2・配達物
ルビーの赤毛は「真っ赤」ではなく、現実世界的な「赤毛」です。
赤っぽい茶髪です。
「って、わけなんだけど」
全体的にぼんやりした灯りで照らされた店内は、総木製の展示棚や家具などの上に、所狭しと雑貨が並んでいる。それらは装飾品であったり人形や玩具、はたまた女物の豪奢な服など何が目的かわからない、実に無秩序な空間であった。常連であるルビーなんかには「骨董品屋っぽいな」と映るそれも、ひょっこりやってきた初めての客なんかには怪しい店認定されてしまうらしい。そういうわけで、いつもガラ空きだ。少なくとも、ルビーは来店中に店員以外を見かけることはなかった。同業者の間ではそこそこ有名らしいのだが。
その最深部にあるこっくりと濃厚な茶色の艶やかなカウンターに寄りかかったルビーは、手近にあった筒からすらりとした銀の剣を取り出しながら先日の出来事を語る。
「おっさんはどう思う?」
「どう思うって、どうだよクソガキ」
白髪にニット帽、道具の鑑定の時につける細いフレームの眼鏡がトレードマークの店主はカウンターの中にある机の上でルビーが今し方持ち込んだ道具を丁寧に調べていた。
「僕達が取り逃した女のことだよ」
ルビーが手にした剣はレプリカだった。こんなものでは何も切れない。
(これも、呪物なのかな……)
呪われてしまった物は「呪物」、人間は「呪者」と解呪屋には呼ばれる。この骨董品店は、いわくつきの道具を取り扱っており、その大半を解呪屋から卸された解呪の成功した(噂では中途半端に残ったままの場合もあるという)呪物が占めるという、印象どおりやはり怪しい店なのだった。
「僕のダガーは解呪用に聖水で加工されてる。あの魔女、あれを食らってもぴくりともしなかったし、リーの無反動砲バズーカも意味がなかった。……っていうか浴びてすらないし」
一般人にとって呪われている対象はただの呪物、または呪者でしかない。けれど、解呪屋は呪いが進行しすぎている呪者を「魔女」と言う。瘴気を放つようになるからだ。それらは大抵大物とされており、解呪にも手間がかかる。
「僕はあれは呪者じゃないと考えている」
その特別な呪者意外にも呪者という存在はある。
「お前は、そいつを本物の魔女だと思っとるのか」
「うん」
顔も上げないで返してきた店主に頷く。
呪者ではない「魔女」。本来の意味での、「魔女」。魔法という異能を操り、そのたびに瘴気をまき散らし害を及ぼす悪しき女達。
「魔女なんてそうそういるもんじゃねぇぞ。おまけにそれを取り逃したとあっちゃ、スカーレットは安泰といかない」
「やっぱり?」
だよねえ、とルビーは腕を組んだ。基本的に「魔女」は頻繁に拠点を移すことがない。そのため、発見した解呪屋は元締めである解呪屋同盟に討伐の申請をし、大人数で向かうことが原則となっている。同盟に加入していなかったり、すぐに手を打たねばならないという場合もあるので絶対ではないものの、同業者から責められることは必至である。
「とりあえず長にしか報告してないから漏洩はないと思うが……」
「リーの野郎が口外しなけりゃ、な」
「僕もそれが心配だ」
かちゃり、と卓上ランプを消すと店主は棚をごそごそ漁り、プレートに紙幣と硬貨を数枚ずつ置いてカウンターに出した。
「終わったぞ」
「ありがとう」
全部で六千八百ベイト。財布にしまいながら店主の殴り書きによる領収書に目を通す。これがなければ分配のときにもめるのだ。
「それにしてもお前、魔女の住処の割には儲けになってないな」
視界で紫煙が漂った。店主はヘビースモーカーなのだ。
「そうだな、まあ。うん。誰も怪我はしてないし。それ考えたらましな方だった、かもしれない……」
命の危険がないのはやはりいいことだが、零細解呪屋だとしても、一応は店を構える集団である。大量の資源の割に合わない成果しか出せないのではやはり、素直によかったよかった、と納得できない。
言い終えたとき、ちりりん、と可愛らしい鈴の音が店に響いた。誰かが入ってきたらしい。
「どうもーっ! アインツ郵便です!」
ぴょこんと跳ねるような動作。大きくて元気な声。エネルギーに満ちあふれた様子と爛々と輝く真っ赤な瞳。解呪屋スカーレット御用達の郵便局で働く少女、ナナに違いなかった。
「店長、ルビーさんはこちらに……って、あ! ルビーさんっ」
