4 護衛のお仕事・その1
夕陽が辺りを照らす時間帯、宿の受付。
「ああ、一人部屋で頼むよ」
「わかりました。それでは、これが鍵になりまーーー」
「ちょっと待って!」
白神が宿の受付係から鍵を受け取ろうとした時、ユキが慌てたような声をあげる。
「どうしたんだよ」
怪訝な顔をする白神。
商人や旅人くらいしか利用しないであろう宿にあるのは大半が一人用の部屋なのだ。そして部屋数が少ないこともあり、数人で泊まるとしても一部屋しか借りないのが暗黙のうちの決め事となっている。2部屋も借りるなんて一般の旅人からすればありえないのだ。
そしてなにより、白神としては早く部屋で休みたかった。
あの後、適当な店を見つけてユキの服と靴を買ったのだが、その時に想像以上に体力を消耗してしまったのだ。買い物なんかに時間をかけたことのない白神からすると、服や靴を選ぶのに悩むのは訳がわからなかった。
人混みに慣れていない白神は人の多い場所に立っているだけで地味に体力が削られていくのである。普通はパッと見て気に入ったのをパッに買うんじゃないのか、と真剣に思うのだが、少女の感覚からすると違うらしい。
その分ユキは気に入った服を何着か選べたようだったが、白神からすれば予想以上に遅い時間になっていた。フラルは遠いため朝早くから歩かなければならない以上、明日のことも考えて早く休むべきなのだ。
対してユキは焦ったように、
「だって一部屋ってーーー」
「そうだよ、費用も浮くし護衛なんだから一応侵入者対策もしないといけないだろ?」
「それでもお母さんが言ってたの! 夜に部屋で男の人と二人っきりで泊まるのは、その、男女の関係に・・・」
顔を真っ赤にして俯き、消え入りそうな声で言うユキ。白神からすると予想すらしていなかった言葉。とりあえず白神は冷静につっこむ。
「いや、ないない。そもそもお前は女とは呼べないだろ。だってまだ心も体も子供ーーー」
「私はもう大人だもん! ちゃんと礼儀作法もできる立派な淑女なんだから!」
「淑女って・・・明らかに言葉の意味を間違えてるぞ。まだお転婆の方がーーー」
「それはしらかみの人を見る目がないの!」
顔を真っ赤にしたまま自分が子供だということを頑なに認めようとしないユキ。こちらからすればまだまだ子供にしか見えないのだが、どうやら背伸びをしてでも大きく見られたいお年頃なのだろう。
・・・それでも淑女だけは絶対にない。それだけは断言できる。
「ええっと、どうするんですか?」
受付係の人が困り半分、呆れ半分といった顔で聞いてくる。受付の前で騒いでいるのだ、相手からすれば迷惑なことこの上ないだろう。
とりあえず謝る白神。
「すいません、もう少しだけ待ってください。それで、どうするんだ? 淑女だっていうのなら受付の人を困らせたり、訳のわからないことで駄々をこねたりしないぞ?」
「駄々なんてこねてない! わかったわ、一人用の部屋でも大丈夫なんだから!」
「それじゃあ最初の通り一人部屋でお願いします」
一日とたたずに扱い方を理解した白神の言葉に乗せられてユキが怒ったように頷く。これにて一件落着。ようやく部屋で休めるらしい。
ふう、と大きく息を吐く白神。
鍵を受け取り、部屋の場所を聞いて二階へと上がる。軋むような音をたてる古びた階段。ユキは薄暗い廊下が怖いのか白神の袖を掴み、無言のままについてくる。さっきまでの威勢はどこにいったんだよ、と思わずつっこみたくなる白神。
とにかく歩いて二階の突き当たり、一番奥の部屋の扉を開ける。
「思ったより良い部屋だな」
そこは簡素なベッドと小さな机だけが置かれた部屋。ちゃんと窓もあるし、風呂も付いている。掃除がきちんとされていないのか天井にクモの巣が張っていたり、トカゲの仲間が壁に張り付いていたりはするが、一応はしっかりとした設備が整っていた。
