しそうな顔するよ…あは、あははは」


近くにあったタオルで顔を拭く。

失礼な奴らだ。


「あー、笑った。普通、あたしと麗華にあんだけ迫られたら、だらしなーく鼻の下伸ばして当然でしょ。それなのに、賢介…顔引き攣らせて…くく」


「甘々なラブコメーな展開だったのに、賢介くんだとホラー映画みたいになっちゃってたね、ふふ」


「焦りもするだろうよ…。俺はそこまで都合のいい脳味噌じゃないんだ」


何事も、美味しいことは疑うべきである。

賢介の理念だ。


どっと疲れた。


「もう帰れお前ら…。俺は寝る」


「添い寝、する?」


「帰れ!!」


「あははは」


倉橋の半笑いな問いに怒鳴る賢介、そのやり取りを見て笑う姫路。

平和だ。

だが、出来ればもう休ませて頂きたい。寝起きに血圧を上げさせないで頂きたいものだ。


「はいはい、帰りますよー。後で後悔しないでね?」


「お前のキャラが若干ブレてきて俺は非常に焦ってるぞ…」


倉橋はそう言うと足早に部屋を去っていった。

姫路と賢介が部屋に残される。


「あ、あの、賢介くん。その、ゆ、雪乃ちゃんが言った方が良いって、言ってたから、言うね」


「…? あ、あぁ」


倉橋が?

意味も分からずにこくんと頷いて言葉の先を待つ。


もじもじと、照れくさそうに頬を赤らめて、姫路はそこそこの声で言った。


「た、た、溜まってたら、わ、私が、ぬ、抜いてあげるから!」


そう言って物凄い勢いで部屋を走り抜け、廊下へ飛び出す姫路。

じっくり三秒。姫路の言葉を咀嚼し、叫ぶ。


「倉橋ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」


城内に賢介の怒りを孕んだ叫びが木霊したのは、言うまでもない事だった。




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