2 ぶつかってきたのは
白神は炎天下の寂れた街を歩いていた。
全く人気の無い道。こんな時間帯にこんな何もない道を歩く物好きは白神くらいなのだろう。
「・・・暑いな」
一人ぼそっと呟く。
着込んだ黒いコートのおかげで凄まじく暑い。脱げばいいだけのことなのだがそれはそれで荷物になるし、何よりこのコートは安物とはいえ一応は防刃仕様なので、身を守るためにも脱ぎたくないのだ。
そしてなにより背中にかけた大剣が重い。慣れているとは言え、その部分だけ服が圧迫されて背中に張り付くのだ。汗をかいている今はとても気持ち悪い。
早く宿を見つけてゆっくり休みたい、それだけが今の白神の切なる願いだった。
と、その時。
遠くの辺りからドタドタと大人数が走る足音が響いてくる。
「?」
足音からして複数の人間が何かを追いかけているらしい。そして響いてくるのは男の大声。このご時世なので、窃盗なんて日常茶飯事なのだが、さすがに泥棒ごときでここまで大規模な追いかけっこはしないだろう。
なんなのかは知らないけどこの暑い中ご苦労なことで、と特に気にすることなく歩いていく白神。次第にその騒々しい物音は近づいてきていたが、わざわざ道を引き返したり変更したりするのも面倒くさい。どうせ大したことにはならないだろ、と楽観視して歩き続けてみる。
すると、少し進んだ所で、
「っ」
ドン、と。
突然飛び出してきた『何か』が胸の辺りに激突した。
路地裏のような細い道から飛び出してきた小さな物体、それはぶつかった衝撃で地面に倒れている。
何だ?と視線をそちらに向けてみると、それはまだ幼さの残る一人の少女だった。長い髪に整った顔立ちの、白い囚人服を着た少女。
「ごめんなさいーーーっ!!」
少女はこちらに視線を向けようともせずにそれだけ言うと、慌てたように立ち上がろうとする。見るからに必死そうな少女。しかし、その体がよろめいたかと思うとまたすぐに倒れてしまう。
なにしてるんだ?と首をかしげる白神。
そこに。
「こっちにいるぞ!!」
「確保しろ!!」
大声をあげながら走ってくる男たち。その姿を見た少女はこちらからでもわかるほど怯え、距離を取ろうと後ずさる。
何も知らない白神でも、一目で少女が追われているのだとわかった。
後ずさってくる少女に道を空ける間もなく足がぶつかる。驚いたのかこちらを見上げてくる少女。その瞳は恐怖に揺れていた。
「ここだ!!」
そこに走り寄ってくる男たち。その揃えられた装備には見覚えがあった。
「イーステリア兵か」
ばらばらで統率がとれているとは到底言えない動きで集まってくる兵士たち。それはこの兵士たちの経験の無さを、つまりは実力の低さを如実に表していた。
新兵なんだろうな、と適当に推測しながらも白神は少女と兵士を見比べる。おそらく、この少女は王国貴族の娘か何かなのだろう。王国敗戦の後、戦争に加担したとされる貴族は片っ端から捕らえられている。一族の者ならば老若男女関係なく捕らえられ、容赦なく処刑されているのだ。
まあ、もともと貴族に対して良い印象を抱いているわけではない白神にとっては他人事でしかないのだが。
戦争が終結して1年以上の時が流れたが、未だに何人もの潜伏貴族がいると聞いている。それでも兵士たちによる執拗な捜索で次々と捕まっているらしい。少女も一度捕まり、移送途中にでも逃げてきたのだろう。
可哀想だな、とは思いつつもその少女をただ見つめる白神。当事者でもなく事情も知らない白神が手を出すべきことではないのだ。
しかし、
「っ」
怯えた少女が白神の足に隠れる。
兵士たちからは、白神が少女を庇っているように見えるであろう位置。ふと感じたのはこれって勘違いされるんじゃないか、という嫌な予感。
そして、その予感は適中する。
「貴様、武器を捨てて手を上げろ!!」
剣に手をかけながら叫ぶ兵士。
おいおい、と白神は心の中でため息をつく。面倒くさい、思うことはそれだけだった。
大きく息を吐き、
「断る。お前たちの事情なんて俺には関係ない。邪魔するつもりはないから、こいつを捕まえたいのなら勝手にやってくれ」
そう言い放つ。