「久しぶり、ナナ」
ルビーは右手を挙げて軽く微笑んだ。彼女はルビーと同じく瘴気と呪いの影響を受けない赤い瞳を持っているので、わずかだが交流があった。
「いっや、本当に助かりましたよ。一回スカーレット行ったら不在でまいっちゃいました」
いつもどおりの早口でまくしたてながらナナは骨董店の中をずんずん進んでくる。この店の品物を郵送するのもアインツ郵便局だった。
「僕に荷物?」
口にしてから疑問が浮かぶ。他の解呪屋はどうか知らないが、スカーレットは誰かの荷物を受け取っておいてもらうなんてことはザラなのだ。けれどナナは、はい、と答える。
「……もしかしてそれ、大荷物か?」
眉宇を寄せてルビーは問う。彼は体力がなく、見た目通り華奢なので重い物を持つのは苦手なのだった。
「大荷物、の定義がよくわからないので何とも言えないんですが、流石の私でもここまでの道のりは大変でした」
どこか遠回しな言い方に不信感が生まれる。女性にしても小柄なナナだが、仕事の都合で筋力はルビーの倍以上あるのだ。
「っていうか、荷物に分類していいかもわからないんですが……。まっ、私は送り主様を拝見してませんし、ルビーさんがお好きにしたらよいと思いますよ」
「は? え、ナナ、それってどういう」
「では、私荷物を持って来ますねー」
にこにこしたまま質問をスルーされたことに軽いショックを受けていると、店主が皮肉っぽお笑いを零した。
「お前、またきな臭い事件に巻き込まれてるのか」
「まだ「きな」の臭いすらしてないが……というかまたって何だよ」
「小規模にしちゃあ、スカーレットはよく引っかかってるだろ」
「嫌味かよ」
けっ、と反論しつつ、ルビーの心のおもしは重量を増していた。赤目は解呪屋にとって非常に便利な切り札であり、どこも喉から手が出るほどそういう人材を欲している。故郷から出て流れの解呪屋をしていたサガミとルビーは、スカーレットに辿り着く前からも自分達が厄介ごとに関わりやすいことをよく理解していた。
「なあ、クソガキ。今回の依頼者って誰だ?」
「ミズだよ。あの、ミズ・リリィ」
おもむろに投げかけられた問いに答える。辟易しながら出したその名前は、解呪屋スカーレットの中では上客とされる、けれども決して好かれてはいない女性のもの。いつも喪に服しているのか漆黒のドレスに身を包み、手編みの豪華なベールの奥で真っ赤な瞳を愉快そうに細める貴婦人。
(ミズ・リリィが持ちかけてきた時点で怪しむべきだったな……。でも、今月は収入無くて家賃も払えるかギリギリだったし)
危険の割に儲からない仕事なのである。それ以上に適性のある仕事がルビーにはないのでやっているだけで、他に給金や労働環境が理想通りの職業があればすぐにでも移動したい。
「はい、こっちですよー、付いてきてくださいね。歩くくらいはしてくださいよ」
ナナの声がドアの方から聞いたルビーは悪寒が駆け抜ける感覚にぞっとした。
「お待たせしました」
その「荷物」を引っ張りながらナナは受領書を差し出す。
「ウォルビレト様にお荷物お届けに参りました。確認が終わりましたらこちらにサインを!」
マニュアル台詞を口にする、ぴっかぴか笑顔のナナ。馬鹿みたいにぽかんと口を開いて立っていることしかできないルビー。
「確認なんてできるか!」
怒鳴った客に臆することなくアインツ郵便局の局員は切り返す。
「それは困りますよ! 引き取ってもらわないと私が何言われるわかったもんじゃありません。それに、この人はちゃんと、「解呪屋スカーレットのウォルビレト」に宛てられているんです」
そう。ルビーが荷物を受け取らないのは、それが生きている少女にしか見えないからだ。
細くきらびやかな金糸の髪の毛がさらりと零れた。瑞々しい肌はふっくらときめ細やかな白、小さな桃色の唇は真一文字で不機嫌そうなことこの上ないが、なぜだか愛らしい。ルビーとナナの丁度中間くらいの背丈をくるむドレスは裾が短くたっぷりのレースとパニエが豪華だった。
ぱちり、と二人の視線があう。ルビーを捉えた瞬間、長い睫毛に隠すように縁取られた伏せられがちの瞳が、そっと見開かれていく。綺麗な色をしていた。恋しているように潤んだ、暁の色。
(等身大の人形かよ。いやまさか、本当につくりもの、とか?)
