7 眠るまで、もう少しだけ・・・
宿に戻ると部屋の中は月の明かりで満ちていた。窓から差し込む光はどこかおぼろげで、安い宿を幻想的なものへと創り変えている。
「ええっと、マッチは・・・あった」
白神は取り出したロウソクに火をつける。幻想的な明るさも風情があっていいが、それで転んで怪我でもしたら話にならないのだ。
とてとてと白神に続いて入ってくるユキ。
結局人通りの多い道しか通らなかったため、襲われることもなかったのだ。一応、どの部屋に泊まっているのかわからなくするための努力はできるだけしてきたので、いきなり押し入られる可能性も低いだろう。とりあえずこのままいけば何事もなく一日を終えることができそうだった。
とりあえず荷物を机の上へと降ろす。
「お前はそのベッドで寝てくれたらいいからな。俺はいつも壁で寝てるから、気にしなくていいし」
大剣を持ったまま白神はユキに言う。
べつに少女に気を使っているわけではなく、白神は日常的にベッドでは眠らないのだ。昔からの癖、というよりは染み付いた習慣としていつも部屋の扉の隣で寝っている。
もし夜中に侵入者が扉を開けようとすれば一番早く気づけるし、ベッドで寝ていると思っている侵入者の不意を突くこともできる位置、それが扉の隣の壁なのだ。
・・・まあ、こんな備えが今まで役立ったことなどないのだが。
「わかった」
そう言ってすんなりとベッドにもぐり込むユキ。なんだかんだで少女も疲れているのだろう。
少女がベッドに入った後、自分も荷物の位置などを確認し終えた白神はロウソクを吹き消す。もったいないし、このまま放っておいたら火事にもなりかねないのだ。ロウソクを仕舞いこみ、白神が自分の寝場所である扉の隣に向かおうとすると、
「その・・・」
なぜか引き止めてくるユキ。
なんだよ?と白神が振り向くと、ユキは布団で顔を半分ほど隠しながら消え入りそうな声で言う。
「眠るまで、もう少しだけ・・・」
要するに、怖いから寝るまで傍にいてほしいのだろう。やっぱりまだ子どもだよな、という本音を口には出さずに心の中で呟き、白神は少女の元へと戻る。
「わかったよ、そのかわり早く寝ろよ?」
ユキの枕元辺りに腰かけ、することも無いので外を眺める。夜もふけてきたのだが、まだ外には多くの人の姿が見えた。夜遊び人にとっては今からが本番なのだろう。
そんな酔っぱらいどもを眺めても仕方ないので、白神は空に浮かぶ大きな月へと視線を移す。四角い窓枠に切り取られたような月。月だけはいつ、どこで見ても変わらないな、なんてどうでもいい事を考えながらユキが眠るのを待っていると。
「ねえ、しらかみ・・・しらかみの家族はどうしてるの?」
ユキが静寂を破り、そんな質問をしてくる。
見てみると少女は布団から顔だけを出してこちらを見上げてくる。眠れないのだろうか、少し遠慮するような素振りを見せながらも少女の瞳は好奇心に輝いていた。
白神は突然の質問、その内容に驚きながらも表情は変えず、とりあえず感情を含ませない声で短く答える。
「・・・全員死んでるよ。生き残ったのは俺だけだ」
その言葉に息を飲み、目を見開くユキ。
「っ、ごめんなさい、そんなつもりはーーー」
「気にしなくていいさ。今の世の中じゃべつに珍しいことでもないからな。それよりも寝ろ、明日は早いんだから」
「・・・ごめんなさい」
もう一度謝り、また静かになるユキ。
流れる静寂。それでも眠れないのか布団の中で何度も動く気配が伝わってくる。しかし、そのごそごそという音もしばらくすると聞こえなくなり、かわりに小さな寝息が聞こえ始めた。
ふう、と白神は一息つくと立ち上がる。
明日に備えて白神も早く寝なければならないだろう。明日にはこの街を出て、フラルに向けて出発するのだ。街を出れば追い剥ぎや盗賊、そして魔獣と呼ばれる魔石を取り込んだ巨大な獣などまでいる。虫にすら怯えるユキがそんなことを知っているはずがないのだ。
白神がしっかりしていなければ、間違いなくフラルまでたどり着けないだろう。
いつもの寝場所へ向かう前に一度だけ振り返る。
月に照らされた少女の寝顔は穏やかそのものだった。無防備な、外の世界をほとんど知らないであろう無垢な寝顔の少女。その場の流れで護衛を引き受けることになってしまった、本来なら関わることもなかったはずの他人。この先、何が起こるかわからないが、果たして少女を無事に送り届けられるのだろうか。
白神は途中で考えを止め、もう一度大きく息を吐き出す。今、そんなことを考えても仕方ないのだ。大剣を傍に立てかけて腰を落とし、壁にもたれる白神。無駄な思考を頭から弾き出し、目を閉じる。
すぐに薄れていく意識。白神は意識を手放し、そのまま眠りに落ちていった。