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17 偽りの名



 ユキは一人で空を見上げていた。


 大きな、そして少しだけ欠けた月。すぐ近くにあるように見えて、本当はどこまでも遠くにある存在。綺麗な月に手を伸ばしてみても届かないのはわかっている。


ユキがいるのは森の中、斜面の上。ちょうど村を見下ろせるような位置にある大きな岩の上にユキは座っていた。


 あの少年はいない。魔石を回収し忘れたと言って森の中へと引き返していったのだ。ユキもついていこうとしたのだが、待っていろと言われてしまったのである。


 視線も合わせてくれない少年のどこかこちらを遠ざけようとするかのような雰囲気に押され、さすがのユキも頷くしかなかったのだ。


 月明かりの下、先ほど渡された短刀を眺める。


 鞘に入った、ユキには少し重く感じる短刀。飾り気のない、その簡素な鞘に()られている紋章には見覚えがある。


 王家の紋章、その前で刀を交差させたそれは間違いなく王国軍のものだった。その下の所属部隊を表すであろう折れた剣を()したものについてはわからないが、それでもわかることがある。



 それは少年が軍の精鋭だったということだ。



 紋章の入った武具の使用は軍でも精鋭とされた、ごく一部の部隊にのみ許されるものだ。理由は簡単、戦場で紋章入りのものを捨てて逃げられると困るからである。


 だからこそ実力を認められた部隊に所属する者のみが持つ強者の証、かつての王国ではそう言われていた。昔、軍についての講義を受けた際に紋章を持つ兵士にはいつでも頼っていい、そう言われたほどなのだ。


 その理由が今はよくわかる。あの少年の強さは尋常ではない。もはや人間離れしていた。イーステリアの兵士が言っていた『強化兵』という言葉。それが何なのかはわからないが、あれだけの実力ならば王国軍の精鋭中の精鋭だったのだろう。


 だからこそユキの心は晴れなかった。


 帝国、連邦、イーステリアとの戦いにより王国軍は壊滅し、王国は滅びた。まだ抵抗する勢力があるとは言え、この事実は変わらない。つまり少年は敗軍の兵士なのだ。そして、国のために戦った兵士たちが敗戦後はどのような扱いをうけているのか、それをユキはよく知っている。


 それは全て、王国の上層部が自らの存命を(はか)り、彼らに責任を押し付けたために生じたことなのだ。それが無駄であるとも知らず、あることないこと全てを押し付けた。




 彼らはどう感じたのだろうか。命をかけて守ろうとした国に裏切られ、全てを否定されて。


 少年はどう感じているのだろうか。自分たちを裏切った一族の娘を守り、一緒に行動して。




 ユキはその短刀をそっと手で包み込む。大切なもの、そう少年が言っていた短刀。()しくもユキが大切にしている首飾りと交換するような形になった、ユキにとっての御守り。


 ユキは少年のことをほとんど知らない。

 この短刀が少年と共にどのような道を歩んできたのかはわからないのだ。それでも、ユキの脳裏には焼きついていた。大切なものだと言った時の、少年の表情が。全てを受け入れたような、それでいて未練と憎悪が入り雑じったような、そんな悲しげな顔が。


 少年が自分の表情に気づいていなかったからこそ、その表情はユキの頭から離れなかった。


 何があったのかはわからない。しかし、それはユキに想像できるような生やさしいものではないのだろう。


 だからこそユキは自分のことを話さなければならない、そう強く思っていた。贖罪(しょくざい)の意識からではなく、しなければならない当然の義務として。謝るくらいでは済まされない、それだけの地位にユキはいたのだから。


 だが。



「ーーーっ」



 震える手。必死に抑えようとするが、震えを止めることはできない。あの少年に全てを話す、そう考えただけで自分の体はまるでいうことを聞いてくれないのだ。


 少女は唇を噛みしめる。


 こんなことでどうする、あの少年の前でこんな姿を見せられるのか。そう自分を奮い立たせても震えはおさまらない。それどころか震えは全身へと広がろうとしていた。



「私、は・・・私はっ・・・」



 嫌われたくない、その言葉を必死に噛み殺す。

 怖かった。怖くて仕方がなかった。話せば今の少年との関係が壊れてしまいそうで、どうしようもなく怖かった。


 それが自分勝手な願望だとわかっていても、抑えることなんてできなかった。


 そこに。



「おーい、全部拾ってきたぞ。もう用事もないからさっさと帰るか」



 ガサガサと落ち葉を踏む音と共に聞こえてきたその声に、ユキはビクッ、と体を強張らせる。先ほどまでのどこかよそよそしい雰囲気は全く感じられない、いつも通りの少年の声。


