5 護衛のお仕事・その2
日が沈みかけた時間帯、白神は一人大剣の手入れをしていた。
あれから全てのクモの巣を取り去り、逃げるトカゲを捕まえて窓から放り投げ、ベッドの下に潜んでいた巨大なクモの親玉を退治したのだが、それが終わってもユキが風呂から出てこなかったのだ。
我ながらどうしてこんな、金にもならない宿の掃除なんてことをしてるんだろうな、とため息をつくこと数回、それでもついでにとホコリも取り去った部屋は見違えるほど綺麗になっていた。
・・・今晩しか泊まらないことを考えると虚しくなってくるのだが。
そんな事実から目を背けるようにただ無心で大剣を磨く白神。このバカでかい大剣は特殊で水をかけたくらいでは錆びたりしないため、濡れた布で拭いても大丈夫なのだ。
とは言ってもこの大剣はもう片方の刀とは違い、斬るというよりは重みで無理やり切断したり、叩き潰したりするのが主な使い方なので傷がつかない限り特に研ぐ必要もない。そのため、ただ汚れている箇所はないか確認しながら濡らした布で拭いて、その上から傷や汚れを防ぐ液体を塗っていくだけだったりする。
それでも大きいため、ムラなく丁寧に塗り終えるには時間がかかるのだ。手入れを始めてから相当な時間が流れたが、未だにユキは出てこない。途中までしかできないだろうと思っていた大剣の手入れも、もう終わろうとしていた。
まさか本当に気絶してるんじゃ、と白神が真剣に心配し始めた頃。
「・・・」
脱衣場の扉が開き、ようやくユキが出てくる。しかし、少女は風呂上がりだというのに疲れたような表情をしていた。
「えらく遅かったな。風呂の使い方わかったのか?」
「うん・・・お湯じゃなくて水だったのには驚いたけど・・・それに、天井から降りてきた脚の長い虫が扉にーーー」
「だからこんなに時間かかったのか。というよりそれくらい水で流せよ」
「流したの! そしたらいきなり床を走り始めて・・・」
どうやら、ずっと虫と格闘していたらしい。フラフラとこちらに歩いてくるユキ。生き物に慣れるには実際にふれ合うのが一番なので、この調子でいけば案外早く虫にも慣れるんじゃないだろうか。
「まあ、とりあえずこの部屋の虫は駆除しといた。たぶんもういないはずだから、ちょっとくらいなら寝といてもいいぞ」
そう言って白神も風呂に向かう。
もう暗いので着替えと一緒に念のためロウソクも持っていく。風呂場で転んで怪我しました、なんてことになったら笑い事では済まないのだ。
脱衣場に入り、さっさと服を脱ぐ。いつもの癖で持ってきた大剣を置き、代わりに来ていた服を風呂場に持っていく。体を洗うついでに服を洗うのは合理的な事なのだ。
時間の短縮にもなるし、そのまま干すとこの季節なら雨が降らない限り翌日には乾く。この暑い季節に洗濯しないのは論外なので、白神はいつも風呂で洗濯をしているのだ。
風呂場に入ると沈みかけた夕陽の残光が僅かに射し込んでいて、まだまだ明るかった。暗くなる前に早く済まそう、と白神は水の張ってある桶に向かう。
宿の風呂は大きな桶に水が張ってあり、そこに備えられた小さな桶で掬って頭や体を洗う仕組みになっている。この街にも水は引かれているため、その気になれば水を自由に使うことはできるのだが、笑えないほどの代金を取られるのだ。そのため、初めから用意されている水だけで済ませるのが一般的だったりする。当然、貧乏性の白神もそうするつもりなのだが。
さて、頭から洗うか、と水を掬おうとした白神はそこで気づく。水の量が異常に少ない。これでは洗濯するどころかつかるのも難しいだろう。
「・・・ユキか」
思い当たるのはそれしかなかった。
あれだけ髪が長いので洗うときに多くの水を使うのはわかるが、それだけではここまで減らない。おそらく現れた虫とやらに大量の水をぶちまけたのだろう。
洗濯を諦め、体を洗う白神。
次からは絶対先に風呂に行こう、白神は一人そう決意した。
