29 もう1つの目的
日が昇る少し前、商人たちが日が昇るのを待ちながらも少しづつ準備を始める頃。
「はあ・・・眠いな」
白神は動き回る商人たちを尻目に、あくびを噛み殺しながら歩いていた。
活気が満ち始めた街。辺りのひんやりとした空気が心地良い。昼が暑い分、この時間帯は特に快適に感じるのである。
(今からでも休めるかな・・・ユキはまだ寝てるはずなんだけど)
いつもならばこの少し後くらいの時間には少女を起こしているのだが、まあ帰ってから少しくらいなら寝ることができるかな、なんてことを考える白神。
それはつまり、白神が起こしてやらないといつもは起きてこないということなのだ。昨日も帰ってから少女が起きてくるまでの少しの時間は眠れたので、今日も少しは眠ることができるはずだった。
もう一度大きく息を吐き出す。少女が昨夜のことを引きずってるんじゃないかと少し心配だったりするのだが、それを今考えていても仕方がないだろう。
商人たちのいる活気ある通りを外れ、泊まっている宿をめざして静かな路地を進む。
どうせ今日も人が多くなる時間帯まで動けないから、ユキが起きてきてもしばらくは寝かせてもらうか、なんてことを考えながら道を歩き、見えてきた安っぽい宿へと入る。
泊まっている多くの人間がまだ起きていないのか、静まり返っている廊下。迷惑にならぬよう静かに階段を上がり、少女が眠っているはずの部屋へと向かう。
そろり、と物音を立てないよう注意しながら扉を開ける。少女に外出していたことを気づかれぬよう、こっそりと部屋に戻らなければならないのだ。半開きにした扉からすっ、と体を部屋へと滑り込ませる。
すると。
(?)
白神はベッドのすぐ隣、そこに座り込んでいる少女に気づく。
こちらに背を向け、顔を伏せるようにして座り込む少女。それは明らかに不審な姿。何をしているのかこちらからはわからないが、起きているのは間違いないだろう。
気づかれたか、と少し落ち込む白神。
それでも、このまま立っている訳にもいかなかった。とりあえず入った時と同じように静かに扉を閉め、昨夜のこともあるためなるべく驚かさぬようゆっくりと近づき、そして声をかけてみる。
「おい、ユキ。なにしてるんだ?」
その声にピクリ、と反応する少女。
「ーーーしら、かみ?」
そして少女はゆっくりと顔を上げ、こちらへと振り向いたかと思うと。少女は立ち上がるや否やいきなり抱きついてくる。
その突然の出来事に対処できず、そのまま抱き止めるような体勢になる白神。
「っと、いきなりどうしたんだよ」
とりあえず少女を抱き止めたまま、白神は思わずそう問いかける。正直、今の状況に理解が全く追いついていなかった。
「・・・いで」
白神に抱きついたまま、聞き取れないほど小さな声で言うユキ。
「なんだって?」
「私を・・・置いていかないで」
聞き返す白神に少女は消え入りそうな声で言う。
それは震える、本当に小さな声。
「お願いだから・・・私の前から、いなくならないで・・・もう、一人は嫌なの・・・お願い・・・」
白神の胸に顔を埋めたまま、かすれたような声で懇願する少女。ぎゅっと、まるで放すまいとするかのように強く抱きしめててくる。その体は、怯えるように小刻みに震えていた。
思わず言葉を失う白神。
それでも少女は震える声で必死に言葉を紡ぐ。
「なんでもするから・・・絶対、償うから・・・だから、だから・・・見捨てないで・・・」
そこにあるのは怯える一人の少女。心に傷を負い、いまだ過去に囚われ続けるあまりにも痛々しい姿。
「しらかみに、まで・・・見捨てられたら、私は・・・私はっ」
大きく肩を震わせるユキ。
少女の心が壊れそうになっていると、そこでようやく理解できた。
白神は自らの唇を噛みしめる。