 白神は一人になることで自分の気持ちを切り替えていたのだが、そんなことに気づけるほどの余裕は今のユキにはなかったのだ。


 とにかく必死になっていつもの表情を作ろうとするユキ。


 何も知らないであろう少年は少し立ち止まった後、こちらに歩み寄ってくる。



「どうしたんだよ、ユキ。腹でも痛いのか?」



 いつもながらの少年の言葉。

 ユキはなんとか表情を取り(つくろ)うと、慌てて少年へと振り向く。鏡を見なくても明らかに不自然な表情をしていると自分でもわかるが、どうすることもできなかった。それでも必死に平静を(よそお)おうとする。



「だ、大丈夫。ちょっと虫がいて、びっくりしただけ」


「・・・そうか、ならいいよ。俺はゆっくり歩いとくから、お前は後から追いかけーーー」


「大丈夫、私は大丈夫だから・・・」



 その表情を見て、気を使ったのか背を向けて歩き始めようとする少年を引き止める。ユキの異変に気づき、しばらく一人にさせてやろうとする少年の優しさなのだろう。だが、それに頼るわけにはいかないのだ。


 その言葉に少年は少し躊躇(ためら)いを見せながらも立ち止まる。


 ユキはその顔を見つめながら、覚悟を決める。逃げるな、そう自分に言い聞かせ口を開く。



「あのね、聞いてほしいことがあるの」



 そう切り出しただけで手が震え始める。心拍数が上がり、喉が一気に乾燥していく。頭の中がぐちゃぐちゃになって、次の言葉に詰まってしまう。


 固まってしまうユキ。


 それでも少年は何も言わず、待っていてくれている。だからこそユキは詰まりながらでも言葉を紡ぐ。紡ぐことが、できた。



「私の、こと。話さないと、いけないの。私の家のこと・・・本当の・・・名前。私の、私の・・・名前はーーー」



 その先は、言葉が出てこなかった。

 必死に口を動かそうとするが、どうしても言葉にならない。この機会を逃せばもう二度と話す機会なんて巡ってこないかもしれないのに、体はいうことを聞いてくれない。今しか、今しかない、そう思えば思うほどユキは追い詰められて、俯いてしまう。


 今の状況を変えてしまうことへの恐怖。それだけがユキの思考を覆い尽くしていく。


 流れる沈黙。


 少年の顔を見ることができない。途中で固まってしまった自分のことをどう見ているのか、それを思うと涙が溢れてしまいそうだった。


 少年がこちらに来る気配。


 怒られる、そう思ったユキはとっさに固く目をつむる。

 そして。



 ぽん、と頭に置かれる手のひら。




「無理に話す必要はないぞ。俺は金を貰って働く身だ、依頼に支障が出ないのなら依頼主のことを知る必要はないんだから」



 まあ、まだ報酬は貰ってないけどな、と少しおどけたように言う少年。


 ユキは恐る恐る顔を上げる。そこには、気にした風もなく笑う少年の顔があった。



「そもそもお前は『ユキ』なんだろ? なら、なにも問題ないじゃないか。名前なんて人の本質を表すわけじゃない。俺は俺で、お前はお前だ。俺からすれば意地っ張りで負けず嫌いで、なにかと背伸びしたがる少し間の抜けた子どもだよ」


「・・・子どもじゃ、ないもん」



 その言葉にユキはいつものように返す。

 少年が励まそうとしているとわかるから、話題を変えようとしているとわかるからこそユキはその優しさに甘えてしまう。前に進むことなく現状を維持してしまう。



「ということは前の4つは認めるんだな。まあ、とにかく帰るぞ、明日も早いんだから」



 手を差し出してくる少年。少女は少し躊躇(ためら)い、そしていつものようにその袖を掴む。


 服越しにでも伝わってくる、変わらぬ(ぬく)もり。



「・・・ありがとう」



 ユキは小さく礼を言う。

 顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。あまりにも恥ずかしく、それでいてあまりにも心地よい感覚。この居場所を手放したくない、そんな抑えられないほどに強い願望が沸き上がってくる。


 ぎゅっと、少年の袖を握る手に力をこめる。


 今の関係は仮初(かりそ)めのものだと、そうわかっていた。それが近い将来、終わりを迎えるであろうことも。

 ユキはそれでも現実に目をつむる。先の未来から目を背け、終わりの見えた今へと逃げ続ける。




 変えてしまうことを恐れる少女と、変わってしまうことを恐れる少年。




 似ているようで、方向性の全く違う二人は互いにうわべをなぞるようにして進んでいく。近づくことも、離れることもない距離。相手を知らないことによって保たれる、作り物の関係。


 それがいつか破綻(はたん)することは間違いなかった。それでも、今はただ進むしかないのだ。その先に待つのがどんな結末なのか、今の時点では誰にもわからないのだから。



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