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白神が風呂から上がってくると、ユキは一人日の落ちた窓の外を眺めていた。
窓の外は隣の建物の屋根が見えるくらいで見ていておもしろい物なんてないはずなのだが、少女は熱心に何かを見ている。
「何を見てるんだ?」
少し興味を惹かれた白神はそう訪ねてみる。
「人を見てるの。子供も大人も、みんな疲れた顔をしてるのに、それでも笑ってる」
白神もユキの頭越しに覗いてみると、すぐ下の道路を歩く人々の中に家族らしき集団がいた。外食でもしてきたのか楽しげに話すその表情には確かに疲労の色が見える。大人だけでなく子供さえも疲れているようだった。
それでも笑顔を絶やさないその姿は今を必死に、それでもなんとか楽しもうとしながら生きているような、そんな感じがした。
「戦争が終わって1年ちょっとしかたってないからな。この辺りはそんなに破壊されてはないんだろうけど・・・まだ元通りって訳にはいかないんだろうな」
少女と同じくその家族を眺めてみる。
3年以上続いた戦争は多くの街にも甚大な被害をもたらしたと聞く。復興は進んでいるらしいのだが、昔と同じ、とまではいかないのだろう。
ずっと見ていても仕方がないので、視線を部屋の中に戻す白神。
対してユキはその家族をずっと眺めていた。角を曲がり、その姿が見えなくなるまでずっと、ずっと。まるで目に焼きつけようとするかのように、ずっとその家族を見つめ続けていた。
白神はその表情をそっと窺う。
一見するとユキは無表情のように見える。あの活発で騒がしい少女には似つかわしくない姿。しかしその瞳、外の世界を映すふたつの鏡からは今にも水滴が溢れ落ちそうで、こちらからでもわかるほどに揺れていた。
「・・・」
白神は無言のまま視線を逸らし、もう一度外に向ける。
気づかないふりをする、それが白神にできる唯一のことだろう。弱みを見せない、それが少女の選んだ生き方なのだろうから。少女がどのような環境で育ち、どのような経験をしてきたのかはわからないのだ。うわべだけ慰めや励ましは少女を傷つけるだけだとわかっていた。
静かに流れる時間。空に見えるのは昇ったばかりの大きな月。月明かりの下、無言のまま外を見つめる白神とユキ。
部屋を包むのは静けさ。
「・・・そろそろ飯でも食いに行くか」
それを破り、白神は口を開く。
「・・・うん、わかった」
頷き、袖で目もとを拭うユキ。白神は何も知らないような顔をして背を向ける。
「さっさと行ってさっさと帰るか。お前は早く寝ないと朝起きられなさそうだからな、それは俺としても困る」
「っ!? ちゃ、ちゃんと起きられるんだから!」
少しからかってみると慌てたように言い返してくるユキ。このまましばらく塞ぎこんでしまうのではないか、と密かに心配していたのだが、その必要はなさそうだった。その目は少しだけ赤くなっていたりするが、これだけ元気なら大丈夫だろう。
荷物を持ち、そして大剣を背負う。
外に出る、それはユキが狙われる可能性が高まることを意味している。現状では警戒するほどのことでもないが、用心に越したことはないだろう。仕事に私情を持ち込むつもりはないが、この少女は守り抜きたい、そう心のどこかで思い始めていた。
白神はそんな事実に気づき、自嘲の笑みを浮かべる。
かつての自分からは想像すらできないような心境。それはユキを記憶の中の人物と重ね合わせているだけなのだろう。我ながら馬鹿じゃないのか、と真剣に自分を罵りたくなる。
「どうしたの?」
白神の表情に気づいたのか心配そうに聞いてくるユキ。突然一人で暗い笑みを浮かべていれば誰でも心配するだろう。というより少女と二人っきりの部屋で一人にやけていれば、もはや不審者扱いされてもおかしくない。
とりあえず素知らぬふりを決め込む白神。
「いや、なんでもない。それより行くか、早くしないと本当に遅くなる」
誤魔化し、部屋の外へと向かう。
余計なことは考えるべきではない、そう強く思いながら。