金にならないことはやらない、それが白神の信条だった。この暑い中、慈愛の精神で命をかけて人助けをするつもりなんてないのだ。
対価を払う、それはこの世界の掟に他ならないのだから。そもそもこの程度の悲劇ならどこにでも転がっている。たまたま出会った、それだけで少女を助けるのはただの偽善に過ぎない。
今、この瞬間にも理不尽に死んでいく人間がいるのだから。
かと言って兵士の言葉に従うつもりもなかった。
その見下したような態度に腹が立ったということもあるが、なにより白神はただの市民ではないのだ。追われている訳ではないが、下手をすれば白神も捕らえられかねない。そのため武器を捨てるわけにはいかなかった。
その言葉が予想外だったのか面食らったように固まる兵士。
今日は厄日だな、と白神はため息をつく。この流れでは戦闘を避けるのはほとんど不可能だろう。もうどうにでもなれ、と腹をくくる白神。
そこに、先ほどの兵士を押しのけるようにして指揮官であろう兵士が出てくる。
「我々の命令が聞けないのか!!」
いきなり怒鳴る指揮官らしき兵士。
「だから邪魔はしないって。俺はイーステリアの人間じゃないし、ただの通りすがりだ。全くの無関係なのに、他国の軍の命令に従う義務はないだろ」
「貴様、浮浪者の分際で調子に乗るなよ。今の状況がわかってないようだな」
「わかってるよ。迷惑この上ないことに群れたイーステリア兵に追われた女の子に盾にされてる。この暑い中、この人数って・・・イーステリア兵が弱兵呼ばわりされる理由がよくわかったよ」
白神は指揮官らしき兵士を挑発する。
相手の兵士としての能力は低い。だからこそ挑発すれば簡単に乗ってくるはずだった。こうなった以上、長引かせず手早く終わらせるにはこれが一番だろう。
途端に相手の表情が変わる。
「拘束しろ。手足は落として構わん。訊問でたっぷりと可愛がってやる。女にだけは傷をつけるなよ」
案の定、挑発に乗ってくる指揮官らしき男。その言葉に兵士たちは次々と剣を引き抜く。そして仲良く集団のまま手にした剣を向けてきていた。
包囲してこないのか、と呆れる白神。
こちらからすればやり易くて良いのだが、ここまで訓練されていないと本当に正規軍なのかと逆に心配になってくる。
まあ早く終わらせるか、と背中にかけた大剣を外す白神。
手に伝わってくるのはずっしりとした重み。その刃先を振りやすい位置へと下ろす。ドス、と地面に突き刺さり、音をたてる大剣。
それを見た兵士たちが嘲笑を浮かべる。白神からすれば大真面目なのだが、端から見るとふざけているようにしか見えないらしい。まあ、いつものことなので特に気にしていないのだが。
指揮官らしき男が馬鹿にしたような声を上げる。
「ははっ、馬鹿め! その使えもしない塊を持ったまま切りきざまれてしまえ!!」
それに反応して兵士たちが突っ込んでくる。広がることなく集団のまま迫りくるイーステリア兵。その状態では白神と相対することのできる人数が限られてくるのだが、それにすら気づいていないのだろう。
当然、白神は手を抜くつもりなどない。
兵士たちを見据えたまま大剣を握る手に力を込める。焦ることなく距離を見極め、そして。
一気に大剣を振り抜いた。
メキッ、と防具なのか骨なのかはわからないが、何か折れるような音をたてて吹き飛ばされる二人の兵士。扇で扇ぐように大剣の側面で殴りつけたのだ。その時に作り出された風圧に耐えられず、命中しなかった後ろの兵士たちもよろめく。
僅かな時間をおいて地面へと落下する兵士たち。その哀れな兵士たちは地面を転がった後、苦痛の呻きをあげる。殺さぬよう刃を寝かせ、『力』もそこそこ抑えていたために命中しても骨折したくらいで死ぬことはなかったのだ。
もがき苦しむその姿を見て、残りの兵士たちが後ずさる。ようやく実力差に気づき、次は自分があんな目に遭うかもしれない、そんな恐怖に捕らわれているのだろう。こちらに向けられるのはまるで化け物でも見るかのような視線。
白神はため息をつく。
ここまで派手にやってしまえばもう後戻りはできない。白神は兵士たちを睨みつけ、大剣を手にしたまま威圧するように一歩踏み出す。