少女が心に深い傷を負うような辛い過去を背負っている、それは予想できたはずなのだ。いや、初めて会った時、イーステリアの兵士に追われていた時点で白神は薄々気づいていた。少女の周囲にいた人間は皆捕まったか、もしくは少女を裏切り逃げたであろうことに。
権力を失った人間とその家族の辿る末路など、ほとんど決まっているのだから。
にも関わらず、白神は少女の見せる元気な姿に心配する必要はないと、そう決めつけていた。明るく振る舞う少女はそんなことなど気にしてはいないと、そう思いこんで楽観視し続けていた。心に負った深い傷は消えない、それを一番よく知っているのは白神自身のはずなのに。
そして、少女のことをよく考えず、自分の予定を合わせるためだけに行動した結果が今、この状況だった。護るという約束をした少女を深く傷つけ、今にもその心を壊しかけている。
白神は自分自身に対する怒りを押し殺しながら、ただ少女を抱きしめた。
「ごめんな、ユキ・・・本当に悪かった」
今、できることなどそれくらいしかなかった。傷ついた少女の心、それを前にして白神にできることなど無いに等しいのだから。
小さく嗚咽する少女。
白神の腕の中で、怯える少女は震え続けていた。
「邪魔なら、せめて・・・せめて、直接言って・・・それなら、まだ、受け入れられるから・・・だからーーー」
「邪魔じゃない。そんなことは、絶対にない」
「償う、から・・・なんでも、するから・・・」
「わかったから、お前の気持ちはよくわかったから。俺はいなくならない、だから落ち着いてくれ」
少女の言葉にとにかくしっかりと答え、安心させようと試みる。
静かな部屋に響く、小さな嗚咽。
白神は少女の背中にそっと手を回したまま、ゆっくりと待つ。今は待つことしかできなかったのだ。それでも少しづつ、本当に少しづつ落ち着いてくる少女。
「ごめんなさい・・・本当に、ごめんなさい・・・」
「わかったから、べつに怒ってないから」
「・・・ほん、とに? いなくならない、の?」
「いなくならないに決まってるだろ? こんなことは二度としないって、ちゃんと約束するから」
「私と、いるのが、嫌になったんじゃーーー」
「そんなことはない。俺がユキといるのを嫌に感じるはずがないだろ、そんな風に思ったことなんて一度もないよ」
ぎゅっと、顔を埋めたままの少女の手にまた力がこもる。
「だって・・・だって、私は自分のことを、隠してばかりで・・・でも、知られるのが、どうしても怖くて・・・話さなきゃ、いけないのに・・・」
震える少女。
それは前にも聞いたことのある言葉。少女が白神に対して負い目に感じているであろうこと。
白神は少女の細い肩へとゆっくりと手をのせる。
「前にも言ったけど、俺はそんなこと求めてないよ。知られるのが怖いのなら話す必要はないんだ、べつに知って何かが変わるわけじゃないしな」
「でもーーー」
「それでも話さないといけないって思うのなら、話せると思った時でいいんだ。急いだって話の中身が変わるわけじゃないだろ?」
重ねるように言い聞かせる。
少女が自分のことを隠すのには何か理由があるのだろう。確かにそこまで話すべきだと思うようなことについては少し気になるが、それを無理に話させても仕方がないのだ。
それになにより、少女が何を隠しているのか、それを知ったところで何かが変わるとは思えなかった。
「・・・ごめんなさい」
顔を埋めたまま、また小さな声で謝る少女。
「いや、謝るのは俺のほうだ。悪かったよ、勝手に動いて。お前のことをちゃんと考えてなかった」
「ーーーっ」
その言葉にゆっくりと顔を上げる少女。その泣きはらしたように赤くなった目に見つめられ、思わず視線を逸らしそうになる。
何か会話を、と少し慌てながら辺りを見回す白神。
「そうだな、その・・・とりあえず座らないか? ちゃんと今までのことも説明するから」
「・・・うん」