嘘であってくれと願いながらついくしゃりとしてしまった受領書の皺をそっとのばす。確かに、宛先はルビーだ。だが、差出人の名前に心当たりがない。
「おいおい……」
冗談はよせよ、店主が言った。
「お前どんな趣味をしてるんだ。随分変わった思考じゃねえか」
憎まれ口ばかりの店主が急に気遣いの目つきになり、ルビーはさらなる誤解が生まれたのを察した。
「オレは反対しねえが欲望のはけ口は何もこういうのだけじゃないだろう」
「違うわ!」
「どうでもいいですからさっさと受け取ってくださいよ!」
とん、と軽く背中を押された少女は抵抗もせずにルビーの薄い胸に倒れ込む。
「すまないが、私を人形扱いするのはやめてくれないだろうか」
少女は心底嫌そうに不満を口にした。
「だったら嬢ちゃん、お前が離れればいいだけだろ」
「いや、ご老人。私はお姉様から大人しくすることを命じられているので、それはできない。助言には感謝する」
顔だけ店主を向いた少女は「きをつけ」の姿勢のままで、抵抗しようともしない。
「そうかい」
心底どうでもよさそうに返事をした店主の表情は、面倒を前面に押し出したものだった。
「とりあえず、普通に立ってもらえるか」
目の前の少女が自分の言うことを素直に聞いてくれるとは思いがたかった。しかし、このままくっついているのはまずい。非常にまずい。すごくけしからん感じがする。断られたらどうしていいのかわからない。
「わかった」
こくりと小さく頷くと、少女は一歩引いてから体勢を立て直した。
「僕の話は聞くのか」
「お姉さまが、そう望んだから」
仄暗いあかね色をした一対の目が、じっとルビーを見つめる。
「私はお姉さまに言われるままあなたに手紙を届けに来た」
「そうなんですよ!」
ナナが訳知り顔で口を挟む。
「ここまでの輸送途中で手紙だけ預かる、って話になったのに断固として手放さなかったらしくて! それで一緒にお届けしました」
「そういう言いつけだ。お姉さまの言葉は私の絶対だから」
どんな姉さんだよ、とルビーが内心でツッコミをいれた。
「とりあえず、その手紙を見せてくれないか」
無言だった。けれど少女は丁寧な刺繍の施された上着から封筒を出す。受け取り、手でびりびりと破いて開くと二枚、紙があるようだった。とりあえず便箋の方に目を通す。たった一行だった。一番上の段に、ただの一言だった。
__この娘この呪いを解いて。
「この娘?」
「?」
少女は首を傾げた。蜂蜜みたいに甘く艶やかな髪がさらりと零れた。手紙の内容を知らないのか。
「これって……」
詳しく聞こうとしたが、それは叶わなかった。
店いっぱいに乱暴な音が鳴り響いた。硝子張りのドアが思い切り開けられたことでガタガタと震え、さらにベルとぶつかったせいであった。
「ルビー! ルビー! ウォルビレト!」
あぁ、と思わず呻きそうになった。直視しなくてもわかる、この鬱陶しさ。
「……どうしたんだ……サガミ」
無造作に伸ばされろくな手入れもされず、無難に切られた榛の髪を振り乱し、汗をかいているのも、肩で息をしている姿さえ絵にさせる魅力を持っているのが、サガミという男だ。けれど、家族同然のルビーからしてみればもう日常の光景でしかない。公園でパンくずつついている鳩となんら変わりないので、野郎のひっつき無視などうざい以外の何でもない。
「急いでスカーレットに戻ってくれ!」
「なんで俺が?」
サガミはじりじりした様子で、非常に切羽詰まっているらしい。
「来たんだ……来てしまったんだ…………!」
「何が?」
「ミズ・リリィがお前を呼んでるんだ!」
今に膝から崩れ落ちそうな動揺っぷりのサガミは、ミズ・リリィがひどく苦手であった。