それだけで兵士たちは間抜けな悲鳴をあげて、我先にと逃げ逃げ始める。
「き、貴様ら!! それでもイーステリアの兵士か!!」
指揮官らしき兵士が慌てたように逃げる部下を叱咤するが、全く効果はない。あっという間に指揮官らしき兵士を置いて逃げ去る部下の兵士たち。
そして、残されたのは指揮官らしき兵士と、地面に転がって呻き声をあげる二人の兵士たちだけだった。
白神は大きく息を吐き出しながら、
「それで、どうするんだ? まだやるのか? 動けるお前の部下は全員逃げたみたいだけど」
ゆっくりとその指揮官らしき兵士の方へと歩いていく。
「よ、寄るな!! 貴様、王国の強化兵か!! 負けて国に見捨てられた兵器ごときが、このようなことをしてただですむと思うなよ! その娘が何者か知ってーーー」
恐怖と怒りに顔を歪めながら後ずさる指揮官らしき兵士。対して白神は容赦なく大剣を振るう。
ドゴッ、と。
指揮官らしき兵士の顔のすぐ側を通過し、後ろの壁を崩したのは土の塊。白神は大剣を使って地面を抉り、そのまま土を飛ばしたのだ。
虚勢を張っていたその男は腰を抜かしたようにへたりこむ。
低い声で告げる白神。
「俺が質問したのはこれからどうするのか、それだけだ。やるのか、やらないのか。次、何か関係ないことを喋ったら本気で潰すぞ」
言いながら軽くにらみつけると、男は悲鳴をあげながら逃げていく。特に追うつもりはないのでその後ろ姿を見送る白神。そして転がった兵士たちの呻き声だけが残される中、見捨てられた兵器か、と一人自嘲の笑みを浮かべる。
それは今の自分を最も的確に表した言葉だとわかっていた。大切なもの全てを失い、市民として社会に溶け込むこともできず、ただ金を得るためだけに放浪する敗残兵。白神はそれ以外の何者でもないのだから。
逃げ去ってゆく男の姿が見えなくなる。
白神は大きく息を吐き、そんな思考を掻き消すように大剣をまた背中にかけ直す。一応は一国の正規軍にケンカを吹っ掛けたのだ、なるべく早くこの街から離れないと厄介なことになるのは目に見えていた。
気持ちを切り替え、歩きだそうとする白神。
今日は目立たない宿に泊まって明日の朝一番にはこの街から出るか、なんて一人今後の予定を考えていると、
「あのっ」
突然かけられる声。
その声に振り向いてみると、先程の少女がこちらを見つめていた。
そういえばこいつの存在を忘れてたな、とため息をつきながら少女へと向き直る白神。助けるつもりは特になかったのだが、結果としては助けたような形になっていたのだ。
あくまで成り行きとしての結果なので、さすがの白神もこんな少女に謝礼を請求しようとするほど鬼畜ではない。・・・一瞬考えそうになったのもまた事実なのだが。
その少女はすがるような視線をこちらに向けていた。
「なんだよ?」
そういえばこいつのおかげでこんな目に遭ったんだよな、とため息をつく白神。そして、今から少女が話そうとしていることの内容もこれまた厄介事の予感しかしなかった。絶対に断ろう、そう密かに心に決める。
そんな白神の心の内を知らないであろう少女は頭を下げ、
「さっきは助けてくれてありがとうございました。えっと、その、お願いがあって、連れていってほしい場所が・・・」
慣れていないのか少し無理をしているであろう言葉遣い。貴族ならば礼儀作法は学ばされていたはずなのだが、まだ完璧には使いこなせていないのだろう。
白神は軽く手を振りながら、
「あー、悪いな。俺は暇人じゃないんだ、他をあたってくれ」
そうきっぱりと断る。
結局助ける形になったのだが、これ以上少女に関わるつもりはなかった。白神は面倒事が嫌いなのだ。そもそも金にならないことをするほど優しい人間ではない。そして、どう見ても目の前の囚人服少女は金を持っているようには見えなかった。
その言葉に少女は唇を噛み、
「どうしたら、どうしたら助けてくれますか?」
「この世界はな、お金で動いているんだよ。世の中、金があれば大半のことはできる。それくらいはお前でも知ってるだろ?」
「だったら必ず払うので、連れていってください!」