そこそこ上機嫌で中に入り、荷物を降ろす白神。
対してユキは入口で固まっていた。
「どうしたんだ?」
そのまま動こうとしないユキに声をかけると、
「本当にここに泊まるの?」
信じられない、そんな目をしながら逃げていくトカゲを見つめ、聞いてくるユキ。何を今さら、と白神はユキへと向き直る。
「そうだよ、そりゃお前が住んでた所からするとボロいだろうけどな。早くしないと日が沈んで真っ暗になるぞ」
その言葉を聞いて恐る恐る入ってくるユキ。よほど虫が嫌いなのかすぐそこに張られたクモの巣の主を見て涙目になっている。
「牢屋よりはまし、牢屋よりはまし・・・」
聞こえてくるのは自らを奮い立たせるための呟き。
・・・いや、牢屋と比べるほど酷くはないだろ、と思わずつっこむ白神。
どうやら、この部屋の中にいる虫を全て駆除するしかないらしい。もし真夜中に叫ばれでもしたらたまったものではないのだ。護衛としての初仕事の相手が虫だということに白神は思わずため息をつく。
「はあ、とりあえずお前はこのまま風呂に行け。その間に綺麗にしといてやるから」
「・・・うん」
さっき買ったばかりの新しい服を持ち、白神の指差した風呂場の方へと恐る恐る歩いていくユキ。
その姿が見えなくなり、さて掃除するか、と白神がクモの巣を取るための適当な棒を探していると、
「ひゃあっ!!」
風呂場の方から聞こえてくるのは間の抜けた叫び。
今度は何だよ、と白神は本日何度目かのため息をつきながら風呂場へ向かう。脱衣場への仕切られた扉を開けると、服を抱えたままのユキがへたり込んでいた。
「あっ、あれ、大きな虫がーーー」
その指の先を見てみると、一匹のカミキリ虫がのそのそと歩いていた。
「・・・はあ。お前は一人で風呂も入れないのか?」
思わず頭を抱え、ため息をつく。
この調子だと先が思いやられる。というより、やっていける気がしなかった。なんせ今は夏真っ盛りである。虫なんて気にしていたら旅なんてできるはずがないのだ。
「入れるもん、ちょっと驚いただけでーーーっ!?」
白神がカミキリ虫を捕まえると後ずさりするユキ。試しにキイキイと声をあげるカミキリ虫を左右に振ってみると怯えた視線がそれに合わせて移動する。投げつけたら気絶するんじゃないかと本気で思う白神。
とりあえず気絶されても困るので、カミキリ虫を掴んだまま風呂場の中を確認する。
「風呂場にはーーー何もいないな。本当に大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫だからっ。とにかくその虫を早くどこかに持って行って!」
泣きそうな顔で言うユキ。わかったよ、と白神は呆れながら脱衣場を出る。
はあ、とまた大きくため息をつく。今日1日でため息をついた回数の最高記録を更新したんじゃないか、と本気で思う白神。
とりあえずキイキイと鳴きわめくカミキリ虫を窓を開けて解放してやり、天井や壁の角にあるクモの巣の撤去に取りかかる。ユキが風呂から出てくる前に片付けなければならないのだ。白神としてもこれ以上、虫なんかのために休息の時間を奪われたくなかった。
手際よく棒にクモの巣を巻き取っていく。我ながら綺麗に全部とれたな、と一人感心する白神。やるからには徹底的に、それが白神の信条なのだ。そして、白神が二つ目のクモの巣の撤去に取りかかった時。
ガッターン、と桶が転がる音が響き、少女の悲鳴が響いてくる。
「・・・もう知らん」
白神は全ての雑音を意識から閉め出し、職人のごとく目の前にあるクモの巣を撤去することだけに集中することにした。