小さく頷き、こちらの服の胸の辺りからゆっくりと手を放し、かわりに腕にしがみつくようにして移動する少女。その離れようとしない様子からは少女の怯えが伝わってくるようで、なんとも申し訳ない気分になる。
とりあえず片手で荷物を全て降ろし、ベッドの端に二人して腰かける。
そして、腕にぎゅっと抱きついている少女が落ち着きを取り戻す頃を見計らって、ゆっくりと口を開いた。
「えっとな、俺がしてたことだけど、どこから話すべきかな・・・やっぱり最初からか」
あんな目をされたら誤魔化しきれない、そう諦めた白神は心の中でそっとため息をつく。
そして意を決すると、ゆっくりと話し始めた。
「今まで夜に出歩いてたのは、この先に行く場所の情報収集っていうのもあるんだけど、一番の理由は人探しだ」
「人、探し?」
小さく聞き返してくる少女。
白神は頷く。
「そうだ、俺にはずっと探している人がいるんだよ。まあ、一度も会ったことはないし、向こうは俺の顔どころか名前すら聞いたこともないだろうけどな」
そこで一度大きく息を吐き出し、
「俺はな、その人宛ての荷物を預かってるんだ、渡してくれって頼まれたものを。
ちょっとその人、いや、その子はお前と似たような境遇で、簡単には探せないんだよ。そもそも生きているかどうかもわからない。
だから情報屋を使ってそんな人間が集まる場所の情報を集めて、そして探してる。俺が旅してるのもそれが理由だったんだ、色んな街に行けば、それだけ見つけ出せる可能性は高まるからな」
「それって・・・」
「ん? 見たことあったのか。この包みだよ」
貴重品入れから引っ張り出した袋の中身を手に取る。
丁寧に黒い布に包まれた、手のひらに収まるほどの大きさの箱。重みのあるその包みを少女に見せ、また丁寧に袋へと戻す。
「これを託してくれた人は俺にとってーーーそうだな、例えるなら恩人みたいなものなんだよ。
あの人がいなかったら俺はたぶん・・・いや、間違いなく死んでただろうな。
だから絶対に渡してやりたいんだよ。たとえその子が生きていなかったとしても、せめて、墓の前くらいにはな」
感情を込めず、ただ淡々と話す。
ユキはその話を聞き、少し考え込む素振りを見せた後、おもむろに口を開く。
「その子について、教えて」
「それはできない。相手のこともあるし、勝手に話す訳にはーーー」
「私なら、私なら少しは役に立てるかもしれないの」
真っ直ぐな目でこちらを見つめる少女。それは確かな意思を持った瞳。その瞳は興味から言っているのではないと、そうはっきりと伝えてっていた。
綺麗な、それでいてまだ少し潤んでいる少女の瞳。先ほどのこともあり、その真っ直ぐな瞳に折れる形で白神は渋々その名を口にする。
「・・・西城川加那だ。年は俺より少し下だって聞いてる」
「っ、西城川家って、あの・・・」
「俺はよく知らないけど、王国がイーステリアとの戦争に入る前に潰れた家だって聞いてる。元は大層な貴族だったらしいけどな。昔はどこかの刑務所か何かに家族と一緒に捕まってたらしいんだけど・・・」
記憶を辿り、そんな補足をする白神に対してユキはぶつぶつと何か呟きながら一人考え込んでいた。
「西城川家・・・もともと西方担当軍総司令官をつとめる家で、反逆を企てたという嫌疑により当主とその父親が死刑、家は取り潰し・・・確か、その家族は死刑を免れてーーー」
「ユキ?」
「元王国領、レナンの街の政治犯収容所。そこに加那さんって人はいたはずなの。イーステリアの支配下になってからはわからないけど、少しは手がかりがあるかもしれない」
こちらの目を見て、そうはっきりと言うユキ。
白神は驚きに目を丸くする。全く手がかりはないと思っていた探し人の行方についての具体的な情報。それを目の前の少女が知っていたことに驚きを隠せなかったのだ。
「レナンってイーステリア侵攻への前線基地になった街だな。あっという間に占領地を増やしていったからすぐに使われなくなった、あの・・・確かあの時は、峡谷に沿ってずっと進んで・・・」
