016 たえるえがお
どうぞ。
魔法工房に戻って、師匠に成果のことをあれこれ話していると「ふむふむ」とうなずきながらすこし笑顔になってくれた。
「君はスキルとして「狩猟魔法」を手に入れたから、アイテムを通さなくても発動はできる。とはいえ、剣技や防御のことを考えれば、アイテムとして持っておくのが最適解だと思うね。それで、何か言いたそうな顔をしているが」
「……人が死んだらしくて」
「人が?」
「はい、私たち漂流者の誰かだそうです」
ふむ、そうだったかと師匠は机に置かれていた書類に何かを記入した。
「不死ではない、か。なるほど」
「なんですか、その書類」
「仕事だ、と言っただろう? 見たまえ」
「……漂流者の性質と、対策案……?」
死ぬなら対処は容易だな、とひどく酷薄な声が聞こえた。
「これほど人当たりの悪い男が、姪からの紹介だからといってやすやすと他人の面倒を見るとでも思ったかね? 行動や性質を見るのに、ひとり手元に置いて観察するのがもっともよい方法だと思うが……。君は飼育と観察ってものを知らんのかね」
「そ、そんな……!」
「君は素直に教えを吸収しているいい弟子だ。しかし、人をはるかに超える力を持つものが数百人以上、これがすべて君と同じだとでも? 現に死人が出ているのだから、一枚岩ではないのだろう、状況を詳しく教えてくれるかね」
「……はい」
言いたいことを押し殺して、俺は知っている限りのことを伝えた。
「ありがちな失敗だが……そんな死に方をするものかな? 逃げれば逃げられたと思うがね。もっと強くて対処の難しいモンスターが現れたと考えるのが自然だ」
「囲まれたら、逃げられませんよ」
「いや、そうではなくてね……ヘイト系アーツは、君も使っただろう〈デコイ〉と抱き合わせだ。ある程度本体が削られた時点で狙いは分散するうえに、群れたり興奮状態にあるモンスターは知能が下がる。何かが殴りこまない限り、死にはしない」
「じゃあ……」
横から殴り込んだ、高火力攻撃を持つ何者かがその人物を殺した、ということになる。
「レベルの高いモンスターが出てきたら、真っ先に倒すといい。少しは弔いになるだろう」
「そう、ですね……」
言われて気付いた――
「ちょっと、インベントリの整理をしてきます」
「ああ、お金はあった方がいいからね」
気付いているのかいないのか、師匠は書類から顔を上げなかった。
割り当ててもらった部屋で、椅子を引いた手が震えていた。深く息を吸い込んでからゆっくりと座り、机の中央、何も置いていないスペースに目をやる。
対処の難しい攻撃。
知能、レベルの高いモンスター。
その条件にあてはまるものなら、倒した。
「まさか……いや、違うよな」
確かめる手段はある。
アイテムをあまり落とさないモンスターが倒されたときは、設定上争っているとされる種族の素材を落とすことがあるのだ。実際に起こったことなら、証拠はそこに残っているはず。インベントリに、何かがあれば――
「……っ、これ……は」
何の変哲もない「ハンカチ」というアイテム。
[ハンカチ(レア度なし)
夫婦の記念日に送りあった、刺繍の入ったハンカチ。年季が入っているが、大切に使われているようだ]
「このイニシャル、どこかで……」
H.Mというイニシャルを見たのは初めてではない。この世界に来てから、誰かの持ち物として印象に残っていたはずだ。けれど、記憶に残るほど知っている人はそんなにいないし、先輩たちが生きているのは知っている。
「あっ、手帳だ」
――これで、うちの生徒は大丈夫かな。
ろくに話したこともない、顔も知らなかった教師が「うちの制服だね」と言って話しかけてくれて、同じ学校の生徒をひとところにまとめていたのを思い出した。そしてキャラネームをメモしていた、革表紙のそれなりに高そうな手帳には、似たフォントのイニシャルがあった。
「死んだ、のか」
血が氷になったかのように、体がしんと冷える。
モンスターが積極的に争い合うこともあるにせよ、レベルアップはそう早くないはずだ。世界がいつから始まったのか、モンスター自体がいつ生まれたのかにもよるけれど、低ランクモンスターが進化まで生き残る確率は低い。とびきり効率のいい獲物が舞い込んでいたのなら話は別だ――安全圏もないし、避難場所もないモンスターでも、周りの敵を全滅させられるほど強くなったのなら、進化もするだろう。
人ひとりが見捨てられて死んだという情報も、どこか遠く感じていた。葬式がどうとかなんて考えもしなかったし、師匠に弔いになると言われても、だから狩りに精を出そうだの復讐しようとはみじんも思い浮かばなかった。
「死んでも、殺されてもダメなのか」
モンスターを倒せば経験値になり、アイテムが落ちる。
当然の、ごく単純な理屈が俺たちにも適用されているというだけの話だ。けれど、その効率は段違い……モンスターを何体も倒すより、人間一人を殺すほうが早いようだった。
「……どうすればいいんだ、この情報」
師匠の言うことも一理ある。全員が「人を殺してレベルを上げるなんて間違ってる、人のすることじゃない」と思うとは限らない。「上がって損はないし、進化を終わらせてからゲームに取り掛かったほうがいい」と思う人間だって、どこかにいるはずなのだ。
俺は、しばらく椅子から立ち上がることができなかった。
ちょっと鬱回。ルールはルールなので、起こるべきこと以外は起こりません。漂流者たちにしても、チートを与えられたわけではないので困難は困難だし死ぬときは死ぬんですよね。低レアだからとかじゃなく、やらなきゃ死ぬんですなぁ。