すがるように言う少女。
一人で行こうとしないところを見ると、少女が連れていってほしいと言う場所は相当遠いのだろう。確かにこんな少女が一人で旅をするのは無謀でしかない。
実際、少女一人でたどり着くのは不可能に近いだろう。良心が痛まないこともないが、そんなことを言っていたら生きていけないのだ。適当にあしらうか、と白神は言葉を探す。
「あのな、どう見てもお前は金を持ってないだろ。どうやって払うつもりなんだ?」
「姉さんなら、私の姉なら必ず払ってくれます! だから、お願いします!」
「・・・なら正金貨三百枚、払えるのか?」
法外な金額を口にする白神。今の物価なら大きな街で一軒家が買えるほどの金額なのだ。このご時世にそんな大金をぽんと払えるはずがないし、払えたにしてもどう考えても割に合わない。これならさすがに諦めるだろう、そう思って言ったのだが、
「必ず払います、だからっ!」
即答だった。
思わず頭を抱える白神。まさかとは思ったが、この少女は相当な世間知らずらしい。もし連れていったとしてもそんな大金を払ってもらえるとは思えなかったし、まずそんな金を持っていたとしても素性の知れない、しかもたった一人の護衛にそんな大金を払う馬鹿はいないだろう。連れていった後に払えないんです、なんて言われたらたまったものではないのだ。
どうすればいいんだよ、と少女を諦めさせる方法を必死に考える白神。というより、このままだといきなり大金を取り立てられることになるであろうその姉さんとやらがあまりにも可哀想だった。
「だったらそれを証明できるものはあるのか? 俺としてもタダ働きするのだけはごめんだ、だから何か担保になるようなものがほしい」
囚人服姿の少女がそんなものを持っているはずがない。まずそんなものは没収されているはずなのだ。
これなら諦めるだろう、そう思ったのだが、
「っ、それなら・・・」
そう言って自分の長い髪の中に手をいれる少女。そして取り出したのは紐のついた、丸い宝石がはめ込まれた小さな貴金属のようなもの。首飾りだろうか、それを大切そうに持ち、こちらに差し出してくる。
いや、なんで持っているんだよ、ともはや驚きを通り越して呆れる白神。それでも言い出した以上、とりあえず受け取ってみる。
「これは・・・魔晶か。この大きさでこの紋章となると・・・お前、王家直属の貴族だったのか?」
それを見て目を丸くする白神。
魔晶とは魔石と呼ばれるものが変化してできる、とんでもなく貴重なものだったりする。そんなものと縁のない白神にはいったいいくらくらいの値段がつくのか想像もできなかった。
さらに魔晶を留めている高級そうな金属には王家の紋章まで刻まれている。それが示すのは並大抵の貴族では触れることすら許されないほどのものだということだった。そんなものを賜るような家柄ならば金を払えない、なんてことはまずないだろう。こんなものを娘に預けているくらいなのだから。
「それはお母さーーーっ、母上から貰った大切なものなの、それを渡すから、お願い、私を連れていって!」
白神の服を握りしめ、上目遣いで必死に頼んでくる少女。よほど必死なのか先ほどまでとは違い、地であろう言葉遣いになっているのだが少女は気づいていないらしい。
白神としても、ここまで用意されるとどうしようもなかった。
色々と理由をつけようにもあのように言ってしまった以上、断る理由を見つけられなかったのだ。どうしようか、と少し考え込んでからもう一度大きくため息をつく。
「はあ・・・わかったよ、連れていけばいいんだろ。ほんと、今日は厄日だな・・・それで、どこまで行くんだ」
白神の言葉に少女は顔を輝かせる。
「ありがとうーーーございます! ええっと、フラルっていう街までです」
途中で気づいたのか言葉遣いを戻す少女。
「フラルって王国の残党が支配してるって所か。たしか、えらく遠い場所だったはずだけど・・・ここからだとだいぶ日数がかかるんじゃないのか?」
「それでも、私は行かないといけないんです!」