少し考え込む白神。
あの戦争の際、王国軍は北の国境線をめぐり紛争の絶えなかった帝国軍と休戦協定を結び、西のイーステリアへと侵攻したのだ。
そしてその一年後には南の連邦にも攻撃をしかけた挙げ句に連邦軍の反撃にあって劣勢に立たされ、そこに突如として協定破棄を宣言した帝国軍による大規模進攻が始まり、挟撃される形となった王国軍は事実上潰滅、王国は降伏したのだが、現在は元王国領の大半を王国降伏にほとんど関わっていないイーステリアが統治している。
それは政治上の駆け引きの産物なのだが、それは今回有利に働く。
潜入するのなら多数の強化兵部隊を抱え、強大な軍事力を持つ帝国や連邦よりもイーステリアのほうが何倍も楽なのだ。というより、帝国や連邦の支配下ならば潜入して探すことは不可能に近いだろう。
「でも、その加那さんって人は危険かもしれない・・・イーステリアへの侵攻は西方担当軍が主力だったから・・・」
「そうか、奴らにとっては敵軍の元親玉ってことになるのか。つまり、最悪のことも有り得る、と・・・というよりもユキ、お前はどうしてそこまで知ってるんだ? 王国軍にいた俺でもそこまでは知らなかったのに」
感じた疑問をそのままぶつける白神。
ユキは少し慌てたように、
「その、政治についてはずっと習ってきたから。だからちゃんと覚えてーーー」
「ユキが勉強してたなんて驚きだな。てっきり遊んでばかりだと思ってたのに」
いつものようにからかってみる白神。
すると少女は少し怒ったような表情ですぐに反論してくる。
「私だってちゃんとーーーだから私は子どもじゃないの、そんなことしないでっ」
せっかくなので反論しようとするユキの頭をなでてみると、顔を真っ赤にしてこちらの手から逃れようとする。
やっといつもの調子が出てたな、とほっと一息つく白神。少女がいつもの姿に戻ってくれるかどうか密かに心配していたのだが、杞憂に終わったらしい。
少女は頬を赤く染めたまま、
「でも、急いだほうがいいと思うの。もしかしたら今も捕まっているかもしれないし、もし捕まっていたら命が危ないかもしれない。だから、私のことはいいから先にーーーっ」
それはこちらに気を使おうとする言葉。
白神はそれを遮るようにユキの頭にもう一度手をのせる。
「だから約束はちゃんと守るって。優先順位を見失うほど俺も焦っちゃいないよ。それにそもそも、お前に聞いてなかったら手がかりすらなかったからな。まあ、お前を送った後にでも行ってみることにするよ」
「っ、うん・・・」
そこでなぜかまた元気のない返事をする少女。
「?」
白神は首をかしげる。だが、先ほどの会話の中で特に思い当たることはない。気にならないと言えば嘘になるが、気づかないふりをしたほうが良い、そう判断する白神。ただの勘違いかもしれないし、余計なお節介は少女を傷つけるかもしれない。踏み込みすぎないことは大切なのだ。
とりあえず立ち上がり、普段のように外を指差す白神。
「外で飯を食べて、出発するか。今日中にはこの街の中心部を抜けたいしな。兵士が多いから気をつけろよ」
その言葉に無言で頷き、立ち上がる少女の頭にぼすっ、と帽子を被せる。
「っ」
「気をつけろって言っただろ。捕まるって言うならお前が今、一番危ないんだから。イーステリア兵ならまだ何とかなるけど、頼むから帝国とか連邦の兵士と一戦交える、なんて状況だけは勘弁してくれよ?」
「・・・わかった」
目もとまで被せられた帽子を被りなおす少女。
本当にわかっているのか、と少し心配になってくる白神。今心配するのもどうかとは思うが、これから先に何かやらかしてくれそうな、そんな予感がするのだ。
とりあえずユキがいつもの調子を完全に取り戻すまでは気をつけないとな、と白神は心の中で呟いた。