戦争が終結しても未だに王国残党が抵抗を続けているフラル方面では、ずっとイーステリア兵との戦闘が続いていると聞く。確かにそこならば捕まらないよう逃げてきた貴族も沢山いるだろう。少女の家族もそこにいて、そして少女の帰りを待っているのだろうか。
ふっ、と。
白神は無駄な想像をしそうになった自分を鼻で笑う。そんなことは白神にとって一切関係のないことだった。考えても仕方がないし、それで何かが変わるわけでもない。全くをもって意味のないことなのだ。
思考を切り替え、フラルまでの道のりをどうするか考える白神。
フラルは森の中にある小さな城下町なのだ。そこに逃げ込んだ王国残党とイーステリア兵との激しい戦闘がずっと続いているはずなので、危険性は非常に高いだろう。詳しい状況がわからないため下手をすれば戦闘に巻き込まれる可能性すらある。
(まあ、行ってみないと状況はわからないか)
少し考え込んだ後、途中で考えることを放棄する白神。
深く考えたところで予想の通りになる可能性は低いのだ。実際に行って、直接見てから考えたほうが早いだろう。
そして、白神にはこの仕事を受ける自分なりの理由もあった。ここからは確かにとても遠いのだが、フラル方面には前々から行ってみたいと思っていたのだ。白神の持つある目的、そのためにも少女の頼みは利用できそうだった。
「わかったよ、とりあえずはお前を護衛すればいいんだろ? それじゃあ行くか。ほら、これは返しとく」
少女に先ほどの首飾りを持った手を突き出す。対して受けとるのを少しためらう少女。
「えっ、その、本当にいいんですか? これは担保だってーーー」
「大切なものなんだろ、ならお前が持っててもいいよ。俺は金さえちゃんと貰えればそれでいいんだから。それと、その無理してる喋り方もしなくていいから。一応雇い主はお前だ、俺なんかに見栄張っても仕方ないだろ」
「っ、ありがとう。ええっと・・・」
その言葉に驚いたような顔をした後、困ったようにこちらを見つめる少女。
なんだ、と少し考え、そこでようやくまだ名前を教えていなかったことに気づく。
「俺は白神だ。まあ、フラルまでの片道だけどよろしくな」
「しらかみ・・・私は、ええっとーーーユキ、ユキって言うの」
自然な言葉遣いに戻るユキと名乗った少女。貴族のお嬢様にしてはやけに活発そうな話し方。やはりこれが素の彼女なのだろう。
しかし、白神が引っ掛かったのはそこではない。
「・・・なんか、いかにも今考えました、みたいな名前だな。偽名感が漂いすぎてるぞ」
自分の名前を言うときに少し考えるような素振りを見せた少女に白神は鎌をかけてみる。
その言葉にびくっ、と反応する自称ユキ。
「偽名じゃないもの、ちゃんと姉さんとかお母さんたちにはユキって呼ばれてたんだから!」
「それってさ、本名じゃないってことをほとんど認めてるよな」
「!?」
あっ、と。そこでようやく自分の失敗に気づき、慌てて口をふさぐ少女。なんともわかりやすいというか、純粋なのだろう。
一人ならすぐに騙されてそうだな、と少し心配になる白神。
「まあ、別にいいよ。お互いに隠しときたいこともあるだろうから詮索はしない。それじゃあユキって呼べばいいんだな?」
「・・・うん」
安心したように頷くユキ。
はっきり言って、白神としては少女の本名なんてどうでもいいのだ。依頼を受けた以上、相手が誰であろうとも報酬に見合うだけの働きをする。それが白神なりのやり方なのだから。
そして、白神自身としても自分のことをあまり知られたくはなかった。だからこそ互いに深入りはしない、そう決めることができたのは白神にとってもありがたかったのだ。
とりあえず辺りを確認する白神。
「とりあえず行くぞ、あんまり長居してるとまたイーステリアの連中が集まってくるかもしれないからな」
そう言って歩き出す白神。
一人取り残されそうになり、置いていかれまいと慌ててついてくるユキ。白神はユキに合わせるため歩く速度を少し落とす。
つい先程から始まった新たな仕事。普通に考えるのなら報酬の良い、少女の護衛をするだけの白神にとっては簡単な仕事。しかし、白神はなぜかこの仕事が凄まじく大変なものになりそうな、そんな気がしてならなかった。